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第1章-2

赤と紫が入り混じる炎が大地を燃やしていた。逃げ惑うヒトビトに容赦なく襲いかかる。ひとり、またひとりと倒れていく。中心部の城も破壊された。


 瓦礫と化した城からかろうじて逃げ出した私と側近たちの前に、ひとりの男が舞い降りた。その姿はがたいが良く、黒の衣を纏い、右手には例の炎、左手には細長い(つるぎ)、右目は紫、左目は紅玉髄(カーネリアン)の色に染まっていた。


 私を守るように側近たちが立ちはだかるが、あっけなく炎で焼失させられた。私は消えゆく側近たちではなく、目の前のジンブツをじっと見つめていた。

 剣が迫ってくる。私は目を閉じ、己の最期を悟った……。



            *



 剣が刺さる直前、アルスは目を覚ました。呼吸は荒く、冷や汗が噴き出ていた。いやにリアルな夢だった。自分がどこかの王の目線で、禍々しい闇を纏った男に抵抗もなく刺されようとしていた。


 ……考えるのはよそう。


 窓のそばの壁に寄りかかるようにして眠っていたせいか、身体が痛む。伸びをして体をほぐす。


 窓から朝の日差しが柔らかく差し込んでくる。ヘイレンもそろそろ起きてくる頃だろう。アルスは朝食の支度をしようと立ち上がったが、目眩を起こした。立ちくらみとは珍しい。悪夢を見たせいか。だがそれはすぐに治った。


 少しして、ヘイレンが寝室から寝ぼけ眼のまま出てきた。うーんと背伸びをし、目を擦って眠気を覚まそうとするが、パンの焼ける香りで一気に覚醒した。


「すごくいい香り……!これはなに?」

「パンを軽く焼いたものだが……見るの初めてか?」

「うん……」

「……あ、記憶無いんだっけ」


 それはそうだけど、と言いつつ、焼き立てのパンをまじまじと観察していた。


「…たぶん、ボク、食べたことないかも」


 普段何を食べていたのだろうか……。アルスは彼を椅子に座らせ、パンを手に取り、面積の半分くらいにバターを薄く塗って渡した。


「そのままでもいいんだが、こうやってバターやジャムを塗って食べるのも美味(うま)い。でも食べたことがないのなら、何も塗ってないそのままのパンと両方味わってみな」


 ヘイレンは嬉しそうに礼を言い、まずは「そのまま」の部分をかじった。しばらく噛みしめ、こくんと飲み込むと、動きが止まった。


 黙って様子を見ていたが、あまりにも長く固まっているので思わず「口に合わなかったか?」と声をかけた。ハッとして首を振る。


「パンって何からできてるの?」

「主に小麦だが」

「こむぎ……こんな味なんだね。美味しい」


 固まるほど美味かったのか……。今度はバターを塗った部分をひとかじりすると、味の違いに小さく飛び上がった。


「全然違うね!おおー」


 いちいち反応が幼く見える。食べ終えた後、どちらが美味かったか何となく聞いてみたが、彼は「そのまま」が好きだと返してきた。


 素材の味が感じられるから、だそうだ。






 ひと段落して、アルスはシェラと会うために出かける支度をしていた。すっかり乾いたフード付きの黒いコートを羽織り、ベルトに護身用の短剣を差した


 支度を終えたところへ、ヘイレンも昨日着ていたローブを纏って寝室から出てきた。やはりサイズが合っていないように見えるが、致し方ない。


「これからダーラムという都市に行く。お前ひとりここに残すわけにもいかないから、悪いがついてきてもらうぞ」


 ヘイレンは黙って頷いた。


 王宮都市ダーラムへは、樹海を出て海岸を通り一旦港町ポルテニエに入る。町の東から出てダーラムに続く街道を進む。港町から見ると南東に位置するその都市は、地の国アーステラの首都である。


 樹海の真東に位置していて直接向かうことは可能ではあるが、ポルテニエを経由するにはちゃんとした訳がある。樹海からだと道なき道を進まねばならず、薄暗い上に魔物がうろついているので、出くわすと厄介だ。ましてや今日はヘイレンも一緒なので、彼を危険に晒したくない。


