十三話:ボーナスタイム?
「え、アカツキくんが倒れた?」
養護教諭のモルガンは、いつに無い速さで保健室へやってきたラージャに問いかける。
髪や角が魔力の光を帯びているところを見ると、どうやら身体強化を使用した上で来たらしいことがモルガンにわかる。
そこまでして保健室に来た割には、アカツキの症状は軽そうである。すやすやと寝息を立てているところを見ると、ただただ眠っているだけなのかもしれない。
しかし、ラージャがここまで焦っているのだ。もしかしたらなにかあるのかもしれない。
モルガンは、保健室のベッドを開けて、アカツキをそこに寝かせるように指示をする。
「……アカツキ、大丈夫?」
「まだ診察もしてないんだから大丈夫かどうかなんてわからないわよ……」
モルガンは苦笑を浮かべながら、アカツキの瞳孔に弱い光を当てた。収縮が見られるので生きていることは確実である。
次に見たのは外傷。……モルガンが見た限りでは、それらしき傷は見当たらなかった。
「……じゃあ、頭かしら?」
モルガンは咄嗟に頭に手を伸ばして、触診を始めた。怪我をしていたり、何か異常な兆候が見られないかを探るためだ。
そして。
「……あら?」
モルガンの手が、とある一箇所で止まる。側頭部だった。
「突起物があるわね……」
「……? そんなところに?」
ラージャも不審に思ったのか、首をかしげた。そこには先程までの焦りはなく、モルガンのことをある程度信頼している証拠でもあった。
「……元々頭に手術でもしたのかしら? ここに突起物があるってことは、人為的な何かよね」
「それは後々でアカツキに聞いておく。……で、大丈夫そう?」
「ええ。診察の結果は、おそらくは疲労からの昏睡でしょう。一時間もあれば目覚めると思うわ。見た感じ、魔力の流れにも異常はないようだし」
モルガンは白衣をはためかせながら、そう断言した。確かに、アカツキは穏やかな寝息を立てていたので、ラージャもその診断には納得した。
しかし、アカツキを昏睡させてしまったのは自分である、という責任感がラージャの中にはあった。
今何を出来るか――ラージャはそう考えて、ふと以前読んだ本のことを思い出していた。
「……よし」
案ずるより産むが易し。アカツキの故郷の言葉に習うように、ラージャは行動を開始したのであった――。
◇◆◇
アカツキが目を覚ましたのは、モルガンが宣言した通り一時間後であった。
その頃になると、空は赤みを増しており、窓から柔らかな光が漏れていた。
茜色に彩られる保健室。アカツキはその様子に今の時刻を察し、上体を起こそうとする。
が。
「……………………動かない?」
アカツキが右腕をあげようとすると、ビクともしないのだ。何か強い力で押さえつけられているような、圧倒的圧迫感。
恐る恐るそちらへ目を向けると、そこには――。
「……すぅ」
静かな寝息を立てる、ラージャの姿があった。しかもその格好は、アカツキと同じ制服姿ではなく――。
観察しかけたアカツキは、咄嗟に目をそらした。そしてその先に、無造作にほうられているラージャの制服と肌着を見てしまう。
瞬間、アカツキの思考は氷ついた。あまりにもおかしい光景に、めまいもおまけで付いてくる。
もう一度、夢であってくれと願う気持ちが、アカツキの視線を右へと送った。
そこには、アカツキの右腕を抱くようにして寝ている――全裸のラージャの姿があった。
「――っ!?」
声にならない叫びをあげるアカツキ。彼の目はもはや、現実から目を背けることが出来ないほどに、マジマジと現実を見てしまっていた。
それに、先程までは眠気が原因であやふやだった触覚も、眠気が覚めたせいでしっかりとしたものになっている。
右腕を暖かい何かが包んでいる。手のひらは何かに触れているようで、少し動かすと、ふにょんとした感触をアカツキに伝えてくる。
それは紛れもなくあれで。
「…………」
逆に、アカツキの精神は凪いでしまっていた。恥ずかしさや嬉しさなどはもちろんあった。しかし、既にアカツキの感情の許容量を超えている。
体を少しも動かさず、アカツキはじっと時間が過ぎるのを待っていた。おそらくはラージャは一、二時間後くらいに起床するだろうと考えたのだ。
だが……。
「……外が暗い」
三時間待っても、ラージャが起きることは無かった。むしろなんとなく眠りが深くなってしまっているのではないか、とアカツキは頭を抱える。
こうなれば、声をかけて起こすしかない。変態のそしりを免れないことを覚悟の上で、アカツキはラージャへと声をかけることにした。
「ら、ラージャさん……? 起きて……起きてくれ……」
「んぅ……すぅ……」
「ダメだ……」
アカツキはうなだれた。
これ以上大きな声を出すならば、この状況が他人に知られてしまうことを考えなければいけない。
そう考えると、アカツキは尻込みしてしまう。――アカツキの目標からすると、悪評というのは大変な障害だからだ。
こうなれば、接触で起こすしかない。アカツキは決心しかけた。だが……接触で起こすには、ラージャはいささか刺激的な格好すぎた。
試しにとばかりに軽く肩を揺らすと、くすぐったさから身じろぎしたラージャの胸が、柔らかな感触を余すところなく伝え、アカツキの理性を否応なく削っていく。
