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第2章-4

外は雪がちらついていた。


 半獣の子供たちが、積もった雪で遊んでいる。丸めた雪を投げあったり、雪玉を作って重ね、大きな雪だるまを作ったりしていた。


 そんな微笑ましい様子をぼんやりと眺めていると、布団の擦れる音がした。振り向くと、金髪の青年がうんと伸びをして、目を擦っていた。


「おはよう、ヘイレン」


 シェラは優しく声をかける。


「おはよう、シェラ。……ここどこ?」

「風の谷エクセレビスだよ」


 ふうん、と部屋をぐるりと眺める。突然思い出したかのように、ばっとこちらを見た。


「ケガは……!?」


 シェラは首を横に振って微笑んだ。


「ヘイレンが治してくれたから、大丈夫だよ」

「……ボクが?治した??」


 ぽかんとしている彼の側に座り、そっと髪を撫でた。


「白い光に包まれて、僕はそれを吸い込んだ。そしたら身体が軽くなって、痛みも傷も全て消えていって。不思議な空間だったな……」


 自分の体験を語るも、彼は戸惑うばかりだった。視線を両手に向け、しばし見つめる。


「ボク……ただ……シェラが死にかけてたから……必死に叫ぶことしか出来なくて……何も出来ない自分がイヤで……でも……やっぱり……」


 涙がぽたぽたと溢れ、身体が震えだす。シェラは溜め息を吐いて肩に手を回して抱き寄せた。


「……泣きすぎだよ」

「だって……」

「……ヘイレン、ありがとう」


 声を上げて泣きじゃくる様子を、外で遊んでいた子供たちの視線を感じながら、シェラはずっと金の髪を撫でていた。






 ようやく落ち着いた頃、療養所の医師が様子を見にきた。シェラがもう大丈夫だと告げると、医師は胸を撫で下ろした。


「あの……ひとつ伺っても?」


 首を傾げる医師に、アルスの事を聞いてみた。


「ああ、2日前にこうそ……いや、保護されたヒトね。それならウィンシス城にいるよ」


 言い直したことに少し引っかかったが、居場所がわかったので聞き流しておこうと思った。


 でも、と医師は眉間に皺を寄せた。


「ウィンシス城は今、固く門を閉ざしている。なんでも黒い(もや)の襲撃を受けたらしくて」

「……それはいつの事ですか?」

「昨日の昼頃だったかな。でも、ちょっとして靄が城から森の方向へ飛んでいくのは見たなあ」


 シェラと一戦交えた黒い靄は、先にアルスを襲ったということか……?彼は無事なんだろうか。


「アルス大丈夫かな……」


 ヘイレンも不安になる。とにかく城の前まで行ってみるしかない。医師に礼を言い、身支度を整えて療養所を後にした。


 雪で色のない街になっていた。子供たちのはしゃぐ声を聞きながら、シェラはヘイレンの手を引いて雪道を慎重に歩いた。彼が時々足を滑らせてひっくり返りそうになるのを助けながら、2人はようやく城の門前に着いた。


 静かに佇む大きな扉を前に、ヘイレンは開いた口が塞がらない様子だった。そして、門番を見つけると、びくっと身体を強張らせた。


 下半身が虎の身体を持つ半獣だった。四肢を雪に埋らせながらこちらに近づいてくる。四肢とは別に腕があり、矢筒を担ぎ、弓を握っていた。


 間近に立たれるとシェラより背が高く、大柄だった。ヘイレンはすっかり怯えてローブの裾を強く握ってシェラの背中に隠れている。


「こちらにアルスが保護されていると伺い参りました。王に事前のお伺いも立てず足を運んだ無礼をお許しください」


 深々と頭を下げて詫びる。後ろの青年も震えながら彼に倣って頭を下げている様子だった。


「頭をお上げください、召喚士様。王よりあなた方がお見えになったら通すようにと命ぜられておりましたので。さあ、こちらへ」


 2人はやや驚いて上体を起こした。体格とは裏腹にとても優しい女性の声だった。門番は(きびす)を返して別の門番に指令した。ややあって、ゆっくりと石の擦れる音を立てながら門が開き始めた。


