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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

怒らないで聞いてくれますか?

作者: きなこさん

ご注意:この物語はフィクションであり、実在の人物・団体・商品・商標・政策・宣伝とは一切関係ありません。つまらないジョークも含まれます。魔法の力を持っても万人が幸福、快適、平等になるわけではない事は明白であり本作品は幼稚な思考実験です。男女のデリカシーに関わる要素もあります。人の生死にかかわる内容もあります。


1章:泉の女神様


 モーリンは大人になっても身長が145cmちょっとで勤務先でも一番のちびっこだ。健康診断や入社式の度に期待はするが未だブービーメーカーは現れない。おまけに今日も同僚の爺が身長ネタで小ばかにした態度で来たもんだ。今日は気分転換に公園の散歩をして木々を通り過ぎて静かな泉にやって来た。泉の縁に着くと近くにあった石を水面に飛ばす。石切り遊びでストレスを解消していると泉の中央からおとぎ話の如く女神様が登場した。女神はこう言った「貴女の投げた石は銀製ですか?それとも金製ですか?」そんな金目の石が落ちていたら投げるわけないだろうとモーリンが訝しむと泉の女神は続けた「冗談ですよ正直なモーリンよ!貴女の悩みは私に届きました。一度だけ魔法を掛けてあげましょう。どちらか一方を選ぶのです!」

モーリンは困惑しながらも次の言葉を待った。これは選択を間違えるととんでもない目に会うお約束のパターンだ。

女神さまは選択肢をこう告げた「明日から貴女を好みの身長に変えてあげましょうか? それとも貴女以外の全人類の身長をちょうど140cm…」全て言いきらない内に爺の顔を思い浮かべたモーリンは叫んだ「許さない!明日虐めちゃお」、女神は水底から回収した石ころを投げ返すと「これは予想外でしたね」とほくそ笑みながら泉の奥底に消えて行った。


2章:新世界の現人神。モーリン様!


 翌日に全世界で巻き起こった阿鼻叫喚は御想像の通りだ。服、靴、帽子等がぶかぶかになって呆然と座り込む人々。「スマホが操作しづらい」「車のペダルに足が届かない!」「自転車に乗れない」と言った叫びがSNSに投稿されていた。

そんな悲嘆にくれる大人たちを尻目に子供たちは突然ちんちくりんになった両親を見て大はしゃぎだ!

社会的な活動はほぼストップしてしまい。政府は国民に自宅待機を呼びかけた。


やがて全人類の身長が変ったことがメディアから判ると各国首脳は緊急会議を行い国連で原因究明と対応に乗り出す。WHO主導でまずは各国民の身長を正確に測定する事となり、超精密な身長計がISO機関で急造されて各国に空輸された。

日本でもマイナカードを持った人々が市役所や公民館にやってきて身長測定の順番待ちをしている。機械からはピーと乾いた音と共に「140.0cm」のレシートが次々と吐き出された。会場のでかいモニターには全国の集計データが刻々と表示されるが誰一人140.0を超えた人は居なかった。何とか身長をかさ上げしようと足掻く人たちもギャラリーから「ズルすんなよ!」の怒号を浴びて観念した。何人かは計測に来なかったが恐らく現実を直視できずに自宅に引き篭もっているのだろう。

1か月のあいだ各国のスタッフは奥深い山脈や砂漠、ツンドラ地帯にまで身長計を担いで住民の身長を記録したが結果は同じだった。


次回の国連総会が始まった。まずは各国代表が一人づつ演台に設けられた身長計で測定していく。全員が140.0cmである事が判ると安堵の声が漏れてきた。「四方上座」「マウント禁止」の垂れ幕が掲げられてから議長がWHOからの報告書を要約しながら読み上げて「全人類が140.0cmである事、原因が全く判らない事」が報告される。各代表から「これから身長は伸びるのか?」「新生児も140cmになるのか?」と矢継ぎ早に質問が飛び交うが議長は答えに苦慮していた。


その時会議場の扉が突然開いて何やら叫び声が聞こえてきた。警備員が曲者を捕らえようと近づいたとたん驚いて尻もちをついた。目を丸くしている議長の前でモーリンは満面のドヤ顔で握手を求めた。「こいつ俺より身長がデカいぞ!」と叫んだ議長は身長計に乗るようにモーリンを促す。ファッションモデルの様なムーブをかましながら身長計に乗るモーリンの結果は145.2cmとなった。どよめく会議場が静まるのを待って議長は「あなたは何者ですか?」と尋ねた。「私はモーリン!全人類を進化させた現人神です!」


「お前が黒幕か!」と声を荒げるロシア代表。「俺の身長を元に戻せ!さもないとひどい目に合うぞ」と叫ぶとモーリンは静かに言った「今の身長にご不満でしたら貴方一人だけをさらにちんちくりんにしましょうか?」彼は「本日はご尊顔を拝謁して恐悦至極です」と引き下がった。同時通訳ご苦労様です。

 日本人だと察した日本代表が揉み手をしながら話しかけて来た「何か必要な物はございますか?」モーリンは言った「ナホ〃ナが食べたいです」代表は「ナホ〃ナってホームラン王の?」と確認するとチャーター機で東京から空輸される事となった。各国代表はスマホで商品名を検索して本国と至急連絡を取る。翌日には菓子メーカーの株式時価総額がアッフ〇ルを超えたのは言うまでもない。


モーリンは演台に歩み寄ると高らかに宣言した「本日をもって人類は私の下で新しい時代に突入します!」


3章:モーリンの新世界へようこそ!

3-1:子供たち


 子供たちの身長はどうなったのか? 親の身長に合わせて大きくなるが同年齢の子供の体格は皆同じになった。帽子、スモック、上履き、制服等などが年齢別にワンサイズとなり両親は喜んだが子供達にはエコを名目にした「お下がり」「中古」に辟易している。「二周三周は当たり前」と豪語する母親たちを尻目に弟や妹は密かに回避しようと躍起になる。そこに便乗した子供服メーカーが「卒業(卒園)したらお焚き上げ」のブームを作り上げてきた。


そして中学に上がる頃には大人の身長になっていたから各鉄道会社は改札に身長計を組み込んで子供料金を管理した。酒場やコンビニでの年齢確認が面倒になったからマイナンバーカードの携帯は必須となった。それを機に電子マネーやクレカのマイナンバーカードへの相乗りが進んだ。

ある国会議員は「中学生は大人と体つきが同じだから酒も煙草も認めよう」と提言、世間を二分する論争になり「成人年齢の再定義」にまで発展した。結局段階的に成人年齢が引き下げられ婚姻可能な歳も男女ともに16歳になった。


休日に中学生の妹が母や姉の洋服を黙って借りて遊びに出かける事も多くなり、クローゼットやタンスに錠前を後付けするDIY動画が大ヒットするありさまだ。「母娘・姉妹ローンでブランドシェア」のキャッチコピーがアパレル業界を駆け抜ける。


運動会では絶滅しかけていたピラミッドやタワーが復活した!体が軽くて体格や体力が揃っているので難易度(危険度)が下がったのが要因だ。我が子を撮ろうとする家族も応援桟敷でタワーを作ってベストアングルを確保する。


遊園地ではアトラクションの身長制限に泣かされる事が減って子供達には優しい世界となった。


親はお菓子やクリスマスプレゼントを高い所に隠すことが出来なくなり、秘密の隠し場所を巡って親子で頭脳戦が展開された。子供向け動画では「ここが怪しい隠し場所10選」が人気だ。


中学生以上が労働市場に積極的に参加し始める。授業の一環として学校指定の仕事に就いて給料を得ることが選択できるようになった。子供が自立、独立する年齢が下がる事で家族計画に影響を与え始めた。


3-2:ファッション


 アパレル業界は成人サイズが標準体型に集約された。ラベル表示は”S”だけになり経済評論家は「ユ㊁ク□」の店舗がコンビニサイズに収まると喧伝した。実際マネキンも試着室も裾上げも不要になり見本写真で見て購入を決めるから合理的だ。通りすがりの他人のファッションが良いと思えば自分も買えばいい。通販のモデルさんが着てる服が気になって商品が届いたら「コレジャナイ」となる悲劇も昔話だ。


業界全体でサイズ集約による裁断、縫製、流通、陳列、廃棄に至るプロセスが合理化される。リユースの選択肢が広がってタンスの肥しも無くなったので新たなSDGsの象徴と持て囃されたが反動は直ぐにやってきた。背丈が同じ世界では群衆の中で自分の個性が埋没されそうになる。間もなく空いた陳列棚には色違い、柄違いの商品が埋め尽くされた。

既製品に飽きたらず刺繍、アップリケ、編み物、洋裁にまで関心が広がる。なんせ型紙が共有できるから個人配信者のデザインした型紙が有名ブランドと肩を並べる事も可能だ。


道を行き交う全ての女性がおのおのファッションモデルと変化し、理想のドレッサーを求めて盛り場をナンパする女性も増えた。ナンパがウザいので今日のコーディネートをスマホアプリに登録し近接通信で公開する強者が現れた。


