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ウルタールの……【尻尾】 

 挿絵(By みてみん)


俺は独断でここに来た。

いや、処分に関しては俺に任せられていたから独断であること自体には何の間違いもないはずだ。確認とか細かな手続きが必要だったとしても。


犯人が八鳥さんの情報よりも予想以上に速く到着してしまったために、ぎりぎりまで組織内のマル秘会議に出席していた桜田さんは遅れてくることになっていた。


心強いとともに、最悪のタイミングだ。


桜田さんの雰囲気はそのままただの敵対心、桜田さんの尋常じゃないまでのそれに当てられ、清水 魁は解きかけた警戒を再度マックスまで上げて、今度は水弾を空中に先ほどとは比較できないほど浮遊させている。


「待ってください桜田さんッ!!」


先輩のうちの一人を初めて怒鳴りつけてしまった。

桜田さんは驚いたようにこっちに目をやってきた、普段からあまり大声を出さない方だったから驚くのも無理はないだろう。


清水 魁の方もまた少し驚いている様子で、浮かんでいる水弾の大きさが一回り小さくなったようにも見えた。


「なん、だ?……って!今はそれどころじゃねぇじゃないのか!ていうかコイツ!やっぱり水かよ、相性わりーな。」


持ち直して闘う姿勢にはなっているもののまだ攻撃せずにいてくれている。

そこですかさず俺が話し出す。これが一番効果あるのではと思った渾身の作戦。


「厄介なものが増えやがって……!」


「さぁ、ぶっ殺してやるぜ!」


「待ってください!俺が奴を説得します、手をまだ出さないで」


「あぁ?ッチ……そんなことしても無意味だろ」


滾っていたらしい桜田さんは俺に戦いを制止されたことで、ムスッと子供のように不機嫌になった。

明らかな事かもしれないが、桜田さんは俺より年上だ。


とりあえず一先ずは桜田さんには引いてもらえたので、俺は清水を説得するために冷静に言葉を紡いだ。


「……清水 魁、これ以上猫を殺すことをやめるんだ。法律にも動物虐待は五年以下の懲役、または五百万円以下の罰金が科せられると記されている。お前はこれ以上罪が重くなる前にちゃんと足を洗うべきだ!」


「違法組織が法律で犯罪者を正そうとするとか、カオスだな!」


桜田さんは隣で俺の言葉を笑い飛ばした。

確かに違法組織が法を掲げての説得は無理があったかな?


俺のできる範囲のこととしては動物虐待犯に対する社会的な対応を示すことしかできないから、動物虐待に関する処罰を調べておいた。

俺のできる精いっぱいの処罰は矢張りどう考えてもこの異能の若造を警察機関に届けて、しばらく拘束することだけしかない。


そういう結論に落ち着いたのだ。


しかし、俺の浅はかな考えは逆効果を及ぼした。


「お前らに……お前らに、何がわかるっていうんだ……俺は安らぎを得ているだけだ!これだけが俺の唯一自分としていられる自由だ!お前らに俺の何がわかるっていうんだよッッ!!」


猫殺しの清水は激昂し、夜の公園で肌をビリつかせるほど吠えた。


グルグルと宙に浮いていた水弾が渦巻いて、円状になっていく。深く冷たい色になり、だんだんと渦巻く速が早くなる。そして、奴の体の周りだけが台風のように覆われていく。


「危ないッ!」


桜田さんが俺をかばおうと寄ってきたところで、水流の台風の目からかすかに唸るような声が聞こえた。


水族館(アクアリウム)だ。静寂で孤独な水族館(アクアリウム)こそ、再出発には必要なんだ……!」


熱病にうなされる病人のように清水はへたり込みながらうわごとのようにそうつぶやいた。


桜田さんと俺の爪先から頭までが死にそうなほど冷たい水によって覆われ、目の前が真っ暗になった。

溺れることなんて気にならないほど、不快な水が渦巻き浮遊感を覚えた。そんな浮遊感なんて、不快感で毛ほども気にはならなかったが。


バシャアッ!!

















