第5話 ユリアの決意
「ふー……」
隣町の宿にやってきたノアールは、ユリアをベッドに寝かせた。
着ていた服は血まみれになっていたので、ノアールの替えの服を着せてある。
彼女は軽い方だとは思うのだが、人を一人背負って動くのはなかなかに骨が折れた。
普段それほど身体を動かしていなかったノアールには厳しい運動だった。
ノアールも椅子に腰かける。
ユリアが目覚めたとき、話すことを頭で整理するために。
窓の外はすでに暗い。
もう少ししたら寝てもいいくらいの時間だが、ノアールはまったく眠れる気配がなかった。
考えることが多いせいだ。
「……ん」
どれくらいの時間が経っただろうか。
ゆっくりと、ユリアの瞳が開いた。
「……ノア?」
「うん。おはよう、ユリア」
「……おはよう。あれ? わたし……」
ぼんやりとした瞳が、ノアールの顔を見据える。
その意識がはっきりしてくると共に、ユリアの顔色がどんどん悪くなっていった。
「わたし……馬車の中で刺されて……それで……」
ガタガタと震えだし、自身の身体を抱きしめるように布団に潜り込むユリア。
見ていられず、ノアールは彼女の身体を抱きしめた。
「ノア……?」
「大丈夫。大丈夫だから……」
「……うん。ありがとう、ノア……」
しばらくそうしていると、ユリアの顔がどんどん赤くなってくる。
ノアールの『書き換え』による副作用だろうか。
問題なかったはずだが、初めて使ったため何か問題が残ってしまったのかもしれない。
「ノ、ノア。もう大丈夫だから」
「そうか? 顔がちょっと赤いようだけど」
「これはなんでもないの!」
バタバタと暴れ始めたので、ノアールは彼女から離れる。
少し落ち着きを取り戻したユリアは、自分の腹部の様子を確かめていた。
そして、ノアールの顔をじっと見つめた。
「……ここは、どこ?」
「ローグスの宿屋だよ」
隣町の名前を伝え、無事に目的地にたどり着いていることをユリアに伝える。
それについては解決したのか、ユリアはホッとしたような表情を浮かべる。
だがそれも、次の質問をするまでのことだった。
「わたしのお腹の傷、なんで治ってるの……?」
「……順を追って話すよ」
それは、彼女にしてみれば当然の疑問だろう。
刺された傷が、文字通りきれいに塞がっているのだから。
まして、あの場にいたのは第二王子の息がかかった人間のみ。
自分が無事に生きて帰れる可能性など、なかったはず。
そして、なぜノアールがここにいるのか。
疑問は尽きないはずだ。
「ここに来る途中で、ユリアが乗ってた馬車が壊れてるのを見つけたんだ。そこで大怪我をしてたユリアを見つけて……」
ノアールは、あったことをすべて話した。
ユリアの下手人を、この手で殺めたことも含めて。
この世でたった一人、心の底から信頼できるユリアにだけは、自分の『祝福』について話してもいいと思ったからだ。
「どうやら俺の『祝福』は、対象となる物体を『書き換え』る能力みたいだ」
「……なるほど。そういうことだったんだね」
ノアールの話を聞いたユリアは、神妙な顔をしていた。
そして。
「……ありがとう、ノア。わたしを助けてくれて」
はにかんで、そう言ったのだ。
「……怖く、ないのか?」
「……? なんで?」
「なんで、って……」
本当に不思議そうに言うユリアに、戸惑ってしまったのはノアールの方だった。
「この力を使えば、誰が相手でも一瞬で命を奪ってしまえる。ユリアだって……」
「なんだ。そんなことか」
次の瞬間、ユリアはベッドから出て、部屋の隅に置いてあった剣をノアールの首筋に突き付けた。
風圧でノアールの髪が揺れる。
「――ッ!!」
この間、僅か一秒ほど。
ノアールには、反応すらできなかった。
「命を奪うのは道具じゃなくて、人の意思だよ。今わたしは、ノアが『祝福』を使う前に殺せると思うけど、そんなことは絶対にしない。そういうこと」
「――――は」
吐息のような笑みが溢れる。
そうだ。そうだった。
ユリアはいつだって、ノアールの味方だった。
大切なことを教えてくれるのも、いつも彼女だった気がする。
だから。
「ユリア、俺に言ったよな。専属魔術師にならないか、って」
「え? う、うん」
「さっきは酷いこと言ってごめん。でも、それは難しいと思うんだ。状況が、あまりに変わりすぎた」
ノアールの言葉に、ユリアは目を伏せる。
「わかってる。……わたしは、お兄様に殺されかけたんだよね」
「……そう、だな」
身内に命を狙われるというのは、いったいどれほどの心労か。
ノアールには、それを推し量ることすらできない。
「なら、しばらく王宮には戻れないね」
「ああ。――だから、俺と一緒に来てくれないか」
ユリアが息を飲むのが聞こえた。
力があれば、彼女の隣に立てるだろうか。
わからないが、今のノアールには、力がある。
「俺は、この世界を変えたい。皆が幸せになれる世界は難しいかもしれないけど、誰も悲しまなくていい世界にしたい。ユリアには、それに協力してほしいんだ」
あまりにも無謀と笑うだろうか。
だが、ノアールの目の前にいるのは、同じ志を持ち、王を目指す、ランドール王国の第三王女。
それが困難を極める道であることは理解していても、無謀と笑うことはない。
そんな確信があった。
「……わたしも」
ユリアは、硬い意志を宿した瞳をノアールへと向けた。
「わたしも、誰も悲しまなくていい世界にしたい。だから、わたしが……わたしが、ランドールの王になる」
「ユリア……」
ユリアの意思に、ノアールは身をつまされる思いがした。
思えば、ユリア自身の口から、王になると聞いたのは初めてのことだった。
それだけの覚悟を決めて、彼女は今、ここにいる。
だから、ノアールが言うべき答えもまた一つだった。
「わかった。俺もユリアと行くよ」
「……いっしょに、いてくれるの?」
「逆だよ逆。俺がユリアにそばにいてもらう側だ。言っとくけど、俺のほうが不意打ちには弱いからな。ちゃんと守ってくれよ」
「……わかった。絶対守る」
ユリアの頬から、一筋の涙が流れ落ちる。
ノアールは、そんな彼女の頭をそっと撫でた。
こうして、ノアールとユリアは共に行動することになったのだった。