3-3:乗り物


 平均体重も減ったのでエレベーターやエスカレーターのモーター負荷に余裕が生まれ省エネが進む。この状況を最も歓迎したのは航空業界だろう。乗客が軽ければ荷物も座席も相対的に軽くなる。おまけに用意する機内食の重量も減ってきた。速攻で標準身長に合わせた省エネ旅客機が世界の空を支配した。宇宙開発でも火星有人探査に希望が湧く。


通勤電車も全車両が2階建てに変更された。終点までの定期券を持つ乗客は専用タラップから2階へ直接案内された。座席の無い空間にみっちみっちに詰め込まれるが背丈が同じだからモーリンも会社員時代に味わった「体が浮いた!」「周りが見えない!」そのような苦労とはおさらばだ。但し隣の人と全て目が合ってしまうので自然と皆は進行方法に顔を向けている。2階は車掌の放送も無く代わりに環境音が流れている。波打ち際の音を聞きながら乗客は前後に揺られて終点を待った。車内での痴漢も減っていったのは女性と目線と体格が同じなのが原因だ。


自動車業界には規制も自粛も無いが、やはりコンパクトカーが主流となり燃費や道路にやさしい方向にシフトした。SUVも車高が低くなってマンションの機械式駐車場に収まるようになる。

やがてセダンが復権してきた。バンよりも乗り降りし易くてドアも小さくできるのでドアパンの不安が無くなった。

問題はドライブスルーだ。腕が短いので車寄せがシビアになってきた。お店のガイド線ぎりぎりに寄せる運転アシストが導入され、その応用が有料駐車場等にも広がった。


3-4:スポーツ


 まず格闘技で重量別が速攻で廃止された。つまり観客は唯一無二のチャンピオンを応援出来るようになったので興味が無かった層も試合に注目し始めた。残念な事に元から無差別級だった相撲は力士の体格が同じだったので「コレジャナイ」失望感がファンに蔓延した。


そして男女間で体格、体力差が目立たなくなった事からいくつかの競技で男女を区別しない事に決定した。テニス、卓球、バトミントンといった球技から展開が始まり、そして高校野球も男女関係なく甲子園グラウンドに立てる様になった。


陸上競技は直接的に女性と比べられてしまう事に男性選手が抵抗していたが大会スポンサーが世論を受けて男女混合での競技を基本とした。これによりオリンピック等の日程が大幅に短縮される。いつの間にかトランスの選手は表舞台から消えていた。


3-5:軍事


 新しい身長に合わせて兵器や施設を抜本的に変えなければならないのはどこの陸海空軍も同様で各国とも軍事活動の停止を決めた。軍服からライフルのストック、航空機や艦船のダウンサイジングまで相当な範囲で設計から見直しが必要となり、その莫大な出費に苦しんだ。まずは一般インフラから先に対応しないと国民生活もままならない。国連で向こう10年間の包括軍備解除協定が採択された。


3-6:その他


 失礼クリエーターは何時の時代も要るのだ。「ハイヒール禁止」が代表的な物だろう。もっともあえてハイヒールを履きたい女性はおらず、結婚式で花嫁だけが履くのが習わしとなっていった。


男性も背伸びをする必要が無くなったが、いわゆる輩はこれみよがしに高下駄を履いて街中を闊歩する。盛り場で輩同士が群衆の頭越しにガンを飛ばしあう事もあり、より高い下駄を履くことが粋となった。


帽子は目線が変わらないので失礼には当たらないとして皆がお洒落として帽子を被り始めた。迷子防止や待ち合わせにお揃いの帽子を被って行楽地を行き交う姿も定着している。


映画館にも観客が戻ってきた。前の人が邪魔で見えないとか心配がなくなったので大画面で楽しむ人が増えてきた。サウンドを無線イヤホンに飛ばすことでおしゃべりや飲食に寛容な映画館も増えてきた。


歩調も手の長さも似ているので恋人、夫婦で手を繋ぎあうのも自然と増えて行った。


手が小さいのでスマホは原点回帰する位に小さく、軽く、低コストになった。


成人の基礎代謝が小さくなり一人前の食事量も減ってきた。


4章:スイーツ大戦争!


 モーリンは国連総会議場でナホ〃ナを安易におねだりしたことを後悔していた。あれから公式の歓迎会ではお茶請けやデザートに必ずそれが提供される。たまにはお国のスイーツが食べたいと思うのだが変な慣習が出来てしまった。米大統領が銀プレートに置かれたナホ〃ナをナイフとフォークで食べる姿を横目で見ながらモーリンはため息をつく。


そしてこのスイーツのグランドスラムを目の当たりにして日本の菓子メーカーは戦いの火蓋を切ってきた。各国の遊説/親善旅行を終えて自宅に帰れば門の前で各メーカーの新人社員が新作の菓子折りをもってスタンバイしている。受け取らないと社員らは「帰れないんです」と泣き落としに掛かってくる。一つ受け取れば他も受け取らざるを得ない。菓子折りを山のように抱8えながら玄関を通るモーリンは写真に撮られてSNSで拡散される。映えるポジションを得たお菓子が今日の勝者だ。


セールスを遠慮して欲しいと各社にお願いしたら搦め手から切り込んできた。次の日、実家の母親から電話が掛かって来る。

「モーリン。今度エジプト遊説で大統領と会談するんでしょう?」

「うん。でも誰から聞いたの?」

「現地でお茶をする時に東京ハ〃ナナをリクエストして欲しいのよ…」

「もしかしてお母さん…営業さんから山吹色のバナナを貰ってないよね?」

「何をバカなこと言ってるの。今時そんな営業さんは居ないわよ」と笑いながら母親は片方の手でプラチナ製のバナナを愛でていた。


嫌な予感がして実家に立ち寄ればお菓子の家みたいになっていた。元々「モーリン様の御生家」として信者の巡礼地となり、それを目当てに観光バスが来るほどのスポットだった。毎日数組の限定でお茶会ができるコースも有るから母親の算盤も大したもんだ。

「サイディングボードはうなぎみたいね…」観念したようなため息をついて家の中に入るとあるわあるは「バナナの掛け軸」「ひよこの襖」「鳩の障子紙」「月のコースター」「年輪のお盆」等々と続く。クッション類は「鯛」と「回転」が半々の割合だ。聞けば双方の営業が押し問答した末に落ち着いたとの事だが、たまたま居合わせた弟が「どちらも同じような物じゃないですか?」と口を滑らしてしまい各営業マンから懇々と諭されたらしい。翌週には「銅鑼」が参戦してきたそうだ。


結局は日本古来からの美しい伝統である談合によって混乱は収まっていった。


5章:泉のその後


 人類の進歩に付いていけない人々はいつの時代もいるものだ。モーリンがうっかり泉の女神の話を知人にしてしまうと例の泉は聖地となりエコな世界を讃える信者であふれかえっていた。付近には屋台が立ち並び観光バスに乗った観光客がとめどもなく訪れていた。


そして諦めきれない人々も世界中から泉にやってきた。元スーパーモデルとかプロバスケットプレーヤーとか、そういう人たちだ。泉に石ころを投げ込んで女神の出現を待っていた。そして現地でモーリン信者と揉めるまでがお約束の流れだ。だが願いもむなしく女神は現れなかった。


モーリンも挨拶をしに泉に赴いたが女神は出て来なかった。一体何処に行ったのだろう?やがて泉の周囲に立ち入り禁止の柵が張り巡らされた。人々は現実に会えて握手の出来るモーリン様を現人神と捉え、泉は静かさを取り戻しつつあった。




6章:お前が黒幕かよ!


