第3章-4
泣き疲れて眠ってしまっていた。
爽やかな香りで目を覚ますと、シェラとアルスがお茶を飲んでいたところだった。
ヘイレンを見るなり、シェラはキッチンへ向かった。ぼんやりしていたアルスと目が合い、身震いし、つい目を逸らしてしまった。気まずい。
「ミントティー淹れたから、みんなで飲もう」
シェラがカップをテーブルに置いて招く。一瞬躊躇したが、ゆっくりベッドを降りてテーブルに向かった。
ミントティーはとても爽やかで温かいはずなのに少しひんやり感じた。一気に覚醒する。
「カモミールと全然違う……。凄いねこれ」
「目が覚めるでしょ?」
何度も頷いては口に含む。ミントティー美味しい。
ほっと落ち着いたところで、シェラはアルスに声をかけた。自分に話したことをヘイレンにも話せと促すと、彼はややあってから口を開いた。
アルスの思いを聞いて、ヘイレンはじっと考えた。ボクがいてもアルスを苦しめてしまうだけ。確かに一緒にいる必要がない。だが、離れたくないとも思った。
シェラとも一緒にいたいが、アルスともいたい。2人ともヘイレンにとって大切なヒトだから。そして、今アルスを一人にさせるのは危ない気がするという嫌な予感もあった。が、まずは前者を伝えなきゃと思った。
「アルス……ボク……」
怖くて言葉に詰まるが、アルスはじっと待ってくれた。
ややあって、覚悟を決めた。
「は……離れたくない……。アルスとシェラと……一緒にいたい」
「……何故?」
「ぼ、ボクにとって……アルスは大切なヒトだから。シェラもそう。ボクを助けてくれて、守ってくれて。だから、ボクも本当は……助けたい。だけど……」
自分の魔力……癒す力はアルスに使えない。無力で荷物になるだけなのはわかってる。だけど……だけど!
何もできない悔しさと、離れたくない寂しさ。わがままを言う自分が情けなかった。いろんな感情が混ざり合い、涙となって流れ出る。
「そうか……」
そう言ってアルスは目を閉じてため息をついた。沈黙が降りる。シェラはじっと見守っていた。
言いたいことは言った。それでもやっぱり「関わるな」と突き放すのなら、ヘイレンも諦めるつもりだった。
「……大切なヒトだからこそ、側にいたい。何かあったら自分なりにどうにか助けたい。……その気持ちはわかった」
と言いつつも、何か引っ掛かっているのか、表情が険しい。ゆっくり目を開けて、ヘイレンを見る。
「……側にいたい理由、それだけじゃないだろ?何を感じている?」
ドキッとした。心が読まれたのだろうか。ヘイレンはたじろぎ、シェラをチラッと見て助けを求めてみる。召喚士は「何かあったら僕が止めるから」と言ってくれたので、恐る恐る口を開いた。
「あの……その……アルスを一人にしたらいけない気がして……。凄く嫌な予感がする……」
漠然とした理由だったが、具体的なことは言葉にできなかった。黒い靄やアルスの兄……キルスが絡んできそうな気がしていたが、自分の思い込み過ぎているだけだろうと思って言えなかった。
「嫌な予感か……」
ふっ、と苦笑された。
「黒い靄やキルスのことで嫌な予感でもしてるのか?」
「なっ……!」
図星を指されて冷や汗がどっと出てきた。「嫌な予感なんてそれしかないだろ」と冷ややかに言われた。
アルスはまたため息をついて、首を振った。そして、「敵わねぇな」とつぶやくと、ヘイレンではなくシェラに向けて話しだした。
「ウィンシス城内で、キルスの幻影と対峙した」
突然の話にシェラは唖然とする。
「誰かが企てている復讐に加担すると言ってきた。協力を求められる気がしたから断ったがな」
「フクシュウ……!」
この単語に聞き覚えがあった。突如頭痛が起こり、ヘイレンは頭を抱えた。
「ヘイレン!?」
シェラの声が不安を帯びていた。
フクシュウ……この言葉、どこで聞いたんだろう?誰が言ってたっけ……。突如、ボコッと水中で泡が生まれるような音が聴こえた。……水?
