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第5章-1

 シーナから吸い取った闇を己の身体に収め、ようやく苦痛から解放されたのは、東から陽光がダーラムを照らし始めた頃だった。


 カーテンが開いていたため、顔を照らされ思わず唸ってしまった。眩しかったので寝返りをうってから目を開けた。ゆっくり身体を起こして伸びをする。


 アルスは茫然としていた。シーナから転げ落ちて浮島に倒れた後、どうやってダーラムに戻ってきたのかわからなかったが、おそらくフレイが運んでくれたのだろうとは思っていた。


 その考えは当たっており、朝食を持って部屋に入ってきたミスティアが経緯を説明してくれた。


 動けそうだったので、テーブルに盆を置いてもらい、アルスはベッドから離れようとした。立ちあがろうとしてふらついたのを、ミスティアが支えた。


「まだ休んだほうがよくない?」

「……身体が鈍るのはごめんだ」


 そう言いながら、しっかり足腰に力を入れたが、ミスティアはアルスの右腕を自分の肩にまわし、その手をそっと掴みつつ左腕を腰に回した。


 ゆっくりテーブルに向かって歩き、椅子まで辿り着くとそっと座らせてくれた。


 その間、アルスは鼓動が少し速くなっていたのを感じていた。ミスティアに対して、この鼓動の変化は過去に無かった。どうしたものか。


「食欲があるならしっかり食べて。身体を動かすのはお腹を満たしてからね。随分と胃が鳴いてたわよ」


 このわずかな距離で腹の虫が主張を繰り返していたとは……全く意識していなかった。恥ずかしさが込み上げてきて思わず視線を逸らし、目の前の雑炊が入った腕を掴んだ。


 いつか作ってくれた、あの雑炊と同じ優しい味だった。






 胃が落ち着いた頃、様子を見にウィージャが入ってきた。傍にはヘイレンとシェラもいた。


「起きれたんだね。よかった」


 義手の医師は安堵の表情を浮かべた。ヒールガーデンに着いた時、顔色が真っ白で死人のようだったらしい。

 「正直覚悟したよ……でも、発汗が凄かったし眉間にしわを寄せながら浅い呼吸をしてたから、まだ生きてる、まだ間に合うと思って必死だったよ」


 ウィージャの話を聞きながら、ヘイレンに視線を移した。目元に隈を作って随分とやつれた顔になっていた。


「……ヘイレン、大丈夫か?」


 思わずアルスは声をかけた。びくっと身体が跳ねて目をひん剥いたが、すぐにとろんとして俯いた。ヘイレンはじっと自分の手を見つめている。……あまり大丈夫ではなさそうだ。


「……寝ろ、ヘイレン。顔色が悪い」


 さっきまで自分も顔色が悪かったくせに、と若干思いながらヘイレンを促したが、彼はあろうことか首を横に振った。


「……行くんでしょ?ホーリアに」


 青年の声は弱々しかった。まさかその状態で付いていこうと思っているのか。


「ボク、行かなくちゃいけない気がして。何だっけ、黒い靄のヒト……あのヒトからホーリアに住むヒトたちを守らなきゃ」


 何かにつけてビビってた青年とは思えない口ぶりで、アルスは言葉を失った。記憶が戻り、癒しの力も回復して自信がついたのだろうか?


「……お前、変わったな」


 この一言にヘイレンは顔を上げた。隈は消え、決意の眼差しをぶつけてきた。俯いている間に力を使っていたようだった。


「自分自身の身体も少しは癒せるようになったから、もうきっと大丈夫。うん、ボクも変わったと思ってる。たぶん、ボクの本当の姿も……近いうちにわかりそうな気がしてるんだ」


