第3章-2
特に大きなケガはしなかったので、ヘイレンはシェラとエクセレビスの宿に戻っていた。
敵に矢を放ったのはラウルだと後で知った。シェラが遠くでヘイレンと敵が対峙するのを見て、森へ向かおうとしていた彼を呼び止めていた。
素早く動く敵に矢を2本も的中させるとは、相当な弓の使い手だとヘイレンは感心していた。しかも、相手に見破られない為に、かなり遠く……トア・ル森からエクセレビスへ続く谷の入口の門壁の頂上……から射ていたと言うのだ。中央広場にいたジンブツたちは小指の爪程のサイズだったに違いない。
「ラウルさんって凄腕の射手なんですね……」
窓の側の壁にもたれかかっていたラウルは小さく頭を振った。
「さん、は要らないよ。呼び捨てでいい」
「あ……ハイ……」
ラウルは少し照れくさそうに微笑した。軽く咳払いをすると、一息ついて笑顔を消した。
「それにしても、ヤツの狙いが君だったとは。ヤツに心当たりはある?」
ヘイレンは首を横に振った。記憶喪失だとしても、あのヒトは全然知らない。狙われるような事も思い当たらない。『本来の姿』の頃に何かあったのだろうか?
「ボク、どこかで会ったことあるのかな……?」
考えてみるが、さっぱりわからなかった。頭が痛くなりそうだ。
「でも、アイツ、倒したんだよね?矢が刺さったまま消えていったし……」
ラウルは戸惑いの表情を浮かべて沈黙する。シェラに視線を移すと、彼もまた戸惑っていた。
「あれで終わったとは思えないんだよね……」
召喚士がぽつりと言う。どうして倒したとは思えないのだろう?ヘイレンは無意識に首を傾げていた。
「まあ、とにかくも、犯人は短髪の赤毛のヒトと確定されたから、アルスも解放されるかな」
アルスの名を聞いて、胸が痛くなった。彼に言われた事がトラウマになってしまっている。
ヒトひとり救ったからって、調子に乗るな。
思い出したら身体が震え始めた。ぎゅっと拳を握って俯くヘイレンを、ラウルはじっと見つめていた。
「……大丈夫か、ヘイレン?」
ハッとして顔を上げた。瑠璃色の眼がとても綺麗だった。ぼんやり見惚れてしまう。
「そう言えば、今日朝からずっと変なんだよね。何か思い出したの?」
シェラがそっと覗き込んできた。途端に鼓動が速くなる。空色の眼もまた美しかった。
「あ、いや……特に……何も……ないよ……」
消え入るように返したが、顔が熱くなっているのを感じていた。と、ラウルが小さく笑った。
「シェラ……ヘイレンに惚れられたな」
「!!」
2人は驚いて一斉にラウルを見た。「あれ、違ったか?」とからかうように言う彼に、ヘイレンはもう耐えられなかった。
「うあああああ!!」
俯き、両手で顔を覆ってベッドに寝転ぶと、身体を丸めて小さくなった。とてつもない恥ずかしさが彼を襲う。同時に、これが「惚れている」という感情なんだなと冷静に分析していた。いや、冷静ではない。
「ラウル……やめてよ……」
シェラの声が震えていた。怒っているのか泣きそうなのか、わからない。起爆させた本人はなおも笑っている。
「良いじゃないか。シェラに惚れてるヒトなんてもっといるぞきっと。頼れるイケメン召喚士なのは事実だし」
追い討ちをかけるその声は、シェラをもおかしくしたようだ。
「ああもう!これ以上からかうなら帰れ!」
と、小さな氷のつぶてをラウルに向かって放ったらしい。きん、と高い音と同時に、少し寒くなった。
咄嗟にヘイレンは顔を上げた。ラウルは氷を左手で受け止めていた。それは徐々に形を丸くしていき、やがて水色と白のマーブル柄の石ができた。
「……魔法石!?」
ラウルはヘイレンを一瞥すると、もたれていた壁から身体を離し、彼に近寄った。そして、手を差し出すように言うと、そっとその石を持たせてくれた。
「1個使っただろ?あといくつ持っているのか知らないけど、渡しておくよ。からかってごめん」
そう言いながら、ぽんとヘイレンの頭を撫でた。凛々しい顔に、それこそ『惚れる』寸前だった。
「じゃ、私はこれで。赤毛のアイツを探してみるよ。たぶん、生きているだろうから」
颯爽と部屋を去っていった。
「……まったく。変な事言いやがって……」
ぶつくさと悪態をつくシェラに少し驚いたが、その姿をも愛おしく感じる。
もうこれは病気かもしれない。ちゃんと言った方がいいのかもしれない。……バラされたけど。
「シェラ……」
恐る恐る声をかけると、何事もなかったかのように振り向いた。
「あんなこと滅多に言わないんだけどな……。珍しすぎてびっくりしたよ」
声がちょっと怒っていた。ヘイレンは無理やり苦笑いする。……この勢いで。
「でも、ボク……ラウルの言う通りだと……思った」
「えっ……」
「ボク……『惚れる』って言葉を聞くまで、シェラに対する感情が……言葉にしたくてもどういうものかわからなくて……苦しかった」
突然の告白に、召喚士は固まっている。でも、とヘイレンは続けた。
「オトコに惚れられても嬉しくないよね!でもボクは……ボクを守ってくれる大切なヒト……だと思ってる」
墓穴を掘っていっている様な気がしたが、止められなかった。『大切なヒト』のことを何と言うんだろう?
