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イノヴェイティブ・パニック  作者: 椋之 樹
第2章 分裂まで・・・
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フェイズ2


 記憶の中に存在する朧気な記憶。

 掠れた視界の中に立つのは、恐怖に引き攣った笑みを浮かべる……母親の顔。

 何かを言っている。

(恐くない……もう少しの辛抱……)

 そうだ……励ましてくれているんだ。

 暖かくて、優しい、母親の姿は、とても輝いて見える。

(ありがとう……大好きだよ、お母さん……)

 しかし、次の瞬間。

 視界の右下、左下から、図太い樹木のような黒い腕が母親へと伸びて、その姿が一気に近くなったと思ったら……。

 不気味な音と、短い悲鳴。

(…………え?)

 一体、何が起こった?

 あの化け物みたいな腕は?

 いきなり近付いて、消えて、真っ黒な視界の中に残ったのは……鉄臭くて赤い液体。

 血だ。

 口の中に、ネットリとした生暖かい血が、浸透するように広がっていく。

(なん、で……なんでこんな感触……そんな筈がない……あり得ない……だって、これではまるで……)


 ────自分が母親を喰らったみたいではないか。


「ハッ……ハッ……ウソだ……イヤだ……ッ」

 イムニティの病棟階の一角。

 汚染者ポルター化の症状が重い患者を診察する為の、特別隔離室。

 その中に、一人の少年がベッドの上で頑丈なベルトに縛り付けられ、もがき苦しんでいた。

 まるで何か悪い夢を見ているように。

 そこへ、偶々彼の様子を見に来た研究員が、特殊強化ガラス越しに、衝撃を受けた様子で顔を歪めた。

「……ッ!!マズイ……ッ!急ぎ、抽出器を!!彼を止めなさいッ!!」

 それは、予兆だった。

 一時は人の形を失った汚染者ポルターに時折襲い掛かる、二度目の悪夢。

 無意識の内に大暴れし、町を、物を、人を、破壊した。その罪悪感に苛まれ、まるで深淵からの呼び声に呼応するかのように、現実という名の世界から逃れる為に、自らの意思で堕ちようとするのだ。

 そして、彼らは────再び発症する。

「イヤだ……イヤだ、イヤだイヤだイヤだイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤ、ァ、アァ……ギャルアァァァァァァッ!!」

 その空間全てを揺らすかのような、甲高い雄叫び。

 同時に。

 研究員の目の前にあった特殊強化ガラスが、一瞬で砕け散った。

「きゃぁっ!?」

 襲い掛かるガラスの破片から慌てて身を守る。

 破壊の余波が収まり、ゆっくりと顔を挙げると……衝撃と共に、恐怖心が走った。

 数秒前まで少年が横たわっていたベッドの上に、何かが座っている。

 所々が突出し、厳つい形をした真っ黒な全身。肉体と思しき部位は見当たらず、まるで頭の先から足の先まで、強固な鎧に身を包んでいるかのようだ。それに何より、汚染者ポルターよりも遥かにスリムになり、人間の形に近付いているようにも見える。