「みず……海……あ……ああ……」
記憶が少しずつ蘇り始める。
フクシュウ……復讐……テンクウカイ……天空界。
セイナルヒカリ……聖……ホーリア。
そのヒトは、天空界へ行きたがっていた。
聖なる国ホーリアに復讐するために……!
「フクシュウ……復讐。聖なる国ホーリアへの……復讐のため……」
「何……?」
アルスとシェラが同時に驚く。
「天空界へ戻ろうとしたのは、聖なる国ホーリアへの復讐のため……。そう言ってた気がする」
「言ってたって……誰が?」
「え?」
シェラの問いにハッと我に返る。手を下ろし、声の主を見ると、驚きの表情のまま固まっていた。
「ボク、何か言ってた……?」
「え……?」
お互いに困惑する。アルスはけげんな顔でヘイレンを見つめている。
「お前……一瞬記憶が戻ったな」
そう言われてハッとする。冷や汗が止まらない。
「キルスが加担しようとしている復讐は、おそらくそれだろうな」
「どうしてホーリアを?」
召喚士の声が震えている。アルスは「俺の憶測だが」と前置きした上で話し始める。
「数百年前、エフーシオがホーリアに一瞬にして滅ぼされた歴史がある。エフーシオは……『黒の一族』が先住民を奴隷に置いて発展させた天空界の国だ」
エフーシオ、という単語も何故か聞いたことがある。ヘイレンは息を呑んだ。
「国を滅ぼした事への復讐を、今になって行おうとしている。キルスは誰かに協力を求められ承諾した。その誰かとは……たぶん、俺を襲った黒い靄のジンブツだろう。アイツもオッドアイだった」
ヘイレンはウィンシス城で「黒い靄と対峙した」とウォレスが言っていたのを思い出していた。
「オッドアイ……。アルス、黒い靄のジンブツの容姿は覚えてる?」
シェラの問いにアルスは「どうした急に」と言いつつも、「俺に似た体格の男だった」と答えた。すると、シェラは青ざめた。
「ヘイレンを襲ったジンブツとは同一じゃないのか……」
トア・ル森での抹殺事件の犯人の容姿を簡単に説明すると、アルスは同一ジンブツではないことに頷いた。
「俺を襲ったジンブツもトア・ル森の件は自分ではないと言っていたし、赤毛じゃなかったからな」
シェラはそうか、と言いつつ、「話を逸らしてごめん」と謝った。アルスは首を振る。
「ホーリアへの復讐をしようとしているヒトに、ボクは会ったことがある……のかな……?」
途中のシェラの質問で、ヘイレンはだいぶ混乱してしまっていたが、同時に記憶を取り戻そうと必死だった。
「会ったことがあるから、ホーリアへの復讐の話を思い出したんだろうな」
アルスは淡々と返す。そんな恐ろしい話をしていたジンブツはオッドアイだったのかは思い出せなかった。もちろん姿も……と思ったのだが。
ヘイレンはアルスをじっくり見る。だんだんと、見覚えのある気がしてくる。アルスによく似たジンブツ……そのヒトは自分で空間を裂き、その中に入っていった。
「ねえ……『黒の一族』って、空間を裂いて中に入るってことできる?」
ヘイレンの問いにアルスは一瞬目を見張ったが、相当な魔力の持ち主なら可能性はあるだろうな、と冷静に言った。
「……ヘイレン、思い出したことをもう一度話してくれるか?」
アルスの眼差しに少したじろいだが、同時にどんどん思い出してくる自分に驚いていた。
さっきまで話していたことに加え、ヘイレンは今思い出したことをつらつらと話し始めた。
※ ※ ※
そのヒトは、聖なる国ホーリアへの復讐を誓っていた。その後、おそらく闇の魔法を使って空間を裂き、中に入っていった瞬間裂け目は消えた。
しばらくして、そのヒトが出てきた岩の洞窟に入って、奥で眠っていた女性の様子を見に行った。
