暴動開始
警報の鳴り響く病室内。
どうやら、汚染者の襲撃のようだ。外からか、もしくは内からか。どちらかは分からないが、イムニティが警戒態勢に入ったのは間違いない。
新実ユスラは未だふらつく身体を無理矢理起こすと、ユリをベッドの上に座らせて、こう言い聞かせた。
「ユリちゃん、いい?ここで大人しくしていて?次こそは絶対に出て来ちゃ駄目だよ?分かった?」
始めは、嫌だ、と言い出しそうだったが、イムニティを取り巻く異様な気配を感じ取ったのか、少し怯えた様子で素直に頷いた。
「うんー……おねーちゃん、気を付けてほしいのー……」
「うん、いい子いい子、ありがとう。また後でゆっくりお話しようね」
笑みを見せてから、彼女の小さな頭を撫でると、直ぐにきびすを返して病室から外へと飛び出す。
すると、同時に目の前で驚嘆の声が挙がった。
「どわぁ!?」
「!?……ちょっと、大丈夫?」
見れば、イムニティの男……名前は確か辻隆とか言ったか……彼が尻もちを付いて、確実にこちらを前にして化け物でも見ているかのように怯えている。
差しだした手を直ぐには応えず、あくまで警戒した様子だった。
やがて、震えながらこんな言葉を口にする。
「ユ、ユスラ……なんだ、“お前じゃなかったのか”……?」
「…………」
さして、驚きはしなかった。
ある意味、自分に対する彼の人間らしい反応はごく自然のモノだからだ。
だが、やはりこんな反応されるのは……少し悲しい。
「……皮肉のつもりで言っているのなら、放っておいてよ……それより!汚染者はどこ……」
「ガルルゥァ……ヒヒヒッ」
「……!」
質問が終わる前に、廊下の向こう側……それも、かなり近いところで、獣の唸り声と人の笑い声らしきモノが聞こえてくる。
反射的にそちらへと視線を向けると、廊下の曲がり角から、黒い鎧がゆっくりと姿を現した。
だが、それだけではない。
鮮血らしきモノに染まった手が引きずっているのは、真っ赤に染まった白衣を纏った人達……イムニティの研究員達だ。
どうやら、標的を絞った上で、相当大暴れしているらしい。
「うっわ、なんっつーエグいことを……」
「完全にイムニティを狙っている……それじゃあ、あれってまさか……!」
見覚えはない。
だが、話だけは聞いたことがあった。
稀に、感情の異常な高まりからフェイズ1を飛び越え、力を凝縮したような形になった者も存在する、と。
あれは、まさに話に聞いていた通りの、怪物を上回る怪物の姿だ。
「────『フェイズ2』!?」
「ヒヒッ、気分ガイイナァ……楽シイナァ……オ母サン、一緒ニ踊ロウ?」
いつの間にか、フェイズ2の視線がこちらへと向けられた。その目が赤く光ると、口角らしい部位が大きく吊り上がっているのが見えた。
行動も、言葉も、そして感情も……まるで破壊を楽しんでいるかのようだ。
あまりにも不気味な光景に思わずたじろぎを見せてしまった、その瞬間。
「ガルルゥァァッ!!」
研究員達を投げ捨て、凄まじい速度で突進してきた。
「お、オイオイ……!」
「はや……ッ!」
避けている暇はない。
だが、隣には非戦闘員の人物が立っている。
放っておいたら、彼まで巻き込まれる。
「く……ぅ……ッ!」
決断するしかない。
逃げるか、庇うか……二つに一つだ。
ならば、自分のすべきことは……こちらしかなかった。
半ば反射的に、その場百八十度反転。
前に向かって一歩踏み出すと。
「ごめん、仲間なのに……」
「は!?おま……ッ!?」
前に踏み出した足に全身全霊の力を込める。
時間がない。
もう、後戻りは出来ない。
どれだけ非道と言われても、自分に出来ることなんて……これしかないのだから。
「何してんだよお前!?ちょっと、待っ……!」
「大人しくしてて────舌、噛むよ!!」
その手は、辻隆の後ろ襟首に。
