32話 枷が外れる
古い映像を見ていた。
一体どれだけの時間気を失っていたことだろうか。
「…………」
引っくり返った机や椅子。それに破壊された電話機やパソコン機器類なんかを見ていると悲惨だ。
それ程広くもないオフィスではあるが、中身はボロボロになってしまったことで明日の出社時にどうなるかは容易に想像出来る。
室内にいるというのに頭には冷たい水が掛けられている。
天井まで破壊したのかと見上げるとスプリンクラーが誤作動を起こして水を噴射していたのだった。
「あらら」
ゆっくりと起き上がると、自分がどれだけぶっ飛ばされてしまったのかが分かった。
ピンポン玉じゃなし、とんでもない力を直撃したようでよく五体満足でいられたものだと感心する。
自身に死が迫り、生存本能が働いたのか全身にあった痛みがすっかり消え去ってしまっている。
身体は異様に軽い。
そしてこの得体の知れない高揚感。
「行くか」
窓際に立ち見下ろすと、まさにオーガの攻撃をバクがギリギリのところで凌いでいるところだった。
魔具士の二つ名は伊達じゃない。
だが、いずれ限界は来る。
地上約二十階。
命綱も付けないまま、就寝前ベッドに飛び込むかのようにその身を宙空に放り出す。
大気の摩擦を受けながら加速し、隕石の如き勢いを以って着地するとその衝撃で周囲のコンクリートがせり上がる。
「夢………瑠?」
憔悴しているバクが私を見て、その名を口にするが確信が無いのか怪訝そうにしている。
オーガの怪力でしこたま殴られて建物に叩き付けられたのだ。本来だったら無事で立っていられる筈がない。
「なにを言っているのかな?そうに決まっているじゃない」
そう言って優しく微笑んでやるが不穏な空気は変わらない。
オーガがこちらを向いて一層凄みを増した殺気を向ける。
あれだけ圧倒をし、格付けが済んだであろう相手が立っている。オーガならもう眼中に入れず、お目当のカケルに執心するところなのだがそうはならないようだ。
「ガアァァァァァァァァァァァァァッ!!!!」
大気を震わせ、裂け目さえ作らんばかりの咆哮と共に目の前の敵を屠らんと迫る。
折れそうな程に腰を反らし、これでもかと胸を張って繰り出す渾身の一撃は見ていて凄まじい威力を誇る。
衝撃音と共に確かな手応えを得てオーガは醜い笑みを浮かべる。
「なにが可笑しい?」
全てを砕くことさえ可能であろう一撃を容易く、それも細腕一本で防御している姿を見て、オーガの表情が一転凍り付く。
「軽いわね」
のそり、とゆっくり動いて呆然とするオーガの腹部に裏拳を当てる。
ただそれだけだった。
扉に向けて軽くノックをするような……。
たったそれだけのことで重量級のオーガが吹っ飛んで広い道路を転げ回る。
だが、オーガはすぐに立ち上がりダメージを物ともせずに飛び掛かる。縦にも横にも大きな図体をしていて驚くべき身体能力だ。
「ヴァァァァァァァァァァァァァァッ!!!」
恵まれた体格に任せるばかりの一撃はなんの苦にもならず、羽毛の如き打撃をやはり片腕で受け止める。
「グゥゥゥゥゥゥゥッ」
「軽い軽い。もっと頑張れ」
オーガの表情からは明らかな狼狽の色が見えている。
喉が潰れるくらい言葉にならない叫び声を上げ続けて繰り出すのは、駄々を捏ねる子供のような攻撃だった。
羽虫を叩くようにそれらを捌く。
無造作に近付きガラ空きの額に弾かせた指による打撃を与えると、オーガは白眼を剥いて倒れ込みそうになるが踏鞴を踏んで堪える。
「凄い凄い。まだ立てるか」
笑みを浮かべ、拍手をして優しく賞賛を与えるがオーガはそれに喜ぶどころか夥しい量の汗を流し、あれだけ余裕を浮かべてい表情はすっかり凍り付いてしまっている。
「どうした?まだ戦えるでしょ?」
戦え。
脳内で私自身が叫んでいる。
やかましくも、思考は澄み渡っている。
「あぁ良いわ。この枷が緩んでいく感じが素晴らしい」
全身から力が漲っている。
今の私は全盛期の状態に限り無く近い。
一歩踏み出すと、オーガはビクッと肩を震わせ後退する。
魔弾による数度の例外はあったものの、このオーガという殺人鬼は圧倒的な強者と言える。
その力を以って、衝動のままに欲望のままにアリでも潰すかのように人を殺し続けていた。
初めてのことだろう。
そんな自身を圧倒する存在と相対するのは。
「脆いものね」
オーガは恐怖の波に攫われ、身体を震わすだけの木偶と化してしまった。
鎖の音はもう聞こえない。
さぁ、蹂躙の時間だ。




