第七話:灼熱の巫女と、凍てつく赦し
1. 火ノ国への道行と、朱羅の心の変化
朱羅は、千歳を力強く抱きかかえ、夜叉山脈を後にした。彼の脚は地面の岩を砕き、常人にはありえない速度で荒野を駆け抜ける。風景は、黒い岩山から、焼け焦げたような赤土の土地へと変わりつつあった。火ノ国は、全てを焼き尽くすかのような熱い霊気に満ちている。
「しっかり掴まっていろ、巫女」
朱羅の声は低かったが、以前のような拒絶や虚無感は薄れていた。霊水がもたらした「鎮静」の効果は絶大で、憎悪の衝動に駆られる時間が短くなっていたのだ。
(まるで、心の臓に冷たい楔を打ち込まれたようだ……)
朱羅は内心で戸惑った。憎しみこそが、彼を鬼たらしめ、生かしてきた核だった。それが揺らぐことは、存在の根幹を脅かす。
「朱羅」
千歳は、彼の首元に顔を埋めたまま、静かに語りかけた。
「あの石像が言っていたわ。あなたの呪いは、人類全体の『裏切りの罪』を背負わされた代償だと」
「……だからどうした」
「あなたの憎しみは、世界を救うために背負わされた、あまりにも重すぎる贖罪だった。私は、あなたが自分を呪われた存在と嫌悪する理由が、痛いほど理解できたわ」
千歳は朱羅の冷たい肌に頬を寄せた。
「あの霊水は劇薬ではない。あなたの心に、鎮静の冷気を運ぶ『真実の鏡』。私は、あなたを信じた賭けに勝った。次も、必ず勝つ」
朱羅は返事をしなかった。しかし、その足は以前よりもわずかに優しく、千歳を抱く腕の力には、警戒ではなく、守護の意思が宿っているのを千歳は感じた。
「この先にあるのは、神の『罰』の力だ。お前を連れていくべきではない。お前の身が保たぬ」
「私は巫女。あなたの呪いを奇跡に変えるのが私の願い。罰を受ける覚悟はできているわ」
2. 灼熱の社の試練
やがて二人は、火ノ国の中心、巨大な活火山の中腹に到着した。
そこにあったのは、灼熱の霊気に満ちた社——**「紅蓮の社」**だった。鳥居や石灯籠は、まるで溶岩のように赤く熱を持ち、熱波は呼吸すら困難にする。
「これは……」
朱羅ですら、その熱量に目を見開いた。
社殿の前には、炎を纏った巨大な鬼神の石像が立っていた。**「紅蓮の守り人」**だ。朱羅の黒い霊力を感知した途端、像の目からは紅蓮の炎が吹き上がり、周囲の熱気を何倍にも増幅させた。
『穢れ、退け!』
守り人は、朱羅の「憎しみの霊力」を狙い、炎の霊力を叩きつけてきた。
朱羅は霊水を飲んだ直後にも関わらず、炎と彼の黒い霊気が同調し、再び憎しみが胸の奥から煮え滾るのを感じた。
「チッ!」
朱羅は制御可能な「雪色の破壊の力」を解放しようとするが、熱波がそれを阻む。黒い霊気が紅蓮に飲み込まれ、朱羅の顔が苦痛に歪んだ。このままでは、憎しみが再燃し、力が暴走してしまう。
その瞬間、千歳が朱羅の腕をすり抜け、熱波の中に一歩進み出た。
「馬鹿な!戻れ!お前まで焼け死ぬぞ!」
「大丈夫!私にはあなたの力がついている!」
千歳は、朱羅から受け取った「雪色の力」の残り香と、自身の**「願いを聞き分ける力」**を紅蓮の守り人に向け、叫んだ。
「この社は、何のための『罰』なの!?なぜ、人間をここまで拒絶する!?」
3. 第二の契約と「赦し」の真実
千歳の願いは、紅蓮の守り人の核を貫いた。炎の勢いがわずかに衰え、千歳の頭の中に、神代の記憶が流れ込んできた。
それは、神々が去る前に人間と結んだ**『第二の契約』**の光景だった。
神々は、人間の私利私欲の罪を定期的に清めるために、この社と*「灼熱の霊水」*を設けた。人間は罪を犯すたびにこの熱い霊水に身を浸し、その熱で魂の穢れを焼き払うこと。これが神々の定めた『罰』であり、浄化の儀式だった。
