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第2章-2

(かせ)ぐらい解いてくれてもいいだろ!」


 吐き捨てるように扉の向こうにいる騎士に訴えるも、返答はなかった。アルスはため息をついて、薄っぺらい布団に腰を下ろした。


 雨で全身ずぶ濡れの状態のまま、牢に放り込まれた。束ねた髪からは水が滴っている。そして、寒い。横になって膝を抱えて丸くなり、震える身体を必死に抑える。

 





 トア・ル森に入り、日が暮れても探し続けたが、結局奴と出会えなかった。例の事件から5日経っているので、いなくて当然だろうが、鳴りを潜めているかもしれないと諦めがつかなかった。


 その夜は魔物に気をつけながら野宿をし、冷たい雨粒が額に当たって目が覚めた。夜明けとともに空が暴れ始めた。荒れ狂う風、白煙を起こすほどの雨、そして雷鳴を轟かせた。


 こんな荒天でも魔物たちは活発で、容赦なく襲ってきたので、護身用の短剣を闇の力で鉤爪に変化させて装備し、刃を振るっていた。


 昼なのか日が暮れようとしているのか全くわからなかった。冷たい雨からみぞれに変わり始めた頃、いつの間にか森の端、谷の入口に辿り着いていた。


 門番は虎のような足を持つ半獣だった。その数4にんほど。こちらを見るなり駆け寄ったかと思うと、突然ふたりが宙を舞ってアルスの背後をとらえ、素早く弓を(つが)えて狙いを定めた。


「振り向くな。そのままその爪をしまえ」


 あまりの速さに構えることすらできなかった。矢はアルスの頭部と心の臓付近に向けられていて、逆らえば即死する距離だった。爪から短剣に戻す。残りのふたりがそれを取り上げると同時に右手に枷を掛けた。


「おい……どういうことだ」


 門番たちを睨むも、彼らは何も答えない。黙って反対の手首にも素早く枷を掛けると、鎖を引っ張ったので抵抗した。すると矢を番えていたひとりが足元に向けて放った。矢はアルスの右足のすぐそばに深々と刺さった。


「……俺が何したって言うんだ」


 鎖を握った門番と対峙する。相手は目を細めて注意深くアルスの眼を見た。


 隣にいた門番……そいつだけ装備が豪奢(ごうしゃ)なのでおそらく長だろうと思った……に目配せした。すると、長らしい門番がこちらを向いて、低い声でこう述べたのだった。


「……ダーラム騎兵からの命で、お前を拘束する」


 門をくぐって深い谷を進み、四半刻(約15分)程経ってややひらけた場所に着いた。風の国ヴェントルの首都エクセレビスだった。ひと気のない城下町を抜け、大地の裂け目を上手く使って築かれた、街最大の建造物であるウィンシス城に連行された。


 特に何か調べられることもなく、牢にぶち込まれて今に至る。






 じっと自分の両手を眺める。枷は冷たく手首を掴み、肩幅ぐらいしか広げられない長さの鎖で繋がっていた。


 短剣も没収されて、なす術がない。部屋はどんどん冷えていく。震えが増して奥歯がカチカチと音を立てる。


 しばらくして、軽い足音が聞こえてきた。見張りの騎士と一言二言交わすと、扉が重い音を立てて開いた。起き上がりたかったが、視界が霞み、寒さとコートの重みに倦怠感が加わって無理だった。