「ゲホッ……ゲホッ!!」


水は覆い切ってすぐ、何故か俺たちから爆ぜるようにして離散した。


俺がびしょびしょになったのは変わらなかったが、周りの景色は変わっていた。


先ほどまでの寂れた公園、もとい破壊され、荒廃した公園の深夜景から薄暗い照明に照らされた左右大小さまざまな水槽が飾られ、中には優雅に水中を舞うたくさんの水棲生物がいる場所に来ていた。


その水槽や客に配慮した照明の当て方を見れば誰しもがここをこういう場所だと思うだろう。



もしかしようと、もしかしなくとも。



ここは……水族館?


「ここが清水の結界かよ……猫の次は魚ってか?」


桜田さんがうざったげにつぶやいた。

これが奴の能力の本当の姿なのだろうか、それともまだ………


「これも、あいつの能力の一つなんですか?」


周りを見回して警戒しながら、桜田さんにそう聞いてみた。

単純に今までと毛色が違いすぎる所が、俺の勘に引っかかったからだ。

加えて、八鳥さんからもそんなことを聞かされていなかったから、あの人は本当に嘘は言わないけど、重要なことも言わない。


言葉尻を捉えるだけでなく、言葉の裏や隠した事実を考慮しなければならない相手と考えると確かにあまり本気で相手するだけ害になるのかもしれない。


「能力……そうだな、まぁひとくくりにしてしまえば能力みてぇなもんだ。だがよ、さっきまでのものとは格が違う。能力者の一部には己のためにある、己のポテンシャルを最大限引き出せる結界、ってフィールドを作り出す奴らがいる」


桜田さんはカクレクマノミのいる小さな水槽にべたりと手を付けて覗き込みながらそう言った。

格が違う。

確かに空間一個を丸々生成していると考えると、異常だ。


「水を操るとか、そういう次元の話じゃなくなりましたね。まるで魔法みたいだ」


「もとより俺たちゃ、魔術師みたいなことしてきただろうが」


桜田さんがおもむろにアクリルガラスから手を離すと、そこにはくっきり手形を取ったようにガラスが溶けて歪んでいた。


これが桜田さんの能力——確か、発火現象(パイロキネシス)に似た能力だと聞いたことがあったけど、硝子を溶かすような熱を自在に発することができる桜田さんなら、水を操るあの清水にも勝てるはずだ。


でもその前に肝心の清水はどこに行ったんだ?


「ひとまず清水を探さないことにはこの空間からも逃げられない感じでしょうね」


「そうだ。だが、この空間自体を荒らしてやれば自然と、奴は出てくることだろうよ。結界は己の精神のよりどころみたいなものをそのまま現出したもんだ。それを荒らされりゃ、不安とか苛立ちに自ずと襲われて、俺たちを排除しにやってくるはず」


「例えば、こんな風によッ!」


桜田さんが不意に先ほど熱で溶かした水槽の歪んだ部分に思い切り拳を打ち付けると、水圧に耐えられるように頑丈に作られているはずのアクリルガラスは、硝子瓶が地面に叩きつけられたときのようにいともたやすく砕け散った。


バリィンッ!!


ビチャビチャビチャビチャ!


中からはカクレクマノミの親子が海水とともに流れ出し、床の水たまりにポチャリと落ちて何回も水を求めるように痙攣をおこした。


すると、この展示コーナーの突き当りの二枚扉がギギッと不気味な音を立てて一人でに空いた。


その中からは深海のような冷たさと、得体のしれない生物の殺意が霧状になって漏れ出してくる。

覗けども底の見えない暗黒。

ただそこには漠然と狂気の支配者が鎮座しているという、根拠なき強迫観念が沸き起こった。


「海の神秘だ。ここには深海のような静けさ、そして没入感のある薄暗さが人に安らぎと根源的な感動をくれる。それを妨げるマナーのなってない客は大嫌いだ。特にフラッシュを焚く奴とかな……」


清水の声だ。

あの暗黒の向こうにはきっと言いようもないほど歪んだ静かなる激情を孕んだヤツがいる。


「なぁ?向こうから来てくれただろ。後はぶっ殺すだけだ」


拳を構えて完全にやる気の桜田さんを俺はいなそうとする。


「殺すのは無しで、無しで行きましょう?あんまり殺すのは良くないと思いますし、なんというか?倫理観ってやつですか?漠然とした理由ですけど、そういう本能的にしちゃいけないって思うことってやらない方が良いと思うんですよ」


