火の熾されない暖炉が日本の洋館に築かれた訳
挿絵の画像を作成する際には、「AIイラストくん」を使用させて頂きました。
画商を生業とする夫の都合もあり、我がブリュンヒルデ公爵家はフィンランドから日本の堺県へと生活の拠点を移す事となりましたの。
夫の商いは軌道に乗り、ハープ奏者の私も地元の交響楽団に所属し演奏活動に勤しめるようになりましたわ。
それに加えて公爵家の家格に相応しい瀟洒な洋館に起居する事が出来たのですから、此度の移住は正解と言えるでしょうね。
とはいえ私共の住まう堺県堺市が御座いますのは、温暖な気候の西日本。
北欧風の洋館の普請との間に多少の齟齬が生じるのは、致し方御座いませんね。
居間に設けられた暖炉は、その最たる例でしょう。
日本へ越して以来、この暖炉で火を熾した事は一度も御座いませんの。
北欧で生まれ育った私と夫は、「暖炉は居間に当然存在する物」と解釈しておりましたの。
ところが、そんな無用な暖炉の存在を小学生になる長女が疑問に感じるのも、それはそれで無理からぬ事でしたわ。
「居間の暖炉は何の目的で御座いますの、お母様?北欧なら兎も角、この堺県が暖炉を要する程に冷え込む事は御座いませんのに。」
「うっ!そうですわね、フレイア…」
次の演奏会の衣装選びに勤しんでおりました私は、娘の質問に思わず口籠ってしまいましたの。
至って真っ当な疑問では御座いますが、果たして娘に如何様に答えた物か。
されど、これは北欧出身の私共が暖炉を求める理由を再認識する良い機会。
ここで考えを纏めるのも悪くは御座いませんわ。
「いい事、フレイア?欧州に起源を持つ私共にとって、暖炉は家族の絆の象徴のような物。寒さの厳しい北欧では、家族全員が自ずと暖炉のある居間に集まっていたのですわ。」
こう娘に語りながら、私は自分の少女時代を思い起こしておりましたの。
祖父母に怪談話を聞かせて貰う時。
母に友人関係の悩みを打ち明ける時。
家族との思い出のハイライトは、いつも暖炉の前でしたわ。
「暖房としては不必要でも、暖炉には一家の象徴として存在して欲しい。そんな思いが、私共にはあるのでしょうね。」
「成る程、一家の象徴…」
得心そうに頷く娘の様子は、何か腹に一物あるような意味ありげな物でしたの。
「それでは私も、家族である御母様に暖炉の前で打ち明け話をさせて頂きましょうか!実は私、御小遣いの値上げを所望致したく…」
「まあ、この子ったら…」
揉み手をする我が娘に呆れはしたものの、不思議と悪い気は致しませんの。
何故なら子供時代の私も、同じ事をしていたのですから。