表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/32

第6章-3

 からん、と何かが落ちた音でアルスは目を覚ました。


 視線の先には、ヴァルストが持っていた(つるぎ)が錆びついて横たわっている。その(かたわら)に見慣れない石が添えられていた。もっと近くで見ようとアルスはゆっくり起き上がって、静かに驚愕した。


 灰色の大地と(もや)がかかった空間と、無音の世界。見上げれば漆黒の闇。見回すが何も見えない。ヴァルストと共にいた空間とはまた違う場所にいるようだ。


 視線を石に戻す。座った状態で少し動いてそれを拾って眺めてみる。アルスの大きな手のひらの半分くらいの大きさで、色味は紅玉髄(カーネリアン)のそれだった。


 アーデルの血を引く『黒の一族』の成れの果ては、己の眼の色の石なのか?俺もいつかはこうなるのか?そんな事をぼんやり考えながら、剣に視線を移した。(つば)部分にいかにも石がはまりそうな溝があった。アルスはしばらく何も考えずにただただ見つめた。


 ひゅう、と風の音がした。無音で耳が痛かったのが和らいだ。顔を上げると、遠くに小さな光がぽつっと見えた。先程まで無かったはずの光。アルスは石を左手で持ち、剣を持って立ち上がった。何となく持って行った方がいいような気がしたからだ。


 光の方へとゆっくり歩み始める。一歩、また一歩と、寂れた大地を踏みしめていく。砂地のようで、ザッ、ザッと小さく音が鳴る。時折左右を確認するも、何も見えない。しかし前方の光は、少しずつ大きくなっている。少し歩みを速めた。


 どのくらい歩いたかはもうわからないが、光の正体がわかるくらいまで近づくと、アルスは足を止めた。それは左右にぼんやりと明かりを灯すランプだった。その真ん中に、地下へと続く階段がのびていた。


 降りるべきか少し迷い、何度目かの周囲を確認する。他に光るものは無い。空は相変わらずの闇。


 ひゅう、と冷たい風が見上げていたアルスの顎を撫でた。風の元は階段からだった。やはりここを降りるしかないのか。意を決して足を踏み入れた。


 暗闇でもはっきりモノが見える目でよかったとつくづく思う。剣は当たらないように握る手を胸元に寄せて慎重に降りていく。真っ直ぐ伸びる階段は、とても長く感じた。


 ようやく階段から平らな床へと変わった時には、何処を見ても漆黒の闇だった。灯が一切無い廊下を進む。冷たい風がアルスを誘う。そして、廊下が終わって小さな部屋に出た。


 ふと、手に温かいものを感じた。見ると紅玉髄がほんのり赤い光を出していた。それは光線となって先へと伸びた。何かを指し示すかのように。


 光を辿って進んでいくと、光は3段程の階段の上を示した。階段を上ると、剣が差せそうな台座があった。光はそこをずっと照らしている。


 アルスは右手で逆手に携えていた剣と、左手に持っていた紅玉髄とを交互に見た。石を鍔にそっと嵌め込むと、見事にピタリと合わさった。一呼吸置いて、剣を台座に差し込んだ。すると、紅玉髄の光が剣を覆い、台座に伝った。そしてアルスの足元を照らすと、一気に彼を包み込んだ。


 一瞬の赤い光の後、煌びやかな世界が広がる。眩しいという感覚はない。ただ明るい部屋へ移動したような感じだった。


 台座と剣は消え、何もない空間に立たされていた。いや、前方に玉座がぼんやりと見える。そこに座るは、黒いローブを纏ったジンブツ。真紅の右眼と紫の左眼。容姿端麗で、艶やかな長い白髪を左肩に流すようにおろしている。アルスとは3馬身程の距離だ。


