頭越しの米中秘密会談と「ビンの蓋」
頭越しの米中秘密会談と「ビンの蓋」
「日本に戻って、周りは沖縄返還、よくやったと言ってくれたが、われわれは、沖縄の人に合わす顔がないと思っていた。それから、一カ月後にニクソン大統領の訪中が発表されたんだ。やられたと思ったよ」
小島の顔が少し歪み、苦しそうに声を絞り出した。米国がそれまでの「中国封じ込め政策」から「米中対話路線」に転換した、いわゆる「ニクソン・ショック」である。
沖縄返還交渉で木村の要求を突っぱねたキッシンガー大統領補佐官は、3週間後の7月9日、パキスタン経由で極秘に北京入りした。北京空港で出迎えたのは、毛沢東主席にソ連に対抗するために米国との対話が必要と進言した㈣元帥の一人、葉剣英と周恩来首相だった。周恩来首相と5回の極秘会談を重ね、毛沢東主席とも会談したキッシンガーから報告を受けたニクソン大統領は、「翌年5月までに周恩来首相の招きで訪中する」と電撃的に発表した。
「外務省を通じて中国側から確認したが、周恩来から沖縄返還後も在日米軍を残す理由を尋ねられたキッシンガーは、『中国と闘うつもりはない。沖縄の在日米軍は、日本が核武装などで暴発しないようにするための瓶のフタだ』と説明した。それで、米中はわれわれの頭越しに手を結んだ。悔しかったよ」
平静を取り繕ってはいたが、小島が持つお茶の表面は波打っていた。
周恩来首相とキッシンガー補佐官の極秘会談の議事録は、米国立公文書館のサイトで公開されているが、会談から50年たった今も「瓶のフタ」発言の部分は、黒塗りされたままである。
冷徹な「力の均衡」論者として知られるキッシンガーは、中ソを一体として「共産主義の脅威」からアジア太平洋地域を守るべきという「ドミノ理論」を唱え、ベトナム戦争への介入につながったダレスの外交政策は失敗だったという立場をとっている。ニクソン大統領の公約であるベトナム戦争からの撤退を実現し、沖縄返還交渉をまとめたキッシンガーは、中国と電撃的に国交を回復し、中ソの間に楔を打ち込むことに成功した。そして孤立した核大国ソ連との核軍縮対話というデタント路線を推し進める。「冷戦」から「緊張緩和」へと世界の歴史を動かして見せたのだ。
日本では、72年に佐藤内閣が倒れ、後を継いだ田中角栄内閣が「日中国交回復」をしたが、キッシンガーの後追いでしかなかった。フォード政権で国務長官を務めたキッシンガーは、退任後もノーベル平和賞を受賞するなど40年以上にわたり歴代大統領の外交アドバイザーとして、オバマ政権、トランプ政権にも隠然たる影響力を行使し続けている。
小島は、最後に町田の手をとってまっすぐに目を見て言った。
「われわれの世代は、もう無理だ。党内に核武装を考える馬鹿なタカ派が多すぎる。君らの世代で、保守本流の本懐を遂げてほしい。海兵隊のいない沖縄を作ってくれ」
保守本流を受け継ぐ者には、口伝でしか伝えられない歴史の事実があるといわれる。町田が、伯父の小島からそれを伝えられた瞬間だった。