 え、と部屋にいた全員がヘイレンを見た。一斉に注目されて、ひっ、と小さくなった。


「思い出せそう、ってこと?」とシェラが聞く。


「うん。……というか、ずっと考えてた。森でボクたちを襲ったあいつのこと」


 シェラが(ほふ)ったであろう赤毛のオッドアイのジンブツのことだ。召喚士は首を捻る。


「ボク、あのヒト……知ってる」

「……何だって!?」


 悲鳴に近い声を出す召喚士に、アルスは心の臓が跳ね上がりそうになった。ミスティアもウィージャも驚愕している。ヘイレンは頷き、続けた。


「シェラが倒してくれたアレ、多分本物じゃない。分身だと思う。青白い光が全然消えなかったもん」


 分身、とつぶやき、気が遠くなったのか、シェラは額を抑えてため息をついた。


「ということは、また追ってくるのか?しつこい奴だな……」


 濃い紫色の靄が一瞬出かかったがすぐ消えた。己の憤りを抑えている様子だった。


「ボク……エクセレビスでは殺されかけたけど、あのヒトは……本当は殺すつもりじゃなかったと思うんだ」

「どういうこと……?」

「ボクに向かって『見つけた』って言ったんだ。ずっとボクを探してたんだって思った」

「君をずっと探してたとしても……どうして殺すつもりじゃなかったって言えるの?あれはどう見ても君を殺しにかかってたよ!?炎まで出してたし……!」


 シェラが珍しく声を荒げ、ヘイレンの両肩を掴んだ。もはやアルスたちは見守るしかなかった。ヘイレンを保護したのはアルスだが、その後、彼の側にいたのはずっとシェラだった。……押しつけた形ではあるが。


「それは……そうだけど……あの炎で焼かれるかと思ったけど……記憶が戻ってから、あのヒトは誰かを殺すようなジンブツじゃない、って思って。どこか懐かしい気がして……」


 声が震え出した。泣きそうになるのを必死に堪えている。シェラは困惑している様子だった。もちろんアルスたちも。


「ボク……話逸らしちゃったね。ホーリアを守りに行かなくちゃいけない時に、あいつのこと考えるなんて」


 ごめんなさい、とヘイレンは謝った。突然話をやめられて面食らったシェラは、もはや思考停止の如く固まってしまった。


「ヘイレン……そこで話ぶった斬らないでよ」


 強い口調でつっこんだのはミスティアだった。ヘイレンは驚いて彼女を見た。


「あなたはそのヒトのことを、どこまで思い出しているの?まだ『懐かしい』と感じた程度なの?」


 別に怒っているわけではないようだったが、ヘイレンは怯えていた。


「私は……あなたとシェラを襲ったヒトを見たことがないからわからないけど……そのヒトは誰なの?なぜあなたを探していたの?」

「それは……ボクも……わからない……」


 ミスティアはため息をついた。


「誰かを殺すようなジンブツじゃないって考え、今の状態では危険すぎるわ。だってそのヒト……トア・ル森で起きた抹殺事件のはんにんでしょ?」


 そうだった……すっかり忘れていた。


「分身だったのなら、現物はまだ生きている。森を領地とするヴェントルでは、今もそいつを探してる。エクセレビスで仕留めたかと思ったら消えたからって。弓隊の隊長もいなくなっちゃうし、ウォレスも頭を抱えているわ」


 弓隊、という単語で思い出した。そう言えばラウルはどこへ行ってしまったのだろうか。シーナが闇の攻撃を受けて以降、姿を見ていない。彼のことだから、上手く避けて生き延びているだろうが……。


「あ、その隊長だけど、フレイがホーリア周辺に残ってるかもしれないって言って、アルスを降ろしてすぐに飛んでいっちゃったよ」


 ウィージャが言うと、ミスティアはまたため息をついた。しばらく固まっていたシェラが、そっと口を開いた。


「分身だったはんにんも気になるけど……そこはウォレスたちに任せて、僕たちはヴァルストを止めに行こう?ホーリアが本当に滅びてしまったら、天空界が……いや、世界が危ない」


 聖なる国ホーリア。天空界最大の国であり、全世界の秩序を持つ存在である。エフーシオを滅ぼしたのも、秩序を守るため。先住民を奴隷にし、闇の力で支配する姿を見て、後々厄災を起こすと判断し、エフーシオに聖なる光を放った。


 その行為が今、復讐という名の厄災を起こしかけている。


 ヴァルストが時空を裂いてまで生き延びていなければ、この厄災も無かっただろう。しかし、奴はやってしまったのだ。そして、現代にやってきてしまった。


 アルスの心境は複雑だった。ホーリアが滅ぼさなければこんなことは起きなかったと思うし、ヴァルストが余計なことをしなけば……とも思う。


 一方で、ヴァルストが存在するから自分も存在しているのでは?という考えも湧いてくる。となると、ヴァルストは遥か遠い親族にあたるのか……?いや、しかし、ヴァルストの存在を知る前から自分は生きている。ますますわからなくなってしまった。


「……大丈夫、アルス?」


 一点を見つめてぼんやりしていたのだろう、ミスティアが心配そうに声をかけてきた。ハッとして軽く頭を振った。


 過去のことなどどうでもいい。今はとにかくヴァルストを止めてホーリアを守らねば。己の血族にとって敵国だろうが、アルスにとっては敵では無い。むしろ、ヴァルストが敵だ。