赤右(せきう)の眼……』


 そのヒトはぼそりとそう呟き目を細める。ひとつため息をつくと、口角を少し上げた。


『其方が我の力を受け継ぎし末裔か……。時を超えしヴァルストの闇を取り込み、そして魂を葬った。見事よ……』


 これは褒められたのだろうか。意図がわからず無意識に首を傾げていた。相手はほくそ笑む。


『無の国エフーシオを闇の力で支配したが故に起きた滅亡。聖なる国ホーリアが手を出したのは何故か、其方は聞いておるか?』


 アルスは首を横に振った。何がきっかけだったのかは親も知らなかった。語り継がれていくうちに記憶から消えてしまったのだろう。相手はそうか、と俯く。


 一呼吸おいて、相手は口を開いた。


『彼らが邪の竜を生み出したからだ』


 アルスは目を見開き、言葉を失った。


『闇を取り込み己の糧となる前に囚われ、自我を失ったモノたちが、後のエフーシオとなる小さな町を支配した。彼らの用心棒として生み出されたのが邪の竜。しかし、彼らは憐れにも竜を扱えなかった。竜は自我に目覚め、彼らに支配されることを拒み暴走した。我は闇の国の王から状況を聞き、仕方なく竜を封印しに無の国へ赴いた。竜は我の声を聞き、従った。そして我の元についた。そして我が封印に竜は委ねた』


 しみじみと、過去を噛み締めるように語った。邪の竜……後に邪神竜となって封印を破り、暴走して地界を滅亡寸前にさせたあの竜を、目の前のジンブツは抑えたという……。


 あの封印はこのヒトの力だったのか、と感慨に耽る。


「……お前は……俺の先祖……なんだよな?お前が末裔って言うからには……」


 感慨に浸っていた相手は、すっとアルスを見た。


『いかにも、我がアーデルだ』


 またアルスは絶句した。闇の種族で、こんなにも美しく輝きのあるジンブツは見たことない。


 アーデルは心を読んだのか、ふふ、と笑った。不気味さを覚えながらも、アルスはここは何処なのか、元の世界に帰る方法はあるのかなど、矢継ぎ早に聞いた。一通り話してため息をひとつついてしばし、アーデルは玉座を立った。


『其方の生きた世界は常に変化する。時空の裂け目という、次元を狂わせる現象によって。時空の裂け目に飛び込んだモノによって、未来は変わる。……過去も変わる。ヴァルストは其方からすれば過去のモノ。現代に現れるまで存在しなかったモノ。自ら裂け目を生み出さなければ、あの時に死んでいたはずのモノ』


 質問の答えになっていなかったが、何となくアルスは、ヴァルストを屠ったことで世界は変わり、元々いた世界には戻れない、時間も空間も全くの別世界に飛ばされるのだろう、と思った。


 地界も天空界も激変して、見慣れぬ世界になっているかもしれない。自分の生きた時代から何百年も先の未来に降り立つのかもしれない。シェラやヘイレンたちに会うことも無いのかもしれない。あれこれ考えが巡るうちに、血の気が引いていった。


 俺は、ひとり何処へ行くのだろうか。


 刹那、酷い頭痛と目眩が襲った。アーデルの姿が歪む。


「待て!俺は……俺はどうなるんだ!」


 無意識にアーデルに向けて手を伸ばす。目を細め、微笑しただけだった。目眩の酷さに気絶した。






 ふん、と鼻を鳴らす音を聞いた。ゆっくり瞼を開けると、狼の鼻と口が視界いっぱいに入り込んだ。思わず飛び起きかけたが身体が鉛のように重く、顔を少し上を向かせることしか出来なかった。


「……ヴァナ?」


 額の紋様が、淡く青く光ってアルスを優しく照らしていた。撫でてやりたいのに、指すら動かせなかった。狼はそっと身体を伏せ、アルスにぴたりと寄り添った。ほんのり暖かい。


 自分は今何処にいるのだろうか。狼に添い寝されながらぼんやりと天井を見る。深緑と紺に染まった木々が折り重なるようにしてアルスを見下ろしている。よく見た光景だな、と思ってハッとした。


 ヴァナがいる森の中。樹海だった。しかも、アルスの生きてきた時代……。


 唯一動く首をヴァナに向けて呼んだ。狼は顔を上げてアルスに向く。起こしてくれと頼むと、むくりと起き上がって鼻でアルスの腕を浮かせて軽く咥えて引っ張った。起き上がれたものの、腹筋が役に立たずにまたどさりと地に倒れてしまった。ヴァナも困惑していた。