 扉を開けたその先で、ヒトひとり乗れそうなほどの大きな狼が1頭、こちらを見据えていた。ヘイレンは思わずアルスの後ろに隠れて身を縮めた。


「大丈夫だ、獲って食ったりしない」


 アルスは構わず狼に近づいた。狼も彼に近づく。額に手をかざすと、うっすらと紋様が蒼く光った。それはすぐに消えたかと思うと、甘えるように彼に擦り寄った。置いていかれたヘイレンは、その場でぽかんとしている。


 懐いている……?このヒトいったい……。


 いつの間にかヘイレンのそばにアルスと狼がいて、思わず「わっ」と変な声を出した。


「海岸までコイツに乗せてもらえ。薄暗くて足場が悪いから、病み上がりには少々危険だ」

「の、乗るの!?」


 今にも腰が抜けそうな様子。狼の肩がヘイレンの頭よりも高い位置にあるくらいの大きさだから、無理もないか。小さく息をついて、狼の首元を撫でた。


「……ヴァナ、すまないが、先頭を歩いて道を照らしてくれないか?」


 ヴァナと呼ばれた狼は、鼻を鳴らして踵を返した。


「ちと強引だったな……すまない」


 ヘイレンは口をぱくぱくさせていたが、一息ついてから「大丈夫」と声を絞り出した。ヴァナと3馬身程距離を保ちながら、海岸へ向かった。






 ヴァナの額の紋様が照らす光は青白く、美しかった。森の中もよく見えた。アルスは、地に落ちている木の枝を踏む音に飛び上がりながらも前を行くヘイレンを、眺めながら歩いていた。


 やがて、樹海の出入口が見えてきた。先に着いたヴァナは額の光を抑えてこちらを向いた。思わず立ち止まるヘイレンの背中を押して進ませる。外からの光の方が強くなってきたあたりで、狼は海岸に出てアルスたちと距離を取る。


 砂浜に一歩踏み入れた瞬間、ヘイレンは目を見開いた。目の前に広がるは、青くどこまでも続く海。空は青白く、陽の光が海岸をやんわり照らしていた。


 先程までの怯えも吹っ飛んだようで、波打ち際まで駆け寄り、波が押し寄せたり引いていったりする様子を興味津々に眺めていた。


 アルスはヴァナに近づき、首元を愛撫した。ヴァナもまた、甘え声を出して顔をこすりつけてきた。

「助かった。……まあ、そのうち慣れてくれるだろ」


 ヴァナは顔を上げヘイレンを見つめる。彼はまだ波に夢中だ。狼は一息つくと、もう一度アルスに首元を撫でてもらい、静かに樹海へと戻っていった。暗闇に消えるのを見届けてから、ヘイレンのもとへ行く。


「とても綺麗な景色だね……」


 ヘイレンの視線は、いつの間にか波から水平線へと変わっていた。その横顔は、どこか寂しげだった。


「……ボク、この辺で倒れてたんだよね?」

「ああ……」

「ボク……なんか……思い出せそう……」


 少し俯き目を閉じてじっと考える。次第に眉間に皺を寄せ、額に手を当てた。黙って様子を見守るが、だめだー、と頭を振った。


「思い出せそうで思い出せない……」

「無理に思い出そうとするな。頭痛が来るぞ」

「……うん。でも……うー……なんだろうこれ……気持ち悪い」


 喉元まで出かかっているような感覚だろう。そのうち思い出すだろうから、今は先を急ごう、と促すと、ややあって「そうだね」と頷いた。


 家を出てから半刻(約1時間)程経って、ようやく港町ポルテニエに到着した。アルスの足だけだと小半刻(約30分)以内で行ける距離なのだが、立ち止まったりヘイレンの歩調に合わせたりしたので、倍程かかることは想定していた。


 ポルテニエは漁業が盛んで、早朝の水揚げから競り市、そして各地へ運搬されていく時まで大いに賑わう。水産場を抜けると町の中心部となる商店街があり、こちらもまた賑わっているはずだった。しかし今日は、様子が明らかに違っていた。


 ヒトが全く出歩いていないのだ。


「なんか……静かだね……怖いぐらいに」


 ヘイレンが思わず不安を口にする。ポルテニエの中心部を通って東へ抜けなければダーラムへの街道に出られない。不穏に感じながら前に進む。


「俺のそばから離れるなよ」


 やや強い口調にヘイレンは驚くが、察したのだろう、強く頷いてアルスのコートの裾を握った。……少し歩きづらくなったが、構わず進む。大柄で大股な歩調に、やや小走りで必死についてくるヘイレン。


