ウルタールの……【頭】
病院から引き返すとようやく桜田さんは俺に探偵の江守からもらった写真をみせてくれた。
「こいつだ。こいつが今回の犯人だ」
江守が撮った写真に写っていたのはピアノを弾いている男。
黒髪の前髪が少し目にかかっていて、俺と同世代かそれ以上くらいの年齢。座ってるからわからないが座高は高く見える。
ところで全く知らない男だが、どこかで見たことがある気がする。
昔視界の端に収めたような、一回だけ見た短編小説のような、もどかしい感じだ。
「どうしたそんな険しい顔をして……まさか、知ってんのか?」
「いえ……わからないですが、どこかで見た記憶があるんです」
「どこでだ?」
どこかで、街中ですれ違うとしてもこれほどまで覚えてることはない。
じゃあ俺が覚えてるように感じるのは何故だろうか。
こいつはピアノを演奏しているようだ。
ということはピアニストなのだろうということは察しがつく。
しかし、俺にピアニストの知り合いはいなかったはずだ。
まさか、記憶を失う前の知り合い?
それだとしたら………ん?いやまてよ。
江守はどうしてこんな写真を持っていた?気前よく家族が見知らぬ男に渡したとは思えない。
それに写りが良さすぎる。素人が撮ったとは思えない。
であれば、誰が?
俺と同世代、ピアニスト、写真、デジャブ…………
「あぁああ!!思い出した!思い出しましたよ」
俺は抱えていた頭を脊髄反射を起こした野生動物のようにビクンと上げて、桜田さんの方を凝視した。桜田さんは驚いて一歩引いたが、それでも平然を装って聞いてきた。
「お、思い出したのか!?こいつの正体を!!」
あの探偵がこんな明確な結論に辿り着いていたとは思いもしなかった。
やはり探偵を名乗るだけはあるということか。
「えぇ。こいつの名前はーーー
「まずは初任務、よくやった太郎。そして、桜田もな。こいつの処分については我々cグループが生殺与奪権を握らされている。……しかし、殺すことは許されないのはわかっていると思う。倫理観だとか、そういった話をしてるわけじゃない」
いつもの伽藍堂な元煎餅屋、シャッターは閉じて中には5人しかいない。こんな静かな中で夏山さんはいつもの口調で話した。
「太郎、本当にこの子が犯人なの?その江守って男の間違いじゃなくて?」
雪海さんはいかにも慌てている。というか動揺しているらしい。まるで、息子が犯人だと言われた母親のようだ。
「えぇ、当たってるとおもいますよ。だって矢鳥さんのお墨付きですし。犯人にはたどり着けるようになっているなら、これが俺の出した答えです」
矢鳥さんの名前を出した瞬間、みんなして桜田さんの顔をじっとにらんだ。当の桜田さんは気まずそうに右上に目を寄せている。
「へぇ……桜田、あんた太郎にあのネズミを紹介したの?…あんた、どうなるか覚悟しとけよ」
「俺も大まかには雪海と同意見だ」
「………禁忌」
「そ、そのことについては後で弁明なり釈明なり会見なり……」
これは矢鳥さんが嫌われているのか、それとも桜田さんが悪いのか。
両者だろう、少なくとも全員から矢鳥さんが嫌われているということがわかった。
「その話は後でだ。それよりーーー
「矢鳥が出したんなら本当なんだろうけど、やっぱり信じられないわ。まさかあの若き天才ピアニストの清水 魁だったなんて」
夏山さんに被せ気味で、雪海さんが過剰な演技をする舞台女優のように手の甲をおでこに当てて椅子に座り込んでしまった。
清水 魁とは最近テレビにも出ている今年で高1になる若き天才ピアニストだ。雪海さんの見る音楽番組を俺もよく見ていたから、少しだけ覚えていた。
「………こいつの猫殺しはともかく止めなくてはならない、その上での処分を決める。これは俺たちの法でしか裁けない悪というわけでは無い。太郎、今回の猫殺しの処分はお前のできることで決めろ。処分は本来なら話し合いで決める所だが、私情をはさみそうな奴がいるからな。それにこれがお前の初めての仕事になるぞ。反対な奴はいるか?」