「く……」


 身体は全く言うことを聞いてくれない。ヴァナがもう一度アルスの腕を咥えて起こしてくれた。今度は倒れないように腕を咥えたままの姿勢を維持してくれたが、このままい続けてもいつか限界は来る。


 その時どこからか足音がした。アルスが目で合図すると、ぱっと口を開けて足音の方へと振り返った。案の定、アルスは力無く突っ伏した。


 顔が枯葉で(うず)もれ、息がし辛くなる。そばでヴァナが喉を低く鳴らして威嚇していたが、相手の姿を見た途端に甘え声を出した。敵ではないモノが来たという知らせだ。


「アルス!大丈夫か!?」


 久しく聞いていなかった声だった。駆け寄るなりヴァナと額を当て合って挨拶をし、突っ伏していたアルスを転がした。


「怪我は?動けないのか?骨でも折れてんのか!?」


 アルスのそばに「おすわり」して、アルティアは捲し立てる。鷲のような前脚を浮かし、開いたり閉じたりして落ち着かない。そしてうるさい。


「落ち着け。でかい声出すな。骨は折れてない。怪我も多分無い。ただ、力が入らない」


 アルティアはすん、と言われた通り急に落ち着きを取り戻すと、前脚でアルスの服を器用に掴んで引っ張り起こした。ヴァナがアルスの背に潜り込み、身体を預けさせてくれた。ようやく半身を起こすことができ、ふうとため息をついた。


「みんなでずっとアルスを探してたんだ。で、樹海の小屋に行って、やっぱりいないよねって話してたところに、急にシェラが頭押さえてさあ……。時空の裂け目が起きた時みたいな感じだって。それからだ、アルスの気配を感じたのは。オレ見てくる、っつって森に入ってヴァナを見つけて……」

「今に至る、ってか」


 そうそう!とアルティアは頭を上下に何度も振った。


「今、季節は?」


 アルスの急な問いにきょとんとするも、「日に日に暑くなってきて毛も生え替わってきてるなぁ」としみじみと答えた。ヴァルストと対峙した頃はまだ寒期だったのに、暖期も過ぎて暑期に入り始めた頃だという事に驚愕した。


「裂け目に入り込んで水界に行って……そこからラウルたちとはぐれて……みんなは元の世界に戻れたのか?」

「元の世界、ってのがオレにはピンと来ねーぞ」


 鋭い前脚の爪で口元を掻きながら困惑した顔を見せる。こんな幻獣他にいないぞと思いながら、アルスはまたため息をついた。……話を変えよう。


「……シェラは小屋に?」

「おう。夜の樹海は危険過ぎるから小屋から出るなと言ってきてるからな。でもアルスの様子を見てると、ポルテニエまで運ぶ方が先だな」


 そう言うと、アルティアはアルスの両脇の下に前脚を入れると、ぶん投げて自分の背中に乗せた。アルスの手を翼の付け根の前に垂れ下げ、足も跨る様な格好にする。幻獣の首元の白い毛が、アルスの顔を覆う。首は何とか動かせるので、慌てて横を向いて窒息を防いだ。


「相変わらず扱いが荒いな」

「動けないからしょうがねぇだろ!骨折れてないって言ってたし、ちゃんと乗っかったんだからいいだろ!」


 そう喚きながらも、アルティアは慎重に立ち上がり、ヴァナに先を照らしてもらい、樹海を歩き始める。2頭の足音が不思議と心地よく感じた。アルティアの背に揺られながら、アルスは安堵し、そのまま微睡に落ちていった。




           * * *




 ふわりとカモミールの香りが鼻をくすぐった。


 いつの間にか眠っていたらしい。突然酷い頭痛と目眩がした後、アルティアが何か言いながら小屋から離れていったところまでは覚えているのだが、ベッドまで自力で向かった記憶が無い。


 ゆっくり起きて伸びをする。まだ少し頭痛が残っていたが、そのうち気にならなくなるかな。シェラはそっとベッドを出た。


「おはよう、シェラ」


 焼きたてのパンを小さなテーブルに置く。ヘイレンはすっかりあどけなさが無くなり、好青年へと成長していた。いや、出会った頃から好青年だったのだが、どこか幼さが残る印象だった。頭の位置はシェラの胸元あたりだったのに、今では口元まで背が伸びた。フレイと同じくらいだろうか。


