第4章-1
召喚士が集う家から飛び出したものの、アルスとシェラを追うべきかまだ迷っていた。
ヘイレンは門の前で立ち止まっていた。彼らは王宮都市ダーラムの外、トア・ル森へ続く街道へ出たところだった。ボクに何ができるだろう?シェラをサポートすることしかできないけど……できることがある。
一歩踏み出し、後を追い始める。街道の分かれ道でまたしても止まった。森へ行ったのかもう一つの道へ行ったのか。完全に見失ってしまった。
途方に暮れていると、突然もう一つの道側から青白い光が猛スピードで上空を駆け抜けていき、森へ落下していった。落ちた先で木々が折れる音が微かに聴こえ、遅れて鳥たちが一斉に逃げ飛んでいった。
ヘイレンは森へと駆け出していた。黒い靄のヤツかもしれないのに、どういうわけか向かいたくなったのだ。
トア・ル森に入り、落ちた方角をしっかり向いて、数日前に歩いた道を踏みしめていたはずが、いつのまにか草木を掻き分けて進んでいた。
無我夢中で進んでいくと、黒っぽい物体が見えた。近づいてみる。と、ヘイレンは言葉を失った。
アルスによく似たジンブツだった。右側を下にして横たわっている。脇腹を深く傷つけられており、左腕が焼けただれていた。服の袖は焼失している。
そっと目の前まで来てしゃがんで様子を見る。生きているのか死んでしまっているのか、わからなかった。危険を承知で右手に触れてみる。ぴくりと指が動いたので慌てて手を引っ込め、その拍子で尻餅をついた。
動いたのはその一瞬だけだった。ヘイレンはじっと見つめる。わずかに腹部が動いている。まだ生きているが瀕死の状態だ。自分の力で傷を治したいと思ったが、このヒトが闇属性だったら……追い討ちだ。
でも、とヘイレンは思う。
本当に癒しの力は聖属性なのか。言われただけでは確信が持てない。今ここではっきりさせたい。
実験台にしてごめんなさい、と心の中で謝罪して、脇腹の傷もとに手を当てた。
このヒトの傷を……治したい!
敵かもしれない不安と、だけど敵じゃ無い気がするという妙な自信を混ぜこぜにしながら、ヘイレンは念じた。手元に黄混じりの白い光が宿る。光は傷を覆うと、じわじわと浸透していった。
力を使っていくうちに、だんだんと意識が遠のいていく。そういえばシェラを助けた時もいつの間にか眠ってたっけ。ヘイレンはハッとして首を振る。眠っている自分を、このヒトに殺されるかもしれない。
……この癒しの力で殺すかもしれないけど。
自分の感情と今行なっている事が矛盾しているような、そうでないような、何だかわからなくなってきた時、ふと脇腹に目が行った。
傷が浅くなっている。
癒しの力は聖属性ではなかったのだ。では、何属性なのだろう?今はそんな事どうでもいいか。傷が塞がるまで頑張らないと……と思った時。
「ん……」
そのヒトの意識が戻った。うっすらと目を開けると、突然ヘイレンの手首を掴んだ。反射的に相手の手を、掴まれていない手で掴み返した。
「待って!動かないで!」
ヘイレンはそのヒトと目が合った。右眼は紫、左眼はアルスより鮮やかな赤色だった。戦慄を覚えるが、一瞬で恐怖は無くなった。それよりも助けたい一心だった。
「まだ、傷がふさがってないから……もう少し……」
掴まれた自分の手が震えているが、癒しの光は絶えず傷を塞ごうとしていた。と、そのヒトの力が抜けて、手が楽になった。ヘイレンは両手を揃えて傷口に光を放つ。みるみるうちに綺麗に無くなった。
「はぁ……」
一気に力を使った反動はかなり大きかった。脱力し、その場で倒れかける。頭が地面につく寸前、手がヘイレンのそれを包んだ。
「あっ……!」
身体が硬直した。襲われるのか……!?恐怖が一気にやってきたが、そんなことはなく、むしろ優しく抱き起こされた。
「……え?」
ぽかんとしてオッドアイのヒトを見た。いつの間に起き上がっていたのかわからなかったが、相手も困惑した表情だった。
「なぜ……私の……傷を治した?」
その声は優しくて、ちょっとだけ高めだった。
「あの……その……ひどい怪我だったから……。ぼ、ボクの力で治せたら……と思って……」
ヘイレンは真っ当な返事をしたつもりだった。癒しの力の実験台にした、なんて口が裂けても言えない。
そのヒトは微かに口角を上げた。
「無闇にヒトを助けようとすると、それが仇となることもあるよ……」
ヘイレンを見つめる2色の眼に身震いした。彼を抱く手に力が込められた気がした。
まさか……このヒト……。
「く、黒い靄のヒト……!?」
思わず叫んでしまう。もがいて相手の腕を振り解いたところで目眩がし、突っ伏してしまった。何とか仰向けになり、思い出したかのようにポーチに手を伸ばして魔法石を握りしめようとしたが、やめた。
殺意が感じられなかったからだ。
倒れているのに目眩が治らず、視界がぐらぐらしている。吐き気がしてきた。横向きになり、少し身体を丸めて防御姿勢になる。目をギュッと閉じると身体が震え出した。恐怖の波に飲まれた。
恐怖と共に、ヘイレンは後悔した。敵かもしれないのに、どうして傷を治してしまったのか。いや、その時は敵だとは思わなかったからではないか?