 部屋に入ってきたヒトはアルスを見るなり驚愕した。そして、周りにいた騎士たちを一喝した。


「今すぐ彼の枷を解きなさい!」


 声の主は女性だった。突然の命令に困惑する騎士たちに、さらにたたみかける。


「ダーラムから何と命令されたのですか?彼を『保護しろ』だったでしょう?」


 保護と拘束は全然違うよな、とアルスはだんだん意識が遠ざかっていくのを感じながら思う。


「……ですがミスティア様、抵抗するなら拘束して構わないと……」


 抵抗する前に拘束されたのだが……とアルスは不満に思った。


「だからって外さずに放り込むのは間違ってる!早く取って!……それから『彼』を呼んできて!」


 彼女……ミスティアは騎士たちが慌てて散っていくのを睨んでいた。ひとりがアルスに近寄り、そっと枷を外すと、そそくさと出ていった。


 ふたりだけになり静かになると、彼女はアルスを抱き起こしてコートを脱がし、自分の着ていたローブを脱いで彼を包んだ。


「……アルス、しっかりして!」


 両手で頬を挟まれるようにして叩かれた。消えかかっていた意識が一気に戻ってきた。


 焦点が徐々に合ってきて、ようやく彼女を捉えた。美しい銀髪を高い位置でお団子にし、(かんざし)をつけている。


 七分袖の淡い水色のブラウスとゆったりとした白いズボン、青と緑で編まれた腰紐には翡翠石が一つ付いたブレスレットのようなものを付けていた。


 彼女はアルスの頬からすらりとした手を離し、束ねた髪を軽く絞った。水溜りができるほど落ちていき、アルスを包んでいたローブも少し濡れてしまった。


 かけてもらったローブはほんのり暖かかったが、すぐに冷たくなってしまった。息を吐けば白くなる。震えは相変わらず止まらない。


 寒いはずなのに、発汗していることに気づいたミスティアは、アルスの首に手の甲を当てた。


「大変……酷い熱」


 その声は憤りを露わにしていた。怒りは濃い紫色の靄で見えるのだが、噴火するように現れて目を見開いた。


 驚いた表情には気づかず、アルスをそっと横に寝かせると、「すぐ戻るから」と言ってコートを持って立ち上がり、牢を急いで出て行った。


 再び静寂に包まれた。自分の息づかいだけが響いている。高熱で震えているのか寒くて震えているのか、もはやどうでもよくなっていた。


 ここで眠ると二度と起きられない気がしながらも、どっと押し寄せてきた睡魔に勝てなかった。瞬きのつもりで目を閉じた瞬間、意識が消えた。



           ✳︎ ✳︎ ✳︎



 嵐が去ったのは、夜も遅くになってからだった。


 雨がみぞれになり、やがて雪に変わっても、ヘイレンは朝からずっと外を眺めていた。


「少しは食べたらどう?」


 飲まず食わずでソファから動こうとしない彼の横に座りながら、シェラは声をかけた。窓からやっと視線を移した彼の目は充血し、顔は涙でぐちゃぐちゃだった。思わず手に持っていた器を落としそうになる。


 かける言葉を失ったので、黙ってヘイレンに器を差し出した。人参や青菜が入ったスープだ。ふわりといい香りがしたのか、彼は座り直して顔をローブの袖で拭き、器を受け取った。


「……美味しい」


 ぽつりと言うと、スプーンを持つ手が止まらなくなり、あっという間に空になった。相当空腹だったようだ。


「何度もヘイレンを呼んでたんだけどね」


 彼からスプーンと器を受け取りながら、やや呆れて言った。消え入るような声で「ごめんなさい」と謝られる。


「アルス……無事かな……」


 また涙をこぼし始める。こんなにも心配されているアルスは、未だに帰ってこない。トア・ル森で遭難しているのではないかと不安になっていた。


 ダーラムから森への街道はまっすぐ東に伸びている。森に入ってからもまっすぐ道が伸びており、進むと首都エクセレビスに繋がる門に着くのだが、途中の小道に入ったりすると、もはや迷いの森である。


