第二話:鬼を隠す社と、奇跡の呪い
【前話の続きと状況整理】
千歳の腕の中にいる鬼の男は、意識を失っていた。彼の身体から流れ出る血は、奇跡の桜の根元を浸し、その蕾を不気味に輝かせている。
(この人が言った「呪い」とは、自分が死ぬことで桜を咲かせ、奇跡を終わらせること…?)
千歳は、無力な巫女だったが、その優しさは並外れていた。誰かの命が、誰かの願いのために利用されるのを、彼女は許せない。
千歳は鬼を抱えたまま、本殿へと急いだ。龍穴神社の本殿は、小さな集落の規模に反して、異常に広大で古い。それは、かつて神々がこの地に降臨した時代の遺構だと言われていた。
本殿の奥には、神社の歴史の中でも秘中の秘とされる、**「夜叉の岩戸」**と呼ばれる隠し部屋があった。
(あそこなら、人の目から隠し通せる。そして、この人を救う方法を考えられる)
千歳は、古びた神具で岩戸の鍵をこじ開け、鬼を内部へと運び込んだ。岩戸の内部は、外の冷気から遮断され、どこか温かい霊気が満ちていた。
【鬼の覚醒と衝突】
夜が明け、朝霧が木霊郷を包む頃。鬼は、浅い呼吸とともに意識を取り戻した。
「…ここは」
「龍穴神社の隠し部屋よ。怪我の手当てをしたけれど、まだ動かないで」
千歳は、粥の入った椀を差し出しながら、落ち着いた声で言った。鬼は、警戒心に満ちた目で千歳を見つめた。
「なぜ、俺を助けた。俺は人間を憎む鬼だ。お前は、この社に祀られるべき巫女だろう」
「私は巫女だけど、奇跡を起こせない。ただの人間よ。そして、あなたの言った**『願い』**を聞いたわ」
千歳は、鬼の手に触れた時に流れ込んできた、純粋な負の感情を思い出す。
「あなたは、人間を憎みながら、自分を代償にして桜を咲かせ、その奇跡を終わらせようとしている。あなたの憎しみは、本当は悲しみでできているのでしょう?」
鬼は、千歳の言葉に鋭く反応した。
「戯言を言うな!俺の呪いは、人間の罪の連鎖を断ち切ることだ。あの桜が満開になれば、この世の真の奇跡が明らかになり、再び人間はそれを利用しようと諍い(いさかい)を起こす。俺は、その前に、自らの命でこの桜を封じる」
「だとしても!命は、そんな目的のために使うものじゃない」
千歳は、彼の頬に触れた。その冷たさに、鬼の孤独が伝わってくる。
「私はあなたの願いの本質を聞き分ける。あなたの願いは、**『誰も悲しまない、穏やかな世界』**でしょう?そのために、あなたが命を捨てる必要なんて、どこにもないはずよ」
【契約の提案と旅の決意】
鬼は、千歳の真摯な瞳に、初めて狼狽の表情を見せた。彼は、自らの内に秘めていたはずの**「奇跡の願い」**を、この無力な巫女に看破されたのだ。
「…貴様、何者だ」
「私は千歳。龍穴神社の巫女よ。そして、あなたに提案がある」
千歳は、岩戸の隅に置いてあった、一冊の古い巻物を指差した。
「この巻物は、神社の古い記録よ。それによると、奇跡の桜を本当に咲かせるには、**『三つの神社の霊水』が必要だとある。あなたの血は、あくまでも『触媒』**でしかない。つまり、あなたが死んでも、桜は一時的に光るだけで、満開にはならない」
鬼は、巻物を信じられないといった様子で見た。
「どういうことだ」
「つまり、桜が満開になり、あなたの呪いが解けるまでに、まだ時間があるということ。私は、その霊水を探す旅に出る。霊水を見つけ、桜を満開にした上で、その奇跡の力を『正しい形』で世界に還元する方法を見つけ出す」
「正しく、だと?そんなものがどこにある」
「私が、あなたの悲しみを知ったからよ。あなた自身を犠牲にするのではなく、あなたの願いを、本当の奇跡にする。それが、私にできること」
千歳は、鬼の前に手を差し出した。
「私は霊力がない。でも、あなたには、鬼としての絶大な力がある。あなたは、私の**『護り手』**になって。私は、あなたを代償にせず、桜を咲かせ、あなたの呪いを解く方法を見つける。これは、あなたを救うための旅よ」
鬼は、千歳の手をじっと見つめた。人間の温かさと、強すぎるほどの決意が、その小さな手から伝わってくる。
(この巫女は、自分を恐れない。そして、俺の血を、自分の目的のために利用しようとしない…)
彼は、自らの内に秘めた「奇跡を終わらせる」という衝動と、「穏やかな世界を願う」という本質的な願いの間で激しく葛藤した。
やがて、鬼は静かに口を開いた。
「…名を、**朱羅**という。俺が動けない間、貴様は俺の血を使い、俺の呪いを弄んだ。ならば、償いとして、貴様の旅に付き合ってやる」
朱羅は、千歳の手を払いのけ、立ち上がった。
「ただし、忘れるな。俺は、いつだって、お前を殺して桜を枯らすことができる。…俺の力は、そのためにある」
千歳は微笑んだ。
「ありがとう、朱羅。さあ、夜叉の山脈を越えましょう。最初の霊水は、あそこに祀られているはずだから」
巫女と鬼の、奇跡を巡る旅が、黄昏の時代を照らすために、今、始まった。
第二話完