 新しい生活様式にも人類が慣れてきて早や数年。モーリンは泉の女神の問答から始まった激動の歴史を振り返っていた。こちらの選択で良かったのかと自問する事は何度か有った。有ったのだが自宅に山と積まれたお菓子に目が眩んで忘れる様にしていた。

そういえば元凶であるあの爺は今どうしているのだろう?モーリンも勤め先にはあの日から顔を出していなかった。元同僚に消息を尋ねるとあの日から休みが続いてそのまま退職したそうだ。無理もない一夜にしてアイデンティティーが崩壊して引き篭もりになった人も大勢いた。モーリンは知人伝いに連絡先を調べたが一向に判らない。グンマーの方に里帰りしたらしいが行方不明だ。地元警察にも探させたが徒労に終わったのでモーリンは公式スケジュールをキャンセルして独りで爺の探索に乗り出した。そしてグンマーでようやく県庁を取り戻したT市の奥地の奥地にそれらしき人物がひっそりと山荘で暮らしている事が判った。


モーリンは道なき道を掻き分け目的の家についた。呼び鈴を鳴らすが応答が無い。でも屋内から料理の匂いがしてきたので誰かいるのは間違いない。モーリンは意を決して玄関を開けてみた。鍵は掛かっておらず屋内に進んでいくと一人の男が部屋の中で立ちすくんでいた。

「モーリンさん、どうして此処に!?」裏返った声で男が尋ねる。長いあいだ「モーリン様」と呼ばれてきたので面食らったがそこに居るのは見覚えのある爺だ。だが何か奇妙だ?爺はモーリンを見下ろしているのである。どう見ても身長が180cm位はある事に気づいて困惑していると隣りの部屋から女性の声がした「何の騒ぎ!NトIKが集金に来たの?」そして部屋に入ってきてモーリンと顔を合わせた。そこには泉の女神様がジャージ姿で立っていた。「怒らないで聞いてくれますか?…」と目を伏せながら爺が言う。「二人はグルだったのね!」とモーリンは叫んでドロップキックを爺にお見舞いした。


床に正座した爺と女神を前にしてモーリンは詰問する。「じゃあ私は世界で2番目に背が高いのね!?」

「正しくは私に次いで3番目です」と女神が訂正する。爺は釈明を続けた.「いつも身長ネタでおちょくってばかりで申し訳ないと思っていてね。偶然意気投合した女神さんにサプライズを依頼したんだよ。願い事を素直に言いやすいようにと二択式にしたんだけどさ。まさかネタの方に食いつくとは思わなかったんだよね」女神が引き継いで言う「ネタと判っていても『出来ません』とは女神の威信に掛けて言えないでしょう?」

「それじゃ私が悪いとでも言うの?」と逆切れ気味なモーリン。続けて「元の世界に戻せるの?」と尋ねると女神はためらいがちに言う「まずは願いはどちらか一つだけですから。モーリンさんの身長を操作する願い事はもうできません。そこはご承知くださいね」モーリンが頷くのを見て女神は話を進める「全人類の身長を元に戻せない事は無いのですが…戻せるのは身長だけですよ」きょとんとするモーリンに爺が付け加える「皆の記憶や記録は変わらないと言う事ですよ」


元に戻す弊害が何となく判ってきた「要するに栄華を極めた女王様が革命で王座を追われて市中引き回しになる訳ね?」二人は黙って頷いた。以前調子に乗って「東京は〃ななが手に入らないなら鳩サフ〃レーでも食べればいいのに」と露骨なPRをしたことがある。あれは一億円の案件だった。時代劇で山吹色のうなき〃ハ〇イを受け取って「〇〇屋、お主も悪よのう」とお決まりのセリフを吐いたこともあった。「何とか記憶や記録もリセットできないの!?」と食い下がったが女神は営業スマイルでこう言った「残念ながらクーリングオフの範囲を超えていますね♡」




7章 さらなる深みへ!


 呆然としているモーリンに女神が問いかける「それでどうします?今のままで良いんじゃないですか?元に戻したらご両親もがっかりしますよ」そう言われて実家で純金かタングステンに金メッキされたお菓子を愛でながらお茶を飲む母の姿が目に浮かんだ。もう元には戻れないな…


知らなければ良かったと後悔するモーリンに対して爺がフォローする.「ここまで来たからには毒を食らわば皿までもです。そろそろ人類も現状に馴染みすぎてモーリン様の御利益を忘れてますからね」「どうゆうこと?」と尋ねると「魔法は一案件につき一回だけですが、別案件ならいくらでも発動可能なんです」と女神が答えた。「また人類を進化させるんだ!今度は事前に予告して世界を揺るがそう!」とドヤ顔で爺が続ける。こいつはとんだ食わせ者だ!


ここに至ってモーリンの腹は決まった。来月にここで再会して人類進化の候補案を練る事にした。二人を後にしてモーリンは山道を下っていく。いつの間にか二人のパペットにされていた憤りを感じながらも諦めが肝心だと切り替えた。「究極進化した人類の姿を楽しむとしようかしら…でも究極の進化と至高の進化を争わせるのも面白そうね。うふぅ♡」と笑いながら家路につく。国連総会の演壇で「怒らないで聞いてくれますか?」と前振りする日も近い。




8章 スメハラはさようなら!


 今日は次の進化を決めるために爺の隠家に集合した。「それでモーリンさんはどんな進化が良いと思うの?」と女神が切り出した。「実はこれと言った案が思いつかなくて。手の指を8本に増やして野球のピッチャーを有利にするのは?」「ヤスダもびっくりの魔球が投げられそうね!」と女神は微笑む。


爺はため息をついて「モーリンさんはそれを国連総会で本気でプレゼンできるの?」とたしなめる。「次は体臭改善が良いと思うな。恐らく反対勢力も少ないだろう。まずは無難なやつから始めて全人類がモーリンさんを盲信してからでも遅くは無いと思うけど…8本指はね」

モーリンは「体臭や口臭を無くしてしまうの?」と吃驚する。爺は言葉を続けた「臭いの原因は新陳代謝を始めとする生理現象だから臭いの元となる物質を無くす事はできない。フェロモンとか重要な化学成分も有るしね。多くの人に受け入れられる匂いに変えよう。正確には人類の嗅覚側をいじるのがのが良い…」

モーリンは頷きながらも言葉を遮った「どんな匂いに変えるのよ!」

「爺さんはね女子高生の匂いが良いって聞かないのよ」と女神は呆れ顔で話を引き継いだ。「女子高生の匂いがするボディーソープが昔流行ったでしょ? あの匂いよ」女子高生だけが発する甘い香りを突き止めたメーカーの商品だったかな?「嫌な匂いでは無いけど皆が素直に受け入れるとは思えない」とモーリンは答えた。「若さへの嫉妬と羨望は発明の父だと思うよ」と爺は訳の分からないことを言った.「どうせ皆慣れて意識しなくなるしさ。とりあえず宜しくお願いしますよ。ご両親の期待を裏切らないでね」との殺し文句を付け加える。


もはやモーリンに選択肢は残されていなかった。実家はグンマーに引っ越してテーマパークのような豪邸に住んでいる。敷地の中央には牛久大仏の5倍以上あるモーリンのブロンズ像が立っているのだ。世界中から信者や観光客が訪れてその絶大な経済効果によりT市の人口は増えて税収は17倍になった。隣りのM市はついに合併協定に署名した。


モーリンが国連緊急総会を招集して「新しい進化」の説明を行う日が来た。各代表の反応は好意的だが保守的な男性には反対意見も多い。だが人類の進化に犠牲は付き物だ、モーリンはどよめく代表たちを前にして一方的に宣言した「明日の真夜中から進化が始まります!」

その夜はこれでこの匂いも嗅ぎ納めだとばかりに多くのカップルが汗を流し合う。


自分の体臭は判らないが他人のは鼻につく。翌日からSNSには家族や隣人や同僚の「進化」を喜ぶ投稿があふれていた。正確に言えば自分の鼻が退化しているのだが… 一週間もすると今度は「皆が優しい」「優しさが怖い」「お出かけが楽しい」との投稿で賑わう。みんな苦労してたのね。妻の匂いが気になってハグしてくる夫も増えてきた。


ペットたちには旧来の匂いしかしないので問題は無い。人間の代わりに病気のサインを嗅ぎつけるドクター犬がペットとして注目を浴びた。消臭商品を扱うメーカーの株は落ち込んだが、お香や香水は個性化の証として愛用されていった。なおタバコやお酒、ニンニク等は従来通りなのでスメハラにはご注意を!




9章 男には内緒だよ!


 隠れ家の山荘では三人が談義をしている。「それでモーリンさんはどんな進化が良いと思うの?」と女神が切り出した。「3m程の垂直飛びが出来るのはどう…」とモーリンが言いかけると「あの魔球はボークですから」と女神がたしなめる。


爺は言った「前回の体臭対策はなかなか好評じゃないか。人知れず苦労している悩みを解決する方がお金を配ったりIQを10嵩上げするよりずっと幸福感があるしね。そういう観点でモーリンも人類を新天地に導いた方が良いと思うよ」モーリンは頷きながらも「それはみんなが皆、同じ恩恵を受けられなくても良いってこと?」と疑問をもつ。女神は「貴女が現人神だから。誰も文句は言わないし言わせはしないわよ」


モーリンは言った「生理の悩みでも?」「男の俺には判らんが良いんじゃないの?」と女神に同意を求める。「生理を無くしたり、周期を年に伸ばすのは生物学上宜しくないと思います。でも個人差のある痛みや倦怠感を同じレベルにするのは有りかもね」と女神は言った。文字通り互いに相手の痛みがわかりあえるわけだ。「今回はそれでお願いします。痛み止め薬は最小限、外出がキャンセルにならない程度で」とモーリンも落とし所を出してきた。

爺は「国連総会で何と説明するかはよく考えてね。どうせ男どもには痛みの程度は判らんけど聖書の教えにうるさい原理主義者も居るから」とアドバイスする。


結局モーリンは「多くの人にメリットと連帯感が生まれます」とお茶を濁して演説した。世界中が何の変化も無い事に訝しんだが1〜2ヶ月も経つとSNSには「判った!」「有難うございます」の声がビッグウエーブになる。

その後モーリンが街中を歩けばあちこちの女性から握手を求められ、握手は抱擁となり、胴上げになっていった。空を目掛けてモーリンの体が何度も舞い上がる。宙を舞いながらモーリンは「V9を達成した監督も同じ空を見ていたのかな?」と密かに涙した。




10章 浮いた浮いた!