 静まり返った港町は、異様な(もや)に包まれていた。中心部の商店街に差し掛かった時、突然風が吹き荒れた。


 立ち止まるとヘイレンはアルスの後ろに隠れ、さらにコートを両手でしっかり握りしめた。恐怖の震えがじわりと伝わってきた。


「怖い……なんかいる……気がする……」


 あたりを見回すが、それらしい影は認められなかった。しかし、微かに、『心の闇』を感じ取った。強く禍々しい、怨みと怒りと少しの悲しみ。


 突如強い頭痛が起きた。あの時と同じようなものだった。閃光が走り、焦点が合わなくなる。倒れそうになるのを必死に堪えるも、激しい目眩が追い討ちをかけてきた。


 片膝をついた瞬間、全身に力が入らなくなり、そのまま前に突っ伏した。コートをしっかり握っていたヘイレンも巻き添えをくらってひっくり返り、上に重なってきた。


「アルスぅ……しっかりぃ……」


 彼の声も苦しそうだった。僅かに戻った力を振り絞り、身体を(もじ)らせてヘイレンを抱きしめた。


 靄はアルスたちを囲ってぐるぐる回っており、低い唸り声を発している。ヘイレンはコートをしっかり握りしめ、歯を食いしばって震えている。靄が不意に上昇したかと思うと、一気にアルスたちにぶち当たってきた。


 ヘイレンをしっかり身体で守ることしかできなかった。背に切れるような痛みが走る。失いそうになる意識を必死に呼び戻す。


 ここで気絶したらヘイレンが危ない。耐えろ!


 すると、靄がアルスの脳内に語りかけてきた。


『や……みを……よ……こせ……』


 刹那、吸い取られる感覚に見舞われた。コートを掴まれている感覚が無くなり、ヘイレンの存在も消えていった。自分の生命力が奪われているのか、ヘイレン自身が捕われてしまったのか、わからなかった。


 そして、全ての感覚が無くなった。






 やわらかな光を感じ、アルスは目を覚ました。ヘイレンと目が合うなり、大粒の涙が降ってきた。


「ああ……よかった……」


 ぺたんと座り込んで泣きじゃくっているが、怪我をしていないか心配になった。起き上がろうとした途端、背中に痛みが走った。


 激痛で表情が歪むのを見て、ヘイレンはパニックになって手をバタつかせていた。大丈夫だ、となだめて気合いで身体を起こした。


 そして、自分はベッドの上だと気がついた。


「僕が向かっていなければ、命は無かったかもね」


 部屋に入ってきたのは、裾に水色の刺繍を施した白のローブを着た男だった。長身……といってもアルスよりは低いが……で細身、亜麻色の長い髪を一つに束ね、空色の眼をしていた。


「起き上がれたんだね。よかった」

「シェラ……助かった。礼を言う」


 シェラと呼ばれた男……シェラードは、やや俯き加減に首を横に振った。


「昨日は待てど暮らせど来ないから心配になって、ここまで来たのが夜だったから一泊して、起きたら外の様子が変だったので宿屋を出たら、黒い物体があなたを襲ってた。咄嗟に魔法を放ったら逃げていったよ」


 結局のところ、靄の正体はわからなかったが、シェラの氷魔法でアルスたちから離れ、海の方角へ逃げ消えていったそうだ。


「……昨日はすまなかった。ヘイレンを……海岸で倒れていたのを助けていた」


 そうみたいだね、とシェラは頷いて笑みを浮かべる。当の本人はパニックも治まり、涙で腫れぼったくなった目を擦っていた。


「それにしても……あなたがヒトを助けるのも死にかけるのも珍しいよね」


 ヒトを助けることは確かに珍しいだろう。というか、誰かを「助けた」のはこれが初めてかもしれない。他に覚えがないからだ。死にかけたことは過去にあるが、今はそんなことはどうでもよかった。


