第3章-1
冷たい風が、とても心地よかった。
ヘイレンはシェラと部屋を出て、テラスでぼんやりとエクセレビスの街並みを眺めていた。
毎日のように涙を流しているので、目の腫れぼったさが無くならない。泣き過ぎだとわかっていても、恐怖や悲しみが膨らむともうダメだ。すぐに涙腺が崩壊する。
ひとつ、大きくため息をつくと、横にいたシェラが口を開いた。
「アルス、なんでも一人で解決しようとするんだよね。僕たちを信用してないわけではないと思ってるけど、何だろう……ヒトを頼ることが出来ないというか下手というか……ヒト付き合いに不器用なのかな。たぶん」
話を聞きながら、ぼんやりアルスの事を想う。
浜辺で倒れていたところを助けてくれた。自分がヒトの姿になっていて、しかも記憶喪失になっていてパニックに陥った時、そっと抱きしめてくれた。これからどうすればいいんだろう、と不安になったとき、胸に手を当てて不安を取り除いてくれた……。
あ、とヘイレンは声を漏らした。シェラはどうかした?と首を傾げる。
「アルス、あの時ボクから『不安』を取り除いてくれた気がする。これからどうしたらいいんだろう、っていう不安」
「……どうやって?」
「ボクの胸に手を当ててただけに見えた。ボク、急に眠気がきてそのまま寝ちゃった。起きたら朝だった」
シェラの顔色が、少し青ざめたように見えた。
「ボク、なんか変なこと言った……?」
シェラは首を振って少し微笑んだが、目は笑っていなかった。視線を街並みに映した彼を見て、動揺しているのを感じたので、話題を変えようとそっとローブの裾を握った。
「……ボクに癒す力があるってシェラ言ってたけど、いつでも出せるかって言われると……無理だと思う。ボク自身、どうやって出したのかわからないし、出そうと思って出せるものなのかもわからない……」
シェラは俯いた。ふと手を見ると握り拳が震えていた。ヘイレンは彼を見上げた。
「シェラ……?」
「……ごめん、ヘイレン。僕が……アルスにあんな事を言わせて、君を傷つけさせた。咄嗟に言ってしまった……癒す力があるなんて……」
「でも、それはホントの事でしょ?ボクがシェラを癒しの力で助けたみたいだし……」
他人事のような言い方をしてしまった。実際に自覚が無かったのだからしょうがないのだが、自覚が無いからいつでも出せないのではないか、とも思った。
ヘイレンはひとつ決心した。
「ボク……いつでも癒しの力が出せるように頑張ってみるよ。だから……魔法の出しかたを教えてほしい」
そう言うと、シェラは驚いて彼を見た。しばらく見つめ合って、だんだん気まずくなってきたので、ヘイレンは首を傾けた。
「……ダメ?」
シェラは慌てたように首を振った。
「ダメなんてとんでもない!もちろん力になるよ。ただ、僕のやり方がヘイレンでも通用するのかわからないけど……やるだけやってみようか」
「うん!」
ヘイレンは元気よく頷いた。シェラも笑顔になった。
何となくあの部屋に戻るのが気まずくて、結局城内の騎士に街に戻る旨を王に伝える様お願いして城を出た。
アルスが無事だとわかったし、今の自分では何の役にも立たないと確信したので、あの場に戻っても仕方がない。だから帰る、とシェラにそう告げると、少し戸惑いながらも了承した。
慣れない雪道を戻り、エクセレビスの中央広場まで戻った時、突風が吹き荒れた。
空を見上げると、何度も見た黒い靄……ヘイレンには黒く見えた……が天に昇って行くところだった。自然とシェラの後ろに身を隠してローブを掴む。