「調子はどう?まだ頭痛残ってる?」


 何も言っていないのに図星を突かれて苦笑した。そばの小さな椅子に座る様促されたので、シェラはおとなしく腰を下ろす。少しして、カモミールティーが入ったカップを2つ持ってきた。


「このカモミール、勝手に使って怒られないかな?」

「そんなことでアルスは怒らないよ」


 お互いに微笑する。小屋を訪れる前にポルテニエで買っておいたパンに、同じく買っておいたキューブ型のバターを乗せる。じんわり溶け始めたところをバターナイフで塗り広げて、口に持っていく。


「美味しいねこれ!」


 何も塗らない「そのまま」派のヘイレンは、一口食べるなり小さく飛び上がった。そういう反応は変わらないなとシェラは微笑んだ。


 パンを食べ終えカモミールティーを飲みながら、シェラとヘイレンは窓の向こうの景色を眺めていた。


 日が暮れてからの樹海入りは魔物に遭遇しやすいので本来避けた方が無難なのだが、「シェラもオレもいるから大丈夫っしょ!」とアルティアが随分と軽い口調で言うものなので、出会いませんようにと願いながら小屋へ向かった。


 なぜ樹海の小屋に来たかというと、ヘイレンが言い出したからである。海岸で倒れていた彼を保護し世話をしてくれた、アルスと初めて会った場所。そこにいつの間にか帰ってたりしないかな?と気にしたので向かったのだが、案の定そこに彼の姿は無かった。


 街に戻るのは翌朝にしようと小屋で一泊する準備を始めた直後、あの頭痛と目眩が起きた。時空の裂け目が発生する瞬間に必ず起こる現象だが、慣れるものではない。しかもいつもより酷かった。おそらく近い距離で起きたのだろう。


「アルティア、戻ってこないね……。大丈夫かな?」


 だんだんと不安な表情へと変わっていくヘイレン。シェラはカモミールティーを飲み干すと、彼を小屋に残して外に出た。朝日を浴びたかったのもある。


 うんと伸びをして深呼吸する。森の香りにほんの少しの潮の香りが混じっていた。ぬるい風が亜麻色の髪を撫でる。湿気で少し不快になった。


「森の香りが台無しな風だな……」


 思わず文句が出てしまった。風は獣の気配も運んできた。シェラは鬱蒼と茂る森の中をじっと目を凝らす。ぼんやりと青白い光を出しながら、狼が姿を現した。


 同タイミングでヘイレンが小屋から出てきた。ヴァナの姿を認めた途端一瞬固まるも、一息ついて身体をほぐす仕草をした。ヴァナを見ると必ずこうなる。


「これでも慣れたほうだよ……うん」


 初めての時は腰が抜ける寸前だったとか。今も少しへっぴり腰なのは黙っておこうとシェラは思った。


 当のヴァナは甘えるように喉を鳴らしながら、何かを伝えているようだった。シェラにはわからないので、ヘイレンに視線を送ると、彼は小さく頷いて獣と目を合わせた。様子を見守っていると、徐々にヘイレンの表情が晴れやかになっていった。もしかして……。


「アルスを見つけたんだって!アルティアがポルテニエに運んで行ったって。身体が動かせないらしいけど、ちゃんと話はできたって」


 シェラは胸を撫で下ろした。昨日のあれは、アルスが今の時代に放り出される為の時空の裂け目だったのだろう。そう思いたかった。


 ヴァナが海岸まで道を照らしてくれるというので、シェラとヘイレンは小屋を軽く掃除してから出かけた。はやる気持ちを抑えつつ、ふたりはヴァナと樹海を歩いた。


 海岸に出て狼を愛撫し、ポルテニエに向かう。心なしか早足だった。早く会いたい。無事である事をこの目で確かめたい。話したい事がたくさんあるんだ……!波の音からヒトの喧騒へ。広場に着くと、アルティアを囲むヒトだかりが出来ていた。


 幻獣はシェラたちを見つけると、くいっと鼻面で療養所の出入口を指した。ふたりは同時に小さく頷き、扉を開けた……。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