少しして彼女は目を覚ましたが怪我はなく、気分が晴れやかになっていると述べた。少し前まで恐れを抱いていたのに、とも言っていた。
100年に一度訪れるはずの『時空の裂け目』が、100年も経たないうちに起きようとしていた。ボクは行こうと思った。そのヒトを追いかけるために。
飛び込めば記憶を失う。『真の姿』も封じられる。そのヒトと同じ場所に行けないかもしれない。それでもボクは、意を決して飛び込んだ。
※ ※ ※
ふう、とため息をついて2人を見上げると、唖然とした表情をしていた。
「ヘイレン……時空を超えてここに来たのか……」
シェラの声が震えている。アルスも信じられないと言わんばかりに首を振る。
「黒い靄のヤツも時空を超えて来たかもしれないのか」
たぶん、とヘイレンは頷く。
「黒い靄のヤツが時空を超えて今の世界に来た。ヤツはホーリアへ復讐をしようとしている。キルスはヤツと接触して結託した、ってとこか。ヤツの目的をハッキリ聞いていないから、やはり憶測の域は出られないが……」
「でも、その考えは正しそう……」
アルスのまとめにヘイレンは同意する。シェラも頷いていた。2人を見てアルスも頷く。
「そうなると、ホーリアが危険だ。ヤツを止めないといけないな……」
アルスの表情が曇る。彼は聖属性に触れられない、つまりはホーリアへ近づき足を踏み入れる行為は自殺と同等なのだ。ということは。
「ヤツがホーリアへ近づくことは自滅行為では……」
シェラが言う。闇の波動やら何やら出せるのなら、遠隔攻撃も可能だとアルスは返した。
「あれから黒い靄に会っていない。闇を奪うこともしないと言われたから、わざわざ俺の前に現れることもないだろうな。さて、どう探すか……」
難しい顔になるアルスとシェラを、ヘイレンはじっと見守っていた。時空を超えて追いかけて来た黒い靄のジンブツ。どうして追いかけようと思ったのか。復讐を止めようと思った?いや、もしかしたら単なる興味本位だったかもしれない。
あのヒトの気配を感じられたら……とヘイレンは思った。『真の姿』だった頃、妙にヒトの気配に凄く敏感だったような気がしていた。今の姿でも、近くにいたら何となく感じてきた。
それにしても、ボクは一体何なのだろうか。思い出す日は来るのか。思い出せたとしても、元の姿に戻れるのだろうか……。
ふと外の景色が見たくなって窓に視線を向けた。何か青白いものが空を飛んでいる。見覚えのあるモノ……。
「ねえ、あれって」
ヘイレンは窓に駆け寄る。シェラとアルスも同じように窓の先の風景を見た。青白い物体が2つ、距離からするとダーラムの守りの壁の外で交えている。
「戦ってる……?」
シェラは首を傾げつつ注視する。遠くて実体がわからないようだったが、ヘイレンは何故かしっかり見えていた。
「かたっぽは大きいヒト。アルスに似ている気がするから、黒い靄のヤツかも。もうかたっぽは……あれ、そっちもなんだか同じようなヒトっぽく見える」
「お前どんだけ目がいいんだ」
アルスも凝視していたが、ヘイレンの正確さに唖然としていた。後ろでシェラが何か魔法を放ったので、ヘイレンは振り返った。
「アルス、行こう。ヤツだったら今止めに行かないと!」
アルスも振り返って小さく頷くと、大股で部屋のドアへと向かっていった。ドアの前で立ち止まりシェラをちらと見る。召喚士は「魔法は解きました」と言いながらドアを開けて出て行った。
ヘイレンはその場を動かなかった。というか動けなかった。着いて行っても邪魔なだけだという思いが強かったからだ。離れたくないヒト達なのに。この矛盾が結局身体を硬直させてしまっていた。
でも。
「い、行かなきゃ……」
大きく息を吐き、部屋を飛び出して後を追った。