「またかよ、俺に手加減しろっていうのかぁ?つらねーなぁ。つまんねーよ」


桜田さんは緊張感もなく、ただ退屈そうに俺に向けてそう言った。

玩具を探す気ままな虎のよう、という印象を受けた。


「そうかもしれないですけど、今回の処分の決定権は俺にあるんでしょ?なら、なるべく戦わないってか、傷つけない方針が良いですね。死なれたら、雪海さんに何言われたもんか分からないですし」


「それもそうだな。じゃあ、手加減してぶっ殺す!」


……全然わかってない。


発言は呆れるものだが、桜田さんは意図は理解している。


論理的な意味より、感情的な意図を読み取るのが桜田さんは得意なのだ。

だから、ふわっとした理由でも嫌なことはなるべく避けてくれる。


「嫌いだ……嫌い、嫌い嫌いッ!死ねッ!」


暗黒の中から、おぼつかない足取りで清水が出てくる。

耳を両手でふさぎながらこちらを血走った双眸が捉えている。まるで獣のようだ。


殺意が抑えられていない。


噴出した感情を抑制したくても、蝶番が壊れてしまったように上からふさぐことができないでいる様だ。


辛そうに藻搔く清水が肺から空気を絞り出すような「グァァ……」といううめき声を零した。


すると、突如突き当りの暗黒から漏れ出ていた瘴気が白い靄に変わって通路状の展示コーナーを吹き抜けた。


それを見た俺は反射的に桜田さんの後ろに隠れた。

何か分からないがそれは紛れもなく何かの前兆だと察することができたからだ。


吹き抜けた不気味な風に展示されていた水槽が一気に結露で白くなる。


俺の体を通り抜けていった白い靄はここに連れてこられたときに巻き上がっていた水のように冷たくて、殺されて冷蔵庫に無理やり詰め込まれているような圧迫感と恐怖を感じた。


「寒ッ!これって……水を操る能力以外にも、気温を低下させる能力が?!」


俺が肩を震わせながら、ゆっくり桜田さんの方を見ると、桜田さんはまるで寒さを感じていないというように依然仁王立ちで清水を見下げていた。


「結界の内部だったら、それくらいの融通は通せる。だがよ、これだけならまだ俺の手に納まるな」


そう言ってニヤリと笑う桜田さん。


「お前たちはすぐに知ることになる。海の冷たさ、底の恐ろしさを。誰も手を差し伸べることはない。齧りつかれ、ただ無残に血をまき散らせ!」


清水の背後の暗黒から、突如一匹の黒い鮫が出現する。

大きさは通路に納まるほどで、大きいわけでは無い。

ただ水もなく宙を浮遊する肉食魚というのはシャークネードと同じくらいに質の悪い冗談だ。

その捕食者たる眼は見ているだけで、寒さとは別の武者震いが湧いてくる。


それが高速でギザギザの鉄さえかみちぎってしまいそうな、歯を見せながらこっちに突っ込んできた。


「大きい鮫だなこりゃッ!太郎下がってろ!」


そう言われて桜田さんの背中から2、3歩下がると、ぴちゃりと先ほど零した水たまりに足が入った。

その水面を見ていると、とてもまともじゃないような嫌な予感が脳裏をよぎった。


途端に清水が失笑交じり、光のない双眸を向けて俺に言った。


「無意味だ……深海に安全地帯なんてものはない。無責任に隔たりを壊しても、向こうは虎視眈々と殺しに来るだけだ、待ってはくれない。人と深海を分断しながらも密着させたこの場で、隔たりを壊してしまえば、恐怖が流入するのは至極当然の結果だ。食われてしょうがないことなんだ」


どこか詩的で、根源を突いた言葉に胸がどきりとした。

桜田さんは得意の発火能力で浮遊鮫の顔を押さえつけながら、燃やしている。

俺に向かう害はない。そう決めつけていた。

しかし、俺の第六感が踏み入れてしまった水面を見るべきだと俺に伝えてきた。緊急事態をアラ―トするように、赤いハザードランプを点滅させるように。


「これはッ!?小魚が巨大なサメに!?」


足元の水たまりからどういうわけか、前方で桜田さんが相手しているようなサイズのサメの頭部だけが大口を開けて飛び出ていた。

まずい!


