八話:龍の力
「決闘は佳境ッ! 二人しかいないアカツキ選手陣営が、四十もの私兵をそろえるキーファ陣営を押している――否、圧倒している! なんという、何という戦いでしょうか!」
ミシェルの声と共に、乾いた音が連続して鳴り響く。
アカツキの手に握られている《Eins》と《Zwei》が射出口から火を噴くたびに、兵士たちは意識を闇に落としていく。
その様子は戦闘というよりも、もはや遊戯のようにも見える。
そんなふざけた様子に、キーファは怒りの度合いをより深いものにする。故に、冷静さは彼から抜け落ちてしまっていた。
「……ん」
そして、なにもキーファたちの相手は、アカツキだけではない。
生き残っていた半数の兵士たちとキーファは、急に飛来した水の刃を認識する。慌てて対処するも、浅い切り傷を頬につけた。
言うまでもなく、その魔法を放ったのはラージャである。
圧倒的な数の差であっても、ラージャの無表情は崩れない。まるで、ラージャには感情がない、とでも言うように。
「……クソ、クソクソクソ!」
もはやキーファの怒りは留まるところを知らず、自分が貴族の一員であることすら考えの外にあった。
このような言葉遣いをしてしまえば、半世紀は言葉遣いで彼は揶揄されることになるだろう。
……だが、彼はそれを顧みず、罵声を浴びせ続ける。
「勇者もお前も卑怯者だ! 強い力を持っているくせに、何故それを振るうことを躊躇わない! 私たちは一般人だぞ!」
「聞いて呆れる。力を振るうようにけしかけたのは――そっち」
ラージャが冷笑を浮かべると、キーファの怒りはより強いものになった。
だが、その怒りをすぐに冷やす出来事が彼の身に起こる。
「――あと1人」
ふらりと、キーファから離れたところに立つ影がひとつ。周囲には倒れた兵士達でできた山。
中央部で、アカツキは油断なくキーファを見ていた。怪しい挙動をするならば即座に撃つ、とばかりに射出口をキーファへと向けている。
アカツキが引き金を引いた瞬間、敗北が決定する。この状況でキーファがそう判断することは、誰の目から見ても明らかだった。
だが、実際は違っていた。
「くは……ははははは――!」
笑っていた。
やけではなく、かと言って敗北を正直に認めたような清々しいものでもない。それは明らかに、他者を侮蔑するような笑い声であった。
奇妙だ。アカツキはそう思った。
まさかこの期に及んで言葉での攻撃が有効であるとが思っていないだろう、それは僕の攻撃性を助長するだけなのだから――とアカツキのどこか冷静な何かがそう判断していた。
しかし、どうだろう。アカツキの目の前で、キーファは確実に嘲笑っていた。
だからこそ、アカツキはキーファを注視していた。射出口を油断なくキーファへと向けながら。
「こうなったらやるしかない」
キーファはぽつりと呟き、一瞬の動作で丸薬を口に放り込んで飲み込んだ。それはアカツキが引き金を引くより早く行われる。
ラージャは離れているためろくに反応できず、警戒するように魔力を循環させ始める。
「くは……ははははは! 力が、力が湧いてくる――!」
高笑いをあげながら、両手に魔力を集結させるキーファ。その魔力量はアカツキにも劣らないほどのものであった。
アカツキは困惑していた。先程までのキーファの魔力は、明らかに年相応のものだった。
しかし、今のキーファの魔力はどうだ。まるで、龍の如き魔力をその身に宿しているではないか。
「……アカツキ」
気づけば、ラージャがアカツキの隣に立っており、なおも魔力を増加させていくキーファを指さしていた。
「……アカツキ。あの貴族から、龍の匂いを感じる」
「龍の……?」
アカツキが疑問を表情に浮かべると、ラージャはアカツキの手を掴んで、呪文を唱えた。
「共感」
瞬間、アカツキの視界は群青に染まる。自分のオレンジ色の魔力と、ラージャの海色の魔力が見え――そんな魔力を侵食しようとするように広がっていく、血のような赤色の魔力が目に入った。
見るだけで禍々しさを感じる魔力の元は、先程から力を上げ続けているキーファだった。
「これ、グランジークの力」
「……え?」
なんでもないかのようにラージャは言う。しかし、それを聞いたアカツキは気が気ではない。
仮にラージャが述べることが事実であるならば、キーファは何らかの形でグランジークの力を手に入れたことになる。
龍という絶対強者の力など、存在が小さな人間には不相応のものだ。小さい身に龍ほどの力を宿してしまえば――遠くないうちに、自爆してしまうだろう。
そしてその爆発の威力は――アカツキの推測では、闘技場全体を吹き飛ばす程の威力になる。そうなれば、人々も自分も助かる可能性はない。
冷や汗が背に流れる感触がしたが、アカツキは拭うことなく真偽の程をラージャに問おうとする。
「本当に、あれはグランジークの力なの?」
「……間違いない」
「……根拠は?」
「ない」
はっきりと断言したラージャに、アカツキは一瞬だけ脱力した。しかし、目の前で増幅していくキーファの魔力を感じ取ると、すぐに戦闘態勢へと戻った。
「はは、はははははは――ぐっ」
高笑いを続けていたキーファだったが、時折苦しげな声が漏れていた。明らかに力が暴走しつつあった。
こうなってしまえば、もはやキーファを殺すしかこの状態を解除する方法はなかった。少なくとも、アカツキが今まで学んできた知識の中に、キーファを救うに足りる知識はない。
アカツキはそう理解してしまい、自分の内面に問いかける。