「えっと……その……なんて言うのかな?」
しどろもどろになっていく様子に、シェラが吹き出した。お腹を押さえてベッドに笑い転げた。
ヘイレンも何故かおかしくなって一緒に笑った。涙が出て、息苦しくなるくらい、笑った。
ひとしきり笑い合ってお互いに疲れたところで、シェラがベッドの上で仰向けになって一呼吸置くと、そっと口を開いた。
「大切なヒト、か……。ヘイレンは友達って言いたかったのかな?」
「トモダチ……?」
「心を許し合えるヒト。仲の良いヒト。親しい仲。そんな感じかな」
「……それ。それだぁ!」
ヘイレンはまた一つ言葉を知って嬉しくなった。シェラはふふ、と笑い、一呼吸置くと、勢いをつけて起き上がった。同じように起き上がると、持っていた魔法石をポーチに収めた。
宿を出て、エクセレビスの街をのんびり歩き、トア・ル森の入口まで戻ってきたところで、ヘイレンはシェラに話しかけた。
「ボク、ライファス遺跡に行ってみたいんだけど、いいかな?」
召喚士はしばし遠くを見つめていた。道中魔物に出くわすかもしれない。また黒い靄や赤毛のヒトと対峙するかもしれない。いろいろな不安はあるが、ヘイレンはきっと大丈夫だと信じていた。
シェラは振り返ると、「いいよ、行こうか」と了承してくれた。はやる気持ちを抑えつつ、森に入り遺跡へと向かった。
道標の池のある場所まで行き、鳥の羽を示した方角……ライファス遺跡の方へ向かう。池を起点に、方角的には北だという。反対の南側は火の国ファイスト、風の谷エクセレビスは東、王宮都市ダーラムは西だそう。
そう教えてもらっても、ヘイレンは東西南北がわからず迷子になりそうな気しかなかった。目的地が先にあればそれでいい。難しく考えるのはやめよう。
石畳の道を四半刻(約15分)程進んだ頃、森が開け、青い空が顔を出した。
石でできた建築物が、ところどころ壊れた状態で残っていた。水溜りがいくつか存在し、苔むした所もある。
「ここがライファス遺跡。エルフが暮らしていたとされている場所」
シェラが静かに言った。廃れた場所なのに、不思議と美しく感じられる。
「エルフがここを去ったのは何百年も前なんだって」
「へぇー……」
エルフたちは、ここにいつからいて、どのくらいの年月を過ごしたのだろうか。なぜ去ってしまったのか。気になることが次から次へと浮かんでくる。
ふと、シェラがエルフに一度出会ったことがある、という事を思い出したので、この質問をぶつけてみた。
彼はしばし考え込んだ。記憶を手繰り寄せているのかもしれない。黙って見守る。
「いつからいたのかは僕もわからないな。だから、どのくらいの年月を過ごしたのかも不明だね。ただ……」
続きを言いかけて口を閉ざすと、遺跡の奥へと歩き出した。慌てて後を追うと、一際大きな建造物の前で足を止めて見上げていた。
急な石の階段が長く続いており、頂上まで行くのは難しそうだった。所々壊れていたからである。
「この建物は、監視塔みたいな役割をしていて、頂上から森全体を見渡せるらしい。……ここで森を眺めてたエルフがある日、空から何かがこの地へ降ってくるのを目撃した。じっと見続けていたら……」
