8 十七歳男子、得意な事は殺人です。
「こんな時だけど、こんな時だから言いたいんだ。す……好きだ、猫塚! 俺と付き合ってくれ!」
「んにゃ? んぁー、いーよ」
柱の陰でそのやり取りを聞いた中間我太は気が狂いそうな後悔と嫉妬に駆られた。僕が、僕が先に好きだったのに!
それはデスゲーム二日目の夜の事だった。七丈島山中にある荒れ果てた神社の中には三人の生徒が集まっていた。
出席番号15番 中間 我太
出席番号18番 猫塚 九生
出席番号19番 灰木 公山
の三人だ。
最初に神社にいたのは灰木で、神社の周囲に生えていた竹を配布武器の鉈で斬り倒しバリケードを作っていた。水場を探して彷徨っていた中間が姿を現すと、真っ先に無事を喜び、武器を確かめる事もせず迎え入れてくれた。
灰木はいい奴だった。その瞬間、中間は確かに友情と信頼を感じていた。
中間の武器は包丁だったので、竹の伐採というより加工に集中した。二人が力を合わせる事でバリケード設置は初日で半分まで一気に進んだ。
作業中に島のあちこちから散発的に銃声が聞こえてきたため二人は気が気ではなかった。バリケードが銃相手にどこまで役立つか分からないが、あれば少し安心はできる。
懐中電灯の明かりを頼りに徹夜で作業を進めるべきか、と二人が議論していると、ふらふらと猫塚がやってきた。
猫塚九生はA組変人グループの一人で、猫耳をつけた黒髪ショートカットの美少女だ。
府通高では三年生の有能生徒会長が街角アンケートで「猫耳は風紀を乱さない簡素な髪留めである」という統計をむしり取り教員を説き伏せている。猫耳をつけて学生生活を送っていても完璧に合法なのだ。
中間は猫塚が好きだった。入学式で一目見た時からずっと良いなと思っていた。
中間は引っ込み思案であったし、なんとなく気遅れしてしまいまともに話した事すら無かったが、それでも好きだという気持ちに嘘はない。
授業中に猫塚の猫耳を見つめてぼんやりしていたせいで須玖先生に怒られたり、昼休み中ずっと藤沢と猫塚のたわむれを眺めていたり。中間の恋愛のハイライトは授業中に猫塚が落とした消しゴムを拾って渡した事だった。
いつもの調子でふにゃふにゃと寝床を探しているという猫塚を灰木は快く神社に受け入れた。最初に神社に居たのは灰木だったから、なんとなくグループのリーダーは灰木だ、という空気があった。
猫塚に神社の説明をする灰木を一歩離れて見ながら、中間はそこはかとないモヤモヤを抱いた。
現金なもので、美少女の加入で二人の作業には熱が入った。気だるげにしている猫塚(もっともいつも気だるげだが)を神社の中で寝かせてやり、二人の作業は夜を徹して行われた。
中間は朝になって完成したバリケードを見た猫塚の賞賛を夢想した。
なんとか日の出までにバリケードを完成させた中間は疲れ切って寝てしまった。朝6時の放送を聞き逃すほどの熟睡だった。
昼過ぎに起きた中間は良い匂いで目が覚めた。猫塚と灰木が談笑しながら一緒に作っている鍋の匂いだった。
愕然とする中間に灰木は神社で見つけた古い鍋と猫塚が漁村から持ち出してきた調味料を使って作った缶詰鍋だ、と説明した。
灰木は中間の茶碗にたくさんよそってくれたが、鍋よりも二人の距離の近さが気になって仕方がなかった。自分が寝ている間に何を話していたのだろう。なぜ寝てしまったんだろう?
