「 家」について、語れること
「 家」について語ろうと思う。
それは新潟県と山形県の県境地域──曖昧な言い方をするが、その方がらしいだろう──にある一軒の建物を指す。外装は平凡な一軒家に近く、ぱっと見では築10~15年ほどに思える。黒い三角屋根と白い外壁の平屋であり、雪国にありがちな二重玄関を備えている。
家主は不明だ。表札には明確な名前が記されておらず、「 家」と表するしかない。窓に物陰が映ることもなければ、物音一つすら聞いたことがない。かといって空き家ではないらしく、玄関前の雑草は、いつのまにか刈られて短くなっていることがあった。
……どうしてここまで知ってるのか?
そして、なぜこの家のことを語りたがるか。
気になっていると思う。いや、気になっていて欲しい。
ということで、それらの疑問にお答えしよう。
僕は「トレンディ酒井」という名で芸人をしており、その家の隣に住んでいる。いわゆる「○○住みます芸人」という企画である。地方局から生活費をもらい、後期高齢者すら消えかけた田舎に半年ほど暮らしては、そこで撮影した映像を持ち帰って、VTRを作ってもらう。なんともヘンテコな仕事である。
もちろん、ただ暮らすだけでは何の取れ高も生まれない。出来の悪いVが生まれ、ディレクターも俺もこっぴどく嫌味を言われ、そのまま仕事がなくなって終いである。「トレンディ酒井」がただの「酒井」になった瞬間、社会経験なしの高卒アラサー無職が生まれてしまう。
そういうわけで、僕はほとんどの時間をネタ探しと撮影に費やしていた。始めのうちは、「農業未経験者が畑を作ってみた」だの、「妖怪伝説をお年寄りから聞いてみた」だの、「○○してみた」系の企画が泉のように湧いた。
しかし、一ヶ月後には想像力は底をついてしまった。だから売れないんだ、と言われたらそれまでである。一方で、売れなくていいんだと開き直ることもできない。何しろ、ギャラを受け取って仕事をしている最中なのだ。
僕は朝飯中も、トイレ中も、定期的にある寄合の最中でも、懸命にネタを考え続けた。テレビで視聴率が取れるのは「ラーメン、動物、子供」というが、この辺りには食堂一つないし、動物なんて熊・鹿・イノシシのような害獣しかおらず、子供については言わずもがな。運悪く、ネタになるような面白い老人すらいない。
明くる日の朝、僕はいつものように散歩へ出かけた。ネタ探しという名目の「暇つぶし」だったが、そのときふと、ある光景に目が向いた。
隣の家の石垣が、やけに新しくなっていたのだ。
僕が引っ越してきたとき、その家には挨拶へ伺った。しかし、結局のところ、その家の住人には一度も会えなかった。インターホンを押しても反応はなく、表札も出ていない。だから、石垣の色の違いに気づいたとき、一瞬、自分の記憶違いを疑った。
だが、間違いなく変わっていた。
以前は、苔むした石を適当に積み上げただけの、いかにも素人仕事の石垣だった。それが今は、角の揃った切石に置き換えられ、色も周囲から浮くほどに新しい。まるで「昨日作りました」と言わんばかりである。
……工事の音など、聞こえなかった。
この集落は静かだ。車が一台通れば、誰がどこへ行ったか分かるくらいである。そんな場所で、石垣を総取り替えする工事があれば、気づかないはずがない。
僕はカメラを回した。正直、半ばヤケだった。「過疎地のミステリー」なんてベタもベタで、取れ高が得られる保証はまるでない。ディレクターが鼻で笑う顔が目に浮かぶ。それでも、何もしないよりはマシだった。
石垣にレンズを向けていると、背後から声をかけられた。
「酒井さん。それ、気になるよな」
振り向くと、佐藤さんがいた。いつも野菜をおすそ分けしてくれて、集落の中では一番と言っていいほどに親しい仲だ。年齢は八十を超えているはずだが、背筋は異様に伸びていた。
「最近できたんですか?」
「できた、って言うか……戻ったんだな」
意味が分からず、僕はカメラを下ろした。
「戻った?」
「前も、あんな感じだった」
佐藤さんは、石垣から目を離さずに言った。
「俺が子供の頃は、あの家はああだった。白い壁で、屋根も黒くてな。石垣も、ちゃんとしてた」
「じゃあ、そのあと一回……」
「崩したんだ。わざと」
わざと、という言葉が妙に重かった。
「どうしてですか」
「知らん。俺はガキだった。ただ、大人たちが総出でやってたさ。夜にだ」
夜というワードが、嫌な引っかかりを覚えさせてくる。喉の奥が少し、つっかえるような気がした。
「それで、今はまた元に戻った、と」
「そういうことになるな」
佐藤さんはそう言って、ようやくこちらを見た。その目は、好奇心ではなく、警戒の色を帯びていた。
「……酒井さん、あの家のこと、あまり映さんほうがいい」
