電源特会で原発を巨大利権にした田中元首相
電源特会で原発を巨大利権にした田中元首相
日本の原発政策を語るとき、生みの親が中曽根元首相とするなら、育ての親と言えるのが田中角栄元首相だ。田中元首相は、首相在任中の1973年に「省エネ」を口実に石油やガスから電源開発促進税を取り、それを原子力発電所への補助金に使う電源三法を成立させた。その補助金第一号が田中の地元に作られた柏崎刈羽原子力発電所だった。
石油や自動車関係の税を道路を作るための特別会計に集める仕組みなどを次々に立法化した田中は、巨大利権作りの天才だった。そして、電源開発促進対策特別会計などに入れられた税収は、原発立地を渋る地方自治体に湯水のごとく注がれ、日本中に原子力発電所が作られていった。
その田中角栄と原子力発電所に反対する市民運動が、田中の首相退陣後に起きた。角栄と核の二重の意味をかけた「反カク運動」という市民運動が1980年秋に実施した国会前デモに、当時衆議院議員になったばかりの菅原隼人と早大一年生だった町田も参加していた。
首相退陣後も派閥の数の力で与党を牛耳った田中が中曽根を首相にかつぐと、CIAはロッキード事件を表ざたにして田中を追い詰めた。田中の失脚後、米国に逆らうと首相にはなれないという空気が自由安心党を支配した。党内からそれまでの「保守本流」「傍流」という分け方はなくなり、「主流派」か「非主流派」かという仕分けしかなくなった。実際は、米国との交渉で日米地位協定の不平等をなくし、「対等な同盟」を目指そうという保守本流がいなくなり、中曽根流の安全保障観とタカ派の思想を持ちつつ実態は米国追従しかできない保守傍流政治家だらけの政党になっていた。