と、シェラはまたも言葉を詰まらせた。もしかして。
「その何かによって、ここが滅びちゃった……とか?」
ヘイレンの言葉に、シェラは振り向きゆっくり頷いた。
「それは一筋の白い光だったそうだ。その時集落にいたエルフはその光で焼失してしまったらしい」
ほんの一瞬の出来事だった。見物塔とその周りにあった家々も吹き飛んだ。光は彼らが建てた石の家を、簡単に破壊してしまった。彼らは逃げる暇もなく絶命した。
この集落の外に出ていたエルフたちは生き残ったそうだが、それでも半数以下まで減ってしまったという。
「なんてこと……」
ヘイレンは胸が痛くなり、反射的にぎゅっと押さえた。シェラも表情を曇らせていた。しばらく黙っていたが、ため息をついたのち、話を続けた。
「光が消え、生き残ったエルフたちが見たのは、荒れ果てた地と壊れた見物塔、家があった場所には土台しか無く、民がいたであろう場所には黒い跡……。彼らはこれを機に居場所を変えた。変えざるを得なかった」
そう語る召喚士の声は震えていた。ヘイレンはそっと彼を窺うと、空色の眼から一筋の涙が落ちていくところだった。ドキッとした。
シェラは踵を返した。ヘイレンも遅れて後を追う。その背中は、悲哀に満ちていた。
エルフたちは強かった。民も集落も失ってしまったが、生き残った者たちがいる。だから、また一から集落を作り直せる。亡くなった彼らの分も強く生きよう。そう言って彼らは居場所を変え、ひっそりと暮らしているという。
「この森の何処かに、エルフたちが棲む集落への入口があるという噂だけど、実際に見たヒトはいないし、たどり着いたヒトもいないみたい」
僕も知らないんだよね、と召喚士が微笑した。涙の跡は無かった。そろそろ行こうか、とシェラが歩きだしたので、ヘイレンも小走りについていった。
「こんな壮絶な過去があったから、この遺跡が生まれたんだね……。それにしてもその光、結局何だったんだろう?」
ライファス遺跡を離れ、道標の池を通過し、地の国アーステラの王宮都市ダーラムまで戻る途中だった。
それは、とシェラが声のトーンを落として言った。
「聖なる光だったそうだよ」
「セイナルヒカリ……?」
「この世界には『天空界』と呼ばれる場所がある。場所っていうか世界っていうか……」
「テンクウカイ」
新しい単語が次々と出てくる。
「空に大陸が浮かんでいるんだ。そこに住むヒトたちは地界では『空の民』と呼ばれている。あ、地界っていうのはここの事ね」
歩きながらシェラは指で道を差した。ヘイレンはこくこくと頷く。
「で、天空界には3つの国が存在しているんだけど、そのうちの1つがホーリアといって、聖なる力を司る民の国なんだ。つまり……」
「その聖なる光はホーリアから放たれたものだった……ってこと?」
シェラは黙って頷いた。光の出所はわかったけど、とヘイレンは首を傾げる。
「でも、どうして聖なる光だってわかったの?」
シェラの魔法は氷だから見たらわかるけど、『聖』なる魔法は見てもわからない気がした。『白い光』なのが特徴なのだろうか?
