幕間
水界に再び現れた時空の裂け目に入り込み、今度こそ天空界へと、見えた光の線目掛けて飛び出した。
そこは空ではなく、見慣れた光景だった。
目の前に広がるは、小さな浜辺だった。溺れることなく浅瀬に佇んでいたが、まさかの同じ場所に開いた口が塞がらない。
ゆっくりと浜辺にあがり、岩の洞窟を覗いてみた。所々苔むしていて、壁にひびが入っている。さっきと造りは一緒だが、年月を重ねているような印象を受けた。
「貴方は……!」
洞窟の奥から姿を現したのは、あの女性だった。容姿は全く変わっていない。
「……私は戻ってきてしまったのか?」
戸惑いながら尋ねると、彼女は首を横に振った。
「ここは100年に一度裂け目が起きる……とお伝えした記憶がございます。つまり……」
「ここはあれから100年後の水界、ということか」
ええ、とゆっくり頷いた。その眼はどこか怯えていた。
「あの……お話してもよろしいでしょうか」
声が震えている。何でも言えと促すと、目を閉じて一呼吸おいた後、鋭い視線をよこしてきた。
「100年前、貴方が時空の裂け目に入り込んだ後、私はポセイルの長を訪ねました。オッドアイの方がこの地へ降り立ったと、ご報告をしに」
すると長は驚愕し、ありえないと述べた。『黒の一族』は数百年前にホーリアに滅ぼされたはずだ、何故時空の裂け目から現れたのだ、と。そして、裂け目が2度続けて起きたことも訝しんでいた。
「これはあくまでも推測に過ぎませんが……貴方が水界に来た時の裂け目は、ご自身で作られたものではないかと……。そして、少し経って、本物の裂け目が出現し、貴方は入って行かれた……」
「……確かに自分で裂け目を作ってそこに逃げ込んだ。聖なる光から逃れる為に……」
彼女は言葉を飲み込んだ。
「あの時裂け目を作って逃げなければ、エフーシオの民は全滅していたということか。私だけが生き残ったということになるが、世間は『滅びた』としているんだな」
ややあって、ゆっくり頷いた。鋭い眼差しは消え、憂いを帯びた顔つきに変わっていた。
「で、その推測を私に伝えたかっただけではなかろう?何が言いたい?」
「それは……」
それ以上発することができないようだった。手が震えていて、明らかに恐怖を抱かれている。彼女の周りに薄っすらと薄紫の靄がかかりだした。
「私が天空界に戻ろうとしたのは、聖なる国ホーリアへの復讐の為だ」
はっきり述べてやった途端、口を両手で覆い、驚愕し、数歩下がっていった。
「我々の力がいつか厄災を招くと決めつけて、突然国を滅ぼした。事が起きる前に滅ぼしてしまおうと。それこそが我々にとっての厄災だった。別に他国に攻撃を仕掛けるなどしていないのに、何故滅ぼされなければいけないのか……!」
怒りが込み上げてくる。確かに闇の力で後のエフーシオとなる国の先住民を脅し、支配した。だがその一方で、怒りや憎しみといった闇を持ったヒトビトを救い続けてきた。
一族は闇を喰らい、闇で支配する。外から見ると恐ろしい光景だったのかもしれない。だから他国とは一切干渉せず、孤立を選んだ。関わればそれこそ支配するかされるか、戦争に繋がる世界。自分たちだけで静かに生きていくつもりだったのに、それを壊したのは聖なる国だ。
「一方的に破壊され、国を失い、民をも失った。私は必ず一族の仇を取る。ホーリアを……滅ぼす!」
左手を彼女に向けて突き出した。黒い靄がすうっと手に吸い寄ってくる。『闇を喰らう』魔術。アーデルの血を引く一族のみが使える技。
全て吸い取ると、彼女は意識を失いその場に倒れかかった。身体を支え、そっと抱き上げて洞窟の奥へと運んだ。寝台らしき岩にそっと寝かせ、外に出た。
浜辺に何かいた。それはヒトではなかった。すらりとした真っ白な身体と、金色に輝く眼と鬣。耳をこちらに向けてじっと見つめてきた。
「彼女は無事だ。奥で眠っている。……そこをどいてくれないか」
ゆっくりとそれに近づくと、踵を返して少し逃げた。自分との距離は5、6馬身程だろうか。様子を伺っている。構わず左手を海に向かってかざした。先程得た闇の力を使い、横一線を書くようにして空間を切り裂いた。
きん、と金属が擦れるような音とともに、漆黒の空間が口を開けた。風がどっと吹き、身体が吸い込まれる。裂け目に飛び込むと、割れるような頭痛と目眩が起きた。
空へ……天空界へ……向かわせてくれ!
念じたところでこの空間が言うことを聞くはずがないのだが、痛みと気持ち悪さに耐えながら、その先に見える小さな光に手を伸ばした。