芋と石鹸
半ば無理矢理、強制的に連れてこられてしまったはずが、これは一体何が起きているのだろう。
どこにでもいる村娘であり、馬車に押し込まれて拉致同然に連れて来られるまでは、幸せそのものの花嫁だったアビーが目を丸くする。
「あ、あの、ご城主…さまは」
「亡くなられたとのことです」
自分達の到着とほぼ同時に、城の中から豪勢な棺が運び出されてくる。
初夜権。権力者は己が治める地域に住まう新婚夫婦の初夜に、新郎よりも先に新婦と共に『ベッドに入ることが出来る』権利。
「この場合は、どうなるのでしょうなあ………」
花嫁衣装を着たままのアビーをその『初夜権』に基づき、村の教会から無理矢理連行してきた家来のひとりが困惑混じりに呟いた。
「わ、わしは帰ってもいいんだべか」
アビーが恐る恐る聞く。
「新しい城主様は?」
「一人娘のペネロペ様がパーチェット学院からお戻りになっているそうです」
「娘か……そういやそうだったな。ってことは、新郎のほうを連れてくるべきだったのか? いや、そういう問題じゃないな」
「おい娘。お前はとりあえずこの馬車にいろ。喪の場所にその花嫁衣装は相応しくはないからな。話を聞いてくるまで勝手に逃げるなよ」
「へ、へえ………!!」
新郎、すなわち数日前までは恋人だったコリンの顔を思い浮かべて、アビーはぎゅっと目を閉じる。どうやら『身を捧げるべき』ご領主様は、昨夜だか今朝だか知らないが、突然『亡くなられた』らしく、その後を継ぐのはご領主様の一人娘になるらしい。もしかしたら『身を捧げることなく』新郎の元に帰れる可能性が出てきたらしい。
パーチェット学院、貴族の娘やら息子やらが通う何ぞ由緒正しい学園である、ということは風の噂で聞いていたが、生まれてこの方ずっと一介の貧しい村娘でしかなかったアビーには、何もかもがあずかり知らぬ世界ではあった。そんなところのお美しいお嬢さまが、芋にも等しい自分を『何かする』とは思えない。
とたんに、外から足音が聞こえ、馬車の扉ががちゃりと開く。そこに立っていたのは、自分とおそらくは同じくらいの歳の、だが、びっくりするほど美しい城主の娘、ペネロペだった。
「話は聞きました。それで、今宵はあなたを抱けば良いのですか。女同士の作法など知りませんが、法は法。父が残した法ゆえに、私はそれを守らねばなりません。では、今宵私の部屋まで来るように」
自分よりもむしろ、回りの家臣達一同が驚愕する様が見てとれる。こんな時だというのに、変な気分である。
「女性同士の作法は知っていますか」
「………えっ、わ、わしが? し、しししし知らねえだ…………」
「そうですか」
喪服のままくるりと踵を返し、堂々とした足取りで城へと戻っていくペネロペを、唖然とアビーは見送った。
どこもかしこも自分とは無縁の、豪勢な装飾に満ちている城の中に案内される。聞きたいことが山のようにあったが、もはや誰に何を聞いて良いのかすらよくわからない。
「えっと、こちらでございます」
城のメイド達も困惑しているのか、アビーを見ては顔を見合わせて、「本当に?」「本当に良いのかしら」などと囁きあいながら案内してくれる。
一室に通されると、その風呂場で湯浴みせよ、その奥が城主様の寝室である、と言われ、困惑しながらアビーは湯を浴びる。見たこともないような薄い生地で出来た下着が出されて、あたふたとそれを着込む。
(わ、わし、どうなってしまうんだべか。コ、コリン助けてけろ………)
このまま本当に自分はあの『ペネロペ様』のものになってしまうのだろうか。心の中で最愛の新郎に助けを求めつつ、言われた通りにドアをおそるおそる開ける。
「来ましたか」
これまた薄い生地で出来た下着、そして美しい姿の抜けるような肌に金色の髪、薔薇色の頬の娘が寝台に腰をかけて、髪をひとり梳いていた。
「て、天使様みたいだべなあ………」
アビーが思わず呟いた。
「天使、ですか。私は人からそう呼ばれたことなどありません。説明を」
ペネロペが、真顔でアビーに問いかける。
「きょ、教会にあったべ。わしの好きな絵じゃ」
「教会、ですか」
「わしは、き、きちんと日曜には礼拝に行っておりますだ。コリンともそこで………」
「コリン?」
「…………わしの旦那になった羊飼いですだ。きっと今頃わしを、心配、しとる」
「そう」
ペネロペがアビーをじっと見る。
「じ、じろじろ見られると、恥ずかしいけんども………」
「この城では私を心配する者もいません。生まれてはじめて、私は今日この執務室に入りました。父がこうもあっさり死ぬとは誰もが予想外だったのでしょう。そのうち、誰か適当な大臣が権勢を振るい出すことに、なるのでしょうね」
「…………」
「難しい話でしたか」
立ち上がって、寝台まで移動し、ペネロペはアビーを手招きする。
「無体なことはしませんが、抱かねばなりません。法を撤回するのには首都まで出向く必要があり、時間がかかります」
歩くと右手と右足が同時に出てしまっているアビーを見て、ペネロペはほんの僅かに笑いを漏らす。
「石鹸は使いましたか」
「も、もったいなくて………」
「あなたは良い子なのですね」
オロオロと、寝台に腰掛けるペネロペの前までやってきたアビーに、
「ここで寝なさい」
ペネロペは言った。そして、大きく息を吐いて、言う。