しばらくシェラは靄を睨んでいたが、すっかり見えなくなると、ため息をついて視線を下ろした。
「襲ってこなかったね」
ヘイレンの言葉に、シェラはぎこちなく頷いた。
「さっきの靄……何か違うような気が……」
何が違うのかわからなかったが、彼が言うのならそうなのだろう。「ま、いいか」と考える事をやめ、宿に行こうか、と言った。
✳︎ ✳︎ ✳︎
アルスはひとり、黄昏時の風の谷を窓越しにぼんやりと眺めていた。
ヘイレンとシェラが部屋を出た後、少ししてミスティアが怒りを露わにしたまま出て行ったのだが、去り際の「あのまま牢で放っておけばよかった」という一言はなかなかキツかった。
すっかり意気消沈し王の風格を無くしたウォレスも、何も言わずに部屋を出て行った。何も言えなかった、というほうが正しいか。
アルスは大きなため息をついた。その時、背後に闇の気配を感じ取った。即座に振り返ると、そこには自分によく似たジンブツがぼんやり佇んでいた。
「……キルス……なんで……」
森で探していたヒトが目の前にいた。濃い紫色の靄を纏っているので、今朝襲ってきた靄とは違う。そして見慣れた姿だったので、何の迷いもなく兄だと確信した。
彼は靄を消して実体化すると、ゆっくり近づいてきた。
「ここにお前の気配を感じたのでね。ああ、今お前が見ているのは幻影だ。意識だけをここに届かせている」
「今どこにいるんだ!?あんたのせいで俺は……自由を奪われてんだぞ!あんたがあんな事するから……」
「あんなこととは?」
まるで自覚が無いような言い方に怒りが増す。
「お前が森でヒトを殺したんだろ……!?」
「ほう……俺が殺したという証拠はあるのか?」
「俺によく似たオッドアイのジンブツが、この近くの森で霊体を生み出して大人数名を抹殺したって……」
「その犯人が俺だと言いたいんだな?面白いな」
兄はクツクツと笑う。
「それで、よく似たお前が疑われたと。それは災難だったな」
「お前……」
「俺が霊体を召喚できると思うか?」
それは、と言葉に詰まった。確かにそこはずっと引っかかっていた部分ではあった。『姿がよく似ている』ばかり意識していて、霊体の召喚ができたかどうかは棚上げにしていた。やれやれ、と兄はため息をつき、「濡れ衣を着せるな」と言い捨てた。
キルスでもなく、例の靄のジンブツでも無ければ一体誰なのか……。沈黙が降りる。
途方に暮れたアルスは、居心地が悪くなり、無理やり話題を変えようとして、ふと思い出したことを口にした。
「……なあ、今もまだくだらない野望抱いてんのか?」
くだらない野望というのは、『世界を支配する』ことだ。キルスはふん、と鼻で笑う。
「お前にそっぽを向かれたからどうでも良くなった」
なんとも諦めの良い奴だと思った。安堵も束の間、「だが」と兄は続けたので緊張が走った。
「あいつの復讐に加担しようと決めた。その為には今以上の戦闘力が必要だ」
「俺は加担しねえぞ。てか、あいつって誰だよ」
「……協力を拒むなら話は終わりだ」
そう言うと、靄を纏ってさっと消えてしまった。突然の会話終了に唖然とする。
窓の外を見直すと、靄が空へと昇っていくのが見えた。アルスは唇を噛んだ。
✳︎ ✳︎ ✳︎
空が黒から青へ、朝を告げようとしていた頃、ヘイレンは胸がざわついて目が覚めた。
外が妙に騒がしい。窓のカーテンをちらりとめくってみると、トア・ル森へと走っていく鎧を着た騎士たちの姿が目に飛び込んできた。
何かが起きているのは確かだろう。もしかして、あの事件の犯人でも見つかったのだろうか?