そう思った瞬間水たまりの中のサメはこちらに向かって飛びついてきた。


「太郎!鼻っ柱に思いっきり拳を入れてやれ!」


桜田さんは飛んできたサメの巨大な顔面を両手で抑え、堪えながら俺にそうアドバイスした。

すぐそこまでその生気を感じられない捕食者の目が迫っている。


けれど、ひるんでいる暇はない。

人は極限まで追い詰められれば、リスクを度外視した行動が起こせる。

追い詰められれば追い詰められるほど人は窮地を打開できる生き物だ。


「それしかないッ!喰らえ!」


俺はサメの鼻先をグーで力強く殴りつけた。

硬い皮膚の中にはゲル状の何かが詰まっているようで、拳は数センチその鼻にめり込みゴキリといった。力強く殴りつけすぎたせいで捻挫か、悪くて骨折しているだろう。


それでもそれをやるに値するだけの成果は得ることができた。

サメは大口を開けたまま床の水たまりにずるりと滑り落ちるように消えた。


「サメってさぁ、鼻の感覚がすげえって前にテレビ番組でやってたんだ。匂いを感知するって意味もあるが、生き物に流れてる電流を感知するらしいんだよ。だから、そこが逆に弱点でもある。えぇ?違うかい?」


桜田さんはどや顔でそう言う。

清水は凄い不機嫌そうな表情で、ごみ溜めのコオロギを踏み潰すように言った。


「幸運だな。いや、悪運か。人間の知恵というのは本当に厄介だ、圧倒的強者を倒すような狡賢さがある。だから、信用できないんだ」


清水の出てきた二枚扉が急に外れぐしゃぐしゃになってこちらに飛び散ってきた。俺はそれを桜田さんの後ろに隠れてやり過ごした。

ドアのガラス片が桜田さんの方を切り裂く。


「そうかよ、御託はもう腹いっぱいだ。これ以上手がないってんなら、大人しく捕まってくれよな」


部屋の明かりが明滅し、気温がさらに下がる。


「嫌まだだ。メインの水槽を見ていないだろ?こっちにある。俺を捕まえた言ってなら、お前たちが俺の方に来るんだ」


そう言って清水はまた開かれた暗黒の中に消えていった。


「メインの水槽?いったいこれ以上まだ何があるっていうんだ?」


俺は呆然と立ち尽くしながら、拳を握ってそう言った。


「お前は水族館なんて行ったことないから分からないかもしれないがな。この壁にはめ込まれた展示回廊よりも、巨大な水槽がどこの水族館にもつきものなんだぜ。鮫とか、エイとか、小魚とか、夥しい量の魚の入ったこれとは比べ物にならないタイプだ」


桜田さんがそう言って前に進みだす。

俺も後続ゆえに仕方なく、歩を進めなくてはならなかった。


すると、突如歩んでいた俺たちの法に向かって一本の巨大な蛸のような触手が伸びて俺たちをぐるりと巻き取り引きづりだした。


「な、何だこれッ!?蛸みたいなでかい触手がいとも簡単に俺たちをッ!」


「やつめ、大分イかれた趣味してやがる!俺はぬるぬるとかべたべたとかそういう汚いものは嫌いだってのによぉ!」


余りのことに逃げることも殴りつけることもできずつかまってしまった俺たち壁に叩きつけられながら、暗闇の奥の奥に引きづり込まれた。



そこはガラス張りのドーム状の空間。

ガラス張りだったとしても、その外は暗い暗い海。

赤い眼光が幾つも不気味に輝き泳いでいる。


そしてその中心で清水が立っていた。

しかもその姿は髪が白く染まり、黒いタキシードを着たマフィアのような姿にいつの間にか変身していたのだ。


背後からはさっきの触手みたいなものがいくつもある魔法陣から伸びており、気色悪く蠢いていた。


「ここが終点だ。見納めだな。もちろんお前たちの命のことだ。なさけありまの水天宮といったところか」


目が赤く光る。

獰猛なサメのようで、狡猾なタコのようで、まさしく深海を取り締まるアクアリウムのオーナーという感じだ。


「こりゃちょっと、まずいんじゃね?」


「俺もこれはヤバいってわかりますよ。清水ッ!何がお前をそんなことに駆り立てるんだ!?」


必死に説得を試みるが奴の冷たく凍った心にはもう届かないのかもしれない。


「静かに見ろよ、静かに聞けよ。批評なんて。無意味だ。お前たちに俺の苦悩を話したところでそれを解決することができるわけない。いや、()()()()()()


