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5 お医者さんのお医者さんごっこ

 鰐春(わにはる)令太(れいた)は私立府通高校普通科二年A組の修学旅行に同行している保健教諭である。今年四十歳になる温和な顔立ちの壮年の男だ。

 鰐春は有名国立大学医学部を卒業し附属病院で経験を積んだ後、世界の紛争地帯で活動するNPO法人の医療チームに移籍した経歴を持つ。多くの命を救ったが、多くの命が潰える様も見てきた。


 精鋭揃いの医療チームの中でもメキメキと頭角を現した優秀な医者であったが、彼はある日突然チームを辞し、母国に戻った。

 地元に戻った鰐春は丁度欠員になっていた母校の保健教諭に名乗りを上げ、満場一致で採用された。デスゲームの一年前の事である。


 鰐春は人付き合いの良さや医者の肩書、惜しみない寄付などにより近隣住民や同僚から信頼され、生徒からも頼りにされていた。鰐春の声は耳に心地よく、しばらく話せば誰もが心を開く。


 鰐春はその優れた話術と卓越した医術の裏で何十人も殺してきたシリアルキラーである。


 所属していたNPO法人はデスゲーム運営企業傘下の一つで、まさに鰐春のような人助けに紛れて人を殺す才覚と性癖を持つ人材を見つけだすための場所だった。

 運営に長年ひた隠しにしてきた凶行の証拠を突きつけられた鰐春は長い春の終わりを悟り観念したが、運営は鰐春を司法機関に突き出す代わりにデスゲームに送り込んだ。最後まで生き残れば全ての証拠を闇に葬り、それどころか今後の「趣味」の支援を行う、という約束付きで。


 鰐春は殺し合いを好まない温厚な性格だ。自分の優位と安全を確保し、犠牲者に無駄な抵抗を許さず、穏やかに一方的に殺す事を好む。

 従って命の取り合いであるデスゲームへの参加には乗り気ではなかったが、殺人の証拠を握られてしまっては致し方ない。限られた条件の中で上手く殺るまでだ、と前向きに考えた。


 デスゲーム開始時に人が住まなくなった漁村で目を覚ました鰐春は、真っ先に診療所に向かった。

 配られたリュックの中には地図があり、地図には漁村と診療所の場所が記されている。診療所は高確率で人がやってくるホットスポットであり、獲物を呑み込む蟻地獄にもなる。


 ただの診療所より医者付きの診療所の方が良い事は誰の目にも明らかだ。負傷して、あるいは医療機器を確保するために診療所に来るであろう人間がまさか医者を殺そうとは思わないだろう。「病院に医者がいて診てくれる」という安心感は何物にも代えがたい。


 放棄された診療所の棚や倉庫から比較的使えそうな薬品や器具を漁って夕方になり、できる限りの医療体制が整った頃、早速患者がやってきた。

 出席番号2番・阿玉賀(あたまが)夜和子(よわこ)である。


 阿玉賀は最初武器を――――手斧を――――手が白くなるほど強く握りしめ胸の前に抱え持ち怯えていたが、鰐春が自分は医者であり、決して人を傷つけない、と穏やかにしかし決然と主張するとホッとしてその場にへたり込んだ。


 移ろいやすく信じやすい思春期の子供の信頼を獲得し、警戒を解くのは容易い事だった。

 昼間の七丈島では散発的にあちこちから銃声が聞こえてきたから、外は狙われやすく危ない、建物の中が安全だ、と言うだけで簡単に信じた。


 温かい紅茶を振舞うと阿玉賀は気を緩め、ペラペラと喋った。

 阿玉賀は特に怪我をしている訳では無かったが、夕方になり診療所に灯りをつけたため、誰か人がいると思ってノコノコやってきたようだった。昼間は誰にも見つからないように民家に隠れていたが、恐怖と寂しさに耐えられなくなり出てきたと言う。

 そのまま隠れていれば今しばらくは生きていられたものを、と阿玉賀の頭の弱さを内心で憐れみながら、鰐春は同情と理解を示してみせ、より一層信用を深めた。


「誰か他に生徒を見たかい?」


 話の流れで何気なく尋ねると、阿玉賀は窓の隙間から見ただけですけど、と前置きして言った。


「昼までは向かいの建物の上に猫塚さんがいました。丸くなってお昼寝してたみたいです」

「昼寝? デスゲーム中に?」

「眠かったんだと思います」

「……続けて」

「えっと、昼過ぎに猫塚さんがどこかに行った後、入れ違いで伏見くんと藤沢さんが来ました。藤沢さんは渕くんをずるずる引きずっていました。アレってなんだったんだろ」

「藤沢さんが? 渕くんを? 伏見くんが渕くんをではなく?」

「あ、そういえば藤沢さん伏見くんとなんだか仲良さそうでした。先生知ってました?」

「いや、知らなかったな」


 微妙にピントがズレた受け答えに苛立つがもちろん表には出さない。

 出席番号22番・藤沢カミラは小柄な女子生徒で、いかにも蝶よ花よと育てられたお嬢様然とした華奢な体つきをしている。体格の良い渕を引きずっていけるとはまったく考えられない。