 久しぶりに山荘に出向くと廊下に「ボークになる魔球のリスト」が貼りだしてあった。居間に入ると女神がテレビを見ている。屋根にアンテナは無かったようなので尋ねるとテレビではなく妄想を映像化する装置だと言う。いちいち爺の妄想に付き合うのも面倒なので録画してもらって暇なときに見ているそうだ。「どんな妄想でも映像になるの?」「もちろんV10も可能よ」そこへ爺が戻ってきて早速会議になった。


「どんどんアイデアを出してみようか」と爺が言うので「前回は女性にメリットあったから今回は男性かな?」と女神が答える。モーリンはおずおずと「毛髪関係はどうでしょうか?」と切り出す。爺は「他人に理解して貰えない悩みでもないし、禿げや白髪が似合う人もいるよ。もうチョット人生の浮き沈みに関わるような悩みの方が良いな」と否定的だ。


「浮き沈みと言えば学校の水泳の授業が嫌いで、プールの無い高校に進学したんですよ」とモーリンが言った「だから水泳が上手になるのではどうでしょうか?」

「犬を飼っているんだけど犬は生まれて初めてプールに浸かっても自然と犬かきをするんだよね。誰に教わった訳でもなく不思議だよね。何で人間は出来ないんだろう?」と爺が自問する。

女神は「それじゃ人間も本能で犬かきする様にしますか?」と言う。

「犬かきはちょっとねぇー」とモーリン。そういえばテレビで日本の古式泳法を見たことが有る。武具を付けながら立ち泳ぎで川を渡っていく。顔は水面に出しっぱなしで長時間泳げるそうだ。


その様な訳で4回目の進化は「老若男女問わず水に落ちたら本能的に古式泳法でたち泳ぎができる」事にして進化を終えた。水の事故が減っただけでなくウォーターレジャーも活発になった。学校からプールの授業も無くなり授業中に寝てしまう事も無くなった。しかし競技水泳では本能に逆らった泳法になるのでトレーニングに苦労したらしい。古式泳法ではスピード競技にならず関係者からは「何でクロールは駄目なんだ?」と後々まで言われるはめになった。


この頃からモーリンへのアンチ勢が増えていくが洗脳めいた事はしない方針なのでやむを得ない。




11章 飲んだら吞まれるな!


 「犬かきは勘弁ですけど嗅覚を犬並みに向上させたらどうでしょう」とモーリンは言う。「目的は何だよ?人間は犬じゃないぞ。犬が絶滅して代わりが居ないとかならまだしも…」と爺が遮る。「パートナーの浮気が直ぐ判るとか?」に対して「昼ドラの見すぎ!」と女神がたしなめる。「しかし何で浮気相手の女性を泥棒猫って呼ぶんだろうね? 本当に口に出して言うのかなあ」と爺が喰いつく。はいはい終了!

こんな時は新聞の社会欄を眺めてみるとヒントがあるかもしれない。3人は古新聞を引っ張り出して読み始める。自然災害には魔法が効かないし善悪聖俗問わず人々の欲望をいじるのは怖すぎる。


「若者のお酒離れが続いているみたいね。いずれ誰もお酒を飲まなくなるのかな?」と女神が記事を2人に見せる。3人とも下戸なのでその流れで問題は無いと思ったが「無理にお酒を嫌いにするまでも無いでしょう?」とモーリン。爺は「飲酒がらみのトラブルは悲惨な場合が多いから目立つんだよな」と言う。「いっそのことお酒で酔わない様にしたら?」と女神が提案するがそれはもはやお酒ではないとして却下された。


「肝臓を痛めなければ自宅や酒場で酔うのは全然問題ない。問題は酔った状態で次の行動を起こし始めるからだ。車の運転でも電車でも徒歩でも酔いが醒めてから行動に移してくれればOKなんだが、酔っていると自制心が無くなるんだよな。風邪ひいてるときは自制するのにね」と爺が力説する。要するに酔いが直ぐ醒めれば良いんじゃないかとなってネットで情報を探すと「5%のビール1000㎖で10時間位の待機が必要」と書いてあった。「10時間は待てないよ10分位に短縮しないと。それなら会計待ちやお茶飲んでる間にアルコールが抜ける」と爺が言うが「あんまり早いと次のお酒が来る前に素面に戻っちゃうわよ」と女神が心配する。「蟹料理とは相性が悪そう」とモーリンが呟く。


いっそ飲む酒自体はノンアルコールに統一しておいて、アルコールを含んだパッチシールを額に貼って経皮吸収で酔う形にする案も出た。シールを取ればアルコール吸収も即停止するから便利だ。シールに「飲酒中」と記載すれば第三者からも判り易い。だが相当シュールな絵面になるので却下された。

もしくは酔いが抜けるまでわざと歩行困難にして家や店から出れないようにする案も出たが事故リスクが大きいとして没になった。

お酒が抜ける速度はたぶん国連を通じてアンケートを取ってもグダグダになるのが目に見えている。現行目安の10時間待機を15分に減らす、つまり約40倍の速度増加でアルコールが抜ける方針で3者は合意した。


「肝心なことを教えて貰って無いけど」と女神が尋ねた.「どうやって急激にアルコールを体内から無くすの?分解それとも排出?」「排出だね。頻尿気味にして尿からも出すけど吐息から出させるのがメインになる、常に呼吸しているからね」と爺が希望を出す。 息が無茶苦茶に酒臭くなりそうだ。吐いた息でエタノールの爆発限界下限に近くならないかとモーリンは心配する。どうやら酒を飲んだらタバコは吸わないほうが無難らしい。今回はざわめく各国代表を尻目にモーリンは強引に今回の進化を宣言するはめになった。


酒が抜けるのが早いのでお店ではオーダーの回転も良くなる。財布の都合もあるから長時間も居座れない。飲酒後15分休憩したらコーヒーとかカラオケをサービスする形でお店もお客の酔い覚ましに協力した。会計後のミニゲームコーナーやガチャガチャ設置も有効だ。


急性アルコール中毒で救急車に乗る患者も減り、翌朝に用事が有る人も付き合い酒がしやすくなった。何と言ってもお店を出る頃には悪い酒癖も抜けていてほんとに助かる。飲酒運転事故や電車のホームから転落、終点まで寝過ごす、駅員とトラブル、路上で寝てしまうトラブルもニュースには載らなくなった。




12章 陽キャになろう!


 「カラオケが出来る様になりたいんだけど」と爺が申告する。「学生や社会人駆け出しの頃はね皆でカラオケするのが普通でさ。俺も誘わたけど音痴が嫌で参加しなかった。それで孤立していったな。もし人並みにカラオケが出来れば人生変わったかもね」モーリンも同意して続ける「私は口笛が吹けるようになりたいです」「それは俺もだよ」


爺は続けた「音楽を聞くのは好きなんだけどね。頭の中でメロディーが流れるのに何で歌えないのかって? 一時期ねピアノを習ってみたけど聴音とかだめで結局辞めちゃった」「私も絶対音感が欲しいです」とモーリンが女神に視線を向ける。


女神は「今回は要求がてんこ盛りなのね。それじゃカラオケの音痴を無くす。絶対音感で耳コピして口笛できて、おまけに暗譜でピアノが弾ければ十分でしょ!」と言うと「ぜひ宜しくお願いします!」と二人は頭を垂れた。


プロアマ問わずに聞く方も聞かせる方もレベルが上がってしまい、幼稚園のピアノから地元の歌唱コンテストまでが修羅の世界と化していった。不合格にする基準で審査員は頭を抱える事になる。


今回の進化は前回の飲酒程に有難迷惑では無いがニッチな内容なので失望する声も聞こえてきた。「彼女はまじめに迷える子羊の声を聞いているのか?」と、やがて声無き声が反抗結社を作り出す。




13章 モーリン襲撃される!


