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第2章-3

 シェラはヘイレンと共にトア・ル森の入口に立っていた。ここから先は魔物や霊体が蔓延(はびこ)っている。ヘイレンが丸腰の状態で行こうとするので、慌てて止めた次第だ。


 彼は一刻も早くアルスに会いたいようで、周りが見えなくなっているようだった。ダーラムを出てここに来るまで、ずっと走ってきた。


 思いの外速く、追いつこうにも追いつかなかったので、森の入口に氷の壁を作って行手を塞いだ。


「シェラ、この壁取って」

「ちょっと……待って……そんな、に、急いで……行かなくて、も……無事なんだ、から……」


 息が上がってまともに話せない。手を膝に当て、地面に向かって深呼吸を繰り返す間、ヘイレンはじっとこちらを見ていた。


 早くして欲しい、という視線を向けられているのがひしひしと伝わってくる。シェラはゆっくり上半身を起こして大きく一つため息をついた。


「森に入る前に、これを」


 腰につけていたポーチから石を2つ取り出してヘイレンに渡す。水色に白の筋が入ったような模様で、丸くツルツルしている。


「これは……?」

「魔法石っていって、これを敵に向かって投げると魔法が放たれて相手に攻撃できるんだ。投げないで自分の前でかざすと壁を作って守れる。氷の魔法を秘めたものだけど、いざというときに使って」