まるで振りかぶるかのように、足先から指先まで力を込め、そして。
「だッ、あぁぁぁぁぁぁッ!!」
全力で彼を……後方へ投げ飛ばした。
「どわぁぁぁぁぁぁッ!?」
彼は大きく孤を描くように投げ出され、三十メートル程、フェイズ2から離れた場所へと落下。
どんな落ち方をしたのかは確認出来なかったが、これで当初の目的は果たされる筈だ。
フェイズ2の標的は、より近い位置に立つ自分へと限定される。
「早く……早く逃げてッ!!あまり近くにいたら……“君まで巻き込んでしまう”かもしれな…………あ」
そう叫びながら、再び反転。
即座にフェイズ2の方へと意識を戻し、迎撃態勢を整えようとするが……そこで、あることに気付く。
「ヤッバ……外套が無いじゃん……!」
そもそも、戦う為の道具がない。
恐らく、運び込まれた時に回収されてしまったのだろう。
最近は外套を外す機会があまり無かったし、あまりにも唐突な警報だったから……完全に忘れていた。
その時、まだ腕を伸ばしても届かない位置を走っていたフェイズ2が、手を前に伸ばしながら口を開く。
「ヒヒッ、サァ、オ母サン、踊ロウ?」
「え……くっ、ぁ……ッ!?」
違和感、同時に発覚。
自分の身体が大きく反れ、前へと平行移動を始めたのだ。
まるで見えない力に引っ張られるように、瞬く間に視界がフェイズ2に近付くと、抵抗することすら出来ず……顔面を鷲掴みにされてしまった。
そして。
「あがぁ……ッ!?」
「ヒヒヒッ、ツッカマエタァ……ソノママァ、潰レチャエェ……ッ!」
身体が振り子になったように、凄まじい腕力で左右へ揺さぶり始める。
首がねじ切れそうな激痛に襲われるが、こいつの襲撃はそれだけでは終わらない。
そのまま大きく上空へと振り回され、真っ直ぐに地面に叩きつけられた。
「ひぎぃぅ……ッ!?う、わ、ぁぁぁぁぁぁ!?」
まだ身体が浮いている。
いや、違う。
重力に逆らえず、フェイズ2に顔面を鷲掴みにされたまま、真っ逆さまに落ちている。
何処から?
奴の指の間から微かに見える、光差す穴。
あそこはほんの数秒前まで、自分達が立っていた場所だ。
つまり、腕力だけを使い、自分の身体を道具にして、床を貫いて進んでいる……そうなれば、必然的に次に襲い掛かって来るのは……。
「ちょ、待っ……床ァァァァァァッ!?」
再び激突、そして再び落下。
激痛が全身に広がり、意識が大きく揺れる。
確か、自分のいた病棟階が地上五階だから、一階に辿り着くまで……こんな痛みを、残り二回堪えなくてはならないのか。
「ヒヒヒィィィハハハァァァッ!!」
フェイズ2の歓喜にも似た雄叫びを耳にしながら。
為す術もないまま、“計五回の衝撃を受け”、二人は更に下へと落ちていくのだった。
「戦闘要員百人を惨殺!?」
イムニティに来てしまったからには、わざわざ怪我をしそうな状況で一人にさせるわけにはいかない。
そうやって渋々と提案した偉吹に対して、渋々と提案を受け入れ、エレベーターに三人揃って乗っている中、過去にフェイズ2が起こした被害規模を聞いていた。
話によると、以前に町中でフェイズ2に変貌した汚染者を取り押さえようとしたが、あまりの残虐性と凶暴性によって、イムニティの戦闘要員の殆どがやられてしまったらしい。
「この支部における全構成員の四分の一、といったところでしょうか。前提として、フェイズ1に成り果てた者達は、力こそ強大であるものの、意思は赤ん坊のようにハッキリしていないのです。その為もあってか使用者が数人いれば、取り押さえるのも難しくはありません」
確かに、今までも何度か汚染者のフェイズ1とやらを相手にしたことがあるが、さして苦戦する程の相手ではなかった。
自身が何物にも触れられず、かつ一方的に殴ることが出来る為、説得力もあったものではないが……。