シェラとアルスはどうしているのだろうか。ボクがいないことに気づいているのだろうか。もう片方の青白い物体を追い続けているのだろうか。急に寂しくなった。
「助けて……シェラ……アルス」
震えながら小声でつぶやくと、「えっ」と驚く声が降ってきた。
「アルス……の知り合いか?」
思わず見上げて見開いた。オッドアイのヒトが見下ろしていたが、その眼差しは驚きで満たされていた。
このヒトはアルスを知っている。ということは……
「キルス……さん?」
恐る恐る聞いてみると、相手の眼差しが緩んだ。そして首を横に振った。
「キルスの名を知っているんだね。アルスから聞いたのかな?」
さっきまで怖く感じた声が優しくなったように聞こえた。目眩もいつの間にか治っていたので、ゆっくり身を起こした。
お互いに座った状態で見つめ合う。このヒト、キルスさんじゃなければ誰なんだろう……?
「あ……の……あなたはアルスとどういう……?」
「アルスは私の弟だ」
「え!」
目玉が飛び出るほど驚いた。
「あ、あ、アルスの……お兄さんってふたりいるの!?」
相手はゆっくり頷いた。
「彼からするとそうなるね。……私は3兄弟の真ん中。キルスは長男だ」
ふふ、と微笑むその顔に、恐怖が一気に吹き飛んでいった。このヒト、悪いヒトじゃないかもしれない。
「私はシェイド。君に助けてもらえてなかったらここで死んでたよ。ありがとう」
そのヒト……シェイドは軽く頭を下げた。ヘイレンは慌てた。
「あ、あの……その……ごめんなさい!」
傷を治しておいてあなたに恐怖し魔法石を投げようとしてしまった。敵が味方かわからないまま力を使ってしまうのは、軽率にも程がある。そして、自分の力が聖属性なのか確かめたかった、とうっかり口に出してしまい、ハッと手で口元を押さえた。
「……私は実験台にされたのか」
殺されると思った途端、涙が頬を伝い身体が震え出した。ヘイレンは頭を抱えて俯いて叫んだ。
「ごめんなさいいいい!!」
聞き慣れた声がして、シェラは駆け出した。誰かが最近通ったような獣道を慎重に進んでいたのだが、この道はヘイレンが作ったものだと確信した。
「へいれーん!!」
大声で彼の名を呼ぶが、声量がなく、遠くまで通らない自分の声に苛立った。咳き込みながら草木を掻き分ける。大声なんて突然出すもんじゃないな……。
風が闇の力の気配を運んできた。シェラは右手に杖を握り魔力を込めて槍を作り、一気に駆け抜けた。辿り着いて足を止める。木がへし折られていたり倒れていたりして、少し開けていた。
その先にいたのはヘイレンと、黒いコートを纏ったアルスによく似たジンブツだった。頭を抱え、震えながら縮こまるヘイレンを、戸惑いの目で見つめている。
シェラの存在に気がついたのか、コートのヒトがこちらを向いた。オッドアイだ……。シェラは槍を握り直すが、相手はうろたえていた。
「お前、ヘイレンに何を!」
「何もしていない。むしろ、彼に助けられた」
「な……?」
相手は戦うつもりなど無い様子だった。シェラは拍子抜けして槍を消した。オッドアイの男を警戒しつつ、ゆっくりヘイレンに近づき、しゃがんで声をかけた。
「ヘイレン……もう大丈夫だよ」
震える肩にそっと触れると、身体が跳ね上がった。即座に振り向かれる。シェラだとわかると顔が緩み、くしゃくしゃになった。
這うようにしてシェラに抱きつくと、ものすごい力で締められた。……ちょっと苦しい。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
呪文のように連呼していて困惑した。何で謝っているのか?何をしたのか……?