さらに、身じろぎした際に、アカツキの腕に抱きつく度合いが増している。
もうどうしようもなかった。腹をくくって、強く揺すって起こすしかない。アカツキは赤面しながらも、必死にラージャを揺すり動かし始めた。
ふにょんふにょんと、ラージャの胸がアカツキの腕の中で自在に形を変える。理性を削られるも揺り動かし続けるアカツキは、しっかりとラージャの柔らかさを認識していた。
そんなアカツキの必死な行動が結実したのか、ラージャはゆっくりと目を覚ました。
「んぅ……アカ、ツキ?」
「おお、おはよう、ラージャ。早速だけどそ、その……服を着てくれない?」
「……?」
何故そういうことを言うのだろうか、とラージャは首をかしげた。そして、自分の首からしたを見ていき、なおその表情を深くする。
アカツキは訳が分からなかった。何故ラージャはこのようなことをしているのか、というのもそうだったし、何故この状況に違和感を覚えないのかというのもそうだ。
これではまるで、ラージャが自ら進んで裸になってベッドに潜り込んだかのような錯覚を、アカツキは覚えてしまう。
「なんで、服を着る必要がある?」
その一言で、アカツキの抱いた錯覚は現実のものとなった。
しかし、ラージャの瞳に、男女間の性愛や恋愛などに関するものがアカツキには感じられなかった。
どちらかというと、無二の親友に向けるような瞳をアカツキへと向けている。
アカツキは、この瞳に心当たりがあった。以前、ラージャが友達同士でやることと勘違いし、アカツキを抱きしめた時。
もしかすると、ラージャは勘違いをしているだけではないのだろうか。アカツキはそう思って、自分が着ていた制服の上着をラージャへと引っ掛けた。
「ラージャ、ありがとう。もう大丈夫だよ」
「……ん、ならよかった」
何故上着をかけられたのかわからない、という表情をしながら、ベッドから降りていくラージャ。すらりと伸びた足、ふとももが露わになり、アカツキはすぐさま目を逸らした。
しばらく目を閉じていると、衣擦れの音がアカツキの耳に届く。そしてそれから二分ほどすると、衣擦れの音がぱったりと止まる。
アカツキは目を開き、いつもと同じ無表情のラージャへと笑いかける。
「ラージャ、ああいうのは友達であってもやっちゃだめだよ」
「……なんで?」
「その……男女が裸で一緒のベッドに入るのは……夫婦になってから、なんだ」
「……夫婦。……ん、わかった。今後は気を付けておく」
ラージャはアカツキの言葉に素直に頷く。アカツキの予想は的中しており、ラージャは友人を思ってあのような暴挙に至ったのであると判明した。アカツキは胸をなでおろす。
「……ところで、ああいう知識ってどこで手に入れてくるの?」
「住処にあった」
「住処……と言うと、ラージャがもここに来るまでに住んでいたところ、ってことかな」
「ん」
頭を縦に振り、肯定するラージャ。
「ちなみに、さっきのってどんなタイトルの本で学んだ?」
「……『夜のお友達、悦ばせマニュアル』という本」
「よし、即刻その本に関する記憶は捨てよう!!!」
ラージャは純真であり、夜のお友達の『お友達』というワードをそのままの意味でとらえていたのだろう、とアカツキは踏む。だからこそ、お友達であるアカツキにあのような行為を施す。
それを一切合切忘れるようアカツキが頼むと、ラージャは不思議そうな表情を浮かべた後に、頭を再度縦に振った。
「わかった。アカツキがそう言うなら」
「よかった……」
胸をなでおろすアカツキ。そんなアカツキの所作に思うところがあったのか、ラージャは珊瑚の瞳を心配そうに揺らしながら、アカツキへと再度問いかける。
「……大丈夫?」
「ああ、うん。大丈夫だよ」
「今回のは、私の失敗。まさか気絶するなんて思ってなかった」
「謝らなくていいよ。不慮の事故だったんだから、次から気を付ければいい話だし」
「……それでも、謝りたい。ごめん」
ぺこりと頭を下げるラージャ。いつもの無表情には微かに罪悪が浮かんでいて、アカツキはそんなラージャに苦笑を浮かべる。
そして、自らもベッドから降り立ち、確りとした足取りでラージャの方へと歩みよる。次に右腕を振りかぶり――。
――ぽすん。ラージャの頭にのせる。
「気にしないでいいよ。ラージャだって、ああさせようと思ってしたわけじゃないでしょ?」
「……無論」
「だったら僕は怒らないよ。僕を思ってやってくれたことに対して怒りを露わにするなんて、僕はしない」
それはまるで、自分に語り聞かせる様な言葉だった。
だが、ラージャにとってその言葉は許しの言葉でもあり、顔を少しだけ上げる。
珊瑚の瞳は薄く開かれていて、視線は自分の頭の上に乗っかっているアカツキの手へと向かっていた。
「……ん」
「嫌だったかな?」
「違う。寧ろもっと」
素直にもっと撫でろ、とラージャは言う。その素直さが何故か猫のように思えてきたアカツキは、微笑ましさを抱きながら、ラージャの海色の髪の毛を漉くように撫で続ける。
ラージャは心地がよさそうに瞳を閉じて、アカツキの手の感触を味わっているようであった。
銀月が浮かぶ空。それをラージャを撫でながらアカツキは見て、こんな夜なら寂しくないしいいな、などと思った。