「幸いにも、私は葬儀などで大変疲れています。そして、突然父を亡くした悲しみで『添い寝』を必要としています。おわかりですね。そういうことです」
「ペネロペ様………」
櫛を隣のテーブルの上に置いて、ペネロペが横たわる。おずおずと寝台によじ登るようにやってきて、アビーもまた、そんなペネロペの横にそっと横たわった。
「ペネロペ様、良い匂いがするべなあ…………」
気が付くと、ペネロペに抱き枕のように抱えられていた。緊張で眠れるはずもなく、目を瞬かせながらアビーが呟く。
「良い匂い?」
「うちのかかさまやあねさまとは、全然違う。まるで、甘い、花畑みたいじゃ」
「ただの石鹸の匂いですが、そういわれると悪くないものです。花畑があるなら石鹸も作れるかも知れない。覚えておきましょう」
「あ、ありがとうですじゃ」
「名前を聞いていなかったわ」
「アビー、ですじゃ」
「夫のコリンとは教会で?」
「そうですじゃ。天使の絵を見ていたら、話しかけられて……って、こういう話は、ペネロペ様は」
「もっとしなさい」
有無を言わせず、ペネロペは命じる。
「は、はいですじゃ。それで、天使の絵に描かれている、羊の数え方を教えて貰ったですじゃ。わしの家は子だくさんで……わしは数の数え方も知らんかった」
「学校の増設が急務ですね」
「がっこう…………行けるなら、行ってみたかったものじゃ」
「私の力が及ぶかはまだわかりませんが、あなたに娘か息子が産まれるまでには整えておきたいものです。教育は地域の柱。整えなければ。それで、あなたは羊飼いの妻に?」
「そうですじゃ。毎日落ち穂拾って生きていくよりは、少しは良い生活になるでなあ………」
「領地の視察も急務ですね」
「ま、前のご領主様は、一度も来たことなかったべ。きっと皆、びっくりする」
「………領民の良き生活こそが貴族の生活基盤である、よく見るように、とパーチェット学院の私の恩師が言っていました。生徒からの人気は無い授業でしたが、それこそが新しい考え方、これからの時代である、と。この『初夜権』みたいな旧弊極まりない法律も、廃止せねばなりません」
言っていることは難しいが、立派なことを言っているということは理解できたアビーが、言った。
「ペネロペ様は、しっかり者じゃ。きっと何だってできる」
「そうかしら」
「今はちょっと、眠れてないだけじゃ。わしも、大好きだったじさまがあの世に行ってしまった時は、ずーっと泣いておった。夜も寝れんかった」
「アビー」
「は、はい」
「何かもっと話をしてちょうだい。旧弊そのものな父と私は最後までわかりあえなかった。けれど父は最後に、あなたのような善良な娘に会わせてくれた。少しだけ、感謝してもいい気分になりました。礼を言いましょう」
「わ、わしは何もしてないだよ………それより、ペネロペ様はいっぱい寝て、いっぱい食べて、健やかでいてほしいだ。そうしないと、せっかくの花畑の匂いが台無しじゃ」
「………そうね」
「ご城主様の奥様はわしが産まれてちょっとした頃に亡くなったと聞いたべ。ペネロペ様は、今年で………」
「十七になります。あなたは?」
「おんなじですだよ。わしも今年で十七じゃ。お揃いじゃ」
ふふ、とペネロペが笑いを溢すのが僅かに耳元に届く。年相応の優しく愛らしい笑い方。思わず目を丸くするアビーに、背中越しに問いかける。
「アビー、あなたは幸せですか」
「帰ったらコリンに、今度のご城主様はとっても素敵な人だってきちんと伝えるべな」
「そう。じゃあ私は素敵なご城主にならなければならないわね。少し険しい道だけれど」
「コリンが言ってたべ。気の優しい羊のほうがどんな険しい道でもどんどん登っていくのが不思議でしょうがねえって」
「あなたは佳い人を夫にしたのですね」
「ペネロペ様にだって、きっと佳い人が来るさあ。わしのような芋っ娘に出来て、ペネロペ様のような天使様に出来ないなんてこと、絶対にないべ」
「………ありがとう。あなたと喋っていたら、元気が出ます。これからやるべきことは、山積みですが、少しずつ、頑張っていこうと思えるようになった」
「お役に立てて嬉しいべなあ。あとはゆっくり寝て、明日から頑張るのが一番じゃ」
「そうね。じゃあ、おやすみなさい、アビー」
「おやすみなさいですじゃ、ペネロペ様」
「それで、『これを持って帰りなさい。使い差しですが』って、言ってくれただ」
羊飼いの家に、微かに花畑のような匂いが漂う。それは、ペネロペが使っていた石鹸だった。
「羊達が囓ったりしないようにしなきゃなあ」
『何事もなく』帰ってきたアビーを力いっぱい抱きしめながら、羊飼いのコリンが言った。
「今度のご領主様は素敵な人じゃ」
「歌にして唄うか!」
羊飼いのコリンは、何よりも歌が大好きな青年だった。
「それがいいべ! わしらの村も、きちんと見に来てくれるって約束じゃしなあ」
コリンに抱きしめられながら、アビーは嬉しそうに微笑んだ。
その年のうちに初夜権の廃止は認められ、ペネロペは領地をよく巡回するようになった。そして早速、その私財で村々に小さな学校を建設し、村人達から讃えられるようになった。
そして、天使のような美貌と、花畑のようなかぐわしい香りの女領主の歌は他領にまで広がり、求婚者が絶え間なくやってくることになったという。
そしてペネロペの領地の村では、新しく花嫁が出る度に、城から小さな石鹸が贈られてくるようになったのである。