イムニティの実態
初めの内はまだ上手く出来なかったが、最近では一人で買い物するのも慣れてきた気がする。
物を買うのにお金を払うことすら知らず、商品を手にして店を出て、店員さんに取っ捕まった挙げ句、危うく警察にお世話になるところだったのは、今となっては良い思い出だ。
「ピョーンピョン、あ……そう言えばお醤油がそろそろ切れかけていました。補充の為に一ボトル買っておくとしましょう」
町のスーパーマーケットで、クロクは山ほどの食材を買い物カートに詰めて商品を吟味していた。食材はカートのカゴを軽々と越えて積み上げられているが、彼女が持って歩いても揺れる気配すら見せない。
実は積み方のお蔭で全体的に強固なものになっているのだが、クロク自身はそんなことを考えてすらいなかった。
また、RISの制服だという、兎耳とメイド服はしっかり装着したままである為、周りからは時々奇怪な目で見られているが、これも本人は気にしている様子はない。
むしろ、時々決め台詞らしきものを、楽しそうに口ずさんでいるくらいの余裕を見せていた。
「お会計、お願いします」
商品をレジに持っていくと、店員さんも目を丸くして動揺の色を浮かべた。
「いらっしゃいま……え、えぇっと……あ、はい!お会計、ですよね?」
「……?はい、お願いします。ピョーンピョン」
これをすれば、誰であろうとイチコロだぞ。
そんなことを店主が言っていたような気がするので、再び実践。
両手を頭の上に乗せて、兎のポーズ。
「!?」
はい、怖がられました。
店員は明らかに警戒した様子で後ずさりするが、首を左右に振ると、特にこちらのポーズには何も言わず──むしろあからさまに目を逸らしているが──商品のバーコードを読み取り始めた。
山盛りに積まれた商品を五分程度掛けて、もう片方にあった三つのカゴへ小分けにして入れてもらう。
それからお金を払い、三つに分けられた全てカゴの縁に指を掛ける。
「あ、あの、お客様?運ぶの、お手伝いしましょうか?流石に、それは重過ぎるのでは……」
なるほど、どうやら気遣われているようだ。
ここは厚意に従っておくのもいいが、この大量の商品を時間を掛けて読み込んで貰ったが故に、後ろでは列が出来てしまっている。
これ以上、彼らに迷惑を掛ける訳にはいかない。
「お気遣い感謝します。ですが常日頃から重量のある物を持ち運んでいる身。この位ならば全く問題はありません」
「こ、この位が、ですか……?」
店員が訝しげに見るのは、カゴの取っ手が上で合わせられない位に積まれた商品の山が三つ。
中には米や醤油の容器等が入っている為、男が二人いても持つのは困難だろう。
だが、問題は無い。
「もう、持っていって良いのですよね?」
「え?で、でも、本当に……?」
「はい、それでは……ピョン、っと」
カゴの縁に差し込んだのは、指。
大量の荷物がバランスを保ち、崩れないと思われる丁度良い場所に狙いを定め、そして……上げる。
相変わらず荷物は微動だにせず、まるで発泡スチロールを持っているかのように、軽々と持ち上がった。
「……えぇぇぇぇぇぇ……?」
呆気にとられる店員を前に、カゴを持ったまま頭を下げる。
それから、顔色も一切変えずに、迅速な手際で全て袋に詰め終わると、再び大量の荷物を両手に持ってスーパーを後にしたのだった。
「ん?」
スーパーから出たと同時に、とある光景を目にする。
それは……。
「あぁもう何でこんなことになっちゃったのかねぇ!?あんた本当に後で恨むからな!」
見覚えのない少女を背負い、街道を大慌てで疾走する武蔵栄志の姿だった。
献身的な行動にも見えるが、彼が抱えているのは一人の乙女。つまり、異性であることに変わりはない。
緊急を有する事態にも見えるが、少女を背負っているということは、異性特有の柔らかい肌と肌が触れ合っている訳で……そこに羞恥心が現れるのは当然のことだ。
総じて言えば……実に興味深い光景である。
「……ふむ。これは、あれですね……からかうネタが増えましたね。ふっふっふっ」
何となく面白い空気を察する。