「だが、フェイズ2は格別だ。実際の戦闘能力で言えば、天と地程の差があるだろう。あの人間に近いフォルムも、フェイズ1を上回る腕力も、他者を蹂躙する為に進化した、と言っても過言ではない」
エレベーターの奥で壁に背中を預けて腕を組む偉吹が、あくまで冷静に語っていた。
入り口付近でレティーシャと並んで立つ自分は、彼の冷静沈着な口調に対して、挑発としか思われないであろう言葉を言い放つ。
「さっきから随分と冷静だけど、そのフェイズ2が暴れているんだろう?あんた、何とか出来るのかよ?」
「ガスマスクを被った変人に心配される筋合いはないな」
「はぁ!?今そんなこと関係なくないっすかねぇ!?」
唐突に自分の生命維持をけなされたことに苛立ち、少しばかり声を張り上げてしまった。
すると、その輪の中から一歩引いたところに立つレティーシャが、手を叩いてその場を収める。
「そこまで!もう辞めて下さい!今はお互いにいがみ合っている場合ではないと思いませんか!?」
普段は物腰が柔らかい彼女だからこそ、その怒りにも似た声は妙に心に突き刺さった。
思わず緊張で心臓が高鳴り、少し複雑な心境を抱えながらも謝罪の声が滲み出てきてしまう。
「うっ……す、すみません……」
「…………」
瞬時に場が静まり、レティーシャは満足げに微笑む。
それからエレベーターの階数表示を仰ぎ見ると、こう続けた。
「もう少しで到着になります。栄志さんには申し訳ありませんが、少しの間だけ、ここで隠れて待っていて下さい」
「……あの、今思ったんだけど……このエレベーター……一階、とっくに過ぎてるような気がしません?」
彼女の視線を追ってみれば、表示板には階数が表示されていなかった。
まるで壊れてしまったようだが、エレベーターは先程から異常もなく動き続けている。それも……一階から最上階へ登った時よりも、遥かに長い時間を。
「いや、丁度良い機会だ。こいつも連れていくぞ」
「え……!?し、しかし、それは……!」
偉吹の突然の提案にレティーシャはたじろぐが、直ぐに考えるように視線を落としてしまう。
何やら、簡単に否定出来ない、という心境が直に伝わってくる気がした。
「なに、こいつ自身のことならば心配はいらんだろ。なにせ幽霊がそのまま姿を現したような身体をしているのだからな」
「完全に馬鹿にしたみたいな言い方は気に入らないけれど……言ったよな?俺はあんた達に協力するつもりなんて無いって」
同時に、エレベーターが到着の案内を告げる。
反射的に表示板を見てみると、そこに表示されていたのは……『SF』の文字。
すると、偉吹が真っ先に出入りの前に立ち、こちらを見向きもせずにこう言った。
「直ぐに思い知ることになる。お前のその言葉が……どれだけ残酷に満ちたモノなのかを……な」
「……どういう意味……」
扉が左右に開く。
同時に。
まるで風が吹き抜けるような形で、脳を直接揺さぶる不気味な声が、遠くから響き渡ってきた。
声というよりは……獣の叫びのような反響音だ。
「今の……雄叫びか……!?」
「報告にあった通りだな、急ぐぞ」
弾かれるようにエレベーターから飛び出していく偉吹。
それに続いてレティーシャも足を一歩踏み出すが、即座に足を止めてわざわざこちらに向き直ると、念押しするようにこう言い聞かせてきた。
「はい!栄志さん、フェイズ2は危険です。いくらあなたが他者と接触は出来ないと言っても、彼らはそれを何らかの戦略を持ってして打ち破るかもしれない……それほどの能力性を秘めた相手です。ですから、約束して下さい……絶対に、何があっても、私達よりも前に出ない、と」
「…………」
今まで彼女達と同じ立場に立ったことがなかったからか、彼女の言う警告がどれだけの意味を秘めているのかは分からなかった。
だが、その張り詰めた顔を見てしまったら、嫌でも、無言で頷くしかなかったのである。