 モーリンが街中を歩けば自然と信者が集まってきて願い事を言い、アンチ共は無視したりヤジを飛ばす程度だった。公式行事では警護隊が付いているがプライベートでは気楽にしたいとモーリンは断っていた。突然ボウガンの矢がモーリンの背中に刺さり周囲は騒然とした。モーリンは矢を避ける事も弾き返す事もせず、矢が深々と刺さっている事にさえ気づいていない様子だった。「みんな落ち着いて!私は大丈夫」と連呼する彼女を周囲が慌てて救急車に乗せて病院に向かわせた。


速報を受けた各国の首脳たちは続報を待ちながらも「もしモーリンが死んだら既存の進化はどうなるのか?」「後継者は現れるのか?」と改めて懸念をする。やがて病院の広報から「矢を抜いてあげたら。そのまま歩いて帰った」と発表があり世間は安堵した。そこら辺は女神も手抜かりは無いからね。


矢を放った犯人は現場から逃げ去った。防犯カメラでは人物を特定できずに警察は「反抗結社」の家宅捜索を続けるが目星が付かない。一週間後に犯人が家族に付き添われて警察署に自首してきた130cmに背丈が縮んだ状態で!何処にも逃げられないと観念したそうだ。留置場で犯人は屈辱感に負けてしまい司法取引に応じる。執行猶予が付いた後は人知れず消えて行った。アジトやメンバーが割れて結社が崩壊した。街角では「みんなで縮めば怖くない!」と残党がアピールするが大衆は関わらないようにした。「お前はもう縮んでいる!」がミームとなった。


各国では以前から密かにシンクタンクを設けて学者に次回の進化を研究させていた。選定基準は何か、影響力のある人物やソースは有るのか、進化を思いとどませる事は可能かと言った具合だが今回の襲撃事件の顛末を知って学者共は触らぬ神に祟りなしとして研究を放棄していった。誰も二等市民にはなりたくないからね、まだ島流しの方がマシだ。

 それでも諦めきれないロシアの研究部門は雲隠れしたモーリン襲撃犯を密かに追跡、観察しはじめた。身長が全く戻らない事を確認すると「その男の子孫も10㎝低いのか?」に大きな関心が高まる。

 ケース1:本人だけが低い場合。子孫への影響が無くなるのでモーリンへの攻撃がし易くなる。身長が短くてもヒーロー扱いにはできるし子孫まで続く手厚い年金も出せる。一攫千金を望む囚人部隊に高い火力を持たせて襲撃させる計画が立てられる。これは「ロビンソン野戦部隊」となった。

 ケース2:子孫も低い場合。ロシア全体でモーリンに反旗を宣言してから攻撃を行う。成功すれば良し、失敗して報復に全国民がちんちくりんになってもそれは許容できる犠牲だ。最初の進化における犠牲に比べれば大した事は無い、もし米国も追従して攻撃を続ければ成功確率が高まる。その場合は130㎝の人民こそが邪神モーリンに反旗を翻した勝者の象徴となる。傍観していた140㎝は臆病者の二等市民に転落するだろう。これは「リバーシ計画」と名づけられた。

 襲撃犯に女性を接近させて子供を生ませようとする「リップスティック計画」も並行して進められた。巨額の契約金を貰った女性は男を口説いていく。だが男性は子孫も130㎝になると信じて応じなかった。


勝算があるとの研究報告書がロシア大統領に届くと彼はモーリン側の報復が都合良すぎると指摘してきた。「もし身長ではなくウオッカを飲む楽しみを奪わられたらどうすんだ!」それでも研究と計画は継続するように指示を出した。この報告書を米国CIAが盗み出して米国はロシアに同調するか否かを迫られた。

しばらくしてとある地元のトークショーで主賓となったモーリンに司会が冗談ぽく問いかけた「もし此処を狙ってロシアがミサイルを撃ってきたらどうしますか?」モーリンは困惑しながらもとぼけて答えた「ロシアと言えばシベリアンハスキー(犬)が有名ですよね?」

 その夜に米露ホットラインにて米大統領は「万が一の場合は全米の家庭で犬の面倒を見る」とサポートを申し出たが、ロシア大統領は「頭の悪い犬どもは全員小屋に入れたからご心配なく」と返した。


そんな瀬戸際の計画があったとは知らない一般人たちはエコになった、コンプレックスが解消された、願いが叶ったのに関わらず自分たちが品種改良された家畜になった気分が付きまとう。達観できなかった者たちは心療内科に通いつめ、モーリンの弟子を名乗る宗教家が彼らの心と財布を支配しようとした。

 



14章 家庭円満!


 「綱渡りとか出来るとかどう? バランス感覚を猫並みに上げるの?」とモーリン。

「悪くは無いけど、どんな御利益があるのかな。昔の飛び職人みたいな人が増えるかもしれないが需要はどうだろう」と爺は疑問的だ。工事現場で誰も落ちないから安全帯も保護柵もネットも要らないよねと親方が言い出しそうだ。

 「ネコ科の動物は高いところでも狭いとこでも平気で寝ているよね。俺には寝相が悪いから無理だ。朝起きたら布団がずれていることもあってね。冬は寝袋を愛用している」「私の両親も小さい頃の私に布団の中でさんざん蹴られたと言ってました」とモーリンは懐かしむ。

女神は「それじゃ寝相が良くなれば良いのね?」と確認する。「寝床の巾が50㎝もあれば無意識に寝返りを打っても大丈夫なように願いますよ」と爺が頼む。「ついでにイビキをかかない姿勢を基本でお願いします」とモーリンが慌てて追加する。これ大事!


今回の進化は大きな混乱も無く世界に受け入れられていった。早速ホテル業界はシングルベッドの巾を半分にして部屋の有効活用に着手した。また夫婦が一緒に寝るケースも増えた。体臭がイビキが改善しているのも寄与している。少子化対策にもやや貢献して一回り離れた弟妹が出来て困惑する人も増えた。




15章 コマ送りも出来ますよ!


 「認知症を何とかしてのお願いが多いの、毎日一人からは言われる」とモーリンが打ち明ける。実家のブロンズにも絵馬宜しく願い事が掲げてあるが認知症は多い。長寿高齢化社会ならではの悩みだ。

女神は「その手の話は不老不死に繋がるから面倒なのね。五十肩と同じよ。出来ればスルーして頂戴」と返した。「歳を取ると物忘れ+頑固だからね。パーソナルAIが発達して忘れていたことをサジェストしてくれても素直に利用しなければどうしようも無いよ。親の介護をしていて痛感した」と爺は回想する。パーソナルAIって「ソコは笑うところです」とかも教えてくれるのだろうか?


まあ若い人でも約束事を忘れる人は居るから記憶自体は良い方に決まっている。だが脳が覚えられる容量も限りがあるので適切に忘れる事でバランスを保っている。夢は脳内で記憶を整理、削除しているから見れるとの話をモーリンは昔聞いたことがあった。夢は実体験の副産物であって、経験していない事は夢には出てこないそうだ。だから縄文人がコンピューターの夢を見る事は無い筈だ。


「何で夢って過去の記憶に寄るのに肝心なことが映らないんですか?おまけに起きた時には忘れかけている」とモーリンが不満を呈すると、女神は「プレイバック機能がお望み?」と尋ねる。「出来るの?!」と二人は驚いた。脳の容量が許す限り昨日起きていた時間帯に見聞きした体験を起きがけに30倍速位で夢見る事は可能だそうだ。当人が大事だとか印象に残った部分は等倍再生なる。昨日の15時間を約30分にダイジェストしてくれる訳だが、再生は起き掛けに1回こっきりで翌日は上書き更新されていくそうだ。

「但し当人にとって都合の悪い事も悲しい事もプレイバックされるわよ。1回だけどね」と女神は釘を刺す。「でも気にしない性格な人なら高速で早送りしちゃうかも、あと普通の夢はもう見れないから注意してね!」


走馬灯のように昨日の仕事の計画や友達との約束事を映してくれるのは凄い便利だが、人によっては朝が来るのが怖くなる場合もありそうだ。「全員が毎朝プレイバックするのね?拒否は出来ない?」とモーリンが確認すると女神は思案の末に言った「そうね丸一日寝ないで映画でも見て記憶を上書きしちゃえば何とかなるかな?でも起きている間に思い出したら駄目かも。あと完全に目が醒めたらそこでプレイバックは停止するから延々と嫌な思いはしないと思うわ」


採用するべきか?爺は「人によっては文字通りの『心のケア』が翌朝に必要になる訳だね。もう一つは夢を見る権利が奪われる事になる。」と問題点を取り上げた。

前者に関していえば、家族や友人、医療関係者に朝まで添い寝して貰う。一人ならバイタルで心拍等を検知して強制的に目覚ましを掛ける事になりそうだ。後者に関してはと爺が続けた「別に空想や妄想する権利が無くなる訳じゃない。寝ている間に夢を見ていることを自覚していない人も大勢いる。但し夢の中で創造的な発見やお告げを得た人が古今東西居たわけだからそれを無くすのは反対が多そうだね。もちろん確実性も再現性もない夢だが」モーリンが頷く「ケクレとかジャンヌ・ダルク辺りは有名ですよね」そこへ女神が割り込んできた「その二人が見たのは白昼夢ですよ!活動している昼間の夢は従来通りですからね」


それで十分に質疑応答してから進化を宣言する運びとなったが、それでもフロイトやユングの子孫や学派、夢占い師からは抗議の嵐が来た。警察署には専用の寝室が用意され、目撃者が翌朝寝起きした直後に聞き取りすれば鮮明な記憶が引き出された。しかしリアルで意識や注目していなければ何もプレイバックはされなかった。つまり目撃者の先入観が排除された。犯罪、労災等は当日の内に歩くドラレコを押さえるのが至上命題となった。