 彼は手にすっぽり収まった石をしばらく見つめ、それからそっと斜め掛けのポーチに入れた。


「早く向かいたい気持ちはわかるけど、ここからエクセレビスまでの道は危険地帯だ。僕から絶対に離れないように」


 金色の眼をしっかり見て言い聞かせると、彼は黙って頷いた。






 森に入り、真っ直ぐ道なりに進む。木々が所々で木漏れ日を作っているので、暗くはない。鳥のさえずりが聴こえてくる。時々風が草木の香りを微かに運んでくる。


 ヘイレンはすっかり落ち着きを取り戻し、森が運んでくる変化を楽しんでいる様子だった。


「すごい……ここ広いね……」


 ちょうど森の中心付近に辿り着いた頃、シェラのローブの裾を少し握りながら彼はつぶやいた。


 そこは少し開けた場所で、石畳の地面にいくつか低く小さな柱が立っていた。中央に大きな吾妻屋のようなものがあり、その下に小さな池がある。


 シェラたちは池の前まで行き、そっと覗いてみた。やんわりと青白く光ったのを見て、ヘイレンが驚いて背中に隠れた。


「大丈夫だよ。道標の池といって、覗くと東西南北に何があるか示してくれるんだ。ほら」


 振り返ってそっとヘイレンを促す。彼の背中に優しく手を当てて、ゆっくり池に近づかせる。そわそわしながらヘイレンは改めて池を見た。


 池は4つの模様を映し出していた。自分たちのいる側は四角形がひとつ、その向かいは渦巻きの模様、右側は火、左側は鳥の羽だった。


「この四角はダーラムのこと?」

「そう。正しくは『地の国』の意味らしいよ」

「ふぅん……。じゃあ、渦巻は?」

「風。この先に風の谷エクセレビスがある」

「それじゃあボクたちは真っ直ぐ進めばいいんだね」


 黙って頷くと、彼は池から視線を離し真っ直ぐ前を向いた。だが、すぐにまた池へと戻る。


「じゃあこの、火と鳥の羽はなんだろう?」

「火は火の国ファイストのことで、鳥の羽はライファス遺跡だよ」

「ライファス遺跡?」

「かつてここにエルフの民が町を作って暮らしていたんだって。今は住処を変えて何処かでひっそりと暮らしてるらしいけど」

「……エルフって?」


 ああ……そうだった。彼が記憶喪失だったことをすっかり忘れていた。


「エルフは妖精族。見た目はヒトだけど、とんがった耳と金の髪と深緑の眼が特徴かな。小柄な体格だった気がする」


 へぇ、と彼は感心しっぱなしだったが、何か引っかかったようだ。あれ、と声を漏らす。


「シェラはエルフに会ったことがあるの?」

「随分前だけどね……」


 いいなあ!と目を輝かせた。思わず笑みが溢れる。


「ボクもいつか会ってみたいなぁ」


 ヘイレンならきっと会えるような気がしたが、黙って微笑むに留めておいた。






 池を後にし、エクセレビスに向かって歩いていた。少し冷たいが心地よいそよ風が時折吹く。しかし、シェラは違和感を覚えていた。


 それを察したのか、ヘイレンがこちらを見上げる。


「どうしたの?何かいる?」

「いや……むしろ……」


 『何もいない』のだ。魔物も霊体も。こんなに気配を感じずに谷の近くまで行けるなんて、シェラの中では初めてのことだった。


 敵と出会わないことはいい事ではあるが、それにしても静かすぎる。


 と、突然ヘイレンが足を止めた。ローブの裾が引っ張られてシェラも立ち止まって振り返った。


「どうした?何かいる?」


 さっき聞かれたことをそのまま返してしまったが、彼はシェラを見て小さく頷いた。


 彼は気配を感じているようだが、シェラにはまだわからなかった。ずっと視線が風の谷の方向だったので、同じ方を向く。


 長く緩やかな下り坂になっていて、ここを下れば谷の入口なのだが……。門番の気配でも感じたのだろうか。


「……いる」


 ぼそっと彼のつぶやきを聞き、シェラは腰に差していた短い杖を手にし、身構えた。ヘイレンを自分の左側に来るように言い、そっと抱き寄せた。


 彼もまた、ポーチに手を突っ込んで警戒しているが、身体は震えていた。


 刹那、谷の方向から強い風が吹いた。強い魔力を運んでくるのを感じ、シェラは右手に力を込めた。

ガントレットが光り、それが杖を伝って上下に伸びると、氷の槍を作った。


 その光景に、ヘイレンが目を丸くする。


「僕に掴まれ!」


 そう叫ぶと、ハッと我に返り、ポーチから手を出してシェラの腰に手を回してがっちり掴まった。


 右足を少し前に出し槍を回して先端を地面に突き刺すと、バリバリと氷の割れるような音を立てて壁が現れ、2人を囲んだ。同時にドンっ、と鈍い音がして衝撃波が襲ってきた。


 壁にヒビが少し走った。シェラはヘイレンを一瞥する。彼は胸元に顔を埋めていた。恐怖が伝わってくる。


 左手でヘイレンをしっかり抱くと、シェラは槍を抜き後ろへ飛んだ。壁はひび割れていき、ついには砕け散った。シェラは相手を認めた。黒い靄を纏った青白いヒト型だった。


 相手は左手を突き出しながら襲いかかってきた。ヘイレンを背中に押しやると、槍を少し後ろに引き、勢いよく前に突いた。


 先端から大きな氷の塊が放たれ、相手の左手に当たる。瞬間、手は凍りつき、次いで腕、肩、胸と凍りつかせていく。槍を一瞬引くと、左から右へと薙ぎ払った。氷の刃が弧を描いて相手の腹部に直撃したようにみえた。


 ヒト型は攻撃をかわし頭上を通っていく。シェラは追うように振り返り、恐怖で固まるヘイレンとヒト型の間に入る。彼を抱いて飛び退る時間など無かった。直後に闇の魔法がシェラの背中に当たり、ヘイレンもろとも吹き飛ばされた。


「あっ……」


 ヘイレンの華奢な身体が離れていく。シェラは槍を彼に向けて投げた。それは眩しい光を放ち、槍から獣の形へと変化してヘイレンを包み、空高く跳び上がった。


 地面に叩きつけられそうになる直前に左手をついて受け身を取る。3回転程ころがったが足を踏ん張り、なんとか木への激突を防いだ。立ちあがろうとした時、熱いものが喉を勢いよく駆け上がってきた。


「がはっ……!!」


 鮮血が地を染めた。四つん這いになって何度か咳き込んだ。そうしている間に、ヒト型がこちらに近づいてきているはずだった。


 顔を上げると、相手は上空にいるヘイレンに向けて右手をかざしていた。赤と紫が混じった炎を放つ寸前だった。シェラは両手に渾身の力を込め、雄叫びを上げた。


 無数の氷が大地を伝ってヒト型に迫る。その勢いは凄まじく速かった。ヒト型は氷を見て炎をそれに向けたが間に合わず、一気に飲み込まれていった。


(砕け!)


 シェラがそう念じると、大地の氷は一瞬にして砕け散った。キラキラと舞い上がるそれらが陽光に照らされ、美しいダイヤモンドダストを生み出した。


 ヒト型の姿は見えない。倒したのだろうか。目を凝らして見ると、黒い靄が集まり始めていた。


「エール!」


 掠れた声で彼女を呼んだ。跳び上がっていた光が降りてきた。


 光が消え、大きな獣が姿を現した。その容姿は狐だが、前脚は5本指の鉤爪で、体毛は水色と白。藍色の馬のような長い鬣は腰まで伸びている。二本足で立ち、ヘイレンをそっと降ろすと、振り返って両手を突き出した。


