第4章-3
シェイドが目覚めたのは、あれから一の刻(約2時間)程たった頃だった。
ヘイレンもしばらく眠っていたが、シェイドより先に起き、ぼんやりと木々を眺めていた。
陽が傾き始めていた。この時期は暗くなるのが早い。沈みきる前に森を抜け出したいところだった。この森の魔物は四六時中活動しているが、特に夜は活発化する。
シェラはふたりが動けるようになったのを確認し、王宮都市ダーラムへ戻ることを伝える。シェイドは都市へは行かず、闇の国ヴィルヘルへ向かうと言い、シェラたちに改めて礼を述べて闇を纏って消えていった。
「森を抜けるまで一緒にいて欲しかったなぁ……」
草木を掻き分けながら、ヘイレンがつぶやく。彼の後ろ姿を見ながら、シェラは周りを警戒していた。
魔物に出くわすことなく、道標の池がある森の中心部にたどり着いた。すっかり暗くなって闇夜の森となり、時折吹く冷たい風が身を震わせた。
『氷河召喚士』との称号を得ている身とはいえ、寒期の空気はさすがに堪える。吐く息が白く、身体も小刻みに震えている。
対してヘイレンは、少し頬を紅潮させているが、全く気にならないようだ。見慣れた光景に戻ってきてホッとした様子だった。
森を抜けるまであと少しというところで、前を行くヘイレンが突然足を止めた。警戒を一層強めるが、彼は空を仰いでいた。
同じように見上げると、満点の星空が広がっていた。空気が澄んでいて、とても美しくて思わず息を飲む。
と、一つ長く白い光が空に直線を引いた。流れ星のように見えたが、それはだんだんこちらに近づいてきているように感じた。シェラは咄嗟にヘイレンを抱いて、木々に向かって飛び込んだ。
光は今しがた立ち止まっていた道に激突した。激しい音と共に爆風を飛ばす。間一髪、氷の壁を作れたので吹っ飛ばされずに済んだが、壁の向こうにいたジンブツに見覚えがあった。
赤い短髪のオッドアイ。やはり生きていたか。
間髪を容れず、相手は炎を放ち氷の壁を消失させた。槍を出しつつヘイレンを背に隠し、素早く突き出した。切先から氷の刃を放つと、相手の胸元に命中した。深々と突き刺さった瞬間、物体が消えた。
「な!?」
相手の気配も消えた。逃げたのか……?
振り返ると、ヘイレンはポーチに手を突っ込んでその場に立っていた。不安な表情ではあるが、震えていない。相手に立ち向かおうとする姿勢が見えた。
「消えたけど、まだ近くにいる」
ヘイレンは小声で言った。シェラでは感じ取れない気配を、彼は感じている。槍を握り直して息を殺す。
ふわりと暖かい風が吹いた瞬間、ヘイレンがポケットから素早く魔法石を取り出して木々に投げつけた。それを見てシェラが宙に浮く魔法石に向けてさらに氷の魔法を放つ。
氷の刃が水の波紋の如く頭上を駆け抜けた。エールを召喚し、強力な氷魔法で追い討ちをかける。周りの木々が凍りつき真っ白になり、衝撃で微塵になった。
正面から紫混じりの赤い炎が向かってきた。ヘイレンが咄嗟にシェラの後ろに隠れるのと同時にエールに指示する。
エールが放つ氷と炎がぶつかる。衝撃波を使ってシェラはヘイレンを再び抱いて道側へ飛んだ。しかし、それを読まれていたのか、着地したその刹那、相手が炎を纏って素早く突っ込んできた。
避けられない……!