白昼夢が見れると称して怪しげなお茶を売り歩く人が路地裏に現れて人々は昼休みに妄想を楽しむようになった。お昼寝を加味した2時間の昼休みを採用する企業が増えている。うっかり待ち合わせを忘れる友人は減ったけど残念ながらルーズな性格は治らない事を改めて思い知らされた。




16章 積年の課題


 「人間の生体能力以外、つまり知識や文化を平均化、共有化するはダメなんですか?」とモーリンはお題を探り出そうとする。「人類が獲得してきた知識や文化を直接操作するのは止めましょう」と女神は否定的だ。「それで具体的には何を変えたいの?」「米国の単位です」とモーリンは答えた。「ヤードとかポンド、ガロンの単位は面倒だけど米国人はメートル法に従う気が無いんですよね」単位を間違えて人工衛星が迷子になった事件があったがそれでも米国はヤードポンド法を守っている。温度も摂氏(℃)と華氏(℉)で異なる。国連総会でモーリンが脅しを掛ければ変えられない事も無いが面倒な軋轢を生むだけだ。最近は両方の単位で併記する様になってきたがそれでもピンと来ない。

女神は重ねて問う「ヤード法が許せないの?それともヤードが理解できないから?」

「少なくともヤード表記をメートルに直すのがめんどいです」

「じゃあ瞬時に暗算できれば良いのね?定数込みで出来る様にしてあげる」

「摂氏は 華氏から 32引いて1.8で割るけどこれもぱっと暗算できるのか?」と爺が尋ねると

「8桁までの小数点有りの加減乗除を暗算でどう? メモリー付きで各種定数も暗記させてあげる」と持ちかけた。人間電卓か!

暗算できないよりはマシだがミリねじとインチねじが混在する世界は残ってしまう。だが米国の日常生活に入り込んだ単位を直すのは厄介だ。日本のゴルフ場も一時期メートル表記したがプレーヤーからの不評で元に戻している。恐らくメートル法の移民がわんさか米国に押し寄せない限り実現しないだろう。


「暗算チート能力をメートル法の人だけに適用するのは可能?金利計算や統計計算等も追加で」と爺が言った。「うーん可能だけどさ陰湿なやり口だからモーリンへの風当たりは相当よ。直情的な襲撃者はもう居ないと思うけど」さあ、どっちにしようか?

 1案:ヤード・ポンド・ガロン・華氏の人に限って暗算チートを授与、その代わりにメートル法に強制転換してもらう。

 2案:メートル・kg・リットル・摂氏の人に限って暗算チートを授与、その代わりにヤード等は今後も自由に使える。メートル法の併記も不要。


次回の国連総会で多数決を取ったところ、圧倒的多数で2案が採択され最初の「選択的進化」が宣言されたが米国内は意見が大きく割れた。理系の学者はこれを機会にメートル法に転換すべきと主張したが、経営者らは計算高い消費者の登場を好まず激しいロビー活動の結果「電卓なんぞ皆のスマホに有るからありがたみは無い」として2案を正式に採用表明した。

 

それから半世紀も経過すると隠れメートル法の移民が米国内で知的、経営的な肩書を占め始めた。それでも彼らは2案に賛同し続けた。




17章 俺もジョーズになりました。


 「虫歯を無くすことは出来ないかな?」と爺が頼んできた。「ちょっと都合が良いわね。歯を磨いたり口をすすぐのが嫌なの?」と女神が返す。「みんな歯医者に行くのは嫌だけどさ、みんな虫歯をこさえているじゃない?」と爺は粘る。モーリンは「親知らずだけでも何とかしてください」と言った。

「親知らずの方はオッケー。生えても乳歯の様に自然に取れるわよ」と女神が答えた。爺は「何で人間は一生に一回しか歯が生え変わらんのか。サメとかはどんどん生え変わるよね。人間もそうできないの?」と尋ねた。「歯医者さんが聞いたら卒倒しそうな進化ね。出来るわよ。どの位の頻度にする?」


毎年生え変わりにしようか?でも歯が欠けた場面が頻繁になるから人前ではみっともないかな?ずっとマスクしているのも何だしね。いろいろ考えて10年毎に生え変わるようにした。これで老人になっても入れ歯とは縁が無くなり、食事が楽しくなる筈だ。


モーリンがこの進化を告げると世界中が喜んだ。歯医者が潰れて歯科大学に受験生が来なくなる事態を関係者は恐れたが人々は相変わらず虫歯を作り続けたので患者は減らなかった。生え変わったばかりの歯に虫歯を性懲りもなくこさえる人もいた。それで歯科予防専門のサービスがスタートして検診/歯石取り/薬剤塗布だけを床屋に行く感覚で利用できるようにした。歯科医は居るけどドリルや注射の無いクリニックだ。衛生士を指名できてポイントが貯まるチェーン店が人気になった。




18章 地獄へようこそ


 「終末医療を含めた安楽死を各国で合法化、制度化を実施してください。1ヶ月後に進捗を確認します」とモーリンが演台でいきなり告げた。「いや病で苦しまないほうが皆の願いだろう!」と流石に各代表が抗議した。しかし聞く耳を持たないモーリンは一方的に会議を打ち切った。全ての進化が全ての人に恩恵をもたらさない事は皆が判っているがとても気持ちの整理が出来ない。法律は1日で変えられても制度はそう行かない。患者と医療関係者にパニックが走った。そもそも安楽死制度の見返りは何なのか?それすら判らない。


その3日前、三人は山荘で非常にデリケートな会議をしていた。爺の提案はこうだ「麻薬や覚醒剤の乱用を止めたい。中毒患者は非生産的になるし、闇資金が犯罪組織に流れ込んでいる」その気持ちは解るがどうやって実現するのか? 米国を含め国家プロジェクトで麻薬戦争に終止符を打とうとしたが根本解決はできていないままだ。

アヘンの材料となるケシが植生しなければ簡単だが、女神は人間以外に干渉する事を許さない。それに化学合成された覚醒剤もあるから片手落ちだ。「だから上流では無くて下流を堰き止めるんだよ」と爺は二人に計画を示した。女神は「理屈は通じるから魔法を掛けるのは可能だけど世界中が地獄になるわよ」とあきれたようだった。問題はそれをモーリンの口から説明してもらう必要がある。その説得に丸二日掛かった。


1ヶ月後の国連総会でモーリンは現場レベルで安楽死対応が出来ている事を確認した後、「1週間後に進化を開始します。非常な混乱が予想されますので20日間は各国で戒厳令を敷いて、医療関係以外の不要不急の活動を自粛して下さい。市民は基本自宅待機ですね」なんとなく嫌な予感がしたが各政府は粛々と対応を進めた。既にモーリンの宣託に従う、従わないの議論は誰もしなくなったのが混乱をさけた。


そして迎えた進化の日、世界中の病院で痛み止め用のモルヒネが全く効かなくなりパニック状態になった。市販されている鎮痛剤や医療用麻酔薬はいつも通りだが終末医療用のモルヒネが効かない。この時点で医療関係者は安楽死制度の意味をようやく理解した。受け入れがたい地獄への急転直下で患者対応に奔走する。


同時に病院の外では突然禁断症状に襲われた中毒患者がパニック状態に陥った。こちらも手持ちの薬を幾ら摂取しても禁断症状が収まらない。新しい薬を求めて売人に皆が殺到するがその薬も効かないので殺気だった中毒患者と売人で争いが始まる。SNS上では「麻薬の元締めがモーリンの指示で偽薬にすり替えた」「免責と交換に元締めやカルテルが客を見放した」等の流言が広まった。中毒患者が本格的に騒ぎを起こす前に政府が「本物の麻薬の隠し場所」の偽情報をリークする。集まってきた所で患者を確保して更生プログラムの収容所に送った。


当の麻薬元締めも在庫が文字通りゴミと化したことに気づき、医療用麻薬が効かないニュースと合わせて自分たちの運命を悟った。全ての麻薬売買が停止したので有り金を持って逃亡する。資金源が無ければ組織は崩壊した。そして摘発する側がようやく優位に立ち逮捕、裁判、収監までのプロセスが始まる。

永らく換金作物であったケシの需要が無くなった中東では国連援助の元で畑の転作がスタートした。

医療現場ではモルヒネに替わる鎮痛作用のある物質の臨床研究が開始された。




19章 三つの才能


「音楽、数学と来たら最後はチェスだね。これで3種の才能が揃う」と爺は切り出した。「面白い組み合わせね。音楽と数学は学校で習うけどチェスは習わないでしょ?」と女神は気になった。「俺は暗号解読に興味があってね。暗号解読に必要な才能として学者のデイヴィッド・カーンが音楽、数学、チェスの3つを挙げているんだ。むろんチェスの代わりに将棋でも構わんよ」モーリンが「でもそれはニッチな目的に必要な才能と言う事でしょう? もし人類全体で必要なら小学校で教えている筈よ」と反論する。「まあそうだけどさ、昔読んだ物語が忘れられなくてね」それは次のような昔話だった。


