1話 元魔王〜町を歩く
炎を灯された蝋燭の気持ちというものが分かる気がする。
夏の日照りが容赦無く地上に住まう万物を襲い、ジリジリと肌を焼いていく
流れる汗は体内に取り込んだばかりの水分をあっという間に放出させる。並ぶ店舗のガラス戸に映る自身の姿を見て、今朝より一回り小さくなった気さえした。
今朝、ホテルの部屋内で見たニュースでは今年一番の暑さとなると言っていた。猛暑と言う名に恥じない気温ではあるが、
「今年一番って……もう三日連続くらいで聞いたような」
考えや記憶がまとまらない。
加えて蝉の鳴き声がこれまた苛立ちと消耗度合いを増長させる。
自分はここにいる。
まだ生きている。
なんだかそんなアピールをされているようで気になって仕方が無い。
「あら、夢瑠ちゃん!今日もお出掛けかい?また大きな鞄を持ってて凄いわね」
私に声を掛けて来たのはカフェを営むサヤだった。見たところその辺の大学生にしか見えないが、店舗を切り盛りしてお金を稼いでいるのだから相当なやり手ということだ。
少なくとも私よりは余程自立している。
「お出掛けっていうか、仕事っていうか」
口ごもってしまうとサヤは愉快そうに笑った。
「今日も暑いよね。良かったら、ウチで冷たい飲み物でも飲んで行かない?」
店内から漏れてくる冷気が茹だった身体を優しく癒しくれる。
この魅力的な提案に乗って、敷居という境界線を越えてしまえば待っているのは天国だ。
「グヌヌ……。折角なんだけど、今日は止めておくわ。仕事が待っているからね」
「ありゃ?そっか分かったよ。じゃあまた良かったらどこか休憩の時にでも来てね」
サヤはやや意外そうに唇を尖らせて一、二度後頭部を掻くとその後笑顔で手をヒラヒラと振った。
私も合わせるように手を上げて歩いて行くのだが、ものの数秒後には先の判断を悔いてしまっていた。
「な、なんでこの私がこんな目に遭わないとならんのじゃ」
サヤの提案は実に魅力的なものだった。
だが、そこには必ず金銭というものが発生してしまう。
お札にも満たない硬貨の犠牲とはいえ、それが後に致命傷に繋がりかねないのが現状だ。
古くから存在しているこの町は、いわゆる宿場町といった風情をしておりどの建物も隙間無くピッチリと並んでいる。
そのどれもが視界に収まる高さとなっている上に、壁の木材が所々煤けた色をしてしまっている。
大都会のような首が痛くなる程の高層ビルや、排ガスを吐き出しまくる自動車の数々なんて存在していない。
「この暑さで建物が燃えたりしないのかな」
暑さにやられて意味不明な心配をしてしまった。
お日様の仕事もそうだが、観光地というだけあって道行く人の数は大都会のそれに負けていない。どこにこれだけ収まっていたのかと不思議になるくらいに、この狭い道には沢山の人が詰め合わされていた。
避けながら歩くものだから余計に消耗して、なにやら不穏な目眩がして来そうな感じがする。
十数メートル先にある信号機は青を示してくれてはいるが、このペースでは私が渡ろうという時には赤色に変わってしまうことだろう。
待つのは怠いが、かと言って慌てて駆けて滑り込もうというのもな。
まぁ、良いさ。
その時は小休止させて貰おうと、ゆっくりと歩行速度を弱めていくとふと後方が微かに賑やかしくなっていることに気付く。
何事か、と後ろを振り返ろうとした矢先に荷物であるアタッシュケースを持つ手にズシリと重量が乗っかる。
「ん?」
次の瞬間には握られていた重しが消え、前方にはその荷物を持って走り去っていく男の背中が見える。
「お、おいアンタ。大丈夫なのか?」
一部始終を見ていた会社員と思しき男性がアタフタしている。
「ん、まぁ怪我はしてないわ」
そう言って空手を見せて何事も無いように動かすと、意味が上手く伝わっていないのか男は尚も狼狽え続ける。
「いやいやいや!あ、怪我は無いのは良いことなんだけど。そうじゃなくて!荷物は大丈夫なのかってことだ」
あぁ、そっちか。
「いや、信号赤になっちゃったし」
私がそう言うと、男は急にトーンダウンしてしまう。
呆れたのか、疲れてしまったのか。張り詰めていた肩肘の力が抜けていくのがよく分かる。
「追わなくて……良いのか?」
男はやや遠慮がちにオズオズと顔色を伺うように問う。
荷物のことを心配してくれるのは有難いが、だったら傍観していないで警察呼ぶなりして欲しいところでもある。
なんて欲深いことを考えていると、そこに思い至ったか男がおもむろに携帯電話を取り出してディスプレイを指で叩いている。
「あー待った待った」
「え?」
「通報とかしなくて良いから。荷物は大丈夫だからもう心配しなくても良い」
そうこうしている内に信号が青に変わり歩行許可が下りると、悠然と歩道を渡り始める。
あのアタッシュケースの心配は要らないというのは強がりでもなんでも無い。
私は走ることなく、むしろ身軽になった身体を楽しむが如くゆっくりと歩く。GPSが付いているとか、追跡系のアプリが付属しているとかでもないが、あの男は私から逃げ切ることは出来ないという確信がある。
分散されて幾分かは減った人通りの中、見覚えのある背中を捉える。
「どう?満足出来た?」
息を切らし、汗だくになりながら振り向いたのはまだ幼さの残る少年だった。
少年の手にはアタッシュケースは握られておらず、それは既に地べたに置かれてしまっていた。
それを見て思わず笑みを浮かべる。
私の荷物にはなんの仕掛けも施されてはいない。
ただただ重いのだった。