槍を薙ぎ払う余地もなく、盾にするように構えるしか出来なかった。右腕から全身へと炎はシェラを飲み込んだ。ヘイレンに燃え移る前に、エールが素早く彼を抱いて飛び退った。相手はそれを追いかけた。
狙いはやはりヘイレンだった。エクレセビスでも彼を殺そうとしていた。
不思議と熱さは感じなかったが、右腕が焼け焦げてしまいそうだった。左手を胸に当てて念じると、水色の光が炎を消した。着ていたローブは無事だったが、右手を覆っていたガントレットが朽ちてしまった。
瞬間、心の臓がドクン、と大きく響いた。
身体の内側から何かが湧き上がる。湧き上がってきたものは脳内を駆け回り、やがて右腕に走っていった。息が詰まり、目を固く閉じて片膝をついた。
ミシッと骨が鳴り、肉が盛り上がって変色する。肌色から、黒に近い紺色へ。右腕全体がやや大きくなり、指が伸びて爪も鋭く変化した。白く長い光が腕の周りを飛び回る。
目を見開き、赤毛のオッドアイに向かって飛び上がった。光の速さで突進し、変わり果てた右手で渾身の力を込めて相手の腹をぶん殴った。
体当たりとぶん殴りで、相手を地に叩きつけた。同時に氷魔法を放って地面に貼り付けた。右手を腹から放して馬乗りになると、相手の首に手をかけた。
ヤツはシェラの腕を掴もうともがくも、氷で張り付けられた手足はびくともしなかった。口と目が開き、小さく喘ぐ。右手はやがて、首を折って握りつぶした。
断末魔の叫びをあげ、赤と紫と青白い光が入り混じり、霧散した。
シェラは咄嗟に左手で右肩を押さえて力を込め、右腕全体を凍らせた。うるさいくらいに打ち続けていた心の臓が、徐々に大人しくなっていく。必死に落ち着こうと深呼吸を繰り返した。
どれくらい経ったのか。呼吸が整うようになり、ようやく落ち着いたので、シェラはエールを見上げた。
ヘイレンを抱いて空に浮いていたが、ゆっくりと降りてきた。右肩を押さえたまま立ち上がる。エールの腕の中にいたヘイレンは、目を丸くしたまま固まっていた。
「たぶん……ヤツはもう来ないと思う。あれで事切れていれば、ね……」
酷く目眩がした。目を閉じて足に力を込める。ヘイレンが近くまで来たのを感じ、そっと目を開けると、彼は右腕とシェラの顔を交互に見ていた。
「その腕……どうして……?」
凍りついた腕は、指一本すら動かない。いや、動かしたくなかった。この氷が解かれたら、また……今度は目の前の青年を襲うだろう。
この腕は、僕の腕じゃない。
「ちょっとね……いろいろあって。僕の右腕はその……無いんだ、本当は」
無い、の単語にヘイレンはシェラを見た。金色の眼は、なぜ?どうして?と訴えてくる。
「この腕のことはそのうち……落ち着いたら話すよ。さ、帰ろう。ダーラムに」
小さく微笑んで、ヘイレンの背中に手を回してそっと押した。促されるままに歩き出す彼と横並びにエールが寄り添う。何かあったらヘイレンを託す。その思いが伝わったのか、ちらっとこちらを向いて小さく頷いた。
門番をしながら様子を窺っていたようで、門限はとっくに過ぎていたがすんなりと街に入れてくれた。
シェラの腕を見るなりぎょっとしていたが、ヒールガーデンに連絡しておきます、と言って門近くの部屋に入っていった。
急いで手当てをしてもらわなきゃ、と焦るヘイレンをなだめながら、ゆっくり歩く。エールは門をくぐる前に自分から消えていったのでふたりきりだが、足音がひどく大きく感じていた。
体温が下がり、思うように足が動かなくなってきた。ヒールガーデンまであと少しというところで足がもつれた。転んで右腕の氷が割れたら危ない……と思ったが、すんでのところでヘイレンが支えてくれた。
「ボク……ガーデンのヒト呼んでくるね」
シェラをゆっくり座らせてそう言うと、ダッシュで向かっていった。あっという間に小さくなって見えなくなる。まさに馬の襲歩を見たような感覚だった。