隣で寝ているシェラを見るが、彼は起きる様子がなかった。昨日の事で気疲れさせたから、ゆっくり休んで欲しかった。
ヘイレンはそっとベッドから降り、物音を極力立てずに支度してこっそり部屋を出た。廊下を進み、ロビーに出ると、半獣の騎士たちで溢れかえっていた。
圧倒されていると、彼らに指示していたヒトと目があった。明るめのベージュの髪と、吸い込まれそうな瑠璃色の眼。紺のシャツとズボン、腰に白い帯を巻いていた。さらに紺のコートを羽織っている。
その凛々しい姿に思わず見惚れてしまっていると、半獣の騎士たちを外へ出したのち、こちらに近づいてきた。
思わず身をすくめてしまった。それを見て相手は一瞬目を見開くも、小さく微笑んだ。
「こんな朝早くから騒がしくして申し訳ない。君は……シェラと一緒にいたコだね」
「え……!?シェラの……知り合いですか……?」
「彼を知らない人はそうそういないよ。地界で最も慕われている召喚士だしね」
そんなに凄いヒトだとは知らなかった。そう言えばウィンシス城の門番も「様」を付けて呼んでいたなと思い出した。
「で、君は……?彼の巡礼のお付ではなさそうだけど」
ハッとして慌てて自己紹介をした。詳しくは話さなかったが、記憶喪失であることを少し話した。
「そうか……それは大変だったね。私はラウル。今だけエクセレビスの弓隊の隊長を務めている」
「今だけ……?」
「トア・ル森で起きた事件をご存知か?」
ヘイレンは黙って頷く。
「その件が終わるまで、という契約なんだ」
へぇ、と思わず声を漏らした。事件が解決したらどうするんだろうと思ったが、それよりも気になった事を聞いてみた。
「あの……何かあったんですか?犯人が見つかったとか……ですか?」
途端、ラウルは真顔になった。緊張が走る。
「仰る通り。この近くで目撃したヒトがいて、森へ逃げていったと。今しがた捜索を始めたところだ。危険だから森へは近づかないように。シェラにもそう伝えておいて欲しい」
ヘイレンは二、三度頷いた。ラウルは一瞬微笑むと、何も言わずに宿を出て行った。
部屋に戻ると、シェラが蒼白な顔をして立っていた。
「ああ……!ヘイレン!!よかった……」
駆け寄ると、ヘイレンをぎゅっと抱きしめた。
起きたら姿がなく、外も騒がしいので、何者かに拉致されたのかとすごく不安になっていたらしい。
「ごめんなさい……心配かけて」
シェラの腕に抱かれながら、ヘイレンは謝った。彼はそっと抱擁を解いた。
「どこ行ってたの?」
「ロビーに行ってた。ラウルさんってヒトとちょっとだけ喋った……」
ラウル、とシェラは復唱する。何か勘づいたようで、彼はカーテンを開けて外を見た。
モノクロの景色に、鎧の銀と半獣たちの茶や黒の毛色が混じっている。彼らは武器を携えて森に入っていく。
「犯人でも見つかったのか……?」
シェラのつぶやきにヘイレンはうん、と答えた。
「森へは近づかないようにって言われた。シェラにも伝えて欲しいって……」
そうか、とシェラはため息をついた。
ヘイレンは召喚士の後ろ姿をじっと眺めていた。解いた長い亜麻色の髪が美しい。彼が慕われているのは、性格はもちろん、美貌を併せ持っているからなのかもしれない。そんな事をぼんやりと思っていた。
不意に振り向かれて目が合い、ドキッとした。シェラは少し首を傾げたが、何も言わず自分のベッドに戻っていく。無意識に目で追っていた。
着替えようと部屋着を脱ぎ出したので、慌てて窓の方を向いて何となくカーテンを閉めた。
シェラには魅了する「何か」がある。……上手く表現できないのがもどかしい。
「そんな慌てなくても」と召喚士が笑う。そっと振り返るともう着替え終えており、見慣れたローブを着ていた。軽く髪を手で梳かし、慣れた手つきで一つに結ぶ。もう、全ての仕草が、ずるい。
「……ヘイレン?大丈夫?」
気がつくと、目の前で召喚士が心配の眼差しでこちらを見ていた。
「あ……う、うん……だい…じょうぶ……」
顔が熱い。シェラはくすりと笑った。
「ほっぺたが赤いよ。熱でもあるのかな……?」
すらっとした左手が、ヘイレンの額に触れそうになったのを、全力で首を振って阻止した。
「ち、ちがうちがう!!熱なんかないよ!!」
ヘイレンは照れを必死に隠しながら部屋を飛び出した。
「あ、待って!」
慌てた声を聞きながら、走ってロビーへと向かってしまった。