「……今の門番さん、女のヒトだったんだ……」


 離れて姿が見えなくなってから、ヘイレンがつぶやいた。半獣は上半身に鎧や服を着ているので、見た目では雌雄がわからない事が多い。虎や馬といった四足歩行のそれは、声が判断材料となる。


「風の国はヒトと動物の混血種がほとんどで、彼らは『半獣』と呼ばれているよ。この国の王も鳥との半獣だね」

「へぇ……なんか、凄い……」


 門が開ききっておとなしくなった。ヘイレンがシェラの横に立ったのを見て、そっと歩き出した。







「お待ちしておりました、シェラード様」


 ウィンシス城に入ると、鎧を身につけた騎士2人が頭を下げて一礼した。足元が鳥の半獣だった。彼らは「こちらへ」と目の前の大きく広い階段に誘導した。


「お城の中、広くて壁が綺麗……」


 ヘイレンは緊張しつつも目を輝かせながら当たりを見回していた。アイボリーの壁や柱には美しい彫刻が施されており、蔦が巻きついているところもあった。


 階段を上りきり、長い廊下を進む。しんと静まり返り、騎士の鎧の音と彼らの足音がよく響いた。


 突き当たりを曲がると、テラスが広がっていた。下を見ると、近くには先程通ってきた門が見える。少し視線を上げると、雪化粧をほどこしたエクセレビスの街並みが見えた。


「うわぁ……」


 思わず立ち止まるヘイレン。シェラも足を止める。冷たい風が優しく金色と亜麻色の髪を撫でる。


 先を歩いていた騎士が戻ってきたのを見て、ヘイレンに声をかけようとしたが、やめた。彼の頬を涙が通っていったのを見てしまったからだ。


 視線を感じたのか、ハッとして慌てて涙を拭くと、苦笑いを浮かべた。


「……ごめん。あまりにも綺麗だったから……」


 シェラは首を振って先に歩き出した。小走りに後を追ってくる足音を聞きながら。






「陛下、シェラード様をお連れしました」


 一際豪華な扉の前で騎士が告げると、奥から「どうぞ」と柔らかな声が返ってきた。一国の王がこの先にいると知ったヘイレンは、思わず後ずさった。


「ぼ、ボク……お、王さまの前での……れ、礼儀がわからない……」

「大丈夫。ここの王はそんなにかしこまらなくてもいい相手だよ」

「え、で、でも……」


 いつの間にかローブを強く握られていて思わず笑みをこぼす。優しく手を取り、そっと離してもらうと、緊張した面持ちでシェラを見上げてきたので、微笑んでみせた。それじゃあ、と提案する。


「門番にしたお辞儀をしようか。タイミングは……そうだな、僕の後に倣ってすればいい」


 ヘイレンは小さく頷いた。シェラは騎士に目配せを交わすと、そっと扉を開けた。


「シェラ!」


 広間に入って間もないうちに、豪奢(ごうしゃ)な淡い緑色のローブを(まと)った王が、駆け寄ってきた。


 草色の髪と眼、端正な顔立ち、首元には羽毛があり、黄緑から白へと変わるグラデーションが美しい。ローブの下はかっちしりたシャツにエメラルドがはまったループタイを絞めていた。裾の広いズボンから見える脚は太くて立派な鳥のそれだった。背中に鷹の翼を2対4枚持ち、下の翼はやや小さくて細かった。


 門番も大きかったが、王もまたシェラより大きかった。あまりの大きさに、ヘイレンの緊張と恐怖がピークに達していた。ガクガクと震えだし、今にも叫びそうな勢いだったので、シェラは慌てて王を止めた。


「ちょっとストップ!」


 シェラの一言にヘイレンはきょとんとした。


「……シェラ、いま、なんて……」


 困惑する青年を見て、王が笑った。


「随分怖がらせてしまったようですね……申し訳ない」


 王に謝られてますます訳がわからなくなっている様子だった。


「ごめん……事前に伝えておくべきだったね。王……ウォレスとは旧知の仲なんだ。だから……」

「そう……なん……だ……」


 緊張の糸が切れ、へなへなとその場にぺたんと座り込んでしまった。その様子に王はさらに笑う。その笑みはヘイレンのようにどこか幼い。


「ごめん、ウォレス。ヘイレンにきちんと説明しないで来ちゃった」


「本当ですよ!なんならかしこまったお辞儀なんていらないですし!」


 優しい声だが、言い方が王様らしくない。そして、ここに入る前の会話を聞かれていたことに、少し頬が紅潮したように感じた。






「……もう話しても大丈夫です?」


 ややあって、ウォレスはヘイレンに話しかけた。彼は身体を強張らせたが、慌てて立ち上がってローブを整えた。王は小さく咳払いすると、片膝をついた。視線の高さがヘイレンとうんと近くなった。