「……大丈夫だ。行こう、空へ」


「ちょっと待って」とミスティアが待ったをかけた。


「フレイがいないのにどうやって……グリフォリルたちでも数日かかるのに?」

「エールに飛んでもらう」


 召喚士が即答したが、はたして全員を抱えて飛べるのかと疑問に思った。それはミスティアも思ったようで、「そんなに連れていけるの?」と問うた。


「ヘイレンとアルスを抱えて、僕は背にひっついていれば大丈夫。彼女に重みは感じないから」


 エールも大変だな、とアルスはため息をついた。予想外の移動方法にミスティアは目を丸くしていたが、そう……とつぶやいた。


「……お願いだから、無事に戻ってきてよ?フレイも、ラウルも、みんなで一緒に」


 不安の眼差しで見つめる彼女に、アルスたちはこくりと頷いた。



           * * *




 赤と紫が入り混じる炎が大地を燃やしていた。逃げ惑うヒトビトに容赦なく襲いかかる。ひとり、またひとりと倒れていく。中心部の城も破壊された。


 瓦礫と化した城からかろうじて逃げ出した王と側近たちの前に、ひとりの男が舞い降りた。その姿はがたいが良く、黒の衣を纏い、右手には例の炎、左手には細長い(つるぎ)、右目は紫、左目は紅玉髄(カーネリアン)の色に染まっていた。


 王を守るように側近たちが立ちはだかるが、あっけなく炎で焼失させられた。塵と消えゆく側近たち。王は目の前のジンブツをじっと見つめていた。


「あなたは……まさか、黒の一族!?」


 男は不敵な笑みを浮かべ、左手を上げた。


『我が国……エフーシオを滅ぼした復讐がこれで叶う。死をもってこの国の行いを償うがいい!!』


 瞬間、王の身体が浮き上がった。剣は空を切った。後退したのを見て、ヴァルストは右手を突き出して炎を放った。


 刹那、地が盛り上がって王を守るように壁が生まれ、炎を掻き消した。壁から無数の小さな破片が弾丸の如くヴァルストを撃ったが、それらは再び放たれた炎で微塵となった。


『貴様……邪魔をしやがって……!!』


 ヴァルストは剣に闇の力を込め、壁に向かって突っ込んだ。剣を薙ぎ払うと、壁はあっけなく破壊された。しかし、そこには王の姿は無く、矢を引き絞ったラウルがいた。


 ヴァルストは瞬時に身を翻すも、至近距離で放たれた矢は彼の胸を貫いた。


『くっ……!』


 ラウルは左手を地にかざし瓦礫から矢を生成すると、素早く番えて狙いを定めた。


「終わりだ」


 矢は勢いよくヴァルストに飛んでいった。が、同時に黒い靄が矢を、周りを包み込んだ。


 一瞬の静寂、そして。


 ラウルは不意を突かれた。赤紫色の靄が彼の左腕を捕らえた。それは鎖の形となり、どんどん伸びて首、胸、右腕、腰を締め付けた。


「あっ……」


 鎖はさらに足をも拘束し、闇が全身を支配した。すっと足が地面から離れ、大の字にされ、身体が浮く。首に巻き付いた鎖に手をかけようとしたが、身体は全く動かせなかった。靄が消えると、ヴァルストが左手をラウルに向けてかざしていた。


 ゆっくりと、手が握られていく。同時に全身の鎖がぎりぎりと音を立ててラウルを締め付けた。苦しさのあまり、声が漏れる。


 弓が右手から滑り落ち、地に溶け込んだ。ラウルはぼんやりとヴァルストの左手を眺めるしかなかった。そして、ぐっと素早く拳を作られると、バキボキと身体が砕ける音が響いた。


「うああああああああ!!」


 力と意識を一気に失った。



           * * *



 ヘイレンが突然「ラウル!」と叫んだ。


 エールは右腕に彼、左腕にアルスを収め、シェラを背に乗せて聖なる国ホーリアへと向かっているところだった。シェラもアルスも、ヘイレンが感じた『何か』がわからなかった。


「どうした、ヘイレン!?」


 シェラが細い声で叫ぶと、目に涙を浮かべて振り仰いだ。瞬きで涙が飛んでいく。


「ラウルが……ラウル……」


 ラウルの身に最悪の事態が起きたとしか考えられなかった。アルスは無意識に舌打ちした。


「ヘイレン、気を確かに持って!エールの腕をしっかり掴んで!」


 エールも右腕に少し力を入れたのか、ヘイレンはハッとして氷狐(ひょうこ)の腕を掴み直した。


 アルスは視線を前に戻した。すると、一頭の飛竜がこちらに向かってきているのが見えた。


 シェラも気づいたようで、すぐ近くの浮島にエールを着地させた。アルスは降りるとまた身体が変になると思ってエールに念で訴えた。氷弧はシェラとヘイレンを降ろすと、アルスに背中へ乗るように促した。