「白い光だから、というのも確かにそうだね」とシェラは頷いた。
聖なる力は清めの力。邪気や闇を消す。聖なる光は、光と炎で焼き払う力があり、ホーリアの民が宿す魔法の一つ。闇を消すだけでなく、あらゆるものを破壊してしまうほど強い。
光は闇を消したり物を破壊した後、キラキラと雪のように光が舞い、空へと消えていく。
「エルフたちは、空へ消えていく光の名残を見て判別したんじゃないかな。その辺は詳しく聞いてないけど」
ふぅん、とヘイレンは小さくつぶやいた。
しかし、ホーリアはなぜ地界に、しかもエルフの集落に光を放ったのだろうか……。流石にそこはシェラも首を振った。
「ホーリアの民は天空界から降りてくることはめったに無いから、どうしてこんなことを、と問いただす事もできない。やられっぱなしのまま数百年が経ってしまっている状況だね……」
それはなんだかヒドイ話だと思った。反撃をしようにも、ホーリアがどこにあるのか地界からだとわからない。それくらい空高くに存在する国なのだそう。
「ボク、ホーリアが許せない」
いつの間にか拳を強く握りしめていた。それを見てシェラは苦笑した。
「故意なのか偶然なのかわからないのに、ホーリアを敵視するのはよくないよ。今のホーリアの王がこの件でライファス遺跡に赴いて懺悔した……ってことがあったから……」
数百年前の出来事なのに、当時の民ではなく子孫が謝罪する……。それもヘイレンにとっては腑に落ちないところだったが、エルフたちがその後反乱を起こすなどしていないことから、『この件は終わった』ことになっているみたいだ。
そんな話をしているうちに、気がつけばダーラムの大きな門の前に着いていた。門番に軽く会釈し都市に入ると、シェラは「こっち」と言って住居エリアに向かった。
同じような家が建ち並ぶ一画に、一軒だけ青い屋根でやや大きめの家が鎮座していた。もしかして、シェラの家なのか?
「巡礼でダーラムを訪れた召喚士たちが寝泊まりする場所なんだ。一般のヒトは出入り出来ないんだけど、一緒に連れているヒトは『付きビト』として扱われるんだ」
僕の家ではないよ、と笑う。
「僕の『付きビト』になったことにして、今日はここで休もうか」
シェラは普段から単独で巡礼しているらしいが、ヘイレンを1人にしたくないらしい。しばらく『付きビト』になることになった。
緊張しながら中に入った。2、3人程召喚士がいて、それぞれ挨拶した。皆優しくて、ヘイレンに良くしてくれた。
一緒に夕食をとり、召喚士の数だけ召喚獣もいるとか獣と折り合いをつけるのに苦労したとか、巡礼地での出来事とか、いろいろな話を聞かせてもらった。
夜、ふかふかのベッドに潜り込むと、秒で意識が飛んだ。そして、夢を見た。
*
そこは森の中だった。トア・ル森のように見えた。
光る蝶が舞い、幻想的だった。こんな蝶見たことないな、と思いながら道なりに進む。
開けた場所に出た。道標の池がある所によく似ているが、池は無く、一軒のログハウスが建っていた。
家の近くまで来ると、誰かがお茶を飲んでいた。銀の髪に猫か狐のような耳、青と白のワンピースを着ていて、白い部分には黄色の刺繍が施されている。
なぜか、彼女を知っている気がした。
こちらに気づきそっとカップを置いて立ち上がると、「ああ」と声を漏らした。
「……すっかり変わりましたね。その姿も素敵よ」
彼女はヒトの姿でも、ちゃんとボクだとわかってくれた。彼女はボクよりほんの少し背が高かった。シェラやアルスと違い、ほぼ真っ直ぐな視線で彼女を見ることができた。
ボクは、と自分が記憶喪失で以前の姿が思い出せないと言いかけた時、彼女がぎゅっと抱きしめてきた。突然の事に棒立ちになる。心の臓がバクバク言っている。
「大丈夫」
耳元でそっと囁かれてハッとする。風が強く吹いた。
「自分を信じて。きっと、思い出すから」
ボクは無意識に抱きしめ返していた。目を閉じて黙って頷くと、彼女は優しく髪を撫でてくれた。
風の音が大きくなると、彼女の存在が急に無くなった。目を開けると、そこは闇だった。森もログハウスも無い。もちろん彼女も……。
ぐにゃりと目眩がした。頭を抱えて目をギュッと閉じた。早く治って……!念じ続けていると、突然風の音が消えた。
しばしの無音。怖くて目が開けられない。動けない。息が詰まる。意識して深呼吸を一つついた瞬間、あの声が聞こえてきた。
『……見つけた』
*
ヘイレンは飛び起きた。
全身冷や汗でじっとりしていて、鼓動がとても早かった。胸が苦しくなって息がしづらくなる。
「あ……あ……」
なぜか上手く話せない。だんだん手足が痺れてくるのを感じた。
「ヘイレン!?」
隣で寝ていたシェラも飛び起きていて、優しく肩を抱き、手を握ってくれていた。身体がガクガクと激しく震えだした。
「ヘイレン!呼吸しろ!」
やってるよ!と言いたかったが、無理だった。ふっと力が無くなると、意識を失った。