 2000年ほど昔のペルシャにセミラミスという女王が居た。彼女は暴君でありながらも暗号学に通じていた。彼女は自分が死んだら壮大な霊廟を建設し金色の石棺に埋葬するよう命令した。その棺には石板で以下の文字が刻まれていた『疲れた旅人よ、お待ちなさい!もし貴方が疲れていたり、飢えていたり、貧しかったのなら次の暗号を解きなさい。そうすれば貪るような欲望を満たせるでしょう!』そして意味も判らず発音すら難しい文字列が記されていた。数百年の間に秘宝を求めて解読に挑戦したものの成功者は現れなかった。ようやくある学者が数々の暗号やパズルを解いて石棺を開けると内部には誰でも読める文字で次の様に書いてあった「嗚呼なんてお前は酷い奴だ。哀れな私の骸を脅かすなんて!もしお前が暗号解読の能力を別の事に役立てれば疲れも飢えも貧しさも解決するわ!」


「最後の最後まで人迷惑な女王様ね?」とモーリンが期待外れの落ちに不満を漏らした。「この昔話への解釈はいくつか有ると思う。代表的なのは『暗号解読をしても必ず報われるとは限らない』だね。でも俺は別の解釈をしている。亡き女王のアドバイスを素直に受けて暗号解読の能力があれば人生うまく行くとね。それでカーンの言う三つの才能にこだわっているんだ。残念ながら俺には一つも無いけどさ」

「ふーん。そんな理由で私に進化を頼もうと言うの!三つの才能を得た人類が疲れや飢えや貧しさから解放されるとか本気かしら?」と女神は不満気だ。「それを確かめたいからお願いしているんだよ!」


数学や音楽さえも人によっては渡る世間には必要ない才能と思われている。そこにチェスの才能が今回新たに追加された。もちろん入学試験や入社試験で三つの素養は必須ではなく出世の条件でも無かった。ただ社会的不適合者とかニートと呼ばれる人たちが徐々に減っていった。ギャンブルやリボ払い沼に陥る者も、オレオレ詐欺に掛かる者も少なくなった。全般的にドロップアウトが減り、それを見下していた階層は今度は上を目指していった。


この流れは各国軍隊の維持にも影響した。かつてハンス・フォン・ゼークトは軍人を4つのタイプに分けた。

・有能な働き者は参謀向き

・有能な怠け者は指揮官向き

・無能な働き者は余計なことをする邪魔者

・無能な怠け者は兵卒向き

この3番目と4番目が軍隊から居なくなった事で大規模な組織を維持する事が出来なくなり、無用の軍事衝突も減った。人並みの才能を持ち合わせた若者は軍人として立身出世を目指す事も無くなる。10年間の包括軍備解除協定が終わって各国は国境守備隊、沿岸警備隊のレベルを維持するに留まった。




20章 お腹いっぱい、力がいっぱい


 身長計は廃れたが体重計は全て肥満度計に取って代わった。体が縮んだおかげで基礎代謝も減ったのだが、食事のカロリー過剰による肥満や成人病は相変わらず存在していた。そこで今回は肥満関係がお題となった。「肥満対策なら介入するまでもないわよ。政府が食料を配給制にすればいいだけ!」と女神が初手で釘を刺す。爺は「政府にそれが出来れば苦労しないよ」と反論した。食べたら消費するのでは無く、消費する為に食べるのが望ましい。でも人の心を弄る事はできないから無理がある。過食を防ぐために胃に風船を入れたり小さく切除する荒業もあるが全員にその魔法を掛けるのもナンセンスだ。


「当日の基礎代謝分を食べたら満腹感を出す事はできるの?とりあえず明日まで死なない程度食べたらおしまいということで」と爺が尋ねると女神は頷いた「でも太らない代わりに勉強も仕事も出来なくなる」

「だから仕事をする為に食べるというマインドセットが必要だ。幸いみんな暗算でカロリー計算ができるからToDoリストから追加カロリーを見積もることが出来る筈だ。もちろん満腹中枢神経に逆らって食べるから減量トレーニング並みの試練となるね。食べるために嫌々労働するのではなく労働するために嫌々食べる訳だ」と持論をぶちまける。


三大欲求の一つである食欲をそんなに都合よく変化させて大丈夫だろうか? 一歩間違えれば人類皆ニートにならないか?三人は悩みに悩む。食べた糖や脂肪が体内にほとんど蓄積しない様に排泄させる案もあるが食料ロスに等しいので却下された。


「ではこうしよう。今回も趣旨を説明して1ヶ月の猶予期間中に自主的に食生活、食事に関するマインドを変えてもらおうよ。それで自己完結するなら良しで食欲に負けて苦しむようなら満腹魔法が時限で発動する」と爺は結論を出した。


こうして街中の食堂では「基礎定食(休日用:○○カロリー)」とか「ガテンおかず(肉体系:○○カロリー)」、「ゲームチョコ(3時間分:○○カロリー)」といった具合で目的別にメニューが提供される。過食、飽食、食品ロスの問題も解決された。ただ食いきれない程にお腹いっぱい食べて幸せを感じていた時代を知っている人々は進化の趣旨は承知しながらも不満は隠せなかった。食い物の恨みは恐ろしい、これが後の大反乱への遠因でもある。



21章  反乱は唐突に


 今日は国連の定期総会。モーリンは主賓挨拶として壇上に向かおうとするとフランス代表が突然壇上に駆けあがりマイクを奪った「各国代表に緊急動議を提案したい!この女、モーリンは暴君である!我が国はモーリンを指導者として認められない!」

その声明に呼応するように主要国から「暴君だ!」「ついていけない!」「我々には不要だ!」の掛け声が出た。代表たちは机の上に立ち上がり、喚き、靴で机を叩いて抗議を始めた。呆然としているモーリンにオレンジや卵が投げつけられた。やがて暴君!暴君!とシュプレヒコールが始まると、モーリンは居たたまれなくなって非常口から逃走した。

モーリンが去るとフランス代表は「モーリンを有罪と認めますか?」と演台から同意を求めるとロシア代表が「賛成!」と挙手、他の代表もつられるように手を挙げた!「賛成多数でモーリンを有罪と認めます!」と宣言。続けてフランスは「もちろんギロチンにします!」と呼びかけると周囲からギロチンコールが巻きあがった。


TV中継を見ていた爺は女神に言った「これじゃロベスピエールだよ!モーリンはピンチだ!。グンマーに至急戻らせよう」事実上の追放宣言を受けたモーリンはグンマーのT市にあるターゴで信者らに囲まれていた。信者からは徹底抗戦を呼びかけられたがモーリンは「考える時間を下さい。それまでは私に付いてくる人々で集まっておとなしくしてください!私モーリンは皆さんを必ず新天地に連れて行きます!」と告げて姿を消した。信者たちは臥薪嘗胆を誓いあった。後の「ターゴの誓い」である。


山荘に戻ったモーリンは「どうしてこうなった…」とうなだれていたが、女神は「貴方を信じる信者がいるのだから最後まで諦めては駄目よ」と諭した。爺は「いつかは世界的な内戦状態に陥る事を危惧していた。信者だけ集めて未開の地で暮らすしかない。だが何処に行けば良いのか判らないんだ!」と声を上げる。そんな二人を前にモーリンは覚悟を決めて静かに言った「怒らないで聞いてくれますか?」




22章 惑星E(arth)から追放されて


国連での追放騒ぎから1週間が経過した。世界各地ではモーリン信者と反対勢力のデモや対立がエスカレートしてしてきた。公衆の面前から消えていたモーリンが世界同時生放送で声明を読み上げる事が決まると人類は固唾を飲んでTVや街頭モニターの前に終結した。画面のモーリンは冒頭から全人類に次のような提案をした。

選択1:モーリンに付いていけない人は全て魔法を解除して元の体に戻してあげる。

選択2:モーリンに付いて来る人は皆で一緒に新天地、未だ誰も知らない太陽系外の天体に移住する流浪の旅に出る。地球側の人類とは永遠に決別して。


すべて白紙に戻すのか?それとも箱舟で遠くの星へ?世論は大きく揺れたが宇宙流民になってまでモーリンに付いていく人は1ppmにも満たなかった。ターゴの地に再度決意して現れたのは3千人程。モーリンは手切れ金として各国に移住用ロケットを大量生産させ魔法で仮死状態にした信者を詰め込んで宇宙に送り出した。目標は太陽系に似た移住しやすい惑星で300光年は離れている。もしかしたら途中で別の候補が見つかるかもしれない。どちらにせよ深宇宙への片道切符だ。最後の宇宙船に乗った3人は地球に別れを告げて旅立った。モーリンと爺を仮死状態で安置すると女神は魔法で全宇宙船を光速の99%まで加速して新天地を目指した。