 間違いない。

 そこに居るのは、ただの汚染者ポルターではない。

 研究員は慌ててこちらへ走ってくる仲間へと、指示を飛ばした。

 その間、時間にしてほんの一秒。

「うそ、でしょ……!?誰か早く……支部長へ連絡を……ッ!!」

「……ヒュゥゥ」

「ひぃ……ッ!?」

 即座に視線を元に戻すと、既に目と鼻の先にそれは居た。

 全身から一気に血の気が引き、思わずすくみ上がったと同時に……そいつは口角を上げて笑う。

 研究員は知っていた。

 その笑みの意味することを。

 この姿が引き起こす最悪の惨劇を。

 彼の今の名は、汚染者ポルター警戒段階────『フェイズ2』。

 フェイズ1と比べて、力と狂暴性を格段に増大させ、並みの能力者では歯が立たない程に成長した姿。

 そして何より一番厄介なのは……。

「分カッタヨ、オ母サン────一緒ニ行コウネ……ヒヒッ、カルルゥァ……ヒヒヒッ」

 人間としての意思がある、ということだ。







「ところで、ユスラはもう大丈夫、なんでしょうかね?」

 レティーシャの案内でエレベーターに乗り込んだ栄志は、耳が詰まるような不快感を覚えながらも、平静を装いながら尋ねてみた。

 すると彼女はわざわざこちらに振り返ってから、再び穏やかな笑みを見せる。

「敬語でなくても結構ですよ、栄志さん。ユスラのことならば心配は要らないと思います。先程、無事に処置は終了したと報告は受けていますし、彼女の大量出血と貧血は日常茶飯事のことですから。まぁ、その度に死にかけられていては、流石にこちらの心臓がいくつあっても足りないのですけれど、あはは……」

「少し怪我するだけでいつも死にかけているのかアイツ……」

 運が悪いということなのか、ユスラは怪我をする度に大量出血を引き起こしている、ということになる。

 いや、そもそも動脈を傷付けたとしても、あそこまで一気に、それこそ蛇口を全開をしたように、大出血をするのかは疑問なところだ。確かに、人間が動脈の損傷を受けた際には、大量の血液が拍動的に噴水のように出血するらしい。

 しかし、彼女の場合は少々度を過ぎていた。

 あれではまるで、血液が詰まった風船に穴を開けたかのようだ。

 そうである場合、彼女の命はそれこそ風船のように、一秒も経たぬ間に破れ去ってしまいそうであるが……運が良かった、と考えるだけで本当に良いのだろうか。

「お待たせしました、この階です。正面に見える扉が執務室の入り口になりますので、もう少しだけご足労願います」

 いつの間にか開いていたエレベーターの階数表示を見てみると、二十とあった。

 どうやら、最上階にやってきたようだ。

 今までで感じたことがない緊張を胸にしまい、レティーシャの後に続いて廊下に出ると……。

「それじゃ、失礼するヨ、っと?おやおや?客人かナ?」

 正面の扉から一人の少女が出てきて、こちらに声を掛けてくる。

 何やら語尾の発言が外国人のように独特的だ。軽く日焼けでもしているのか、体格にそぐわない大きな白衣の下に見えるうなじ辺りに、下着の跡が白色と褐色で肌の色が明確に別れている。髪色は黒。面倒くさがり屋なのか、髪はボサボサだが、首から下へと伸びる髪部分は白衣の襟の中に隠れていた。しかし、白衣の裾から毛先が見えており、かなり長いことが見て取れる。

 ユスラや辻隆と同じように、気さくな笑みを浮かべてこちらに歩いてくるが、目の前に立つと自分よりも相当小さいことが分かった。

「ハカセさん、ご苦労様です。支部長に何か用事が?」

 ニックネームなのだろうか。

 いかにも研究者、という雰囲気を醸し出す名前の少女は、白衣のポケットに両手を入れながら、軽い口調で答えた。

「用事っつーカ……脱退願いを出してきたところだネ。アタシ、今日でイムニティ辞めるから、そこんとこヨロシクネー」

「え!?な、何故こんな急に……!?」

 相当驚いたのか、レティーシャはあからさまに顔を歪める。

「急にじゃないヨ。前から言っていたジャン。イムニティじゃあ、何も変わらないって……ネェ?」

「そんなことは……ありません……!」

 そこで、ハカセは満足げに笑うと、彼女の脇をさっさと通り抜けてきた。

「フフッ、つまりそういうこと。それじゃ、アタシはこれで失礼。あぁ、そうだ、栄志チャン?」

「あ、お、俺?」

 突然名前を呼ばれて反射的に変な返事をしてしまうも、彼女は気にした様子もなく真横に立つ。

 すると、背伸びをして肩に手を掛けながら……耳元でこう囁いてきた。

「────精々、気を付けなヨ」

「……?」

 警告?

 冗談?

