第八話:水ノ国の哀歌と、無垢なる献身
1. 水ノ国への道行と、朱羅の「願い」の代償
火ノ国の灼熱を後にした朱羅と千歳は、数日後、水ノ国へと辿り着いた。水ノ国は、全てを洗い流すかのように霧が立ち込め、清らかな水脈が流れる、黄昏の時代においては異例なほど美しい土地だった。
「…静かすぎる」
朱羅は低く唸った。その美しさは、どこか生気を欠き、永遠の別れを予感させるような、悲しい静けさに満ちていた。
朱羅は千歳をそっと降ろした。彼の憎悪は大きく鎮静されたものの、最後の霊水へ向かうことに、以前にも増して強い葛藤を抱いていた。
「俺が呪いから解放されれば、俺を監視者として生み出した神々の秩序は完全に崩壊する。そして、お前は、その代償を……」
朱羅は言葉を詰まらせた。巫女が神の契約に関わる時、その身に大きな代償が伴うことを、彼は本能で知っていた。
「わかっているわ」
千歳は微笑んだ。その瞳に迷いはない。
「私が巫女として背負うべき代償は、既に覚悟している。あなたの呪いを奇跡に変えることが、私の存在意義よ」
千歳は古文書の写しを開いた。
「この水ノ国は、神々が世界を去る直前まで、**『人類の純粋な希望』**を残そうとした場所。契約を裏切った人間への、神々の最後の嘆きと、わずかな希望が込められている」
水ノ国は、あまりにも清らかすぎた。その純粋さが、かえって終焉を予感させた。
2. 無垢なる神の墓所と、結界の試練
やがて二人は、水脈の源流に辿り着いた。そこには、巨大な岩盤の下、清浄な水の結界に包まれた社が見えた。神社はまるで水底に沈んだかのように静まり返っている。
この社は、「無垢なる神の墓所」。
社の入り口を守るのは、神々の代理として配置された、無垢な子供の姿をした霊体、**「水仙の童」**だった。
『立ち入れぬ。この結界は、**「偽りの願い」**を抱く者を拒む』
童の声は澄み切っていたが、その霊力は重く、結界に触れる者の心に眠る**「最も深い後悔」**を映像化し、絶望させる力を持っていた。
千歳が結界に触れた瞬間、青い光が弾け、結界の内側に映像が映し出された。
それは、**「奇跡の桜が満開となり、朱羅の呪いが完全に解けた瞬間、巫女である千歳自身の霊力が尽き、存在が消滅する未来」**だった。
『巫女よ、これはお前の最も深い後悔。その願いは、朱羅への献身か?それとも、己の存在意義を満たすための、自己満足か?無垢なる神は、**『偽りの献身』**を赦さない』
千歳は映像のショックに打ちのめされ、膝をついた。「これは……」
3. 朱羅の「後悔」と、最後の真実
千歳の苦しむ姿を見た朱羅は、怒りに任せて結界を破壊しようと神刀を振り下ろした。
「チトセを離せ!」
朱羅の刀は結界に弾き返され、彼自身の心へと逆流した。次の瞬間、朱羅の周囲にも映像が映し出された。
それは、朱羅の「最も深い後悔」——
『神々に命じられるまま、契約が破られた時、千歳に酷似した巫女の霊力を、呪いの代償として吸収し、その存在を消滅させた光景』
「ああ……」
朱羅の全身から力が抜け、膝をついた。彼の呪いの核は、単なる「人類への憎悪」ではなかった。それは、「巫女(千歳に似た存在)を犠牲にした」ことへの、果てしない自己嫌悪と悲しみが核になっていたのだ。
『俺は……俺はまた、繰り返すのか』
過去の罪に打ちのめされ、朱羅は結界の前で顔を覆った。彼の黒い霊気は再び暴走し、絶望に満たされていく。
4. 巫女の力:『真実の共鳴』
千歳は、自らの「消滅の未来」の映像を前に、迷いを捨てた。消えることは怖くない。朱羅をこの絶望から救うことこそが、今、彼女がすべき唯一のことだった。
千歳は、朱羅の「後悔の映像」を抱きしめるように手を伸ばし、力強く叫んだ。
「違う!あなたの罪は、あなたが一人で負うものではない!過去の巫女の願いは、**『未来に生きる巫女が、あなたを赦すこと』**だった!」
千歳は、自らの**「願いを聞き分ける力」を朱羅の呪いの核に向かって解放した。それは、朱羅の悲しみに共鳴し、過去の巫女の『献身の真実』**を呼び起こす霊力だった。
5. 第三の霊水:『無垢なる水と、奇跡の桜』
千歳の「真実の共鳴」が、水仙の童の無垢な心を動かした。
『……巫女よ、お前の献身は、偽りではない』
水仙の童は、静かに墓所に沈んだ霊水の真実を語った。
「この水は、神々が、破られた契約の全てを、**巫女の『無垢な献身』に委ねるために残したもの。この水を飲んだ巫女は、神々との契約を自らに引き受け、朱羅の全ての呪いを『奇跡の桜』**の力で浄化する」
結界が解け、清らかな水が湧き出た。第三の霊水――それは、朱羅のためではなく、**「巫女である千歳自身」**のための浄化の霊水だった。
千歳はひしゃくで霊水を汲むと、迷わず朱羅の瞳を見つめた。
「最後の霊水は、私が飲むわ。あなたを解放し、契約を書き換えるための、私の**『献身』**よ」
千歳は霊水を飲み込んだ。水は清涼だったが、その力は千歳の体内で、彼女の霊力全てを**「浄化の力」**へと変換していくのを感じさせた。
6. 最終目的地と、呪いの核
三つの霊水を揃えた二人は、いよいよ最後の目的地、**「奇跡の桜」**が咲く地へと向かう。
朱羅は、膝をついたままだったが、その瞳からは絶望の色が消えていた。彼の胸にあった自己嫌悪と悲しみが、千歳の献身によって洗い流されたのだ。
彼は、立ち上がり、千歳を抱きかかえた。その抱擁は、もはや「呪いの監視者」のものではない。
「チトセ、俺の力は、お前が奇跡を起こすための**『贄』**だ」
朱羅は、千歳の耳元で誓うように囁いた。
「俺の憎しみは、お前の願いを叶えるための**『破壊の力』**となる。俺の全てを使い果たせ」
朱羅の呪いは、ついに「憎悪」から「献身」へと、その本質を書き換えられようとしていた。
奇跡の桜が咲く地へ。物語は、悲劇の始まりの場所で、運命の結末へと加速する。
第八話 完