猫缶鍋は調味料で味を誤魔化しても酷かったが、猫塚はよく冷ましてからぺろりと食べた。男子二人の食が進まないのを見て自分が全部食べていいかと聞いてくるほどだった。どうやらお気に召したらしい。やはり猫塚は変わり者だった。
神社には見張りを立てる事にした。
灰木はクラスメイト全員を信用しているわけではなかった。三途川や孫はデスゲームで仲良くできる人種だとは全く思えないという点で灰木と中間の意見が一致した。逆に伏見や渕、鰐春先生あたりは信用できそうだった。
猫塚の意見は特に無かった。みんな上手くやるでしょ、とマイペースな構えだ。
灰木が見張りに立っている間、中間は手慰みに竹を包丁で削り竹槍を作った。それを見せると猫塚は感心し、中間は気分が良くなったが、自分が見張りに立っている間に灰木が弓矢を作り猫塚が竹槍の三倍褒めるのを見て最低の気分になった。
そして夜。中間は一組のカップル成立の瞬間を突きつけられた。
見張りに立っているのは灰木で、猫塚はその隣に座って楽しげにしている。
「猫塚、絶対二人とも生き残ってデートに行こう。映画のチケットあるんだ」
「んにゃ、デートならお寿司屋さんかお刺身屋さんがいいにゃあ。でもお金無いにゃ……」
「いいよ、おごるよ」
「嬉しいにゃ」
月明かりの下、二人の顔が近づいていく。
中間は咄嗟に柱の陰から音を立てて姿を見せ、灰木を呼んだ。
「灰木、ちょっと来てくれ。見せたいものがあるんだ」
「! あ、ああ。それじゃ、猫塚、ちょっと行って来る。見張り頼む」
「いってらっさいー」
灰木は一瞬苛立たしそうに顔を歪めたが、だらだら手を振る猫塚に見送られ中間についてくる。
「見せたいものって何だ? いいとこだったのに」
「いや、最悪だったね」
「何が」
神社の裏手に灰木を連れ出し、中間は灰木と向き直った。灰木の手をチラリと見ると何も持っていなかった。見張り場所に置いてきたらしい。
「なに告白なんてしてんだよ。俺達デスゲームやってんだぞ。遊びじゃないんだ」
「はあ? おいおい、俺の勝手だろ」
「違うね。足並みが乱れる」
中間は自分でも何を言っているのか分からないまま言葉を続ける。とにかく灰木を否定し、告白は間違いだったと言わせたかった。
「恋愛やってる場合じゃないだろ。俺達は生き残る事に集中するべきだ。浮かれてんじゃねぇよ」
「怒んなよ。緊張しっぱなしじゃどうにかなっちまうだろ、息抜きだよ息抜き。アレだ、中間は誰か好きな女子いねぇの? いるなら応援するからさ」
「っ、この、灰木ぅ!」
「!?」
中間は沸騰する怒りに身を任せ灰木の胸を刺した。
灰木は驚愕に目を見開き、口から血の泡を吹いて倒れ痙攣する。何かを言おうとしているようだが、言葉は出ない。中間は慌てて灰木を介抱しようとするが、すぐに動かなくなった。
「そ、そんな、ちが、俺はそんなつもりじゃ……!」
怒りは急速に冷めた。中間は包丁を取り落とし頭を掻きむしる。
やってしまった、という思いで頭が一杯だった。もう後戻りはできない。これからどうすれば? 猫塚にはなんと言えば? 猫塚の怯え、蔑み、恐怖――――そんな表情ばかりが思い浮かぶ。
混乱する中間の耳に、今一番聞きたくない猫塚の声が聞こえた。
孫が来たよぉ、という間の抜けた声だ。一拍置いて言葉の意味が脳に染みる。
孫。灰木と話していたヤバそうなクラスメイトだ。
猫塚の声に続いてけたたましい機械の駆動音が響き渡る。そして『ぎにゃん!』という悲鳴と破壊音が聞こえた。
悲鳴が聞こえたのは一度だけ。機械の駆動音は止まない。
「猫塚!? 大丈夫か!?」