 いや、どれとも言い表せられない……奇妙な感覚だ。

 そんな不気味な言葉を残した彼女は、ゆったりとした足取りでエレベーターに乗り込むと、扉が閉じきる最後の時まで、笑顔でこちらに手を振り続けていたのだった。

「ご、ごめんなさい、栄志さん。お見苦しいところを……気を取り直して、参りましょう」

「お、おっす…………ん?」

 奇妙な感覚……その正体がようやく判明した。

 彼女とは、間違いなく初対面だ。

 それなのに、彼女は尋ねるまでも無く口にしたのだ……自分の名前を。

 何故?

 彼女は何者?

 そんな疑問を考える間もなく、レティーシャがさっさと執務室とやらの扉を叩き始めていたので、急いでその後を追った。

「支部長、武蔵栄志さんをお連れしました」

「入れ」

 渋い声が返ってきた。

 その声を耳にしたレティーシャは小さく頷くと、扉を開きドアノブを手にしながら、中へどうぞ、と目と手でジェスチャーしてくる。

 彼女に従って中に入ると、少しばかり重苦しい空気が身体を包み込んできた。

「何か、ザ・執務室って感じの部屋……」

「武蔵栄志、そのガスマスクは相変わらずか……久し振りだな」

 威嚇にも似た低い声が響く。

 見てみれば、正面の書類が山積みになっている執務机に、眼鏡を掛けた男が腰掛けていることに気付いた。

 あの憎たらしい熱の感じられない瞳。

 他者に関心を示さない冷めた口調。

 見ていると、どうもイライラが収まらない。

「どーも、ご無沙汰してますよ支部長さん」

「立ち話もなんだ、そこに座れ」

 彼が指差したのは目の前の応対席のような、机を挟むように配置された柔らそうなソファだった。

 いかにも新品で、愛用されているそれを一瞥してから、即座に断りの言葉を入れる。

「あ~……多分座れないんで、遠慮する」

「そうか、ならそのままで結構。レティーシャ────やれ」

「はい……ッ」

 背後から、苦し紛れに発せられた声。

 直後。

 頭の上から腹辺りまで不快な感覚が走ったと思ったら、目の前のソファが切断された。

「……ッ!?」

 同時に、偉吹が感嘆にも似た声を漏らす。

「ほぅ、あの時は分からなかったが……本当に幽霊みたいな奴だな。その刀すらも通り抜けるか」

 衝撃を受けたが、一応冷静に状況を見定める。

 自分の身体を貫き、頭の上から振り下ろされたのは……黒い刀身。

 自身の何物でも接触出来ない、という性質が幸いしたのか、斬られている訳ではなさそうである。あくまでも、自身の身体を、黒い刀身が通り抜けているだけ。

 そいつを振り下ろしたのは、背後で立っていたレティーシャだ。

「えっ、と、一応聞くけど……何のつもりだ?」

「……ッ!」

 警戒心を滲み出して問い掛けると、背後のレティーシャが短い悲鳴を挙げて刀身を引いた。

 身体から刀身から抜け、不快感が一気に解消する。

 異様な空気が流れる中、偉吹は首を横に振りながら冷静沈着な口調で答えた。

「なに、どうせ最初から斬れないってことは分かっていたことだ。そいつは汚染者ポルターから抽出した成分を固形化させて造られた代物だからな。あくまで実験に過ぎん。そう、モルモットに試薬を投与するのと同じように、な」

「…………」

 何故だろうか。

 ほんの少し前までは、本気で話し合いでケリを着けようとしていた。

 だが、今の言動で、そんな気は一瞬で消え失せた。

 きっと、今の自分は怒りが滲み出た、強く強張った顔を奴に向けているのだろう。

 偉吹は呆れた顔で肩をすくめた。

「どうした?何を怒っている?別に構わないだろう、斬れていないのだからな」

「……ムカつくな……親から人に斬り掛かる時は断りを入れてから、って習わなかったのか?」

 勿論、断りを入れても論外だ。

 すると、何よりも始めに口を開いたのは、前に出てきて頭を下げるレティーシャだった。

 彼女は謝罪の言葉を述べながら、今にも土下座でもしそうな勢いで姿勢を低くしようとしている。

「……誠に……誠に、申し訳ありません……ッ!」

「おいおい、あんたもか。ちょっと待てって、ほら」

「え……?」

 そんな彼女の顔の前に手を差し出し、超低姿勢になるのを辞めさせると、手のジェスチャーだけで無理矢理立たせた。

「こういう時にまず第一に頭を下げるべきなのは、命令した張本人だろ。それだけの敬意を示してくれたあんたがわざわざ気に病む必要はない。ただ、これからはいきなりは辞めてくれよ?俺じゃなかったら十中八九死人が出る」

