6話 災厄の街香林〜守護神の反転〜
気付けば殺人鬼オーガの気配は遠ざかって消失してしまっていた。
私達以外に誰もいない静かな店内。
空気を攪拌させるシーリングファンが虚しく回り続けている。
出されたコーヒーを飲んで一息吐くが、カケルの方は依然として衝撃による余韻を残してどこか落ち着かない様子だ。
カエデと名乗る女性が営むカフェ。
それはしつこく追って来たオーガを撒くだけでなく、戻った通行人達にさえ認識されていないようだった。
忘却の堂。
「一体ここはなんなのよ」
頬杖を突いて一人呟くとそれを聞いていたカエデが答える。
「まさにその名の通りです。ここは街の人々に忘れられた場所なんです。それ故に誰からも認識されることはありません。それはあのオーガであっても例外ではないのです」
「そう、みたいね。さっきからどれだけ視線を向けても、戸を叩いてみても通行者達は全く反応しないし。にしても凄い効果だわ。あちこち旅をして来たけど初めてよ」
「昔譲っていただいた魔道具の効果です」
初めて聞く単語にカケルが反応し、私の方を見る。説明を求めているようだから一旦カケルに意識を傾ける。
「魔道具というのはこの世界に存在する特殊な力を持った道具のことよ。その効力や希少性からランク付けもされているわ」
「す、凄いな。だったら、この魔道具のランクはどれくらいになるんだ?」
「隠蔽の魔道具ミスディレクション。ランクで言うとBというところでしょうかね」
「B?もっと高ランクかと思ってたわ。それでも中々手に入らないんだけど、一体どこで?」
単純に興味が湧いて入手経路を聞くとカエデは暫く考え込む。随分長く経過しているということだろう。これは情報を得るのは無理か、と思ったところでカエデが手を叩く。
「あぁ、思い出しました。お名前までは存じ上げませんが、確か黒髪で褐色の肌をした方でしたね。商人らしい非常に快活な方だったのが印象的でした」
「あ……なるほど」
それを聞いて溜息を吐く。
カエデとカケルが眉を顰める。
私が落胆してしまったように見えたのだろうが、実際はそうではなく久しく会っていない懐かしい顔を思い出していただけだった。
一つ咳払いしてから本題の質問をする。
「この街を震撼させている殺人鬼オーガについてなにか知っていることはない?」
いつからかは定かではないが、カエデはこの街で長く過ごしているようだった。だったら、なにか情報を持っている可能性があると踏んでいた。
カエデが口を閉じ、目を伏せてしまう。
和んでいた空気が重くなっていく。
「彼……いや、オーガという男はこの街の守護神と呼ばれる存在でした」
「守護神?嘘だろ?アイツは毎晩俺を殺し続けているんだぞ。俺だけじゃない無差別に沢山の人を殺しているのを見たことだってある。あの狂った殺人鬼が守護神である筈がないだろ。冗談は止めてくれ!」
カエデの言葉は私にとっても意外な事実となったが、当人からすればブチ切れ案件になり得る。
散々自分を殺して来た相手が守護神だなんて、全く笑えない話だ。
「すみません。ですが冗談なんかではなく本当のことなんです」
「その守護神があぁなったのはなんでなの?」
カエデは分かりません、と被りを振る。
「災厄の街香林。この街の名前です。一見すると沢山の人が行き交う栄えた街になるのですが、ここには定期的に災厄が訪れるのです。そんな街を守護し、人々に危害が加えられないよう動いてくれていたのが彼だったのです」
「それが今度は自身が災厄と化してしまった、というのが有力な線ね」
その考えが合っていると言うのならなんという皮肉だろうか。
背もたれに身体を預け、椅子の前足を浮かしてフラフラさせながら思案する。
世界は広い、と。
香林という街に災厄が訪れるというのは、別に今に始まった話ではないのだろう。私が魔王であった頃からそうであったのは間違い無いだろうに、それを把握していなかったとは、我ながら呆れるばかりだ。
「あの……私は夢瑠さんの戦いぶりを見ておりました。そして物凄い力を持っていると思いました」
「あ?ありがとう」
カエデが突然先の戦闘について話し出す。
不自然とも取れる展開。
どこか落ち着かない様子の彼女がなにを言わんとしているかは分かった。だが、それを言わせてしまって良いものか少しだけ迷ってしまった。
「さて、そろそろ行こうか。ここで隠れているだけじゃなにも進展はしないし」
「え?お、おい良いのかよ?」
「なにが?」
問いに対してやや食い気味に返すと、カケル自身も察するものがあったのかこれ以上は続けずに言葉を飲み込んでくれた。
「おかげで助かったわ。ありがとう。お代はここに置いておくしお釣りは要らないわ」
まるでなにかから逃げるように足早に会計を済ませて、この店から出ようとする。
カエデは困ったように私達を止めようとする。
だが、止まってやれない。
そうして店を出ようという時だった。
「夢瑠さん。いえ、魔王様。お願いがあります」
魔王様、ね。
言わせてしまったか。
「なに?」
私は外を向いたまま、後ろにいるカエデの方には振り向きもせずに聞く。
「彼を、オーガを殺してあげていただけないでしょうか?」
不思議な言い方をするものだ。
それはオーガのこれまでの功績を慮って発した言葉だったのかもしれない。
「約束は出来ない。でも善処はするわ」
「ありがとうございます!では最後に–––––––」
カエデが教えてくれた情報は、この街にある影の部分についての話だった。