 鰐春は阿玉賀の見間違いを考慮に入れた。遠目に窓の隙間から見ていただけでは見間違いも起きる。男子は男子の、女子は女子の制服で統一された服装だからパッと見では区別しにくい。


 阿玉賀はそれ以上何も見ていないようだった。


「……そういえば」


 紅茶のおかわりをもらい、賞味期限の切れかけた古いクッキーを齧りすっかりくつろぎながら阿玉賀は少しぼんやりした様子で聞いた。


「……先生の武器ってなんですか? ……メスとか?」

「メスは医療器具だ、武器ではないよ。先生のはこれだ。これも武器とは思えないね?」


 鰐春が膨らんだリュックから出して見せたオモチャのブーメランを見て阿玉賀はそっと笑った。

 ぼんやりとした表情を浮かべ、反応が鈍くなっている。紅茶に混ぜた薬が効いてきた証拠だ。


「阿玉賀さん、ぼんやりしているね。体調は? 大丈夫かな」

「……大丈夫……いえ、なんだかぼーっとします。疲れたのかな……」

「横になりなさい。無理はしなくていい。体を休めるんだ。ほら、枕を」

「はい……」


 鰐春は枕を渡し、代わりに手斧を受け取った。

 阿玉賀がふらふらとベッドに横たわる。

 その額に手を当て、熱をみる。


「熱はないね」


 続いて手首に指を当て、脈をみる。


「脈はちゃんとあるね。大丈夫、脈が止まるまで先生はここで見ているから」


 鰐春は手首を結束バンドで縛りヘッドボードに縛り付けて穏やかに言った。

 一拍間を置いて阿玉賀は目を瞬いた。


「……え?」

「足も縛ろうね。暴れないように」


 両手両足を結束バンドでベッドに固定され、身動きが取れなくなっても阿玉賀はまだ医療行為の一環だと思っていたようだったが、口にガムテープを貼られるとようやく危機感を覚えたらしい。暴れようとするが、薬の効果で全身が弛緩しもぞもぞ動く事しかできない。


 そっと阿玉賀の頭の向きを変え、鰐春のリュックが見えるようにする。


「阿玉賀さん、物事は隠すよりも見せつける方が隠せる時もあるという事を覚えておくといい。例えば配られた武器を隠すのではなく、偽物の弱い武器を用意して見せておく、だとかね」


 鰐春はブーメランを振って見せて脇に置き、大きく膨らんだリュックから錆びた園芸用の大バサミをズルリと取り出した。


「安心しなさい、痛くするから」


 阿玉賀は恐怖に顔を引きつらせ、涙を零した。

 囚われた女子高生にできる事は最早それしか無かった。









 長い夜が明け、七丈島に囚われたデスゲーム参加者は二日目の朝を迎えた。

 慣れない道具で徹夜のハードな解体作業していた鰐春は、水道で血のついた手を洗っている最中に島内放送を聞いた。

 ピン(↑)ポン(↑)パン(↑)ポン(↑)と人生で一番馴染みのあるチャイムの後、放送が始まる。


『マイクテスト、マイクテスト。本日の天気は晴れのち曇り。はい。皆さんおはようございます。ゲーム運営です。生きている方はお疲れ様です。死んでいる方は死んだままお聞きください。今朝までの犠牲者を発表します。