ふと空を見上げる。先程と変わらず満点の星が瞬いていた。ひとつ大きく溜息をつくと、右腕が疼いた。反射的に肩を押さえて一瞥するが、特に変わった様子はなかった。
この腕になって、どれくらい経ったのかな……。
ダーラムの広い道のど真ん中で、ぼんやりとまた空を見上げる。
邪神竜と呼ばれた魔物と戦った時に、シェラは右腕を失った。死闘の末、魔物は天空界の遥か上空、この星の『外』へと追放した。どういう経緯で自分の腕がこのような状態になったのかは覚えていない。
もう一つ溜息をついた時、ガーデンからヘイレンが数名連れてこちらへ走ってきた。シェラは思わず微笑んだ。
ヘイレン、随分とたくましくなった気がするな……。
担架に乗せられた瞬間、どっと疲労感に見舞われ、意識を失った。
シェラが次に目を覚ましたのは、翌日の昼頃だった。
ふかふかの羽毛布団は、暖かくて心地よかった。またうとうととしてきた……が、右腕のことを思い出して飛び起きかけた。
胸をやや強めに押さえられたので起きることは叶わなかったが、シェラを止めた主はひどく動揺していた。
「起きるなら起きるって言ってよ!」
押さえていた義手が小さく音を立てた。
「……ごめん。腕が気になって」
「それなら封じておいたよ。前のよりも燃えないし溶けない素材で作っといたから」
ウィージャはため息をついて胸から手を離した。
「とは言え、まだ筋肉が痙攣しててしっかり抑えきれてないからね……」
そう言われて、そっと布団をめくって腕を見た。肩から肘まで白い包帯で覆われており、肘から先は真新しいガントレットが装着されていた。
指先を動かすと全身に痛みが走り、思わず声が出た。ウィージャが「こりゃ今日は寝たきりだね」と嘆いた。
「じゃ、私はアルティアの様子を見てくるよ。なんだか妙にヘイレンが頑張っちゃって。翼の傷を治したいって何度も言うから任せちゃったよ。ちょっと見ない間に変わったね、あのこ」
「記憶が戻って、自分の能力も戻ったみたい。ただ、まだ完全に記憶を取り戻した感じではなさそうだけど」
「そっか……。確かにそれは私も感じてた。彼には聖なる力も宿している気がしてね。記憶喪失という鍵をかけられていて発揮できてない感じがする」
ウィージャは時々、物語を語るかのような言い方をする。本人も自覚しているらしく、吟遊詩ジンのように上手い言い回しが出来ないものかと模索しているらしい。
……それはさておき、やはり彼も、ヘイレンに聖属性の力が宿っていると感じていた。
「全てを取り戻した時、あのこ、どうなるんだろうね」
そう言いつつ、医師は部屋を出ようとしたが、「あ、そうだった」と立ち止まって振り向いた。
「アルスとラウルも明け方に戻ってきたんだった。彼らにシェラが起きたこと伝えとくね。心配してたから」
じゃ、と手を軽く振って今度こそ部屋を出ていった。
部屋はシェラだけになり、静寂が降りる。起きられないし、まだ少し身体が休息を求めている感じがしたので、そっと目を閉じて眠りについた。
*
シェラは浜辺に立っていた。見上げると空ではなく、海だった。差し込む日の光、昇っていく細かな泡。小さな魚影が群れを成して泳いでいる。
あたりを見回すと、自分の背後に岩の洞窟が口を開けていた。岩の洞窟。ヘイレンが「自ら時空を裂いて旅立ったヒト」と「洞窟にいた女性」に会った場所では……と思った。
中に入るか躊躇っていると、こぽこぽと泡の沸き立つ音がした。振り返ると女性が立っていた。
魚のヒレのような耳、青く輝く鱗のような胸元、流れるような白い衣、銀色に輝く長い髪。ヘイレンがダーラムのカフェで気を失った時や、その後に見た夢に出てきたヒトだった。
青く澄んだ瞳は、シェラを見据えていた。彼もまた、空色の眼で見つめた。
『彼は……無事ですか?』
突然聞かれ、一瞬彼が誰のことかわからなかった。
「彼……?」
ええ、と頷いたのち、視線を浜辺の向こうの海に移した。海底なのに、髪がなびく。
