17 モンスターペアレントはお引き取り下さい。運営からのお願いです
その日、デスゲーム運営『Love&Destiny』が本社を置く街は朝から深い霧に覆われていた。
前日の天気予報では全く予兆が無く、市民も気象庁も困惑するばかり。SNSや地元のニュース番組では異常気象としてちょっとした話題になっている。
十メートル先も見えない霧は視界を妨げ、あちこちで車が立ち往生し、あるいは徐行運転でそろそろ進んでいる。主婦達は外に干した洗濯物が全く乾かないので渋々室内干しに変えた。霧は日光を遮り、昼間だというのに薄暗かった。
街の住人達には霧の発生源が何なのか理解できない。
しかしどことなく形容し難い忌避感を感じていた。霧を歓迎し喜ぶ人間は珍しい。当然といえば当然の感覚なのだが。
不気味な霧は全く晴れる様子がない。街は陰鬱な空気に沈んでいた。
一方デスゲーム運営は霧どころではなかった。
次々と本性を表す不死者とハイテンポなゲーム進行、惨殺されていく人間達のスプラッタ映像に顧客達は大喜びだったが、反比例するように運営は恐怖のどん底に叩き落されていた。
ゲームの手綱はとっくに運営の手を離れ、手綱を取れているかのように外面を取り繕うだけで限界だった。十人、あるいは十一人もの不死者が生存してしまい、デスゲーム後に確実に世に解き放たれる。あらゆる意味で運営の立場が危うい。
デスゲーム中継が盛り上がるほどにデスゲーム終了後の破滅が色濃くなるかのようだ。事態の打開のために腕利きの殺し屋や殺人鬼、達人を招集したと聞いているが、その話が今どうなっているのかも分からない。
既に一部の上級役員は連絡が取れなくなっており、穴の開いた船からネズミが逃げ出すようにボロボロと人員が欠けていっている。
デスゲームの司会役は発狂したり失神したり失踪したりでコロコロ変わり、現在は病院から無理やり引っ張り出された鹿井新晃に戻っていた。鹿井はデスゲーム司会という役職に思い入れと誇りを持っていたし、色々なしがらみもあって断れなかった。
過労死を覚悟していた鹿井だったが、殺人鬼チームによる河戸撃破を中継映像で見て快哉を上げた。長い暗闇の中に一縷の光が見えた。未だ殺人鬼と不死者の戦力差は圧倒的だが、逆転のための計画を練り、行動し、そして成果を上げてみせたのだ。
七丈島の殺人鬼達はデスゲーム運営の、いや人類の希望の星と言っても過言ではない。
これはまさかの一転攻勢、追い詰められた殺人鬼が大逆転して不死者を殺し尽くす事もあるのでは?
そう思うと自然に解説実況にも熱が入る。
今までの流れのおさらいをして、コメントを拾ったりリスナーのお便り紹介をしたりしていた鹿井は、ふと本社ビルが妙に静かな事に気付いた。
ほんの数分前には廊下で慌ただしく人が行き交い、ソファでは死んだ目の職員が呻いていたはず。
それが今は空調の音と時計の針の音しか聞こえない。自分以外に誰も見当たらない。人が消えていた。
……いや、もう一つおかしな事がある。空調がしっかり動いているというのに、室内にまで霧が入り込んでいた。
血相を変えた鹿井はすぐにマイクを放り投げ、椅子を蹴飛ばす勢いで立ち上がった。
この数日でオカルトめいた異常事態の経験値は爆増していた。何が起きているのかは分からないが、自分が生と死の瀬戸際に立っている事だけは理解できる。
鹿井の判断は迅速だった。
それでも遅かった。
逃げようとした鹿井は部屋の出口に忽然と現れた一体の不死者に道を塞がれた。
銀の装飾を上品にあしらった仕立ての良い燕尾服。
完璧にセットされた銀色の髪。
藤沢カミラと瓜二つの紅瞳はまるで家畜を憐れむかのように鹿井を見下げている。
壮年に見えるその不死者は紛れもなく藤沢カミラの父親、藤沢ヴラドその人だった。
「あっ、あっ、あ、ふじ、ふじさ、」
鹿井は藤沢ヴラドと一度会った事がある。全く知らない相手ではない。口八丁でなんとかしようとするが足元から舌の先まで震えに震えて呂律が回らなかった。
鼻で笑ったヴラドが何か喋ろうと口を開く前に、鹿井の肩に後ろから手が置かれ声がした。
「兄さん、ここはプロに任せな。アンタがどうにかできる相手じゃない」
「あ、あなた達は!?」
いつの間にか鹿井の後ろには三人組がいた。鹿井を下がらせ、ヴラドの前に立つ。