思わず滲み出た笑い声を、無表情のまま口にすると、スキップ混じりに帰路に入るのだった。
今まで意識したことすらなかったからか、ユスラの消え入りそうな声で案内された場所……地上二十階建ての高層ビルの前に着いた時は、正直圧倒されてしまった。
組員の中に資産家でもいるのか、このビルの全階層をイムニティが管理、使用しているらしい。
「結局……来てしまった……」
その中の豪華ホテルのようなフロントのソファに座って、思わず項垂れてしまっていた。
溜め息混じりに呟くと、目の前から陽気な口調の声が挙がる。
「いやぁ、唐突にあのユスラを連れて来た時は何事かと思ったが、思いの外かなり重傷だったらしいぜ?ナイス判断、お蔭様であいつの命は救われたって訳だ」
自分とそんなに歳は離れていないように見える、気さくな性格をしていそうな少年だった。
頭にはバンダナを巻き付け、工場で使用するような灰色の作業服を上下に身に着けている。足元はだいぶ使い古してそうな黒いブーツを履き、よく見れば人差し指には銀色の指輪らしきモノを填めていることが分かった。
見た目から判断すれば、あまり勉強をしてこなかった不良が、何気なく職人の道に携わることになった……というような雰囲気だ。
ユスラを連れてきた時にここで出会ったのだが、彼女のある程度の治療が終わるまでの暇潰しとして、話し相手を買って出てきた。
本当ならばさっさと帰りたいのだが、原因はこっちにあるので、易々と断ることが出来なかったのである。
「……ライムに噛まれたってことは内緒にしておこう……それで?あんたは?」
「おぅ、初めましてだな。俺は辻隆ってんだ。一応イムニティ所属の、諜報活動みたいなことをやっている。あんたのことを調べ上げて上に報告したのは俺達諜報部員なんだぜ?」
そう言って、懐に入っていた名刺を手渡してくれた。
辻と隆。
名字と名前で二文字しかないって、珍しい名前もあったものである。
「あんた達が余計なことをしてくれたせいでこんなことになったって訳か……まったく、大した手柄を挙げてくれたよ」
「はっはっはっ!大手柄だろ!ま、いうなれば下請け、下っ端みたいなもんだし、今後もイムニティに関わるなら、接する機会も多くなるだろうぜ?つーわけで、ヨロシクな、武蔵!」
予想通り、気さくな人物だ。
出会って間もないのに、警戒する様子もなく手を差し出してきた。
ユスラもそれなりの図々しさはあったものの、彼も相当のものだ。もしかしたら、イムニティという組織全般で、そういった方針を敷いているのだろうか。
それはともかく……この暖かい歓迎は、なんだろうか。
本来なら歓迎されるどころか、取っ捕まってもおかしくない状況なのに……彼は馴れ馴れしく接してくるし、周りの連中もさして気に掛けている様子はない。
「なぁ、俺のこと、捕まえねぇの?」
「捕まえるって……何が?」
「俺、あんた達の言う『抗体』って奴だと思うんだけど?」
潔く、白状してみた。
自分は、彼らが指名手配してまで捕まえようとしていた人物であり、望んだ形ではないにせよ、わざわざ捕まりに来てやったのに、何故動こうともしないのか、と。
すると彼は、大笑いしながら前のめりになってこちらの肩を叩こうとするが……見事に空振りした。
「アッハッハッハッ!何だよ、目の前に居るんだからさっさと捕まえろよ、ってか?あんた面白ぇなととぉ!?」
「お、おぉ……」
大振りになった手のひらはテーブルを力強く叩き、周囲から訝しげな視線を向けられる。
しかし、当の本人は一切気にした様子もなく、大袈裟な笑みを浮かべて言った。
「心配すんなって武蔵。ここにはそんな乱暴な輩はいねぇよ。今のあんたはイムニティの客人だ。気の済むまでゆったりしてりゃいいんだよ。ほら、握手握手!」
「えっと、スマン、握手は無理なんだ。でも心の中ではちゃんとしているつもりだから、見逃してくれない……か……ん?握手?」
その時、違和感に気付いた。
あまりにも自然に、無意識に動いていた為、今まで疑問にすら思わなかったが……ほんの数分前まで、かなりおかしなことをしていたような……そんな気がする。
こちらの考えがまとまる前に、辻隆が肩をすくめてから立ち上がった。