出席番号1番、相田(あいだ) 明人(あきと)くん。

出席番号2番、阿玉賀(あたまが) 夜和子(よわこ)さん。

出席番号6番、川井(かわい) (そう)くん。

出席番号13番、出盤(でばん) 之竹(これだけ)くん。

出席番号26番、(もう) 出内(でない)くん。

須玖(すぐ)太裳(たいじょう)先生。


 以上6名が死亡しました。生存者は26名です。

 たくさん死んで楽しいゲーム進行になっていますが、ちょっと皆さんはりきり過ぎですね。一度落ち着いて色々と準備をしてみるのも良いかも知れません』


 ピン(↓)ポン(↓)パン(↓)ポン(↓)、と馴染みのあるチャイムで放送は締めくくられた。


 鰐春は少し意外に思った。平和な日本でぬくぬくと暮らしていた学生が初日にしてまさかこれほどの殺し合いを起こすとは。

 事故が起きて数人まとめて死んだのかも知れないし、気の触れた誰かが数人まとめて殺したのかも知れないが。


 何にせよ担任教師である須玖先生が死んでいるのは気にかかった。教師を手にかける生徒がいるとすれば保健教諭である鰐春の安全も脅かされる。

 医療体制を餌に生徒達を診療所に集め、自分を守らせる手も検討する必要がでてきた。集団で守りを固め、最後にまとめて殺せば良い。


 汚れを落とした手をアルコールで殺菌し、清潔なタオルで拭いていると、表から足音が聞こえてきた。

 鰐春は物音を隠さず、むしろ音を立てながら玄関に向かった。


「保健教諭の鰐春です。今、鍵を開けます」


 ドア越しに声をかけると、一歩後ろに下がる音がした。

 鍵を外しドアを開けると、そこには男子留学生の日系二世、いわゆるA組変人グループの一人に数えられる堀田(ほりた)ガイストが立っていた。

 堀田ガイストは純日本人の顔立ちをしているが、瞳だけが蒼い。背負ったリュックはパンパンに詰まっていて、自転車のハンドルや汚れた皿が飛び出して見えていた。堀田のガラクタ収集癖は府通高では有名だ。デスゲーム中でも変わっていないあたり真性の性癖らしい。


 鰐春は表情に出さずほくそ笑んだ。駒が欲しいと思った途端にやってくるとは幸先が良い。


「おはよう、堀田くん。無事で良かった」

「おはよう先生。ちょっと聞きたい事があるんだけどいい?」

「何だい? 先生に答えられる事なら」


 快く応じると、堀田は体を傾けて診療所の奥を覗き込みながら聞いた。


「このへんでハサミ見なかった?」

「ハサミ? これでいいかな」


 玄関横の受付にペン立てがあり、小さなハサミがあったためそれを渡すが、堀田は首を横に振る。


「違う。錆びた園芸用の大バサミだよ」

「……うーん、診療所にそんな物があるかな?」


 反射的に掘田の首に伸びそうになる手を抑えるためにかなりの精神力が必要だった。

 診療所の玄関で殺人を犯すのは危険すぎる。どこから誰が見ているか分からない。殺そうとすれば抵抗され、殺害に成功しても無傷ではいられない。

 ガラクタ探しと考えるには具体的過ぎる。

 どういう経緯か、堀田は鰐春が誰にも知られないようにしてきた武器を知っているのだ。

 危険だ。始末しなければ。


 とぼける鰐春に堀田は断固として主張した。


「いや、絶対ここにある。声が聞こえたから」

「声?」

「こんな事に使われるために生まれたんじゃない、助けてって声だ。人間を切るのに使われちまったらしい。園芸用なのに」


 A組変人グループは揃いも揃ってどんな名医にも治せない不治の病を患っているから、大人になってから思い出して恥ずかしさに悶え苦しむ痛々しい言動は注目に値しない。

 代わりに鰐春は診療所の小物が揺れ始めた事に気付いた。ペン立てがカタカタと揺れて音を立て、玄関に飾ってある絵画も小刻みに振動し壁とぶつかっている。


「地震だ。堀田君、伏せていた方がいい」


 震度は小さく揺れを体感できない程度だが、善良な医者らしく忠告する。

 しかし堀田は無視して言葉を繰り返した。


「なあ先生。ここに錆びた園芸用の大ハサミがあるよな。どこだ?」

「は」


 鰐春は驚愕して言葉を失った。

 揺れていたペン立てが、絵画が、独りでに浮かび上がった。

 堀田が背負うリュックに詰まったガラクタも宙にぶちまけられ、漂い、鰐春を取り囲む。

 柄の無い包丁と古い千枚通しがぶつかって盛んに立てる音が威嚇のように聞こえた。


 それは紛れもなく心霊現象(ポルターガイスト)だった。

 血の気が引いて真っ青になる鰐春に、堀田(ほりた)ガイストはガラスのような無機質な目でもう一度繰り返した。


「大バサミはどこだ? 先生」

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― 新着の感想 ―
付喪神の声が聞けるポルターガイスト
[気になる点] 堀田くんのルビ、今回だと「ほりた」ですけれど3話目だと「ほるた」です。
[一言] 最初わからなくてゴースト?って思った。
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