鹿井は彼らを知っていた。彼らの顔を、名前を、実力を知っていた。
彼らは運営が対不死者用に招集した切り札だった。
累計殺害数1000人超えの伝説の殺人鬼、一典 康生。
アメリカ裏社会で不敗神話を持つ暗黒武道家、ナグール・ケール。
エジプトから来た古代呪術の使い手にして殺し屋、メッチャー=ツヨ=ソウ。
いずれも今回のデスゲームに投入された五人の殺人鬼を単独で鏖殺できる桁外れの実力者だ。
殺人鬼、一典康生は国際指名手配犯である。
ナイフを飴代わりに舐めて育った一典は、成人の日に霞が関連続殺人事件を起こした。それを皮切りに世界各地で大量殺人を繰り返し、幾度となく特殊部隊に追い詰められ窮地に立たされるも、必ず起死回生の一手を打ち、逆に追手を皆殺しにしてのけている。
得物は様々だ。銃殺、毒殺、絞殺など手口に統一性は無い。どのやり方でもその道の達人級の鮮やかな手並みを見せる。
一典の首に懸けられた懸賞金は年々つり上がり今では3000万ドル(≒33億円)を超える。有力な情報提供だけでも10万ドル。それほどまでに世界中に恨まれ追われ、それでもなお生き延び捕まらず殺人を繰り返す――――一典康生の名は現代殺人鬼の代名詞と言えよう。
過去に一度だけデスゲームに参加した事があり、ゲームをたった一日で終わらせた最短記録保持者でもある。
スキンヘッドの黒人暗黒武道家、ナグール・ケールはアメリカ裏社会の重鎮である。
彼は普段世界最大規模のマフィアのボスの護衛をしており、スナイパーの弾を手甲で弾いてボスを護った逸話はナグール伝説を語る上で外せない。
護衛だけでなく猟犬としても扱われ、任務達成率100%。ナグールに狙われた者は必ず死ぬ。ナグールはマフィアにとって死の象徴なのだ。
ナグールは超越した武道と野性的な勘で弾丸を避ける事ができ、どんな罠も回避しあるいは突破する。そして殴り殺すか蹴り殺す。嘘か真か、ボクシング世界チャンプが一発のジャブを放つ間に二人殴り殺せると囁かれている。
ナグールのボスはデスゲーム動画を全て巡回し高評価ボタンを押して回るほどの熱心な視聴者であり、その縁で今回派遣されてきた。
年齢不詳の殺し屋、メッチャー=ツヨ=ソウは三人の中で唯一の女性だ。顔は厚いベールに隠され分からない。
ピラミッドを護るファラオの呪いを施した神官の一族の末裔を自称し、迷信深い地元民からは現人神の如く畏れられ崇められている。
実際、彼女は肉体こそ普通の人間の女性だが、その殺しの技は神がかり的だった。指さされた者は心臓発作を起こし、睨まれれば睨まれた者だけでなくその親類縁者まで倒れる。
彼女の秘密は卓越した殺意を操り魂を攻撃する業にあった。本来不死者を攻撃するためのものである不死殺しの技をツヨ=ソウ一族は代々受け継ぎ錬磨し、人間に対し致命的作用を起こすようにしているのだ。
呪いじみた業だけでなく近接戦闘能力も持ち、彼女が操る七人の処女をファラオに捧げる儀式殺人を経て鍛造された呪いの短剣は刺した者を速やかに死に至らしめる。
彼女は富豪が破産するほどの莫大な依頼料によって運営に招聘された。
三人は恐るべき不死者に対し一歩も引かず、全くの自然体でいながら研ぎ澄まされた殺意を滾らせた。
人類最強に数えられる三人と不死者が対峙する。
後ろに下がった鹿井は固唾を飲んで見守る。
三人と一体の不死者は同時に動き、かつてない戦いが幕を開けた――――
三秒後、藤沢ウラドは折り重なった三つの死体の上に腰かけ一息ついていた。
恐ろしい激闘だった。一人殺すのに1秒もかかった戦いはヴラドの記憶の中でも数えるほどしかない。
熾烈な戦いは一週間ぐらい不死者の間で噂される事だろう。
ヴラドは部屋の隅で真っ青になって震えている人間に命令した。
「さて、そこの人間。娘の映像を映してもらおうか?」
「は、はい……」
鹿井は全ての希望を失い、従順にモニターを操作した。
最早デスゲームで殺人鬼が勝っても不死者が勝っても鹿井に未来は無い。
どちらに転んでも終わりなら、と鹿井は思う。
せめて殺人鬼に勝って欲しい。デスゲームをめちゃくちゃにした不死者に思い知らせてやって欲しい。
鹿井は心の中で殺人鬼に全力のエールを送った。
鹿井「殺人鬼がんばえー!」