モーリンたちをお払い箱にした翌日、全ての進化がキャンセルされて元に戻った。着ていく服が無い状態だが人々は半狂乱状態になって街角に繰り出す。1か月近くのお祭り騒ぎが終わると各国はモーリンの黒歴史の抹消に乗り出した。宇宙に旅立たなかった信者を弾圧し改宗させた。モーリンに関するモニュメントや記録も破壊し抹消する。1年後には誰もモーリンの名を口には出さなかった。


宇宙を彷徨うモーリンたちは目標のかなり手前で手ごろな惑星を見つけた。地球に比べれば荒れた惑星だが女神の進化対応で何とか落ち付けそうである。重力、酸素濃度、気温、それに大地からの放射線に適合する人種に進化させると信者らは安住の土地を得て繁殖と開拓に乗り出した。壊れる傍から染色体が修復される細胞のおかげで青白い体になった。



23章 門前払い


 モーリン追放から100年後。地球人たちも月や火星に定着し太陽系外に進出する準備を整えていた。100隻超の宇宙遠征艦隊が深宇宙に乗り出していく。目的は植民に相応しい恒星系を見つけて調査する事。なんとか光速の10%程度で艦隊は進んでいくと目ぼしい惑星を見つけて接近する。突然謎の呼出符号からなる強力な電波が艦隊を直撃した。発信源を確認するとはるか彼方に宇宙船らしき人工物が有った。そして明らかに英語のテキストと音声で呼びかけがあった「こちらはターゴ帝国の辺境警備隊だ。そちらの艦隊は我々の防衛識別圏に向かいつつある。直ちに転進されたし!」


突然の異星人コンタクト!地球側は感動と興奮に包まれた。何故か英語が通じるし文明レベルも近そうだ。ついに大航海の労が報われる時が来たと艦隊司令は相互の戦力を分析させた。相手は小型艦が1隻だけだから地球側が有利だ。司令官はマイクに向かって叫んだ.「怒らないで聞いてくれますか?こちらは地球の探険船です。お出迎え有難うございます。ターゴ帝国の代表者に挨拶をしたいので道案内をお願いします」しかし「侵入は許可されていません。直ちに転進を命じます」と即答され困った。


だが子供の使いで恒星間を延々と飛んできたわけではない。ここで素直に引き返そうなら内部から反乱が起きそうだ。地球と似たような文明圏があるならばここに入植可能な土地や資源もあるはずだ。もしかしたら金やダイヤモンドも!命がけの航海に志願した水兵には自分で見つけた土産物は自分と艦隊で半分こする約束を取り付けていた。逸る心を押さえて司令官は「我々地球人は友好の為にやって来ました。友好通商艦隊条約を締結してターゴ帝国に地球側の出島を確保するまでは戻れません。とにかく水や燃料の補給をさせてください。」と慎重に語りかける。しかしターゴ側はこれを無視した。


参謀から地球側の本気度を示すために「礼砲(弾頭付き)」をぶちかまそうとの意見が飛び出した。ファーストコンタクトの異星人相手にそれは無茶だと反論したが引き返すわけにもいかない。前進を続けて様子を見ることになった。そしてお決まりの展開となって双方が撃ち合う結果となった。地球側の武器は全て回避され、お返しにボコボコにされた。地球への逃走を試みるが一隻も逃げ切れなかった。


遠く離れた地球が艦隊の異星人コンタクトと最後を知ったのは数十年が経過していたが、急遽ターゴ帝国へ遠征する艦隊を準備した。地球上にある全ての核弾頭を船に詰め込んで決戦に備える。



24章 宿命


 惑星ターゴの首都ネオグンマーでは亡きモーリンの子孫である女帝ヒトーエンが統治をしていた。爺はサイボーグとなって歴代女帝の宮仕えをしている。出番の無くなった女神は静かな湖畔で隠居生活だ。


「爺よ、地球人がついにやって来たわね」と女帝がため息をついた。爺は「我々も最初に見つけた惑星に移住しましたからね。皆考える事は同じです。あえて銀河系の外に出ない限り会合する可能性はありました。だからこそ帝国周囲に哨戒艦を張り付けているのです」と答える。女帝は爺に再戦にそなえるよう命令した。わずか3000人弱で惑星ターゴに植民した信者は猛烈な速度で人口を増やした。100年間で千倍近く膨れた人口で宇宙コロニーを含む大帝国を築いていた。太陽系に前進基地を設けて戦局を有利にしようとした。


ターゴ側の遠征艦隊は太陽系小惑星帯にまで侵入して小天体を地球目掛けて投げ落とす準備を開始、いくつかは地表に命中して、パニックになった地球側は迎撃と反撃に移った。地球に僅かに残っていたモーリンの隠れ信者らは和平を呼びかけるが焼け石に水だ。大昔に国連代表がギロチンで信者を血祭りにしてから10^100を筆頭に記録を抹消改ざんしたので多くの民衆は過去の経緯を知らない。



25章 デタント


 惑星ターゴで隠居していた女神も両惑星の全面戦争が近づくと腰を上げざるを得なくなった。基本的に女神はモーリンをはじめとする進化人類側の立場だがこのままほって置いたら昔住んでいた地球がたこ焼きみたいになってしまう。女神は別の恒星系に住んでいる姉の女神ナタシャに事情を説明して助けを求めた。女神の姉はどちらも勝たせない、滅亡させない形でのデタントを策定した。姉妹がそれぞれ地球側とターゴ側に味方して力の均衡を謀る。


小惑星帯を巡る戦いは地の利がある地球がターゴ側を追い返して一段落すると、はるか遠方からカプセルが光速の99%で地球に届いた。カプセルを開けた地球人は以下のメッセージと設計図を受け取る。


「地球人の皆さん、私は大マゼラン星雲テンジ-ク星のナタシャです。敵の本体は惑星ターゴではありません。彼らの本拠地は大マゼラン星雲にあります。彼らを倒さない限り永遠に戦いは終わりません。地球から16万光年離れていますが光速の1000倍で飛行できるエンジンの設計図を同封しました。地球の皆さんのご武運をお祈りします。ここに来れば貴金属や鉱石など何でもあります。不老不死への進化も可能です」


突然の助っ人に地球人は湧きあがった。大マゼラン星雲で決着を付け、財宝や不老不死の体を得てから地球に凱旋する計画を立てた。米国はナタシャから教えて貰った波動エンジンをモスボール状態の空母エンタープライズに装着して大マゼラン星雲へ飛び立つ。国連に加盟する全ての国も同様に宇宙戦艦を建造して後を追った。


とりあえず時間稼ぎをして無益な戦いを避けられたので女神姉妹は胸を撫でおろした。地球人には言わなかったがあの波動エンジンには某タイマーが仕掛けてあって50年も飛ぶと保証が切れて光速の10倍まで低下してしまうのだ。もちろん大マゼラン星雲テンジ-ク星なんかも存在しない。適当な場所から遠征艦隊向けにはげましのお便りを時々届けて、地球にも艦隊を装った安否連絡を送り続けた。




26章 エピローグ


 大マゼラン星雲に向かう途中で大ブレーキに見舞われた国連軍艦隊は燃料や食糧不足に会い、混乱と錯乱の中で仲間割れを始めた。宇宙の真っ只中においてもギロチンが血しぶきをあげて艦隊の規模は10%近くまで損耗し進退極まった。取り合えずまあ近くの惑星に不時着して体制を立て直そうとするが無い袖は振れない。


女神(妹)の指示で偶然に通りがかったターゴの商船が援助を申し出た。大マゼラン星雲への遠征を諦める事を条件に。取引に応じたいのは山々だが、このままターゴ帝国と戦うことも無く地球へおめおめとも帰れない。地球側の司令官が本音を吐露するとターゴの商人は「怒らないで聞いてくれますか?あなたたちの頭は何のために付いているのですか。地球の人々に何がわかるんでしょう」とアドバイスした。

なるほどね。中古の波動エンジンと引き換えに金銀パールを山ほど売って貰うとバイブスの上がった乗員達は壮大なスペースオデッセイをひねり出した。


大マゼラン星雲の本拠地に辿り着いて女帝ヒトーエンを惑星ごと吹っ飛ばしたが、帰路に共倒れを狙った反撃でナタシャも爆散し艦隊は壊滅状態になった。財宝をかき集めて何とか帰還した!後に何度も映画化される事になる。


多大な損失が出た地球側は異星人との接触を避ける事にした。こうしてターゴ人と地球人の争いが終わりを告げた。どっちの生き方が正しいのか幸せなのかは誰にも判らない。


おしまい

19章出典

・ワールドTVスペシャル 「暗号を売った男たち」 ―アメリカ最大のスパイ事件― 1989年、NHK総合

・Six Lectures Concerning Cryptography and Cryptanalysis, William F. Friedman, ISBN:0894122460

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