「……!」

 レティーシャは驚いたようにこちらの顔を見てから、それでも罪悪感を抱いているように、直ぐに視線を落とした。

 そんな光景を、ふんぞり返って眺めていた偉吹が、こんな提案を口にする。

「まぁ、生憎オレは親とは縁が無かったものでな。それより、改めて単刀直入に言う、武蔵栄志。オレ達イムニティと手を組め」

「仲間になれって?あんたらと?あの時からまったくぶれてないのな、あんたは」

 単刀直入というか、非現実過ぎる。

 ほんの数秒前、命令して斬り掛からせたばかりである相手に、仲間になれ、だなんて。

「勘違いするな。仲間、ではない。手を組め、と言っているんだ。お前の特性の真実が明らかになれば、イノヴェミックのせいで不幸のどん底に立つ人々を救えるかもしれん。だから、手を組め。その代わりにオレ達がお前を、世界の救世主にしてやる」

 普通ならば。

 普通に生活していた上で、こんなことを言われた暁には、確かに首を縦に振っていたかもしれない。

 だが、自分は普通ではない。

 この世界に見捨てられた疎外者だ。

 だから、この世界のことも、そこで生きる人々のことも、助ける義理はない。

 しかも、人のことをモルモット呼ばわりした挙げ句、罪悪感の欠片もなく殺そうとした奴の懐に入るだなんて……承諾出来る訳がなかった。

「断る。自ら進んでモルモットになるなんざ、死んでも御免だ」

「ならば仕方が無い。たった今からお前は人間ではない。『抗体』のサンプル……いや、未来の礎だ」

「何が礎だ……ふざけん……」

 直後。

 執務室内に、凄まじい音量の警報らしきものが鳴り響いた。

 思わず驚愕して言葉が引っ込んでしまったが、偉吹はさして驚いた様子もなく、冷静にレティーシャへと事情の説明を求める。

「……!何事だ?」

「少々お待ち下さい。確認の方を急ぎますので……」

 緊急事態でも起こったのだろうか。

 レティーシャが入り口脇にある電話へと向かい、受話器を取って、相手と話し始めた。

 その間に、何故かその事態に対する偉吹の疑惑は、こちらへと向けられる。

「……お前の差し金か?」

「知らない。俺はユスラを連れて一人で来た」

「ならばこれは……」

 言葉を交わす度に溝が深くなっていく様を実感しながら、互いに睨み合っていると……レティーシャが相当慌てた様子で声を張り上げた。

「そんな…………支部長大変ですッ!!処置を終えて隔離室に拘束していた汚染者ポルターが再び暴走を始めたとのこと!!」

 そう言えば、イムニティが汚染者ポルターを連れて行く光景を、何度か目にしたことがある。

 今まではどんな人体実験を行っているのか、と思っていたが……どうやら、処置は当然のようにしているらしい。

 だが、今の一瞬で偉吹のこちらに対する警戒レベルは、一気に跳ね上がったようだ。

「……オイ」

「尚更知らないっつーの!俺と汚染者ポルターを勝手に結び付けんな!」

 この不毛な牽制は一体なんだろうか……少々理不尽である。

 まるで子供喧嘩のように、二人して自己主張を繰り返していたが、次にレティーシャがある単語を口にした瞬間、執務室内の空気が変わった。

「しかも……その汚染者ポルターが、『フェイズ2』に進化を遂げた……とも」

「フェイズ2……?」

 汚染者ポルターにも、感染段階のようなモノがあるのだろうか。

 しかし、ただならぬ気配であることは間違いない。

 それは、瞬時に表情を曇らせた、レティーシャや偉吹の顔を見れば明らかだった。

「……厄介なことになったな……」

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