 迷ってしまって魔物の餌食になることも少なくないが、その点は心配ない。しかし例の靄に遭遇していたら……また力を奪われたりして倒れていたら……。


 嫌な結末しか考えられないのは良くない。どこかで雨風を凌いで何とか生きていると信じよう。自分も弱気になっていたらダメだ。そう心の中で言い聞かせる。


「たぶん、この感じだと明日は晴れそうだね。朝から出発してアルスを探しに行こう」


 言うと、ヘイレンの眼が希望の光を放った。強く頷いたのを見て、シェラは早く寝るように促した。


 彼がベッドに潜り込んだ時、ドアをノックする音がしたかと思うと、勢いよく開いてウィージャが入ってきた。息が切れているので、急いできたのだろう。


「アルスが……」

「アルス!?」


 ふたりは息を呑む。3呼吸程したのち、落ち着き払った声で言った。


「風の国の騎士達に保護されたそうだ。今はエクセレビスにいる」




           ✳︎ ✳︎ ✳︎




 気がつくと、薄っぺらい布団ではなくふかふかのベッドの上だった。


 芯から冷えていた身体は温かみを取り戻し、びしょ濡れだった髪もすっかり乾いていた。


 アルスはゆっくり起き上がる。まだ頭がぼんやりしていた。熱っぽいのか、頭痛がする。


 額を押さえてマッサージをするように手を動かしていると、隣の部屋から誰かが盆を下げて入ってきた。


「起き上がれたのね。調子はどう?」


 ベッドのそばのテーブルに盆を置いて、ミスティアは彼の様子を伺った。症状をぽつりぽつりと話す度に、彼女は相槌をうつ。


「もう少し眠ったほうがいいかもね」


 そう言いながら、盆を一瞥した。

「食欲はある?」


 黙って頷くと、じゃあこれを、と盆ごとアルスの腿の上に優しく置いた。小さな土鍋の蓋を開けると、溶き卵とネギが入った雑炊だった。


 湯気が出汁の香りを運んできた時、アルスの胃が空腹を主張した。ミスティアはふふっと微笑む。


「熱いから気をつけてね」


 とだけ言って部屋を出て行った。その間、腹の虫が鳴ったことが恥ずかしくて顔を上げられなかった。


 森の中にいる間、何も食べていなかった事をふと思い出した。アルスはゆっくり雑炊を味わった。






 アルスが牢で意識を失った後、ミスティアは門番に呼ぶように言いつけていた『彼』を連れて戻ってきた。慌てる様子もなく冷静に脈を取り、異常なしとわかると持ってきた毛布でしっかり包み、『彼』に運ばせた。髪を乾かし服を着替え、ベッドに寝かせた。


 空っぽになった器を預かり、暖かいハーブティーを渡しながら、彼女はこれまでの経緯をそう話した。


「あなたを拘束した門番達、王にこっぴどく叱られてたわ。扱いが酷いって」

「……数日前に森で起きた事件の犯人によく似ていたからじゃないのか?」

「……知ってるの?その事件のこと」


 シェラから聞いたこと、その犯人を探すべく森に入っていたことを話すと、彼女の表情が曇った。


「なんでそんな危険な奴を探してたわけ?」


 それは、と言いかけて躊躇(ちゅうちょ)した。今更ながら、シェラに自分が『黒の一族』であるようなニュアンスを含めた言い方をしたな、と気づいて少し後悔した。彼は何も言ってこなかったが、どう捉えているだろうか……。