 程なくして、飛竜がフレイを乗せて浮島の上空を旋回し、ゆっくり降り立った。彼女は素早く飛び降りて、シェラとヘイレンの元へ走ってきた。


「怪我、もう大丈夫なの?」


 開口一番がそれだったのでシェラは驚いていたが、「ああ、うん」と言いながら頷いた。フレイは安堵の表情を浮かべると、次にヘイレンと向き合った。


「あなたが……ヘイレンね。アルスから聞いたわ。なんだろう……神々しさを感じる……」

「コウゴウシサ……」


 どういう意味かわからず戸惑うヘイレンだったが、フレイは「気にしないで」と微笑んだ。それよりも、と彼女は真顔になり、アルスたちに訴えた。


「ラウルが……ヴァルストに……」


 目撃した光景を思い出したのか、一気に涙が溢れ出てくずおれた。シェラが咄嗟に彼女を抱き止めた。


「く……鎖が……ラウルを……」


 淡い紫色の靄が彼女を、シェラをも包み込んだ。召喚士の胸の中で竜騎士が啜り泣く光景を、じっと見守っていた。


 鎖か……闇に囚われてしまったのだろうとアルスは思った。キルスの時のように鎖をぶっ壊さない限り、ラウルはアルスたちを敵と見なして襲ってくる。そして、おそらく奴は、ラウルを駒にしてホーリアの滅亡を遂行させるだろう。


 と、アルスはシーナの背に誰か乗っているような気がして視線を移した。そこには煤けた白いローブを纏い、フレイと同じ臙脂(えんじ)色の髪を持つ色白のヒトが座っていた。


「ねえ、あの飛竜に乗ってるヒトは……?」


 そっとヘイレンが問いかけると、シェラが見上げてジンブツを確認する。アルスからは彼の表情は見えない……背を向けている状態だった……が、明らかに驚愕しているふうだった。


「い……イルム様……!ご無事でしたか……!」


 イルムと呼ばれたヒトは、シェラを見て表情が緩んだ。そして、ゆっくりシーナから降りて、こちらに歩いて来た。着ているローブは随分と汚れてしまっていたが、足取りはしっかりしているため、怪我は無さそうに見えた。


「ラウル殿が私をヴァルストの攻撃から守ってくださり……その後、フレイが拾ってくれて……なんとか生き延びましたが、国は……奴の手に堕ちてしまいました……。エフーシオを滅ぼした復讐、と言っていましたが……」


 アルスと目が合うと、イルムは目を見開いた。靄がうっすら現れる。口をぱくぱくさせて2、3歩下がったので、アルスはエールに隠れて視界から姿を消した。


「イルム様、彼はアルスです。その……ヴァルストと雰囲気は似ておりますが、彼は私たちと共にヴァルストを止めにホーリアへ向かおうとしておりました」


 シェラが丁寧に説明すると、イルムは相槌を打って少しホッとした様子を見せた。そして、ヘイレンを見て思い出したように口を開いた。


「ああ、申し訳ない。貴方の問いにお答えしてませんでしたね。私はイルム。ホーリアの王を務めています」

「お、王様!?」


 今度はヘイレンが口をぱくつかせていた。アルスはそっと顔を出してイルム王を見つめた。王、と言うからには青年なのだろうが、それにしてもこの容姿は女王と名乗ってもおかしくないほど美しかった。


 眼は髪の色と同じだったが、その髪が膝裏ほどまであった。一本一本が細く、風でふわりとなびく。同時にキラキラと小さな光が舞う。その度にアルスの露出した皮膚……顔や手など……にピリッと針でも突かれたような痛みが走った。あの光は聖属性なのだろう。


 イルム王はふと、エール越しにアルスを見た。今度は怯えた目をしておらず、むしろ懇願の眼差しだった。


「アルス殿……ヴァルストをどうにか出来ませんでしょうか……?」

「そう言われても……エフーシオの一族は聖なる力に弱いから、そちらの力を放てば焼失するんじゃないか?」


 丁寧な言葉を使うことに慣れていなさすぎて、ついぶっきらぼうない言い方になってしまった。シェラも彼の言い方に肝を冷やした様子だったが、王は気にならなかったのか、「そのはずなんですが」と首を横に振った。


「奴は(ホーリー)を克服してしまっているのかもしれません。闇の種族はわが国の土地に一歩踏み出すだけで、身体は火傷を負い、四半刻(約15分)も経たないうちに身が溶けたり焼失したりすると先代王から伺いました。ですが、奴はその兆候が一切見られませんでした……」