中間は駆け出した。
生涯最高の短距離走で神社の表の見張り場所に戻った中間は、破壊されたバリケードと上半身と下半身が泣き別れになった猫塚の死体、そして血濡れのチェーンソーを唸らせる怪物じみた醜悪な形相の殺人鬼――――孫慈衛の姿を見た。
中間は恐怖と絶望の悲鳴を上げた。
出席番号11番、孫慈衛は殺人鬼である。
慈衛は先天性疾患を持ち、筋肉の異常発達と引き換えに酷い吃音症を抱えていた。
身長は普通だが服の上からでも筋肉の盛り上がりが分かるほどで、十歳にして父親を軽々と持ち上げる事ができた。
小学校のクラスメイトは子供ゴリラ並の筋肉を持ち、まともに会話できず、いつも俯いている慈衛に優しかった。体育の授業ではいつも注目され人気者で、滅多に喋らない慈衛が稀に何か言うと先生の言葉よりも尊重された。
成績も悪くなく、クラスの中心人物でこそ無かったが、事あるごとに良い意味で目立つ生徒の一人だった。
孫慈衛の初めての殺人は小学生の時だった。納屋にあったチェーンソーで遊びに来ていたクラスメイトを惨殺したのだ。そのクラスメイトとは仲が悪かった訳でも喧嘩をした訳でもなかった。ただ、殺した。殺人は警察の父と弁護士の母の力により事故という事で処理された。
先天性疾患を抱えながらも両親の愛を一身に受け、学校生活も順調だった慈衛が何故殺人に及んだのか?
理由は単純。人を殺すのが好きだからだ。
ハンバーグが好きなように。音楽が好きなように。至って自然に人を殺すのが好きだった。チェーンソーを握った時に天啓が走ったのだ。自分の得物はこれだと。記念すべき初めての殺人はこれでやろう、と。
クラスに馴染んでいた慈衛だったが、クラスメイト惨殺事件の後は流石に距離を置かれるようになった。ちょうど中学への進学が重なり同級生の顔ぶれが変わると、「人を殺した」という根も葉もバッチリある噂だけが残り、慈衛はたちまち孤立した。
二度目の殺人は中学生の時。友達がいなくなった慈衛を心配した両親が入れた山登りクラブでの事だった。
慈衛が入った山登りクラブのメンバーは30~40代の男が中心で、若く体力と筋肉に優れた慈衛は可愛がられた。クラブメンバーは慈衛の殺人の噂も知っていたが、必要以上に煙たがりはしなかった。山登りには事故がつきもので、人死にも出る。人の死に比較的耐性があった。
悪い噂よりも、肉体が資本の体育会系山登りクラブにおいて慈衛は大企業レベルの資本力を持つという事実の方が遥かに重視された。
その山登りクラブのメンバーを、慈衛はチェーンソーを使い山の中でバラバラにした。
血の臭いに誘われてやってきたヒグマもバラバラにした。
殺人はヒグマに襲われた不幸な事故という事で処理された。
証拠は処分されたが、登山に不参加で生き残った山登りクラブメンバーによって怪しまれ、慈衛はクラブ除籍処分を受けた。
ヒグマとの戦いで深手を負い、顔を何針も縫った慈衛は恐ろしい形相になった。
もはや慈衛に話しかける者はなく、ヤクザもこの筋肉ムキムキコワモテ殺人中学生を避けて通った。
高校に進学した慈衛は一つの問題に直面した。
将来設計――――進路だ。
慈衛は人殺しが好きなので人殺し系職業に就きたかったが、担任から配られた職業一覧は欠陥品で人殺し系職業が載っていなかった。
警察の高官とやり手の弁護士を両親に持ち、なんなら死ぬまでニートもできてしまう立場にある慈衛だったが、高校を卒業したら働くつもりだった。両親は大学進学を勧めたのだが、慈衛は勉強するよりも殺して金を稼ぎたかった。
軍や外国の傭兵部隊への就職も考えたが、調べた限り人は全然殺さないらしい。期待外れだ。