「おとなしく、沈めッ!」


清水が下の方を指さすと、ドームがゆっくりと沈んでいく。

どうやらここはこの結界でいうところの海底ではなかったらしい。何かの力で支えられていただけに過ぎないドームは泡をたてながら深層に沈んでいく。

と同時に清水の背後でうねっていたタコ足たちも一斉にこちらに向かって殺意をむき出して襲ってくる。


「たこ焼きにするには大きすぎるんじゃねぇのか!大味は好まれないだろ!」


桜田さんがそう言って手を伸ばすとタコの脚たちが燃える。

恐らくパイロキネシスだろう。タコ足たちは痛みに悶えるようにビクビクと動いたが、無事な足の何本かが薙ぎ払い攻撃をしてきた。

とてもジャンプで躱せるものではないので、俺たちは隙をついてその下を潜り抜けて回避した。


「凍れ」


清水がそういうと地面に薄氷が広がり始める。

それは一瞬で俺たちの脚を捉えて地面に凍りつけた。


「凍らせる能力ってなら、実はタコ足で殴られるより対処しやすい。そういう意味ではそのたこ足以外お前の攻撃は余り意味がないんだぜ?」


俺たちを基軸に氷が円状に溶けて水になる。

心なしか暖かくもなってきた。

炎と水じゃ相性が悪い、氷と炎でも同じこと。桜田さんの能力に清水の能力は押し負けている!


「勝てる、うん勝てますよこれは!見た目が変わろうとも桜田さんの能力とお前は相性が悪すぎた!」


「余程歓談を楽しみたいようだな。俺は静かにしろとあれほど言ったのに。楽しむのはいい、興奮するのもいい。だが、ここは声を上げずに楽しむ場だ。俺も好きではないが、こういう手を使うしかあるまい」


いきなりタコ足たちがいくつもの楽器を取り出し始めた。

管楽器、弦楽器。種類構わずそれらをその強靭で太い腕に抱いて構え始めたのだ。


「フルオーケストラ、いかなる酷評も絶賛も嫌いだ。だから上からかき消す!」


清水が指揮者のようにその両腕を振り下ろすとすさまじい音圧の音が奏でられ始めた。

流れてくるのはレクイエムの怒りの日。


決してうるさいというわけではなく、また怒鳴りつけるような激情があるように感じられるはずのこの曲がこの場面に限ってはどうしてか、悲しみを多分に含んでいるような悲哀歌に聞こえた。


その曲が流れてくるのと同時に、俺たちの体は急激にまるで地面に惹きつけられる磁石のように下に向かって引っ張られ、両手両足をついて今にも這いつくばりそうな状態である。


何だこの音楽は、頭まで響いてくる!


「音が重いッ!重力すら操ることができるというのか!?た、耐えられない!」


タコ足たちは器用に演奏している。清水も悠々自適にその演奏を指揮者のように眺めている。

対して俺たちは必死に起き上がろうと腕に力を込めてみるも、中々手が地面から離れるない。


そういえば、さっきから地面が異様に冷たいような。

まさか!?


