幕間-3
兄は豹変していた。
世界を支配する、という漠然とした野望を抱いていた頃から呆れてものも言えなかったが、今度は聖なる国ホーリアを滅亡させると言い出し開いた口が塞がらなかった。
明らかに目つきがいつものキルスじゃなかった。瞳孔は大きく開きっぱなしで、私の姿が見えているのかいないのかわからなかった。
闇に囚われたか……そんな不安がよぎる。
ふと、キルスがこちらに手を伸ばす。その手を握れば、彼の野望に加担する契約となろう。私は首を振った。
「そんなことをしてどうする?そもそもホーリアへは近づけない体質なのに。なぜ突然滅ぼすなんて……」
私は少し後ずさって距離を取った。するとキルスは手をゆっくり降ろしてため息をついた。そして突然、右手から鉤爪を繰り出し突っ込んできた。
咄嗟に身を翻して切先から逃れた。左から薙ぎ払ってくるのを、左手に装着していた己の鉤爪で受け止めた。
互いの刃がギリギリと音を立てる。力は僅かに兄が優勢だった。左手が振り払われ、体勢を崩した瞬間、キルスの鉤爪が左脇腹を突き刺した。
「……がっ!!」
足を踏ん張り、必死に堪えながらキルスの手を押さえようとしたが、その前に刃を右に払われ、脇腹を裂かれた。鮮血が大量に飛び、辺りを赤く染める。刹那、その場にくずおれた。
呼吸に合わせるように、血が流れ出ていく。激痛が全身を硬直させた。
『お前の闇の力を……血を……いただく』
キルスではない誰かがいつの間にか私の前に立っていた。手をかざした瞬間、びくんと身体が痙攣した。魔力が奪われていく感覚を覚えた。血の気も無くなっていく。視界が霞む。
「やめ……」
なす術もなく奪われた……。
「同じ血族の力を奪うことは禁忌のはずだが……」
ヤツが弟から力を奪っていく様子を見て、内心恐れていた。手をかざしたまま俺に顔だけ向けて不敵な笑みを浮かべた。
『禁忌か……。いつからだ?』
「なっ……」
『そんなものは定めていない。長はむしろ共食いとも取れる行動を容認していた』
「長……だと?お前、何を言って……」
ふと弟に目をやると、顔面蒼白になっていた。このままだと……死ぬ。俺はヤツのかざしていた手を取り押さえて弟から放した。
『自ら腹を裂いておいて助けるのか?』
「確かに自分の手でやったが、殺すつもりは無い」
俺はヤツと弟の間に入り込み、鉤爪を振った。ヤツは素早く後ろに飛び退った。
『……ふん。洗脳が甘かったか』
まあいい、とヤツはため息をつくと、かざしていた手を見つめた。
『質の良い力を得た。これでホーリアも滅びるはずだ』
ヤツは高笑いをした。俺は弟の方を向き、ぐったりしている身体を抱き起こそうとした。瞬間、何かが飛んでくる気配を感じ、咄嗟にそれを鉤爪で受けた。
赤黒い靄が俺の腕に、身体にまとわりつく。締め付けられるような痛みが走り、膝を折り、手をついてしまう。
闇の鎖で縛られ、囚われた。
俺は頭を振って自我を何とか保ちながら、弟の胸ぐらを掴んで身体を起こす。小さく呻き声を上げた。
「立て。逃げろ」
怪我を負わせておいてその言い方はどうかと思ったが、構わず立たせようとした。すると、胸ぐらを掴む俺の手を弟が掴んだ。目が合う。
「はどう……で……飛ばし……て……」
闇の波動で吹っ飛ばして逃がせということの様だった。これ以上身体が傷つくと今度こそ死ぬだろう。俺はためらった。弟は弱々しく笑みを浮かべた。
「どうせ……死ぬんなら……ヤツよりキルスに……殺された方が……気が楽だ……」
「……くっ!!」
激しい頭痛に見舞われ額を抑える。いよいよ自我が失われそうだった。立ち上がり、弟を持ち上げて思い切り放り投げた。
「すまない、シェイド……!」
俺は力なく舞う弟……シェイドに波動を放った。彼は瞬時に受け身を取ったように見えたが、勢いよく彼方へ飛んでいってしまった。
しばし弟が消えた方角を眺めていたが、ヤツの「行くぞ」という言葉で視界が失われた。
俺はもう……オレデハナイ。