進路に悩むある日の事、ラブ&デス社からインターンシップ案内が届いた。
慈衛は説明会の会場に赴き……そしてデスゲームへの参加を決めた。
孫慈衛にとって、七丈島で行われるデスゲームは自分の性癖を満たす遊び場であり、就職活動の場でもあったのだ。
ヴィイイン! と威勢よくチェーンソーが唸りを上げる。
孫慈衛は半狂乱で逃げていく中間我太を追った。中間はバリケードを避けて走ったが、慈衛は突進でバリケードを粉砕しつつ真っすぐ追った。
精神も呼吸も足も乱した中間に追いつくのは容易かった。転び、後ずさる中間の背中が倒木に当たる。中間は両手を擦り卑屈な泣き笑いで命乞いをした。
「た、助けてくれ! 殺さないでくれ! なんでもする! なんでもするから! 俺が持ってるものならなんでもやる!」
その言葉に慈衛は足を止めた。
ヴォン、とチェーンソーのエンジンを静かに回し、続きを促す。
一筋の光明を見た中間は必死に言う。
「そそそそうだ。なんでもやるよ。何が欲しいんだ? 食料か?」
ヴォン……
「違う? 武器か?」
ヴォン……
「金か?」
ヴォン……
「……お、俺の命か?」
ヴォン!!!!!!!!!!!
「うわぁあああああああーッ!」
ヴォン! オ゛オ゛ン! ヴォォオオオオオオオオオン!
慈衛は絶望する中間を気分よくバラバラにした。
肉を無理やり切り裂く感覚に酔いしれた後、慈衛は悠々と神社に戻った。
猫塚は真っ二つしただけでまだバラバラにしていない。バラバラにする前に中間が逃げ出し、それを追わなければならなかったのだ。
血まみれの神社を見回した慈衛は困惑した。
猫塚の死体が消えていた。
誰かが運び出したのか? と考え、神社の周囲を調べたが、灰木の死体があるだけで、神社の外に出ていくような足跡は見つからなかった。
「ひどいにゃあ」
不意に、耳に纏わりつくような猫撫で声がした。
振り返ると確かに殺したはずの猫塚が立っていた。セーラー服に血の跡はなく、まるで何事も無かったかのように。
「死んじゃったにゃあ」
猫塚の猫撫で声に何か良くないものを感じた。
ヴォォオン、と戦意を込めてチェーンソーを吹かす。ワケが分からないが、殺す。
慈衛が荒々しい踏み込みと共に振るったチェーンソーの刃は猫塚の体の腰を正確に捉え、真っ二つに裂いた。猫塚の上半身が血を噴き出しながらまず地面に落ち、それから下半身も血だまりに沈む。
慈衛は背後を振り返った。猫塚は双子だったのかも知れない。身代わりか何かの手品を仕掛けられているのかも知れない。
警戒して後ろを見た慈衛だったが、そこには夜の闇が広がっているだけだった。
慈衛が目線を前に戻すと、鼻先が触れそうな距離に猫塚の顔があった。
ヴォン!? と唸るチェーンソーと共に慈衛は後ずさる。
そこには確かに殺したはずの猫塚が立っていた。セーラー服に血の跡はなく、まるで何事も無かったかのように。
だが殺したはずの場所には血だまりができている。
「ねぇ」
猫塚は、ニチャア、と口元が裂けるような禍々しい笑みを浮かべた。
殺戮マシーンは何か形容し難い感覚を覚えた。鳥肌が立ち、全身が急激に冷え、心臓が激しく脈打つ。妙な汗まで出てきた。
慈衛が人生で初めて感じるそれは『恐怖』と呼ばれるものだった。あるいは生存本能の警鐘と呼ぶ者もいるだろう。
「あたしの事殺したんだから、あたしもあんたを殺していいよにゃ?」
九つの命を持つ化け猫、かつてはシュレディンガーとも呼ばれた猫塚九生の金色の瞳が慈衛を射る。
う゛ぉーん……
慈衛のチェーンソーが引きつけを起こしたようにガタガタ震えた。