夏山さんの言葉に当然反論したのは雪海さん。
「はいはい!私情を挟むのの何が悪いっていうのよ?地獄の沙汰も金次第って言うでしょう?清水くんくらいの食べごろなら……【ピーーーーー】して【ピーー】を【ピーーーーーーー】に【ピーーー】できるんだから、手を出さなくてどうするのよ!?」
途中から十五夜さんに耳を塞がれて、何故か雪海さんの言葉が規制音でかき消されたような錯覚を起こした。
夏山さんは雪海さんの言葉が終わると一言。
「私情が異常すぎる」
と言った。
「俺は別にいいぜ、太郎に任せる」
桜田さんは俺の方を2度叩くと、喚く雪海さんに軽く一発拳を当てようとした。が、雪海さんはそれを見ずに片手でキャッチし見事に力が伯仲している。
「………どぞ」
十五夜さんは全く興味がなさそうに新しく買ったライトノベルを読んでいる。
「というわけだ、ここからはお前一人でどうにかしろ」
夏山さんは部屋の端に置いてあるL字ソファに座り、俺をまっすぐ見てきた。
俺一人で処分を下すとは………どうすればいいのかよくわからない。
「俺にはそんなことできませんよ……」
「そういうな、我々も雪海にだけは渡したくないんだ。頼まれてくれるな?」
「もう!ケチ!私だったら三秒でヤっつけちゃうわよ!」
「ダメ」
「えぇ……」
そう言われてしまうと俺にはやる以外の答えがなくなってしまうのだが。仕方ない、腹をくくるか。それはいいとして、処分を下すほどの力がないから完全に非暴力でやることになった。
居所を掴むのは簡単だったが、さてどうしたものか。
処分とは一体。
俺のできることで決めろとは言われたものの、そもそも能力者に対して、一般人程度の戦闘能力しかもたない俺がどうやって裁けばいいというのだろうか?
俺たちの法しか裁けない悪ではない、か。
一番はきっと猫殺しが2度と起きないことだろう。
そうするには刑務所にぶちこんだりするのが早いと思うが、それができないから愛猫家の資産家がこっちに頼んできたんだろう。
水を操る能力者を拘束するのは至難の業のはずだ。
あるいはそれよりも重い罰を与えたいとか。
能力持ちならマーリンで養うことができるんじゃないか?
……いや、社会的身分が確立されてるんなら無理かもな。
半年だけだが、半年もいればわかるはみ出し者の集団がマーリンなのだ。
色んな意味で規格外。
奴の裏の顔ははみ出しものかもしれないが、社会的認知では真っ当な人間だ。
「それで迷って僕のところに来たのかい?」
深く考えていたらば、八鳥さんに心を見透かされたようにそう言われた。
俺は迷いに迷ってここに辿り着いてしまったのだ。
あれだけ桜田さんがやめとけと言っていたのに、あっさりと、ウツボカズラに落ちるハエの如く俺は誘い込まれてしまっていた。
「事件の犯人については分かったんですが、無能力者の僕がどうやって捕縛とか、渡り合おうか思いつかないんですよね」
夕暮れの光がブラインドから漏れ出て、矢鳥さんの背中だけを照らす。ハッキリとしたコントラストの中爛々と赫く矢鳥さんの両目が光っている。
「あのねぇ、僕は別に占い師ってわけでも戦術家でもないのよ、しかも無料ってわけじゃあないよ?まぁでも対価を払ってくれるんだったら、サポートくらいはしてあげるよ」
「サポート?本当ですか?」
「僕嘘ついたことないんだよね」
「それは嘘じゃないですか」
「ひっどいなぁ、まだ君にはついてないよ。ほんとに」
そう言って妖艶に笑う八鳥さん。
まるで蛇の女神みたいだ。女神は女神でも邪神だが。
「揚げ足取りというか、舌先三寸というか、言葉の節々に言葉の綾がありますよ」
「その綾だけであやとりでもして見せようか?なんてね。まぁ今日は気分がいいからね、そうだこれを30秒で食べきったら考えてやらないこともないよ」