理由を聞こうとしたが、佐藤さんはそれ以上何も言わず、踵を返して去ってしまった。相変わらず、年齢を感じさせない力強い足取りであった。
残された僕は、再び石垣と家を見た。
朝の光の中では、相変わらずただの家だ。黒い屋根、白い壁、二重玄関。人の気配はない。
けれど、気のせいだろうか。
玄関の扉が、ほんの少しだけ――開いているように見えた。
その日は、それ以上何も起きなかった。
昼には佐藤さんからもらったナスを焼き、夕方にはディレクターから「今日は素材ある?」という素っ気ない電話が来て、夜にはいつも通り、撮り溜めたどうでもいい映像を見返した。石垣のカットも、その中に混ぜておいた。見返してみたが、特別なものは映っていない。ただの家とただの石垣で、音も変な影も、特にはなかった。
翌朝、目が覚めると、天気予報が外れて雪が降っていた。窓の外は一面の白で、音が吸われたように静かだった。雪国では珍しいことではないそうで、むしろ、少し遅いくらいらしい。
いつものように玄関を出ると、雪かきがされていた。
自分の家の前だけでなく、隣の家――あの家――との境目まで、きれいに。
雪かきをした記憶はないので、おそらくは佐藤さん……あるいは西園寺さんがやってくれたのだろうか。彼女はいつも、寄合で僕に話題を振ってくれたり、会うたびに「テレビに出てんの見たよ」と微笑みながら言ってくれる。田舎暮らしのこういう暖かさは魅力だが、あんまり映像映えはしないらしい。
その日の撮影は、雪景色を押さえるだけで終わった。真新しい石垣は、雪を被ってしまうと、もう以前との違いが分からない。編集で使うにしても、地味なカットだろう。結局、僕のレンズは遠くの山肌へと向いてしまい、あの家への関心も次第に薄れていった。
昼過ぎ、ディレクターから電話が来た。
「今日の素材、悪くはないけど弱いな」
「ですよね」
「まあ、残りも少ないし、無難にまとめよう」
無難、という言葉に少し救われた。派手なオチもなく、炎上もせず、記憶にも残らないVTR。芸人としては百点ではなかろうが、仕事のなくなるようなミスはしでかさないで済んだらしい。
「じゃあ、今月で撤収か。お疲れさん」
「ありがとうございます、また一緒できたらよろしくです」
半年とは言え、馴れない田舎ではなかなかの長さだった。生き抜いた感慨を噛みしめながらも、僕は電話口で、ほどほどに深い礼をした。
その夕方、集落の何人かが、撤収の話を聞きつけて家に来た。
大した人数ではない。佐藤さん、西園寺さん、宗形さん、峯田さん……主に世話になったのはこの四人だろうか。お茶を出し、世間話をして、写真を一枚撮った。帰り際、西園寺さんがいつものような微笑みを浮かべながら、僕の頭を撫でてきた。
「ありがとねえ。こんな田舎を映してくれて」
「いえ、個人的には楽しかったですよ。皆さんのおかげです」
「『住めば都』ってねえ」
どっと笑いが起こるが、その自虐には乗っていいものか分からず、半分苦笑いのように口角を上げて、「それでは」と再び頭を下げた。今度の礼は、ずっと深くまで頭を下げたつもりだし、そう見えてたらいいなと思う。
その夜、荷造りをした。半年分の生活は、段ボール数箱に収まってしまった。土汚れが少し残った軍手やら、峯田さんに書いてもらった郷土料理のレシピメモやら、一つ一つには芸人としての面白みはない。それでも、大事に取っておきたいと思えていた。
そうして最後に、カメラのデータを整理した。
石垣の映像は、結局ほとんど使われなかった。画として弱いし、説明もしづらい。ただの家と、ただの石垣である。消してしまおうとも思ったが、軍手やレシピと同じで、なんだかそれも勿体無く感じたのだった。
翌朝、局のハイエースが迎えに来た。
ディレクターと軽い挨拶を交わし、荷物を積み込む。
「世話になりました」
「こっちこそ。西園寺さん」
そうして、エンジンは吹かされた。
背後で小さくなりゆく村を、私はいつまでも振り返っていた。やがて山のカーブに差し掛かり、見えなくなるまで。佐藤さんや酒井さん、宗形さん、峯田さん……お世話になった人々の顔が、脳裏でエンドロールのように流れていく。
すると、ディレクターがご機嫌そうに口を開いた。
「田舎のスローライフっぽさがそこそこウケたみたいでね。また新しい仕事を振るかもしれません」
私は思わず、ふうと息をついた。
どうやら、しばらくは芸人「トレンディ西園寺」として生きていけるらしい。そう思うと、あの不便な田舎暮らしもどことなく懐かしく感じられるのだった。
……語りたがる理由が分かっただろうか。
結局は、そう、これは私の回顧録である。
田舎暮らしも悪くない。
だが、外へ行かねば。