「ふぅん?なるほど、触れないってのも難儀な話だな。オーケーオーケー!じゃあ握手はしっかりしたってことにしとくわ!」
「……お、おぅ、どうも」
「さぁてと、そんじゃあ俺も仕事があるんでな。イムニティに用がある時はいつでもこの俺を頼れよ?んじゃあな!」
お別れを口にする彼に対して手を振り返す。
同時に、頭の中で渦巻いていた違和感の正体に気付いた。
そう……よく考えれば、やはりおかしい。
「……そう、だよな?握手どころか、触れることすら出来ない筈だよな?だったら俺は……“どうやってユスラさんをここに連れてこれた”んだ?」
自分は他人と接触することは出来ない。
それなのにユスラだけに関しては、何故か触れるどころか、抱え上げてここまで連れてくることが出来たのだ。
しかも、おかしいのはそれだけではない。
初めて会った時もそうだ。
普通に街道を歩いているだけでは認識すらされない自分に対して、彼女は迷うこと無く、自分の姿を捉え、声を掛けてきたのである。
おかしい。
こんなこと、今まで一度たりとも経験したことがなかったのに。
「どうかなさいましたか?深刻そうな顔をしていらっしゃいますが……何か思い当たることでも?」
「それが分からないから考えているんだよ。何だかあいつに会ってからそんなことの繰り返しのような……って誰ッ!?」
隣で見覚えのない少女が立っていることに気付いた。
彼女はこちらの声に驚いて身体を震わせ、いつの間にか肩に置かれていた手を慌てて離すと、何度も頭を下げて謝罪してくる。
「あぁ、ごめんなさい!いきなり馴れ馴れしく肩を触ってしまって!失礼でしたよね!?ごめんなさい!ごめんなさい!」
またユスラや辻隆のようなタイプかと思ったが、どうやらその限りではないらしい。
別に怒っている訳でもないのに、何度も頭を下げながら、何度も謝罪の言葉を口にし続けている。
礼儀正しさからくる行動なのかはよく分からないが、こんなに必死こいて謝られると、周りの視線も集まるし、こちらも罪悪感が湧き出てきてしまう。
それにしても、天下のイムニティ様に一日の内に二度も頭を下げられるとは……本当に、人生とは難儀なものである。
「い、いやいや!別に謝らなくても大丈夫だって!もう良いから頭を上げてくれって!」
「そう、ですか?良かったです……あぁそうだ、まずは自己紹介からですね」
彼女はホッとした様子で自身の胸を撫で下ろしてから、改めてこちらに向き直って言った。
「私の名前はレティーシャ・ダナム。不肖ながら、このイムニティ清永町支部の支部長代理を務めております。ところで、差し支えなければ、先程の推測についてもう少し詳しく教えて頂けませんか?とても興味があります。あなたの、武蔵栄志さんの見解のこと」
「…………」
支部長代理。
このイムニティが世界的にどれだけの地位にあるかは分からないが、彼女はこの組織における支部で、ナンバー2に君臨している人物らしい。
彼女は『抗体』とは口にしなかったが、何か思わせ振りなその口調は、同時に彼女に対する不信感も増させていた。
「教えてと言われてもな……俺自身もよく分かっていないから動揺している訳であって……」
「そうですか……でしたら、もし何か気付いたこと、それか困ったことがありましたら、いつでも相談に来て下さいね?ユスラを助けて頂いたお礼も兼ねて、微弱ながらも、精一杯力になるつもりですから」
思わず頼りたくなってしまう……理想的なサービス業の鏡とも言える、そんな嘘偽りが無さそうな穏やかな笑顔だった。
わざわざ低姿勢になり、目線を合わせて言ってくる様子をみると、相当言い慣れしているようだ。
それとも、純粋な心持ちから来るものなのだろうか。
だからこちらも、最低限の礼儀だけは払っておく。
「あ~、えっと、はい……どうも、ありがとうございます」
どこまでも調子が狂う話だ。
最初は本気でイムニティと一戦を交える覚悟を持って、金槌までも携帯してやって来たというのに、戦闘どころか客人としてもてなされている。
だが、これは尚更、自分の飼っている犬が噛み付いたから、とは言えない雰囲気になってきた。