「ようこそ風の国ヴェントルへ。私は一国の王、ウォレスと申します」

「へ……ヘイレンです……」


 お互いに深々とお辞儀をする。王が片膝をついている様子が滑稽だった。普通は逆だろうに……。体格差があり過ぎる故の光景だった。


 すっとウォレスは立ち上がると、奥の扉を示した。


「あちらにアルスがいらっしゃいます。体調も快方に向かっているようですので、案内しますね」


 シェラはどういうことか一瞬わからなかった。だが、もしかして……と思い、聞いてみた。


「黒い靄に襲われたんだって?」


 シェラは歩き出す王の背中に問いかけた。すると翼を少しひくつかせて足を止めた。振り返った表情は一変して固かった。


「……そのようです。私は靄が部屋から飛び去っていくのを見ただけで、実際の姿は見ていません」

「アルスは……大丈夫だったの?」

「ええ……。追い払ったのはあの方ですから。その場にミスティアもいましたが、彼女も無事でした」


 今度は魔力を奪われるようなことは無かったようだ。ほっと胸を撫で下ろした。


 あの嵐の日に保護されたなら、体調が崩れていても不思議ではない。……でもまあ、無事ならそれでいい。


「さ、こちらへ。アルス、入りますね」


 ウォレスがノックをして声をかけ、ゆっくり扉を開けた。部屋の壁に寄りかかっていたアルスの姿を見かけると、ヘイレンは破顔し飛ぶように駆けだして彼に抱きついた。


 突然の出来事に、当の本人は固まっていた。


「よかったぁ……無事で!!」


 顔を埋めながら、次第に啜り泣く音が聞こえてきた。


「どれだけ心配させてたか、ヘイレンにしっかり説教されてよね」


 ため息混じりに言ってやった。アルスと一瞬目が合うが、すぐに視線はヘイレンに向けられた。その色は紫色だった。右眼はやはり前髪で隠されていてよく見えない。


 ふとシェラは、彼が『黒の一族』なのかという疑念を思い出したが、今はそれを問う時ではないと思った。本当に一族であったとしても……関係が崩れることはたぶん、ない。






 ミスティアが淹れてくれたハーブティーと菓子を囲んでほっと一息ついたところで、シェラは口を開いた。


「結局例の事件の犯人には出会えず?」


 アルスは彼を一瞥すると、無言でハーブティーを口にした。その事なんだけど、とミスティアが割って入る。


「なんでアルスがそいつを探してたのか、返事聞いてないんだけど」


 持っていたティーカップをゆっくり下ろしてテーブルに置くと、目を閉じてため息をついた。シェラもミスティアも、彼の言葉を待つ。ヘイレンとウォレスは少し遠くの位置から見守っている。


「……俺によく似た奴だと聞いて、兄じゃねえかと疑ったまでだ」

「兄……」


 ミスティアは息を呑んだ。そう言えばそんなことも話していたな、とシェラも思い出した。


「キルス、ってヒトだっけ?」


 そう言ったのはヘイレンだった。アルスは彼を見てああ、と頷いた。2呼吸程おいて口を開きかけたが、閉口して俯いてしまった。どう話すべきか迷っているのだろうか……。


 気まずい空気が漂う。


「……お兄さんは、世界を支配しようと考えてるんだよね?それを止めようと思って、探したんだよね?」


 ヘイレンの問いにアルスは顔を上げて睨んだ。鋭い眼差しに一瞬たじろいだが、金色の瞳は彼をじっと睨み返した。


「ボクは……アルスのお兄さんのこと全然わからないけど、その……世界を支配しようとする行動が、ボクたちにとって不幸なことなら、ボクだって……止めたい。だから、ボク……」