 滅びたはずの一族がいるなんてありえない。オッドアイは偶然だろ。そう思っていて欲しいのだが。


「……アルス?」


 呼ばれて我に帰った。彼女はため息をついた。


「その辺の魔物をあっさり倒すほど強いのはわかってるけど……今回は只者じゃないって王が仰っていたわ。まあ、目撃者が子供だから、正直一言一句信じるとはいかないけど」


 アルスは黙ってハーブティーを飲む。甘酸っぱいローズマリーは彼女のお気に入りだ。


「熱が下がって元気になったとしても、あなたを外に出すわけにはいかないの。見間違えられて矢を射られちゃうかもしれないし」


 風の国ヴェントルの主たる武器は弓。門番も使っていたが、この国の民は弓の使い手が多い。また、半数以上がヒトと獣の混血、つまり半獣だ。


 アルスをこの部屋まで運んだ『彼』も、背丈は2mを越す巨大な熊の体型だが、胸から上はヒトの姿である。腕は筋肉隆々で、彼を運ぶ際も軽々と抱き上げていったそうだ。


 見間違えられる、か。どこへ行っても疑われるぞ、というダーラムの騎士の言葉を思い出した。


「あと、これは王の命令だから逆らえないのよ。どうしてもあなたを守りたいみたいね」


 王の命令と聞いて落胆した。アルスが守られる性分ではないことは、王も知っているだろうに。少し苛立ってハーブティーをあおった。


「一刻も早く探し出して捕らえたいとみんなが思ってる。捕らえるというより……討伐かもしれないけど。相手が魔物の類なら、ね」


 そう言って、ミスティアもハーブティーを飲み干した。






 胃も話も落ち着いたので、もう一眠りしようと横になった時である。突然高い耳鳴りと頭痛が襲ってきて思わず右手でこめかみを押さえた。


「アルス……!?」


 ミスティアが持っていこうとしたコップをテーブルに置き、膝をついてアルスの右手に触れた。


「なに……何が起きてるの!?」


 声が出せない程の頭痛だった。この症状は樹海やポルテニエでも経験したやつと同じだった。


 あの靄が近くにいるのだ。


「……い…る」

「え?」

「近くに……きて……る。奴が……」


 やっと絞り出したが、息が止まりそうなほど苦しい。


 ミスティアは何か気配を感じたようで、そっと手を離して立ち上がると、振り返って部屋の扉側に向き右手を額に近づけた。素早く呪文を唱えて手を突き出すと、扉付近が白い霧で包まれた。


 何かが近くで暴れるような音がした。その音で緊張感が一気に高まる。アルスも必死に右目をこじ開けて扉を睨む。白い霧と壁で見えないはずのその場所に、青白く光るヒト型の物体と、それを取り巻く黒い靄がはっきり見えた。


 凝視するアルスを横目に、ミスティアはさらに呪文を唱えた。部屋に入ってきた黒い靄を白い霧が包み込み、可視化させた。


 霧は黒い靄と混じり、同時に消えた。青白い光が徐々に消えていくと、アルスによく似た体格の男が現れた。左眼から赤い光を放っているように見えた。


 ミスティアが恐怖を覚えたのを感じた。一歩下がった瞬間、突然頭痛と耳鳴りが消えた。


 アルスは反射的に身を起こしてベッドから飛び出し、彼女の腕を引っ張って倒した。頭上を赤と紫が混じった光が通っていき、壁に穴を開けた。


 瞬時に立ち上がり、右手を相手に向けて念じる。相手も同じように左手をかざした。闇の魔法同士がぶつかり、どぅん、と低い音が響き、波動を受けた。


 相手は壁にぶつかったが、アルスは数ミリ下がった程度ですんだ。


 しばし睨み合う。先に口を開いたのはアルスだった。


「……森でヒトを殺したのはお前か?」


 めり込んだ壁からゆっくり脱して、何食わぬ顔で立ち上がると、じっとアルスの眼を見て驚いた。


『その眼……まさか……』

「俺の質問に答えろ!」

『アーデルの……末裔……か?』

「なっ……」


 緊張の糸が一瞬緩み、右手を下ろしかけたが、すぐに構え直した。


「……もう一度聞く。森でヒトを殺したのは……」

『私ではない』


 今度は被せるように即答した。


「あんたじゃなきゃ誰なのよ……」


 背後でミスティアが声を震わせながら言った。


「お前……何者だ?ポルテニエでも俺を襲ったのはお前だろ?ヒトの魔力を奪っておいて、まだ奪い足りないのか?何のために俺を襲う!?」


 相手はしばしアルスを見つめる。懐かしむような眼差しをよこしてくるのが、気味悪かった。相手の魔力が少し弱り、攻撃をするような気配も薄れていた。


『強い闇の力を感じたから奪ったまでだ。だが……もうお前を襲うことは……ない』


 そう言うと、目を見開き、風を起こした。きん、と高音の耳鳴りがきて思わず目を伏せる。その僅かな時間の間に、相手は姿を消した。


 耳鳴りが止まり、そっと目を開ける。崩れたはずの壁が何事もなかったかのように綺麗になっていた。


 呆気に取られていると、扉の向こうから走ってくる音がした。


「大丈夫ですか!?」


 金の糸で装飾された豪奢な淡い緑色のローブを纏った青年が息を切らして飛び込んできた。

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