『時空の旅人様を追って、彼は時空の裂け目に飛び込みました。本来の姿は失われ、記憶も無くなっておりましたが……記憶は少し戻られたようですね』
シェラはハッとした。やはり彼女は、ヘイレンが出会ったセイレーン族だ。
「彼……ヘイレンは……時空を超えて僕たちの時代にやってきたんですね。今僕がいる時間は、ヘイレンが去ったあとですか……」
彼女は黙って頷いた。
ふと不思議に思った。夢にしては妙に現実的過ぎる、と。ひんやりとした空気、水の音、砂地の感触が、本当にその場にいるかのようだった。
過去が未来か、とにかく今、自分はヒールガーデンのベッドの中にいない。水界にいる。そんな感覚だった。
そしてなぜ、彼女はヘイレンの記憶が戻った事を知っているのだろうか。
沈黙が続く。何か話さないと自分の意識が『現実』に帰ってしまう気がした。
「ヘイレンは……僕が生きる時代から見て、過去からやってきたのか未来からやってきたのか、知る術はあるのでしょうか?」
彼女は首を傾げた。そんなこと聞かれても、この水界は彼女にとって『現代』なのだから、わかるはずもないか……。変な事を聞いてしまったと後悔した。
しかし、彼女は口を開いた。
『貴方が生きる時代に、テンバは存在しますか?』
テンバ。初めて聞く単語だった。
「どういう姿なのですか?」
『とても美しいですよ。姿は……』
突然、彼女の声が聞こえなくなり、視界が歪んだ。高音の耳鳴りが起き咄嗟に耳を塞ぐが、当然鳴り止まない。必死に焦点を合わすも、彼女の姿はない。
「待って!!」
思わず叫ぶも、ひどい目眩がして立っていられなくなり、力が抜けた。
*
目を開くと、ヘイレンが心配そうに見下ろしていた。
「……大丈夫?」
彼はどことなく疲れた表情をしていた。シェラはゆっくり頷いて、同じ言葉を返した。
「ボク?うん……ちょっと疲れちゃった。アルティアの翼、綺麗に治したから」
「癒しの力、結構使えるようになったんだね。これも記憶が戻ったおかげなのかな?」
「たぶん……。でも、シェラの腕は……」
「え、治そうとしたの?」
「手を当てようとしたら、シェラが起きた」
力を使う寸前だったことに安堵した。
「ヘイレンの力でもどうにもならないんだよ、この腕は。僕の腕じゃないんだから」
そう言ってため息をつくと、ヘイレンは手をシェラから遠ざけた。そして、部屋のソファに腰を下ろすと、金色の眼はシェラを見据えた。
さっき見た、セイレーン族のように。
腕のことを話すべきか。正直いい話ではないし、あまり話したくない。しかし、彼は知りたがっている。シェラは諦めて口を開いた。
「……数年前、邪神竜と呼ばれた魔物が地界を襲ったんだ。地界には4つの国があるんだけど、どこも壊滅状態に陥ってしまって、このダーラムだけが残っている状況だった。その攻防の際に僕は……腕を喰われた」
えっ、とヘイレンの声が漏れる。目を見開いて口元を震わせていた。
「喰われた後からの記憶が無くて……意識が戻った頃には邪神竜はいなくなり、地界は平穏を取り戻していたんだ。僕の腕も……今の状態になってた」
視線を天井に移し、左手を布団から出してそっと上腕に触れる。大分弱くはなったがまだ少し痙攣していた。
「これは竜の腕。邪の心を持つ者や幻獣を前にすると、僕を支配して勝手に攻撃してしまうんだ」
幻獣、とヘイレンが呟いた。シェラは頷く。
「この腕でヘイレンの前にいたら……確実に襲う。……命を奪ってしまう。だから……触れないで欲しい」
金色の眼を改めて見据えて言うと、彼はしばし憂えていたが、ゆっくりと頷いた。
「ガントレットで封印していれば、腕も見た目はヒトのそれだし、支配されることもないから大丈夫だけどね」
そう言って、少し笑みを浮かべてみせた。すると、ヘイレンは泣きそうな表情をしてこちらに近づき、ベッドのわきでしゃがむと、顔を掛け布団にうずめた。シェラは金髪をそっと撫でた。




