エンプティファースト
四月。
別れの季節であり、出会いの季節なんて呼ばれている。
うざったいほど咲き乱れた桜と初々しい学生達。
俺も普通なら高校に進学するところなのだが、残念ながら高校にはいかない。
家出した身どうしようもないのだ。
いや家出じゃない、もう戻れないんだ。
俺はすでに死んでいるのだから。
「太郎!ただいまぁ!」
何年も使われていなかった寂れたシャッター街の一角、元は確か煎餅屋だったか。内装はその煎餅のようにひび割れた壁に覆われているが、中身は全く煎餅屋でもなんでもない空っぽの空き家である。
だからこそ、数週間ぶりの再開に心躍らせてる桜田さんの声は耳がキーンッとするほどよく通った。
「おかえりなさい。桜田さん、もうちょっと声のボリュームを下げてくれれば良かったのに……耳が痛くて仕方がないですよ」
「いやいや太郎、考えてみろ。お前は皆とのんびりしたりで楽しかっただろうがな、こっちは東北の辺境の別荘まで行って寂しかったんだぞ!?ウノもババ抜きもできなかった……!」
なにが悔しいのか全くわからないが、桜田さんはその大きな体を震わせながらそう言った。
「俺たちだってウノもババ抜きもしてませんよ」
「嘘だ絶対、雪海の野郎とやいのやいのだったはずだろ!」
人差し指をぐっと俺のおでこに押し当てながら、駄々をこねている成人男性。本人は買い物中だが、本当なら雪海の野郎なんて言葉を聞くや否やぶん殴られているところだ。
……一体どんだけ遊びたかったんだよ。
「やいのやいのって、別に俺たちだって仕事してました」
噂をすればなんとやらではないが、裏口の扉がまた開いた。
「ただいま。……あら?なんだ、桜田帰っていたのね。そういえば今日だったかしら?あなたの仕事が終わる予定日」
ガチャリともドアの音を立てず、おしとやかに入ってくる長袖に長い黒のスカートをはいている女性……のように見える男性。
雪海さんだ……
「雪海!」
桜田さんが俺のおでこに指を押し付けたままだったために、いきなり振り返られて俺の頭は右に吹っ飛んだ。
この人、本当にもう………
「まったく、あなたのことだから大雑把に仕事を終わらせたんじゃないわよね?」
美人な顔を歪めずおしとやかに勘繰る雪海さんだが、桜田さんはまったく勘繰られていることに気づかない。馬鹿正直というか馬鹿というか、と憐れみたくなるほどである。
「大丈夫、大丈夫!心配すんなよ!全部燃やしてやったからよ」
この人の言う燃やしたというのはきっと本当に燃やしたんだろう。ネットの炎上でもないただの火事でしかない。
その言葉を聞いた雪海さんはさっきまで歪ませなかったその顔の目尻の端にだけシワを作って、桜田さんを睨んだ。
「燃やした?ああまったく大雑把でやになるわ。ちゃんと全員、殺した?」
この人の言う殺したというのもきっと本当に殺したかの確認なんだろう。比喩でも暗喩でも換喩でもない実直に対象の心臓を止めたかどうかを聞いている。
「自体は確認してないけど、あれだけ派手にやったら全員助かってないだろ。ニュースにならなかったのか?」
そういえば岩手だか秋田だか山形だか、その辺の某所の山の別荘が火災に巻き込まれて全焼、死者もでているというニュースがあったはず。重傷者や生還者の話が回ってきていないところ本当に全員死んでいる、もしくは警察が隠しているのだろう。
「……一追うわね。でも、夏山くんが聞いたら怒るんじゃなくって?」
意地の悪い魔女のようにニヤリと笑う雪海さん。実際そのメイクアップスキルを見れば本当に魔女じゃないかと思う。
「俺に限って取りこぼしがあるわけねーよ」
「そう、でももしあったら……桜田。あなた殺されるわよ?」
刹那、膨大な殺意と殺意の競り合いに室温が一気に下がったように感じた。部屋は誰一人として音を立てていないはずなのに、ミシリ、ミシリと微だが軋むような音を発してる。
直感でわかる。これは、ヤバイやつだ……
「なんだよ?雪海、お前が殺すってのか?」
「隙だらけなのよ、あなた。間違って殺しちゃいそうだもの」
うふふ。なんて冷笑を浮かべている雪海さん。桜田さんには全く効いていないようだが、一番僕の心臓がばくばくする。
早めにこの場から立ち去りたかったが、今動けばクビが飛ぶパターンが16ほど走馬灯のように走ったので、辞めざるおえなかった。
「……ただいま」
扉をガチャリと開けて入ってきたのは、新刊の漫画を片手に持った十五夜さんだった。
「あら、十五夜おかえりなさい。ちょうど今桜田の馬鹿が帰ってきたところなの。」
「!!……キリタンポ!お土産!」
十五夜さんは漫画を読むのをやめて、桜田さんのことを見てすぐに、焼肉を口いっぱいに頬張る子どものように目をキラキラさせた。
本当に俺より年上なのかこの人。
「あぁ!そうだそうだ、お土産はちょっと外に置いてきてるから待ってろ。今持ってくる」
桜田さんは思い出したように素早く、十五夜さんの脇を通り抜けると乱暴に飛び出していった。
十五夜さんはあっけにとられてぽかんとしていたが、片手に持ってた漫画に気づいたようで再び読み始めてしまった。
「あいつの買ってくるお土産なんてあてにならないわ……ねぇ、太郎。あなた夏山くんがどこにいるのか知らない?会議?仕事?」
雪海さんはいつもよりしおらしい顔で俺にそう聞いてきた。
今もさっきも出てきた夏山くんとは夏山 千萱というこのグループのリーダーを務めている人物である。
それ以外にも俺には夏山さんに助けてもらったことがあったりする。