ヒッチハイク
一本の真っ直ぐな道が何処までもひたすら伸びている。
その道の他には何もなかった。見渡す限り砂漠に似た荒野ばかり。パサパサに乾ききった赤土とゴロゴロとした赤茶けた岩だけ。どっちを向いても地平線を確かめることが出来た。
その道の真ん中に一人の男がいた。もう、どれだけの時間そうしているのか。辺りには何もないというのに、男は荷物らしきものをひとつも持っていない。徒歩で旅をしているのだとすれば、余程の変人か命知らずであっただろう。
カンカンと照りつける太陽の下、男は時々、前後の道の果てでも見通そうとするかのように目を眇めていた。通りかかる車を待っているのだろう。が、こんなところを頻繁に走る車など皆無だ。一時間待っても、二時間待っても、一台も通りかかろうとはしなかった。
男はもう一歩も歩けないらしく、道の脇に座り込んでいた。汗が止め処なく噴き出て、Tシャツが肌に張りつき、顔は茹ったように赤い。熱射病にかかる寸前だった。
しかし、天は男を見放さなかったらしい。遥か前方に土煙が舞い上がっているのが見え始める。男は幻覚ではないかと目をしばたかせたが、それがこちらへ向かってくる一台の車によるものだと分かった途端、これまで死に瀕していた状態から、いきなり復活を遂げたかのように勢いよく立ち上がり、頭上で目一杯、両腕を振りまくった。
「おぉーい!」
スポーツカータイプの青い車は陽炎に揺らめきながら、雄々しい咆哮のように聞こえる 排気音 を轟かせつつ、次第に大きくなってきた。男は道の真ん中に大の字になって立つ。この一台を逃すわけにはいかなかった。黙って行き過ぎるなら、いっそのこと轢き殺してくれと言わんばかりに。
幸いなことに、車の運転手は良心を持っていたらしい。立ちはだかる男の近くでスピードを落とす。そして、男の目の前で停車した。
「どうしたの? こんなところで?」
運転席側の窓から身を乗り出すようにして顔を見せたのは若い女だった。ボリュームのある赤茶けた髪がスパイラル状にパーマネントされており、サングラスをかけた風貌はとてもワイルドだ。服装は白いタンクトップとシンプルで、何となくさばさばした性格を想像させた。
男はよろよろと運転席に近づいた。
「……す、すみません……町まで乗せて行ってもらえませんか……?」
掠れ気味の声で男は憐れみを請うように頼み込んだ。女はサングラスの奥で見知らぬ男を観察する。
「何なの、ひょっとしてヒッチハイク? こんなところで?」
女が怪しむのも無理はない。ここは人間が車もなしに通りかかるような土地ではないのだ。
「ちょっとトラブルに遭いまして……町まで歩こうと思ったんですが……」
「そんなの無理に決まっているじゃない! 何を考えているの? ここから町まで五十マイル(約八十キロ)はあるのよ!」
男の言葉に女は呆れ返った。
「お願いです……このままじゃ日干しになって、死んでしまいます……助けてくれたら、今は手持ちがありませんが、それなりのお礼はさせてもらいますから」
「ふーん」
女は男を値踏みしているようだった。男はデイバッグのひとつも持っておらず、Tシャツにジーンズというありふれた恰好だ。
「この辺ってヒッチハイク強盗が多いのよね」
独り言のように女は呟いた。
それは巷でよく聞く話だった。道の真ん中でヒッチハイクしている男を乗せてやると、そいつは運転手を脅し、車と金を奪って逃げてしまうのである。犯人が捕まったとは、まだ聞いていない。
女はこの男がヒッチハイク強盗ではないかと懸念しているらしかった。
「自分はそんなんじゃありません! 武器だって持っちゃいない!」
男はTシャツの裾をめくって、ジーンズに拳銃などを挟んでいないことを確かめさせた。ジーンズの裾も両方ともめくる。ソックスと濃い脛毛が覗いた。最後にはポケットも裏返しにし、尻ポケットにも何の膨らみがないと、念には念を入れて。