 アルスは自分に起きた異変を話した。シェラは憐れみの表情を浮かべてそれは大変だったね、と言ったのち、自分のローブを(めく)り、腰につけていたポーチから小さな袋を取り出し中身をアルスにわたした。それは小さく折りたたまれた紙だった。黙って開くと、そこにはこう記されていた。


『天、地、水界それぞれに時空の裂け目が出現。地から出でし者は、悍ましい闇を纏って地界のどこかへ飛び去るのを目撃』


 地界の主要都市の住民に読まれている掲載誌の一部分だった。読み終えてシェラに返す。おそらくアルスとヘイレンを襲った闇はコイツだろう。


「頭痛や目眩は、ヘイレンもあったの?」


 シェラが問うと、彼は首を横に振った。


「ボクはそういうのは無かったけど……ただ……息苦しかった」

「ふむ……。同じ場所にいて症状が違うのは、たぶん属性の問題かもしれないね」


 ヘイレンは「ゾクセイ」という単語に首を傾げる。ざっくり言うと自分の特性……どんな魔法が使えるかとか、何の種族なのかとか、そんな感じ、とシェラが教えた。


「同じ属性だと、頭痛や目眩を起こさせて相手の動きを止めてしまうのかな。まあ、実態がわからないから何とも言えないね……」


 シェラはため息をついた。……沈黙が降りてくる。






「……靄の話はこれくらいにして、本題に入ろうか」


 シェラが近くに置いてあった椅子に座る。地べたに座っていたヘイレンも立ち上がり、同じように椅子に座った。


「さっきの紙きれを見せるために、呼んだわけじゃないんだな」


 アルスの問いに「これはついでかな」と言いつつ小さく笑う。少しして、最近こんな噂を聞いたんだ、と笑顔を消して話し始めた。


「巡礼で訪れた町で聞いたんだけど、最近、霊体が突然現れたらしい……」


 ……突然の怪談話に思考が一時停止した。


 霊体とはいわゆる『幽霊』の類のものだが、死者が逝く先の世界とされる『霊界』から、何らかの手段で地界や天空界に這い出てきた物体を示す。

 この世界では、霊体が徘徊することは珍しくないのだが、噂をすれば何とやら、話題にすると寄ってきてしまうのだとか。


 なんだって?と思わず聞き返す。


「未練があって出てきてしまった個体ならよくある話だけど、この霊体は何者かに召喚されたモノらしい」


 そもそも召喚なんかできるシロモノだったか?自然と眉間に皺を寄せてしまう。話はさらに続く。


 とある森の中、何者かが霊体を召喚する瞬間を、たまたま近くにいた住民5、6名程が目撃した。が、逃げる間も無く命を奪われてしまった。死んだのは全員大人で、たったひとり生き残ったのだが、それは7、8歳くらいの子供だった。彼は必死に逃げ、自分の住む町に帰還できたのだが、その時に偶然シェラと出会い、この話をしてくれたという。


「霊体を召喚するなんて聞いたこと無いが、召喚士なら出来るものなのか?」


 シェラはまさか!と否定した。では一体誰が何の目的でそんなことをしたのだろう。


「黒っぽい服を着た身体の大きな男が女のヒトっぽい霊体を出してた、って少年は言ってたね。あと、目が光ってたとも。左右違う色だったって」


 左右違う色の目を持つ大柄な男……。アルスは俯きこめかみを押さえた。あの夢に出てきた男もそうだったような……。思った途端、ふわっと何かが覆い被さってきた感覚に陥り、低い耳鳴りが起き始めた。


 遠くで建物が崩れていく音、地面の草が燃えているにおい、そして生ぬるい風。見上げるとそこには、とてつもなく強い怨念を抱いており、漆黒と青紫の靄を纏い、オッドアイの目を光らせている……。


 話についていけなくてぽかんとしていたヘイレンの「大丈夫?」の声で、突如現実に引き戻された。はたと気がつくと、彼の手がアルスの肩を掴み、心配そうな眼差しでこちらの眼を覗き込んでいた。


 咄嗟に視線を逸らしたが、目眩を起こしてくらついた。シェラも腰を浮かせたが、ヘイレンが……今度はパニックにならず……落ち着いてアルスをゆっくりベッドに横たわらせた。


「怪我人には良くない話をしてしまったかも……」


 再び腰を下ろしたシェラは、ため息をついた。

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