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2話 少年と黒い靄

 右手には取り戻したアタッシュケース。


 そして先程空手だった左手には誰とも知らない少年の襟首が掴まれている。こっちの方はこの暑さにも関わらず、釣り上げられたばかりの魚のように活きが良い。


 問答無用で引き摺って歩いているのだが、ぎゃあぎゃあと喚いてやかましいったらない。


「離せやッ!!」


「ん〜?聞こえないなぁ」


 この容赦無い直射日光を受けて、足下を固めるアスファルトも相当な熱を帯びていることだろう。


 それに加えて摩擦もあると、少年の臀部は既にダメージを受けているかもしれない。


 周囲の好奇の目と不信感を悪戯に募らせるのも悪手になる。


 とりあえずいい加減なところで足を止めて、少年を壁沿いに座らせることにしたが、


「あ」


 勢い余ってぶん投げるような形となってしまった。


「––––––––––––ッ!!ってぇな!殺すぞゴラッ!」


「そんなこと言ってて良いのかな引ったくり犯。警察呼んじゃおうっかな」


「ま、待て!それだけは止めてくれ」


 勿論そんなものを呼ぶ気は毛頭無い。


 呼ばれて困るのは少年だけでなく、身元を証明出来ない私についても同様だ。


 だが、少年の反応と態度が変わってしまったことに幾許かは落胆してしまった。つい先程まで殺す、だなんて剣呑なことを言っておきながらトーンダウンするまでが早過ぎる。


「なにやら訳有りのようね。ま、良いわ。警察呼ぶのは勘弁して……あげるわ。それで?なんでこんなことしたの?」


 この大勢の観光客達の隙間を縫いながら走り、標的の荷物を掴んで走り去る。言葉や文字に起こすとたったそれだけなのだが、いざ目の当たりにするとその行為が手慣れたものであり、淀みの無い動きからして何度も犯行を重ねているようだった。


「………………」


 少年からの回答は無い。


「もう一度聞くわ。なんでこんなことをしたの?」


「……………」


 変わらず回答は無い。


 代わりに返ってきたのは殺気が含まれた暴力的な視線だった。


 良いね、配下に欲しいくらいだ。


 膝を曲げて少年と目線を合わせると、眉を顰める暇さえ与えずその無防備な額をデコピン一閃。


 直後に鈍い音がした。


 力加減を間違えたせいで少年のは衝撃で天を仰ぎ、勢い余って後頭部を硬い壁にぶつけてしまった。


「テメェッ!ふざけ––––––––ッ」


 痛みにも怯まず少年が逆上し掛けたところで、吐き出し掛けた呪いの言葉を喉を鳴らして飲み込ませる。


「沈黙は金って言うけどさ。この場合は当てはまらないよ。それともさっきから殺すとか言っているけど、本当に殺し合ってみる?」


 今のデコピンの一撃だけで力の差は歴然だ。


 どうなるかは少年もよく分かったようで、空気が抜ける風船のように身体が弛緩していく。


「金が……必要なんだ」


「なるほど、ね。そりゃそうだ。で、ちなみにいくらよ?」


「二十万」


「へぇ、そりゃ大金だ。それでこのアタッシュケースを狙ったって訳ね」


 濃い茶色をした革製の鞄だ。中身はともかくとして見た目には金持ち風情に見えなくもないのか。


「見たところ、高校生くらいかなって感じだけどさ。そんな大金を手に入れてなにか欲しいものでもあるの?」


「それは……」


 ふと、よく見てみると少年の顔には流れていた汗が消失してしまっていた。蒸発なんてする筈も無し、それに顔色にしても随分と悪くなっている。


 点在している青痣だって気になる。


 引ったくりをするくらいだ。


 素行が良いタイプではないのは明らかだ。青春を謳歌しているのだと考えればそんなものだが、どうにも不自然な感じがする。


 それに––––––––。


「良いわ。知ったところでどうこうってことも無いし、デコピン食らわせてやったことだしこの辺で勘弁してやるわ」


「良いのか?」


「まぁね。私はこの町の者じゃないし、今後少年と関わることも無いだろうからさ。深入りしないことにしておくわ。それならわざわざ言いたくもないことを言わせずに済むし」


「悪いな」


 依然として少年の表情は晴れない。


 悩みを吐露してスッキリさせておくのも一つだったか。


 少年がゆっくりと立ち上がろうとする。


 ぎこちない。


 酒でも飲んでいる訳でもないだろうに、妙に足元が頼りなく今にも転倒してしまいそうになっている。


「子鹿かな?」


「うるせえ」


 立ち上がるだけで息が切れている。


 こんなのでよく引ったくりなんてしようと考えたものだ。


 少年は乱れた呼吸のまま、私に挨拶をすることさえも省略してその場を後にしようとする。


 そんな背中を見送ろうとした時だった。


 少年の身体から黒い靄が漂っているのが見えた。


 それは少年が身を動かす度に揺らいで、薄まっていくが途切れる間も無く体内から湧き続ける。


 まるで煙のように小さく細かくうねりながら立ち上っていく。 


 一瞬思考が止まってしまったが、考えるよりも先に去ろうとする少年の手首を掴んでしまっていた。


「んだよ。まだなにかあんのかよ?」


 見つけた。


 この時の私は喜びに満ち溢れて、どれだけ醜悪な笑みを浮かべていたことだろうか。


「悪いけど気が変わったわ。少年をそのまま帰す訳にはいかなくなったわ」


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