 波動でシェラが砕いた氷が飛んでいき、黒い靄に吹っかけた。靄は空へ舞い上がると、すっと消えていった。






「……逃したか」


 シェラは茜色に染まった空を仰ぐ。ヘイレンも同じように見上げていた。


「……気配、無くなった。たぶん、もういない」


 その言葉に安堵したことがトリガーとなった。激しい痛みが押し寄せ、吐き気を催した。


 咳き込みながら吐血した。


「シェラ!!」


 苦しさのあまり、その場に倒れ込む。かろうじて血溜まりを避けられたが、咳が止まらず吐血を繰り返した。


「え、ど、どうしたらいいの……!?」


 パニックになるヘイレンの声がだんだん遠ざかっていく。大きな獣……エールもすっと光を放って消えてしまった。自分の魔力が尽きたのだ。


 咳が止まると、意識が遠のいた。視界が薄れていく。ヘイレンの叫ぶ声も、もう聞こえない……。


「シェラ……シェラ!だめ……死なないで!!」


 ヘイレンが泣きながらシェラの背中に触れた時だ。淡い白い光が2人を包み込んだ。






 痛みがだんだん消えていくのは、死の世界……霊界へ足を突っ込んだからかと一瞬思った。しかし、そうではなかった。聞こえなくなっていた彼の声が、脳内に響き渡ったのだ。


「シェラ……いかないで……」


 ヘイレンが祈るようにつぶやく。その言葉に応えようと身体に力を入れようも、全く言うことを聞かない。


「シェラ……いかないでよぅ……」


 彼の涙が頬に落ちてきた。途端、身体が芯から温まるような感覚を覚えた。ぴくりと指先が反応する。ヘイレンはそれを見て、シェラの手を握った。


『彼を……守って……』


 瞬間、あの時シェラに告げた彼女の言葉が突然脳内を駆け巡った。ここで死んではならない……ヘイレンを、1人にしてはいけない……!


 シェラは大きく息を吸い込んだ。光が身体の内側に注ぎ込まれていく。目を開くと、泣きじゃくる彼の姿があった。


「いかないでええええ!!」


 悲痛の叫びと共に、どかっと抱きついてくるのを、しっかり受け止めた。彼の細い腕が、強くシェラの身体を抱きしめていた。目をぎゅっと閉じて、何度も何度もシェラの名を呼んでいた。


「……ヘイレン」


 シェラは彼を呼ぶと、はっと顔を上げた。空色と金色の眼が合う。涙が宙を舞っていた。


「シェラ……!?」

「……いかないよ。もう、大丈夫」


 ぱあっと笑顔になるヘイレンを再びぎゅっと抱きしめた。左手でそっと彼の髪を撫でた。眩い光が、シェラの傷を癒してゆく……。






 冷たい風が頬を撫でる。


 うっすらと目を開けると、目の前に広がっていた血溜まりがきれいさっぱり無くなっていた。背中がほんのり暖かい。腰を見ると、細く白い手が力なく乗っている。


「ヘイレン!?」


 横になったまま振り返ると、彼も同じように横たわっていた。肩に触れて軽く揺さぶるが反応がない。シェラは飛び起きてヘイレンの身体を起こし、そっと左胸に手を当てた。


 とくん、とくん、と小さいがしっかり鼓動を感じた。


「……生きてる……よかった……」


 安堵の溜息をついて、シェラは彼を抱きしめた。そして、自分の痛みがすっかり消えていること、魔力が戻っていることをに気がついた。


 まさか……ヘイレンの力?


 腕の中で静かに眠る彼を見つめる。その額にうっすらと汗が滲み出ていた。そっと首元に手を当てると、熱かった。


「……急がなきゃ」


 シェラはヘイレンを抱き上げ、谷の入口へと向かった。


 夜の森は、闇。エールを召喚して、周りを青白くさせて慎重に進む。相変わらず魔物や霊体の気配が無いのが不気味だった。


 長い坂を下り、ようやく谷の入口に着いたが、門限を過ぎていたため扉は固く閉ざされていた。


 ふと見上げると、小さな見張り小屋にヒトがいた。視線を送り続けていると、シェラに気づいたようで、少しざわついた。


 目の前の大きな扉の隅に付けられた小さな扉が開き、中から半獣の門番が出てきた。弓を携えてこちらに向かってくる。シェラと彼の後ろにいた大きな獣を見ると、驚いて跪き(こうべ)を垂れた。


「こんな時間に申し訳ないが、エクセレビスの療養所まで連れて行っていただけないだろうか?」


 一刻も早くヘイレンを看病しないと。門番はもちろんですとも!と小さな扉へと誘った。

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