「国の大地が放っている力に触れる前に、己の闇でその大地を覆って封じ込めたのかもしれない……ですね」


 また口調が危うくなったが、今度はぎりぎり何とかなった……と思いたい。変に力が入る。


「闇を覆って……確かにそのような感じだったかもしれません……突然全土が黒と紫の靄に包まれたので……。巡回の兵士が警戒してくれていたにもかかわらず、初動が遅れてしまいました。なす術もなくあっという間に街が破壊されてしまいました。私がいた城も……」


 イルム王は手を額に当てて項垂れた。……命からがら逃げてきた、という恐怖がひしひしと伝わってくる。


「狙いは私の命でしょう。王が死ねば、国も完全に滅びたことになりますから……」

「でしたら、イルム様は地の国アーステラへ身を潜めていただいて、その間に私たちはヴァルストに復讐を止めるよう説得に行くというのは……」

「待て、シェラ」


 確かにこの考えは安全策ではあるが、これが通る状況ではない予感がした。召喚士はアルスを見た。


「闇の種族は……己の闇に『完全に』囚われたら、二度と自我を取り戻せない。特に、黒の一族はその傾向が強い。『闇の鎖で誰かを拘束する』力は、己の闇に『完全に』囚われてしまった証拠だ。もう対話で解決できるような状況では無くなってるだろうな」

「そんな……」


 王もシェラもヘイレンも、言葉を失う。啜り泣いていたフレイもそっと顔を上げた。


「奴はラウルを……鎖で拘束したんだよな?」


 アルスはフレイに確認すると、黙って頷いた。


「そうなるとラウルは奴のヒトジチとなり、駒にされる。ホーリアのさらなる破壊と王の暗殺に彼を使うはずだ。そして、おそらく王の命を奪ったら、用無しとラウルも屠られるだろう」

「そんなの……ダメだよ……」


 ヘイレンが嘆く。怒りで身体を震わせている。


「仮に対話が出来たとしても、『ラウルの命が欲しければ、王の命と引き換えだ』みたいなことを言ってくるだろうな。そんなの無視してヴァルストを屠れば、ラウルも王も、国も救われるだろうが」


 これ以上血が流れる戦いをしたくなかった、とシェラが本音を漏らした。ヘイレンも同意の頷きをする。


「闇に囚われた奴は、例えヒトの姿であっても、魔物と変わらない。……魔物を退治するのと変わらない」


 そこまで言って、アルスはため息をついた。


 王がそっと口を開く。


「私は……ラウル殿を失いたくはありません。この身が滅びることで彼を救えるのならば、捧げても……」

「やめて!軽々しく言わないで!」


 突然フレイが叫び、一同は驚愕した。涙を溜めながら、しかし眼差しは憤りのそれだった。


「聖なる国の心の臓はあなたなのよ!?あなたが守るべき命は……国と国民じゃないの!?」

「フレイ……」


 王の口元が震えた。


「ラウルの命ももちろん大事だし、失いたくない。だけど、あなたはあなたを慕うヒトビトを守る義務がある。それを忘れちゃダメ!」


 ピシャリと言うフレイに王は気圧されていた。シェラが彼女の肩にそっと手を置いた。


「イルム……さま……」


 じっとやりとりを聞いていたヘイレンが遠慮がちに声をかけた。王は黙って視線を彼に向ける。


「ボクは……イルムさまもラウルも、ホーリアもみんな助けたい気持ちでいっぱいです。ボクは、みんなと一緒にヴァルストを……やっつけてきます。ですからどうか、ご自分の命を……大切にしてください」


 ヘイレンは覚悟を決めたようだった。この言葉にアルスたちも頷いた。王はしばしヘイレンを見据えていたが、やがて目を伏せて長く息を吐いた。


「……そう……ですよね。簡単に命を投げるようなことはしてはなりませんよね……。申し訳ありません、私の考えが余りにも未熟で身勝手でした」


 深々と頭を下げる王に、ヘイレンは「頭を上げてください!」と慌てた。


 ややあって、フレイが立ち上がり、イルム王を促した。


「ダーラムまで私が連れて行くわ。アルスたちはヴァルストのところへ先に行ってて。イルムを置いたらすぐに向かうわ」


 アルスは、何故かフレイの王に対する扱いがシェラのそれと全然違うのが気になったが、黙って頷いた。


 「どうかご無事で!」と述べて、シーナに騎乗した。飛竜を見送り、アルスたちは再びエールに乗って浮島を後にした。

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