4 二足歩行わんわん、一転攻勢!
私立府通高校普通科二年A組出席番号5番、大狼湾は大人しい女子高生だ。
ウェーブのかかった灰色の前髪で目が隠れているが、女子高生とは思えない豊満な体は全く隠せていない。俯いて腕を体に寄せモジモジしているとただでさえデカい胸がさらにデカく見える、というのは男子の中では有名な話だった。視覚の暴力を振るった罪で起訴されたという噂もある。
大狼の不運は目が覚めた時に見晴らしの良い海岸の断崖の上にいた事と、大狼がよく見える場所に思春期の性欲をこじらせた三人の男子生徒がいた事だった。
「い、いやぁ、こっち来ないでぇ……」
「へへっ、逃げんなよ大狼ぃ」
「そうそう、俺達と良い事しようぜ」
「げへへ、どうせみんな死ぬんだ。死ぬ前に良い思いさせてくれよぉ」
三人の男子生徒――――出席番号6番・川井奏、出席番号13番・出盤之竹、出席番号26番・孟出内は大狼を半包囲してじりじりと距離を詰めていく。
イヤイヤと首を横に振りながら断崖の端に追い詰められていく大狼のスカートのお尻には穴が開けられていて、そこから飛び出した犬尻尾がへにょりと垂れ下がっていた。
府通高では三年生の有能生徒会長が「過度でない程度の装飾品は可とする」という校則を過度に拡大解釈して教員を説き伏せている。お尻の穴にセットするタイプの装飾品を身に着けて学生生活を送っていても完璧に合法なのだ。
三人の男子生徒は息を荒げ、血走った目で涙目の大狼を脅した。川井はクロスボウを、出盤はアーミーナイフを、孟は拳銃を構えている。
「へへへ、おい大狼。四つん這いになってワンって鳴いてみろよ」
「そうだ、やれよ大狼。好きなんだろそういうのがさあ」
「ラブラドールレトリバーの鳴き声で鳴け。ラブラドールレトリバーだぞ」
「ひっ! だ、誰か、誰か助けて! カミラちゃん、凛ちゃん……! 誰かいないの?」
弱々しい助けを呼ぶ声が三人を興奮させた。
更に包囲を狭め、後一歩下がれば崖下の海に落ちてしまうというところまで大狼を追い込んだ。
が、三人が大狼のセーラー服を掴んで乱暴に引き寄せたところで、三人の背後から大声がした。
「コラーッ! 何をやってる!」
「やべっ!」
「先生だっ!」
「俺はやってないです!」
三人は手を離し、反射的に飛び上がった。
そう。大声を上げながら息をきらせて駆け付けたのは他でもない、A組担任の38歳独身男性教諭、須玖太裳だった。
学生のDNAに刻まれた「教師のお叱り」の声は異常事態に投げ込まれ武器を手に入れ気が大きくなっていた三人を縮み上がらせた。
「す、須玖せんせぇ……!」
大狼が地獄で仏を見たように喜びの声を上げる。
須玖は身長が190cmもあり、大学時代はアメリカンフットボール部で部長を務めていたスポーツマンだ。今は中年太りをしているがその身のこなしと筋肉には往年の名残があり、文化部の三人には殊更に恐ろしく見えた。
「川井! 出盤! 孟! そこに座れ! ……武器は置けぇ!」
駆け付けた須玖先生に三人は僅かに反抗する構えを見せたが、一喝されると武器を放り出してその場に並んで正座した。
大狼はホッと胸をなでおろす。
「大狼、何もされなかったか」
「は、はい。ありがとうございます、須玖せんせぇ」
乱れたセーラー服を直しながら上目遣いに感謝する大狼の肢体を、須玖先生は怪しげな目つきで嘗め回すように見た。
大狼が眉根を寄せる。
「せんせぇ……?」
「大狼、そこで待っていなさい」
「はい、せんせぇ」
須玖先生は頷いて男子生徒達に向き直った。
「三人で大狼を襲ったのか」
「お、襲ってません!」
「そうです! 勘違いです!」
「むしろ襲われました!」
三人は口々に言い訳したが、須玖先生が拳銃を拾い上げて撃鉄を上げると静かになった。
「もう一度聞くぞ。川井、三人で大狼を襲ったのか?」
「は、はい」
「出盤。正直に答えなさい、他に仲間はいないな?」
「い、いないです」
「孟。武器を隠し持っていないだろうな」
「ま、まさか」
「……三人とも反省しているか?」
須玖先生が語調を和らげて聞くと、三人は神妙に頷いた。
須玖先生は微笑み、至近距離から立て続けに三人の頭に銃弾を叩き込んだ。
そして振り向き、豹変に驚いている大狼に拳銃を突きつける。
「せ、せんせぇ!? どうして!?」
「俺の大狼に手を出そうとしたからだ。邪魔だったんだよ! ま、ままま全くけしからん体しやがって! お、お前が悪いんだぞ! 大人を誘惑するから……! 先生が教育してやる……っ! 大人の特別授業だ……どうせ死ぬんだ、逃げるなよ大狼ぃ……!」
たった今殺した三人と同じ事を言いながら、須玖先生は大狼に掴みかかろうとする。
「こっ、来ないで気持ち悪いっ!」
大狼は配布された武器である虎の子のコショウ玉を投げて抵抗した。コショウ玉は須玖先生に命中し炸裂したが、海に面した開けた断崖には強い潮風が吹きつけてきていて、一瞬でコショウの煙を吹き飛ばしてしまった。
それでも少しだけ吸い込み咳き込んだ須玖は逆上し、大狼の足に拳銃の狙いを定める。
「くそっ、抵抗するんじゃない! あ、足の一本ぐらいなら動かなくなってもいいよなぁ?」
須玖はハワイ一人旅行で何度か銃を撃った経験がある。全くの素人ではなく、数歩の距離の至近なら当てられる程度の腕前があった。
引き金が絞られ、乾いた発砲音と共に人を殺すのに十分な殺傷力を持つ凶弾が発射される。
そして放たれた鉛弾は分厚い鉄扉に豆鉄砲を撃ち込んだような軽い音を立て、大狼の柔肌に弾き返された。
「!!!???」
「きゃーっ! や、やめてくださぁい!」
大狼は目をぎゅっと閉じて手の爪を出し、蛮行に及んだ須玖先生に必死の抵抗をする。
型も何もない、しかし人外の膂力で突き出された手刀は豆腐に箸を刺すように須玖先生の腹を貫き、背中から飛び出した。
大狼はそのまま須玖先生の体を真っ二つに引き千切り、無造作に断崖の下の海に投げ捨てる。
暴漢に襲われた可哀そうな大狼は震えながらおそるおそる目を開け、手とセーラー服にべっとりついた返り血を見て尻尾をしょんぼりとうなだれさせた。
「ふぇぇ、ばっちぃよぉ。ゴミはゴミらしく勝手に殺し合ってよぉ……ううっ、みんなどこかなあ……」
太古の昔に神を食い殺したと伝わるフェンリル狼の末裔にして現代に生き残った人狼、大狼湾はめそめそ泣きながら仲間の不死者を探して七丈島を徘徊しはじめた。
ふぇぇ(天下無双)