宿のロビーは静かだった。自分の鼓動が激しく打ちつけている。走ったせいでもあるが、痛いくらいにドクドク鳴っているのはどうしたものか……。
何度も深呼吸を繰り返して落ち着こうとするも、歩いてやってきたシェラに声をかけられると、また鼓動が早くなる。
「本当に大丈夫?ちょっと様子が変だけど……」
変にしたのはあなたのせいだ……。と、勝手にシェラを悪者にしたくなった。この感情は何なのか。何故か泣きたくなるのを必死にこらえる。
「大丈夫!大丈夫だから!!」
自分に嘘をつく。まともにシェラを見られず、宿の外へ逃げるように出た。
中央広場に着くまで、無我夢中で走っていた。ふと足を止め、広場には自分だけが立っていることにようやく気がつく。
大気がざわめいている。胸騒ぎがする。ヘイレンは目を閉じ、じっと風の音を聞いた。
森の方角から、何かが来るような……。
目を開けて素早く振り返ると、ぼんやりと青白いヒト型がこちらに近づいてきていた。
ポーチに手を突っ込み、中の魔法石をギュッと掴む。足が震え始めたが、ぐっと堪えた。
青白いヒト型が、ゆっくりと光を消していく。現れたのは、短髪の赤毛に黒いコートを纏ったヒトだった。コートの中も黒い服、腰の帯はくすんだ赤色。紫と赤の眼を持つオッドアイだった。
「……!!」
恐怖のあまり、2、3歩後ずさる。相手は小さく口角を上げた。
『……見つけた』
言うや否や、飛ぶように駆けて一気に距離を詰めてきた。そして、右手でヘイレンの首を掴んで押し倒した。
「がはっ……!」
ポーチから手を離してしまい、弾みで魔法石が転がり出てしまった。石はヘイレンから少し離れたところで静止した。頑張れば届きそうな距離だが、手を伸ばす余裕など無かった。
相手が思いきり首を絞めてきたからだ。
息が出来ない。両手で必死に相手の右手を掴んでもがくも、さらに力を込められる。
このままでは締め殺されてしまう!!
瞑っていた目を片目だけ開けると、左手から紫と赤の炎が生み出されていた。
放たれたら終わる……。万事休すか。
「ヘイレン!!」
自分を呼ぶ召喚士の声と同時に、青白い光が飛んできた。敵はヘイレンの首を絞めたま身体を拗らせて左手をかざし、炎を放った。お互いの魔法がぶつかった瞬間、爆発し、敵が吹っ飛んだ。左手が首から離れ、息苦しさから解放された。
ヘイレンは夢中で身体を転がるようにひねり、魔法石を掴んで仰向けになると、真上から飛び込んでくる相手に向けて投げつけた。
魔法石が青白く輝き、氷の刃を作り、敵に向かって走っていった。いくつか相手に当たったはずだが、傷一つできなかった。
「なんで……!?」
呆然としてしまい、逃げることを忘れてしまっていた。突然横から身体をすくいあげられた。瞬間、衝撃音が轟く。さっきまで自分のいた場所に、敵が突っ込んでいた。
少し離れたところで降ろされる。腰が抜けて起き上がれない。見上げると、水色の刺繍を施したローブを纏った召喚士が、己の相棒と共に氷の波動を放ったところだった。
敵はそれをまた炎で打ち消そうとする。再びぶつかり合い、爆発する。爆風が視界を掠める。
「上か!!」
シェラは槍を持ち直して上空に氷の壁を作る。相手も炎で応戦しかけた。
が、その時、敵の身体が揺らいだ。
「……!?」
身体の真ん中を、矢が貫いていた。敵はふわりと氷の壁の脇に落ちていく。さらに矢が飛んできて、身体を貫いた。
すると、敵は青白い光を放って霧散していった。刺さっていた矢も一緒に消えた。
静かになり、相手の気配が消えた途端、首に痛みが走って激しく咳き込んだ。
「ヘイレン!しっかり……!」
シェラが背中をさすってくれるが、苦しくて涙が溢れ出る。ヘイレンは首元を押さえて咳き込みながらも必死に念じた。
この苦しみを、取って……!!
白い光が淡く現れると、徐々に痛みが引いていくのを感じた。
「え……」
光が消えると咳も止まり、痛みも無くなっていた。手を離してじっと見つめる。今、もしかして、ボク……。
「自分で……治した……?」
シェラの声が震えていた。ヘイレンは彼を見上げた。涙でぼやけて表情がわからなかった。瞬きをして涙を落とし、ローブの裾で顔を拭いた。
「ボク……使えた……自分の……魔法……」
シェラはそっとヘイレンの髪を撫でると、優しく抱きしめた。安心感が一気にやってきて、身体が震えた。
怖かった。死ぬかと思った。シェラ、ありがとう。
そう言いたかったが、召喚士を抱き返して声を上げて泣いてしまった。