果たして、自分には他人を殺すような心構えができているのか、と。
アカツキには、暴力で他人をねじ伏せることの覚悟ができている。それができないならば、アカツキはとっくの昔に自分という存在にあきらめを感じて、家で慎ましい生活を送っていたかもしれない。
しかし、だからと言って、人を殺す覚悟などできているわけがない。いくら勇者の孫で、特殊な魔法を扱えると言っても、精神は十代半ばの少年なのだから。
いつの間にか、アカツキは《Eins》と《Zwei》をきつく握りしめていた。
「……怖い顔してる」
血を流してしまいそうなほどにきつく握られた両手に、ほっそりとした指が添えられた。
アカツキが驚いた顔をして、指を伸ばしたラージャを見る。
「大丈夫」
言葉少なにラージャはつぶやいた。
限りなく短い言葉だったが、しかしアカツキへ安堵を与える程、力強い言葉でもあった。
アカツキを覗き込む珊瑚色の瞳には嘘はなく、ただひたすらに”できる”と訴えかけている。
何ができるのかアカツキにはわからなかったが、ラージャの瞳はこの状況を好転させるだけの何かがあることを雄弁に語っていた。
「私なら」
ラージャは、アカツキの指をゆっくりと開いていく。ラージャの強い意志の籠った瞳に、知らず知らずのうちにアカツキの手の力は抜けていた。
すんなりと開いていく指から、赤いものが垂れた。あまりにも力強く握りすぎて、爪が手のひらの皮を突き破っていたらしい。
手早く傷を魔法で癒すラージャ。そして、開かれている手をしっかりと握って、光芒を宿す珊瑚の瞳でアカツキをしっかりと見た。
吸い込まれるほどの深さ。まるで海のような瞳だ、とアカツキは思った。
「私なら、殺さずに救える」
ラージャが力強く呟いた。瞬間、背後より放たれた魔法が、二人を襲う。
初速が早い上に数を打つことができるが、一本一本の威力は低い雷の魔法だ。
魔力が強化されているせいか、いくら威力が低いと言っても当たった人を殺すくらいは訳ないだろう。
それが十五。まともに喰らってしまえば、ラージャはともかくアカツキは粉みじんだ。咄嗟にアカツキが握って離していなかった《Eins》の射出口を迎撃のために魔法へ向ける。
しかし。
「私は龍、全てを敷く龍。風よ、私に注ぐ災厄を払え。それが汝に与えられた役目だ」
力強い詠唱が響く。
人間の願う詠唱とは違い、命令するような詠唱だった。人間が唱えても、おそらく不発に終わる詠唱は、ラージャが詠唱することによって魔法へと昇華する。
ラージャを起点に、緑色の魔力が地面に走った。星を描き、円形を描き――瞬きするうちに巨大な魔法陣になった魔力の線。
そして、次の瞬間には魔法陣が輝き、ラージャの目の前に不可視の防壁を出現させる。
鋭く、重い音が連続して響き、思わずアカツキは目を閉じた。
しかし、いくら待っても衝撃が訪れることはなかった。恐る恐る目を開けると、ラージャの風の防壁に阻まれた雷の魔法の無様なが姿が映る。
「私が時間を稼ぐ。アカツキは、相手をぎりぎり殺すくらいの勢いの魔法を唱えて」
「……僕にはできない」
「できる。私は知ってる」
右の手に握る《Eins》と、今は地面に落ちている《Zwei》。そしてアカツキの黒い瞳を順番に見たラージャ。
「――三本目」
「……っ! でも、あれは――」
「ん、確かに威力が高すぎる。でも、それくらいなければ、あの状態から元の状態に戻せる程度に、アイツを弱らせることができない」
にわかに信じがたい話だ、とアカツキは思った。だが、こちらへ魔法を乱打するキーファは確かにそれくらいないと倒せそうにないと思えてしまうほどに禍々しい。
「……もし殺しそうになったら、私がそれを止める。何度でも挑戦したらいい」
「……あれは、例えラージャだったとしても」
「――止められる」
瞳を細めて、ラージャは微笑を浮かべた。
絶対的な自信が、そこにはあった。
「私はラージャ。ラージャ・ネプトゥーヌス。出来ないことなど、何もない」
海色の髪を、珊瑚の瞳を、黒く大きな角を魔力で輝かせながら、ラージャは一歩前に出た。先ほどから絶え間なく降り注いでいる魔法を全て防いでいる風の防壁に手を伸ばし――解除する。
「バカめ――! じじ、自分で障壁魔法を解除するとは……!」
「ん。だって、必要ない」
「……な、ななんだと?」
戸惑いから一瞬だけ止まった魔法の嵐。ラージャはその間に、両手に魔力を集結させていた。そしてそれを全身にまとわせ――定着させる。
身体能力強化の技法だった。よく人間が、自分より格上の存在と戦う際に使用する技法の一つ。
何故龍人と言う強靭な種族が使用したか、キーファは少しだけ訝しむような表情を浮かべた。しかし、彼の体に流れる強大な魔力が、それをささいな問題として切り捨てた。
「まぁいい。魔法でひりつぶしてやる――!」
キーファは愉悦の表情を浮かべて、ラージャへと魔法を放とうとする。
しかし、次の瞬間には魔法を放つべき対象は視界から消えていた。
どこへ行ったのか探るキーファ。そんなキーファの後頭部に、凄まじい威力の何かが叩きこまれた。
悶絶するキーファは、自分の後ろに立つ存在を感知した。振り向きざまに炎系の魔法を放って牽制しようとするが、今度は頭上から何かが叩き込まれた。
「口だけの威勢は――」
何かを叩き込んだ人物――ラージャは、冷笑を浮かべて、キーファを睥睨していた。
そして、瞳を細めて一層嘲笑の度合いを高めて、怒りに染まるキーファの顔に。
「――滑稽」
言葉と共に、かかと落としを降らせた。