 一瞬言葉に詰まったが、意を決してひとつ頷く。


「アルスの力になりたい」


 しばらく見つめていたが、目を逸らし鼻で笑った。ややあって、アルスは再びヘイレンを睨んだ。


「お前に何ができる?」

「それは……」

「ヘイレンには傷を癒す力がある」


 シェラは思わず立ち上がってアルスを見下ろしたが、相手も立ち上がったので見下ろされた。


「黒い靄の闇をくらって死にかけた僕を、ヘイレンが助けてくれた」

「……何?」

「黒い靄と接触したんですか!?」


 アルスとウォレスが同時に発言した。シェラから見て彼らは対角にいたので、一瞬どちらに視線を向けるべきか迷ったが、結局アルスを見た。


「傷を癒す力があるだけでも、すごく頼りになるんじゃないか?」

「その力はいつでも出せるものなのか?」


 それは……と戸惑い、返事ができなかった。アルスはヘイレンに視線を移した。彼は怯えた目をしていた。口元が震えている。


「やめて。ヘイレンが怯えてるわ」


 ミスティアがヘイレンに近づき、そっと抱擁したが、ヘイレンはそれを払い除けてアルスに食ってかかった。


「ボクが……そんなに邪魔なの!?」


 ダメだ、そんなこと言ったらあっさり邪魔だと返されてしまう。そのショックに耐えられるとは思えない。


「……お前を巻き込みたくない」

「じゃあほかのヒトはいいの!?」

「そういう事じゃない。この件は俺だけの問題だ。関係のないヒトを巻き込みたくない」

「でも!!」


 ヘイレンやめてくれ、アルスにこれ以上かかるのは……。心を傷つけられてしまう。


「ボクはアルスの力になりたいの!ずっと助けられっぱなしはイヤなの!」

「ヒトひとり救ったからって、調子に乗るな」

「アルスやめろ!!」

「アルスやめて!!」


 これには我慢ならなかった。ミスティアも怒りを込めて怒鳴った。彼女はヘイレンの手を引くと、半ば強引に抱きしめた。彼は目を見開き呆然としていた。溜まっていた涙が頬を伝う。


「ヘイレンがどれだけあなたのことを心配していたか、今さっき聞いたはずなのに、そんな突き放す言い方するなんて……!」


 ミスティアのアルスを睨む眼が怖かった。睨まれた側もやや驚いた様子だった。


「巻き込みたくないんなら、さっさと一人で探したらどう?トア・ル森にいなかったのなら、手当たり次第探せば?!」

「みなさん、もうやめてください……」


 王の声に、ヘイレン以外視線を向けた。翼はだらりと力なく下がっていて、表情も疲弊していた。


「……森で起きた事件の犯人の捜索は、地界全土で行われています。ですから、アルスが出歩くと……確実に拘束されてしまいます。だから私は王令を下したのです。ヴェントルで保護し、城から出さないようにと」


 アルスは保護という名の軟禁状態に置かれていたのか。ミスティアも自分の発言が王令と矛盾していた事に気がつき、青ざめた。


 ウォレスは彼女を見て首を横に振って「いいんですよ」と小声で言った。ミスティアはため息をついて振り返ると、アルスに吐き捨てるように言った。


「どうせこっちで軟禁してもいつかは脱走するでしょうし、それだったらもう、いっそのこと外に出したら?ヒト違いで捕まっちゃったっていいじゃない」


 彼女の怒りは収まっていなかった。ウォレスはお手上げ状態と言わんばかりにため息をつく。シェラはヘイレンが震えていることに気がつき、彼女を止めた。


「ティア、もうやめよう。ヘイレンの心が壊れる」


 ハッとして彼女は抱きしめていた青年を見下ろした。彼はいまだに呆然としていて瞬きすら忘れていた。


「……ごめんなさい、ヘイレン」


 ミスティアは抱擁を解いた。青年は首を横に振って涙を拭き、とぼとぼと部屋を出ようとした。


 シェラは彼の前に扉を塞ぐように立った。すると、ローブの裾をきゅっと掴んで見上げてきた。ここから出たい、いなくなりたい。そんな訴えの眼差しだった。


 小さく頷いて、彼の背中にそっと触れて、一緒に部屋を出た。残された彼らの視線は、怒りや悲しみ、困惑を帯びていた。

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