目の前に出されたのは得体の知れない食べ物のような風体をした何かだった。それはサンドイッチのようにも見えるがパンと思しき部分が濡れていて、オレンジ色をしている。中に挟まれている肉のようなものは普通のひき肉のようにも見えるが、どこか泥臭い。極めつけのレタスは青色の小さな斑点がおびただしくついている。
「え、この産業廃棄物とヘドロの間に生まれたような物体をですか……?」
「うん、もちろん」
「いいかい?僕は別にお金も命も何時でも手に入るから、どうせ君の持っているものでは何にも対価にはならない。だからせめて面白いことで僕の興味をそそらせてみてくれたまえよ、そしたら何かしてあげようという気が起きる可能性のチャンスが奇跡的に訪れるかもしれなくもない」
矢鳥さんはつまらなさげに言う。
まるで今回の俺の願いがこんな粗末な食べ物と同類だと言いたげに。
「大分言葉を濁しましたね……」
「そりゃそうさ。やるの?やらないの?君にはその二つに一つしかないんだぜ?」
本人からしたら本当につまらない相談事に違いない。それでも引き受けてくれるのは偶々か、本当に気分がいいのか。
皮肉なのはわかっているが、こんなつまらなそうな顔をしておきながら気分がいいとはどういうことか。
「わかりました、食べます。食べきってみせますッ!」
俺がそういうと、矢鳥さんは少しだけ目を見開いた。
本当に食べるのかよ。
そんな風に言いたげだった。
門前払いをしたかったようだが、俺は別にこんなもの苦でもなんでもない。
喉元過ぎれば灼熱地獄。……なんか違うな。
「いただきます」
俺はそう言ってずぶ濡れでべちゃべちゃとしたサンドイッチを口に頬張った。少し爽やかな柑橘系の匂いの後に腐臭がした。
「本当にいった……で、味は!?吐き気は!?顔を青くしながら、泡を吹いたりするならカメラを回さなくちゃな!」
八鳥さんは本気で面白がっているように、大きな椅子をグワングワンさせて、笑いながらデジカメを構えている。
30秒後
「おぅぇっ……オェッ……ウプッ」
「頼むから吐かないでくれよォ!!」
形勢逆転という奴か、焦りだすのは矢鳥さん。
「僕の貴重な安息地がゲロ塗れになったら、清掃業者も呼べないから僕が掃除する羽目になるじゃないか!良いか!?僕の嫌いな事ベスト1は掃除することだ!」
彼女の廃オフィスを見ればわかるとおり掃除ができないらしい。
そんななか俺がリバースでもすれば清掃業者でも呼ばなきゃいけなくなるが、足元にカーペットのごとく敷き詰められた書類たちのなかには重要なものもあるらしい。
そうなると間違って捨てられてはどうしようもない。彼女はやっぱり一人で仕分け作業をして嘔吐物の処理もしなくてはいけない。
エメトフィリアでもあれば目を輝かせて飛びついただろうが、残念だなぁ?
「じゃあ……サポートよろしく……お願い ……しまおぅぇ!」
「冷静になりな?落ち着け?ただし深呼吸はするんじゃないよ?」
顔面蒼白で慌てているのはどっちだか。
八鳥さんはデジカメなんて放り捨てて、エチケット袋を構えている。
彼女も焦っているが、実際は俺の方がダメージは大きい。
今や彼女の手に爆弾は握らされてる、今の俺なら彼女の返事を聞いて最悪の二択を選ぶことができるまである。
たとえ、人間としての尊厳を失ったとしても。
「と、とりあえずこのまま清水 魁のもとに迎え、奴は今日鳥原公園という場所にだいたい0時くらいにくるだろう。サポートはしてやる。だからさっさと失せろ」
「あ、ありがとうございます」
矢鳥さんへのサポート依頼が受理されたところで俺は足早に廃ビルを出ようとした。しかしーーーーー
「あっ…………オェェッ、ウグェ。……後で掃除に来ないと」
あまり関係はないが、今回の太郎くんに食べてもらった形容しがたいサンドイッチのようなものの材料をご紹介しよう。
・間違ってこぼしてしまったオレンジジュースに浸されたパン
・ミミズの死骸挽肉
・冷蔵庫に半年放置されていた謎の葉っぱ
矢鳥スペシャルサンド
本来は矢鳥さんは料理上手、一人で生き抜くためだけのスキルがある。