だが、人間は罰を恐れた。この灼熱の苦痛を嫌い、誰も社を訪れることをやめた。
灼熱の社は、訪れる者のなくなった人間の「後悔」と「焦燥」、そして「赦しを求めぬ罪」を煮詰めた、永遠に清められぬ*『赦されぬ者の劇薬』*となっていた。
「霊水は、触れた者の罪を焼き払う。だが、朱羅……あなたの背負う罪は、人類の裏切り全て。この霊水に触れれば、あなたの肉体は、一瞬で灰になってしまう!」
千歳は真実に戦慄した。この霊水は、呪いを浄化する力を持つが、その方法は「対象の存在を焼き尽くす」ことだったのだ。
4. 巫女の決意:『凍てつく願い』
千歳は古文書の写しを思い出した。
――「凍てつく願い」こそ、紅蓮を鎮める。
灼熱を制するのは、極寒の願い。千歳は、自らの**「巫女の力」と、朱羅の「雪色の破壊の力(浄化された力)」**を融合させることを決意した。
「朱羅!あなたの純粋な力を、私に集中させて!」
朱羅は躊躇した。彼女を媒介にすれば、もし力が暴走した場合、千歳は跡形もなく消滅してしまう。
「やめろ!貴様まで巻き込むことはできん!」
「いいえ、できる!私は巫女よ!あなたの呪いを、あなたの願いを、私に渡して!」
朱羅は、千歳の強い眼差しに抗えなかった。彼は、胸の奥にある黒い憎しみではなく、前回霊水で制御した「雪色の力」を解放し、全て千歳に集中させた。
千歳は、その膨大な霊力を受け止め、紅蓮の社を前に、自分の「真実の願い」を言葉にした。
「私の願いは、朱羅の罪を**『赦す』こと!人間の全ての罪を、朱羅一人に背負わせることを、私が赦さない**!」
その瞬間、千歳の「赦し」の霊力と、朱羅の「雪色の力」が激しく衝突。社全体を包んでいた熱気が一気に奪われ、極寒の吹雪が発生した。紅蓮の炎は、瞬時に凍結。炎の守り人は、氷の檻に閉ざされた。
灼熱の霊水は、一瞬で凍りついた。氷の中に閉じ込められた青い水面には、朱羅の「赦しを求める、あまりにも深い悲しみ」が青く輝いて映し出されていた。
5. 霊水の入手と、朱羅の告白
千歳は、震える手で凍りついた霊水を砕き、二つ目の霊水を瓢箪に詰めた。
社から脱出し、荒野に倒れ込んだ千歳を、朱羅は静かに抱き起こした。彼の瞳は、以前より深く、穏やかになっていた。
千歳の「赦し」の言葉は、朱羅の胸に宿る呪いの核(憎しみ)を、わずかではあるが確実に浄化させたのだ。
朱羅は、千歳を強く抱きしめた。それは、彼が生まれて初めて、他者に向けた「信頼」と「感謝」の抱擁だった。
「なぜ、命を懸けて、俺を赦そうとする」
千歳は、彼の肩に顔を埋めたまま、静かに答えた。「それが、私の願いだから」
朱羅は、深い呼吸と共に、千歳に自分の**「願い」**を告げた。それは、呪いの監視者オニとして、決して口にしないはずの言葉だった。
「俺の願いは、呪いから解放されることではない。……お前を、**『世界の裏切り』**の犠牲にさせないことだ」
彼の言葉は、もはや「監視と被監視」の関係ではない。彼らの間に、**「運命共同体」**としての、確固たる絆が生まれた瞬間だった。
6. 次の目的地
千歳は、朱羅に抱かれながら、古文書の写しを見た。二つの霊水の力を受け、写しの文字が青く輝く。
三つ目の霊水の在り処は、『水ノ国』。
「無垢なる神の墓所……」
千歳は、その神社の名をつぶやいた。
旅の目的は、呪いの解放から、**「人類の罪」と「神との契約」**の真実を巡る旅へと変わっていた。
奇跡の旅は、黄昏の時代の、最も深い場所へと続いていく。
第七話 完