「手がはがれないだと!?すでに凍っているのか!?でも桜田さんが一帯を温めてくれているっていうのに、どうして!?」


桜田さんの方に目を向けると、もちろん地面につけられたその手から今も蒸気が白く立ち昇っているのだが、一向に手が離れることがない。

氷も、溶けた後の水も蒸発しているはずなのに一向に苦悶の表情を浮かべる桜田さんを見て俺は言い知れぬ不安を覚えた。


「お、俺の能力で温められていたのはどうやら、表面だけらしい。真に絶対零度を放っていたのはこの床自体だ!クソッ!」


堕ちていくドームスフィア。

俺たちはただ批判できないほど美しい音と深海の冷たさを味わうしかなかった。


「まだ演奏始めたばかりなんだ。フィナーレまで聞いていくがいい、もっとも聞くに堪えないだろうがな、ふっ」


清水は俺たちを嘲笑い、こちらにゆっくりと歩を進める。

この間も演奏は止まず俺たちが万全の態勢で逃げることを許さない。


「さ、寒い……し、死んじゃいますよ桜田さん!な、何か策はないんですか!?」


「奴がとどめを刺しに来るまで待て、勝機はそのときにあるんだぜ!」


桜田さんが小声でそういった。

唇の動きが読める距離じゃなかったら、意味を理解するのだって難しかっただろう。俺はとうとう腕が崩れ、頬が床に触れてしまった。

完全に寝そべった状態はものすごく寒く、また動くことすらできない。


「どうだ?いい演奏だろう?お前ならこの音楽に幾らの値打ちを付ける?千円か?百万円か?」


薄ら笑いを浮かべながら、冷淡に桜田さんに向かってそう言う清水。


「も、もちろん百万円出すぜ。こんな素晴らしい演奏は久々に聞いたからなぁ」


「そうか、たったの百万円か。せっかくのお前の鎮魂歌がその程度の値打ちしかないのか。てっきり一万ドルは行くのかと思っていたが、まぁ妥当だろう。仕方ない死んでくれ」


清水が手から水を作り出すとそのままつららのように凍らせて桜田さんの首筋に向かって振り下ろそうとした。

しかし桜田さんも抵抗する。


「ま、待て!一万ドル!一万ドル用意する!だから、俺だけでも逃がしてくれ!」


「さ、桜田さん……!?」


まさかそんなことを言う人だとは思わなかった。

俺だけ見捨てて逃げようだなんて。お土産の趣味は悪いし、実はさみしがりやで仲間想いのあの桜田さんが自分の命欲しさに仲間である俺を売るなんて!


いや、もしかしたら、仲間とすら見られていなかったんじゃ……


絶望が俺の心の暖かった部分を吹き消した。


「そうか、一万ドルか。ふむ」


清水は顎に手を触れてしばらく斜め上を見た後に見下すようにこう言った。


「ダメだな。おとなしく死ね、船蟲が」


振り下ろされるつららの凶器。

このまま桜田さんは……


が、それが振り下ろされる前に桜田さんの拳が清水の顔に叩き込まれた。

俺も清水も訳が分からず混乱する。


ど、どうして……!?


「最後までちゃんと徹した方が良かったと思うぞ、俺は」


殴りつけた方の拳をブラブラと揺らして余裕な表情を浮かべている桜田さん。清水はその様子を今度は下から見上げる。

その殺意はすさまじく、ダウナーな雰囲気を醸し出していたころよりも獣性帯びている。


「な、なんで……お前は凍っていたはず!どうやって!」


「自らがそのルールを課したってのなら、それは徹底されるべきだろう。お前が言葉を求めずに、静けさを求めるのなら。殺すことも静かに味気なくやるべきだったと思うぜ。その冗長で演出家なところがお前の敗因ってやつじゃないのかな?」


桜田さんは清水の首根っこを掴むとつまらなそうにそう言った。


「殺ッ!


「おっと、動いたら首を焼く。触れてんだから一瞬で炭にしてやるよ」


パイロキネシスをじかに使われれば、それは大変惨たらしいことになるだろう。それも首なんかに使われたら、どうやっても逃れられなくなる。

炭化するか出血するかして死んでしまう。


「……」


清水は漏れ出る激情を抑えながら、犬歯を覗かせて今にも食って掛かろうという感じだが、手は出せない。


「桜田さぁん……!」


「俺が裏切るわけないだろ?後輩想いの善人だからよォ」


「今は手が離せないから、剥がしてやることができなくてすまんな。ちょいと待ってろ」


「ふぅ、焦ったぜ。しかし清水、これで完全にお前の負けだ。とりあえず、これでひと段落。おい、この結界さっさと解け。もし、これ以上続けるなら、俺の結界、放火現場(アーソンサイト)を展開する。分かったら、やることやりな」


その言葉に完全に戦意喪失したのか、体から力が抜けていくようにみえる清水 魁。だが、小声で何かつぶやいたようにも見えた。


「クソが………」



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