ふと思い立ってコートのヒトを見る。そういえばさっき、ヘイレンに助けられたと言っていなかったか。
……腹部が圧迫される。
「ヘイレン……苦しいからちょっと……緩めて……」
背中を優しく撫でると、ふっと圧迫感が和らいだ。そっと彼の両肩に手を当て、ちょっと引きはがす。ヘイレンの顔をしっかり見れるような姿勢をとった。
「このヒトを助けたの?癒しの力を使ったのか?」
責めるような声色にならないように気をつけて問いかける。彼は俯いて目を合わせようとしなかったが、小さく1回頷いた。
闇の種族に癒しの力を使った。聖属性だったら死なせているはずだ。なのに……生きている。
「……どこを治したの?」
シェラはさらに問いかける。すると姿勢はそのままに「おなか」とだけ小声で返してきた。
「綺麗に塞いでくれたよ。ただ、私は彼の力の実験台にされたらしいけどね……」
オッドアイの男は苦笑した。左の袖が無く、腕が露わになっている。火傷を負っているのか、痛々しい。
「実験台……だから謝ってたのか……」
シェラはため息をついた。オッドアイの男は、聖属性でなくてよかったと呟いた。
聖属性ではなかった……では自分もアルスも感じていた『聖属性』は一体何だったのか?
「彼は……彼の力はこれという属性に当てはまっていないと感じた。つまりは……無属性だ」
オッドアイの男が淡々と話した。シェラは唖然とした。
「僕の傷を治してくれた時は白い光だったから、聖属性だと思っていたのだが……」
「私が一瞬目覚めた時は、黄みがかっていた。光属性かと思ったが、それにしては身体が楽になっているなと感じていた」
「そういや闇の種族は光も相性悪かったな」
「ああ。聖属性ほどの殺傷能力では無いが……肉は溶かされるな。聖なる力は触れた瞬間身体、もしくは命が消える」
肉が溶けるだけでも場所によっては即死だろう、と思ったが、彼らにとって脅威なのはやはり聖なる力のようだ。
「聖でも光でもない……何にも属さない光……か。幻獣が宿す魔力がそれだ」
オッドアイの男の言葉にハッとする。幻獣が宿す魔力……ヘイレンの本来の姿はヒトではない。馬あたりかと思っていたが、幻獣の可能性が高まった。
本当にグリフォリルだったのかもしれない、とシェラは思った。
呆気に取られていると、「さて」と男がゆっくり立ち上がった。座っていたからあまり感じなかったが、背丈が風の国ヴェントルの王ウォレス並にでかい。
「どこ行くの……?」
ヘイレンが男を見上げる。左腕をさすりながら、そうだな……と呟く。
「キルスを止めに行かなきゃね。あいつ、洗脳されてしまって自我を失ったんだ……」
「洗脳?誰に?」
「さあ……私もキルスを洗脳したであろうヤツに血と魔力を抜かれてしまって……容姿をよく見てないんだ。君が言ってた『黒い靄のヒト』かもしれないね」
「シェイドさん……魔力も血も抜かれたのに動いて大丈夫なの?」
このオッドアイの男はシェイドというらしい。シェラはじっと男を見つめる。色白なのは貧血気味だからか?
大丈夫だ、と言って踵を返し一歩踏み出した瞬間、ふらついた。ヘイレンの「あ!」と叫ぶと同時に、反射的にシェラの身体はシェイドを支えに行っていた。
ゆっくり座らせ、自分に身体を預けるように言った。シェイドは目を丸くするも、がっちりとした体躯は力無くシェラにもたれかかった。
「エール」
小声で相棒の名を呼ぶと、背後で氷狐が姿を現しシェラを包むように支えた。シェイドを横向きに寝かせると、焼けただれた左腕に手を添える。触れないように少し離して。
その手に向けてエールが優しく氷を吹きかけた。左腕が白い氷に覆われる。シェイドは顔を歪ませたが、次第に脱力し目を閉じた。
深く呼吸をしている。このまま一眠りすればしっかり回復するだろう。貧血も解消されるはずだ。
「シェイド……か……。空で戦っていた青白い光がひとつ森へ飛んでいったのを追いかけてきたけど、キルスはアルスの方か……」
シェラのつぶやきにヘイレンが反応した。
「あのふたり……キルスさんとシェイドさんだったんだ……。どちらもアルスのお兄さんなんだって」
相変わらず俯いたまま話すので少し聞きづらいが、ここでぐっすり眠るヒトもアルスの兄であることに納得した。身長に随分差があるが、骨格がよく似ている。闇の種族にしてはアルスより優しい目つきだ。
アルスがいたら不機嫌になりそうだな……。シェラは苦笑した。
しかしながら、しばらくここを離れられない状況になってしまった。アルスは大丈夫なのだろうか。その前に、この迷いの森を抜けられるのだろうか。
道をそれるとたちまち方角を見失ってしまうのがトア・ル森の恐怖。魔力を持たないヒトが魔物に遭遇すれば命取りだ。
シェラはヘイレンを側に来させて座らせると、そっと抱きしめた。