26話 悪夢のメア
人が見る夢の世界。
通称裏世界。
視界だけじゃなく、呼吸まで奪う程の豪雨とは打って変わって現実世界の天候は穏やかなものとなっている。
昼間猛威を振るう太陽も世界の反対側へ行ってしまえば、その暑さも一区切り付いて幾分かヒンヤリとした空気が流れている。
日付を跨ごうという頃、流石に川遊びをする子供達の姿は無いがその代わりに浴衣を着た観光客と思しきカップルがゆったりと橋を渡っているのが見える。
そんな光景を河川敷から見上げる。
立てられた灯篭が橙色に道を染める。
「絵になるね」
一人ポツリと漏らして夜空に目を向ける。
大都会と違って風情を重視した町並みであるだけに、カクテルライトなんてものは存在せず、星々は群青の空に輝いている。
足元の草を食むような音がする。
「バク……」
「お疲れだね」
「そりゃあね。弁えていたつもりだったけど、少し無茶をしてしまったのかもしれないわ」
だがあの場面、爆炎弾を使わないという選択肢は取れなかった。つ
使わなければ死んでいた。
「ホレ」
バクがなにかを放り投げ、お手玉しながらも溢さず受け取るとそれらは綺麗な魔弾だった。
「こんなもん放り投げるなよ!」
バクのことだ、落下の衝撃で誤爆したりすることはないのだろうがそれでも危険物であることに変わりない。
私の焦り具合に反してバクはワハハと笑うばかりだ。
「あれ?これって……?」
赤みを帯びた爆炎弾の他に青と緑の光沢が掛かった魔弾が転がっている。
「お、分かっちゃうか。それは爆炎弾だけでなく、我が商会の新商品である龍水弾と雷閃弾も入ってるよ。これで環境下に作用されずに使えるわ」
ここに来て新しい武器が手に入るのは大きい。
爆炎弾が相当の威力を誇るだけに新しい二つについても期待値は高い。
「ただ、これについても節度を守って貰う必要はあるけどね。当然ながら乱発は出来ないよ」
「そう、ね」
相槌を打ちながら、私の視線は自然と手元に向かっていく。
折れてはいない、と思う。
だがなにかしらの異常を来しているのは明らかであり、ずっと強い痺れが取れていない。
それが良い方向に向かっているのか、幸いにして痛みはないのだが動作については不便を強いられている。
「大丈夫?」
「まぁ。握る分には」
「そこはカケル頼みになるね」
火憐が言っていた。
カケルは香林という災いの街の一部権限を持っている。それは即ちカケル自身があの街に紐付けされてしまっているということだが、その代価として思いの実現性が高まっている。
有り体に言えばカケルが願えば私の怪我は瞬く間に治る。
「あまり使いたくはないけどね。なにせあの消耗具合だし、それに昨夜のこともあって一層削られたことだろうし。私の怪我をどうこうさせてパンクさせちゃ台無しだ」
「そうだね。そうだ、カケルだけど今夜のところは大丈夫だと思うよ。あくまで応急処置にしかならないから、明日以降は駄目だろうけどね」
魔道具ウインザーノット。
悪夢の類に紐付けられた人間を一時的に別の世界へと避難させるものになるのだが、バクが用いたそれのおかげでカケルは今夜香林に降り立つことはない。
紐付けられている夢によっては二日目以降も効力を示すが、カケルのそれには呪いに似た力が込められている。
明日以降は間違い無く効力を失っていることだろう。
「あら?バクまでいたの?」
久しく聞いていない声色が流れる。
だが、決して忘れ得ないものだ。
声の先、見上げると橋の欄干に座り足をぶらつかせている女の姿があった。
「メア……やっぱりお前が絡んでたか」
フッと笑みを漏らしたかと思うと、腰を浮かせて目の前に降り立つ。
「や、夢瑠にバク。本当に久しぶりだね」
殺気立つ私を尻目にその女、通称悪夢のメアが貼り付けたような笑顔を見せて手を振る。
「バク、まさか夢瑠と一緒にいるとは思わなかったわ。時には商売敵にもなるでしょうに」
「ま、そういう契約なものでね」
純血の商売人とも言えるバクはある種ドライな回答を出す。
「それよりもお前、わざわざ私の前に姿を現したということはどうなるか分かっているんでしょうね?」
痺れが残り、傷んだ拳を全力で握り締めると骨がかなり軋む。だが、今はそんな弊害よりも目の前の相手を殴殺することに重きを置く。
「怖い怖い。でも出来るかなぁ」
メアが余裕の笑みを見せて挑発的なことを言うと、いとも容易く私の沸点を振り切ってしまう。
「出て来なさい」
そう言うとメアの背後に現れたのは巨大なシルエットだった。
「コイツは……ッ」
有り余る殺意を持ちながら踏み止まってしまう。
このシルエットには見覚えがある。
災いの街に跋扈する存在殺人鬼オーガ。
血の気が一気に引いていく。
もしここでオーガに暴れられたらどうなるか。
メアが笑う。
私はただ、そんな不快な笑い声を耳に収めることしか出来なかった。