「……ハイハイ、分かったわよ。そこまで言うのなら乗って」
女は男に危険がないことを納得した上で、同乗を許可した。男は出せる精一杯の声で感謝すると、反対側に回り込んで助手席に座った。
ドアを閉めると、外気から遮断された車内はエアコンが効いていて、とても快適だった。送風口を調整して吹き出す冷気を自分に向け、男は弛緩した様子で涼む。
女はチラッとだらしのない格好をした隣の男に一瞥をくれてから、車をスタートさせた。
程なくして男は車内をキョロキョロと見回した。
「なに?」
運転席の女が気にして尋ねる。
「あのー……何か飲み物があればいただきたいのですけれど」
「ああ、そうだったわね。ごめんなさい、気がつかなかったわ。後ろの席に買い物袋があるから。ミネラルウォーターがあるはずよ。ぬるいと思うけど、勝手に飲んで」
「ありがとうございます」
男は身を捻るようにして後部座席に手を伸ばし、ポリエチレンのレジ袋を手に取った。中には缶ビールなどの他に、ミネラルウォーターもある。どちらも冷えてはいなかったが、男はミネラルウォーターのキャップを開けて、喉を潤した。
「ああっ、生き返る!」
大きく息をつく男に女は苦笑した。
「一体、何時間くらいああしてたの?」
「えーと……三時間くらいでしょうか」
「三時間!? あの炎天下の中で!? 信じられない!」
女は運転しながら、また呆れるように笑った。男は残りのミネラルウォーターを一気に飲み干してしまう。
「実を言うと……さっき話に出た例のヒッチハイク強盗にやられたんですよ」
「えっ!?」
笑みを口許に凍りつかせながら、女は助手席で告白した男を見た。
男はレジ袋を後ろに戻してから前を向く。
「自分でもお人好しだったと思います。こんな道の真ん中に立っている男を怪しまなかっただなんて。親切に乗っけてやったら、いきなり飛び出しナイフを突きつけてきて、『降りろ!』ですもんね。抵抗するどころじゃなかった」
肩をすくめて話す男に、女はかぶりを振った。
「それであそこに置き去りってわけ? まあ、酷い目に遭ったことには同情するけれど、もう少し警戒心を持つべきだと忠告させてもらうわ」
「そんな。あなただって僕をこうやって車に乗せてくれたじゃないですか。もし僕がヒッチハイク強盗だったらどうするつもりです? ましてや、あなたは女性だ。見ず知らずの男を隣に乗せるだなんて」
男は反論した。しかし、女は自信満々に言う。
「私はそんなヘマをしないわ。私は充分に用心深いもの。あなたを乗せてあげたのだって、拳銃や刃物を持っていないと確かめたからよ。ちょっとでも怪しいと思っていたら、あのまま通り過ぎるつもりだった。あなたを跳ね飛ばしてでもね。だから私の親切に感謝して欲しいわ」
「そうですね。もちろん、感謝していますとも。けれど、やっぱりあなたは僕を乗せるべきではなかったかも」
男はそう言うと、いきなりダッシュボードを開けて、そこに手を突っ込んだ。次の瞬間、出された手に握られていたのは黒光りする拳銃だ。銃口を突きつけられ、女はギョッとした。サングラスをしていても驚愕で目を見開いているのが分かる。
「う、嘘でしょ……何で……?」
怯えながらハンドルを握る女に、男は油断なく笑いかけた。もう、車を乗っ取られたお人好しの被害者という面影は微塵もない。
「この車はね、ヒッチハイク強盗に盗まれた僕の車なんですよ。あのときは、いつもダッシュボードに入れている護身用の拳銃を取り出す暇がなかった。キミがどのような経緯であの強盗犯から僕の車をさらに奪ったのかは知らないけど、まさかこっちに戻って来るなんてね。こんな偶然があろうとは。――さあ、車をUターンしてもらおうか。キミが強盗犯を置き去りしたところまで案内してもらってから警察へ行くとしよう」