これを話したら最後、イムニティ全体から明確な敵意を受けることになりそうである。
すると、レティーシャは思い出したように手を叩き、首を傾げて尋ねてきた。
「あぁ、そうそう。この後、時間はよろしいですか?差し支えなければ、共に来ていただきたいのです。支部長が、貴方様に話があると……」
「いや、出来る限り長居するつもりはなくて……って、支部長……?」
今日は、一体どうなっているのだろうか。
今まで極力接触を避けてきたイムニティから、家を尋ねられ、ひょんなことから支部へと赴き、下っ端から支部長代理と幅広く顔見知りが出来た上、最終的には支部のトップが会いたがっているだなんて。
嫌な予感がする。
今の内に言い訳をして帰りたい。
だが、今まではイムニティの情報なんて耳に入れてこなかったが、向こうから話をしたい、だなんて……。
はてさて、どこかで覚えがあるシミュレーションだが。
「あの、その支部長とやらの名前って……?」
「はい、清閑寺偉吹といいます」
「……!なるほど、ね」
やはりそうだ。
その名前、忘れもしない。
今から数ヶ月前位に、冷たい剣幕と共に協力を強要してきた男の名前だ。
「あいつ……イムニティの支部長だったのか……」
「如何でしょうか?もし都合が悪いのならば、私の方から彼へと話を着けておきますが……」
今までは、逃げ続けるだけだった。
しかし、ここまでに人のことを危険人物扱いし、勝手な名称を付けた上に、窮屈な生活に追い込んでくれたお礼は、絶対に返さなくてはならない。
ユスラも話をすることを望んでいるのならば……。
望むところだ、乗ってやるとしよう。
「いや良い、俺の方から────話を着けてやるよ」
妙に頭がクラクラする。
方向感覚が鈍っている中で、薄らと目蓋を開けると、ようやく自分がベッドに横たわっていることに気付いた。
頭を左右にゆっくりと振りながら、身体を起こす。
「ん、ぅ、ぅ……ここ、は……あれ?わたし、は……」
確か、栄志の自宅を訪ねて、イムニティに入るか入らないかという話をして、何故か足を飼い犬に噛まれて……。
そうだ。
大量出血で貧血を起こしたから、栄志がここまで連れて来てくれたのだった。
「う、ぅ……身体が、重いな……」
彼はまだここに居るだろうか。
だとしたら、早く行ってお礼を言わないと。
未だに重苦しい身体を動かそうと、腕に力を込めた。
すると。
「おねーちゃん、大丈夫?」
真横から、声が聞こえてきた。
反射的にそちらへ目をやると、目と鼻の先に見覚えのない少女が、ベッドの上に腰掛けていたのである。
注意力も散漫になっているのか、気配すら感じなかったので、余計に驚いてしまった。
「はわわぁっ!?え、えっと、あなた、は……?」
白い布地の患者服がダブダブになるくらいに背丈は小さく、見た目で判断すると、齢は十代にも満たないくらいに幼い。瑞々しい肌とつぶらな瞳はまるで人形のようであり、腰まではある赤みが掛かった長い髪は蛍光灯の光を反射する程に艶やかさを感じさせる。瞳の色は黒、というよりは髪と同じ赤みが掛かった色をしているが、自分も緑色みたいなので、別に変ではないだろう。
少女は指先を頬に当てて首を傾げながら、たどたどしい口調で質問に答えた。
「えっとねー、おなまえはねー、ユリっていうの。それとねー、なんかねー、おいしゃさんがいってたの。くろいのになっちゃうから、ねていてねって……でもねー、ユリ、たいくつなの。おねーちゃん、あそぼー?」
それだけで、即座に彼女の正体が判明した。
医者の言っていることはつまり、黒い何かにならないように安静にしておくように、ということ。
つまり……汚染者化の配慮だろう。
そういえばここ最近、いや昨日のことだ。
彼女らしき汚染者を保護したばかりではないか。お友達の女の子から、助けて、とお願いされた、一人の汚染者が。
「……もしかして、昨日の汚染者……!?」
「ぽるたー?」
彼女は認識すらしていないようだ。
しかし、それでいい。
今は彼女が無事に人間の姿に戻り、こうして元気な姿を見せてくれていることが何よりも大切なのだから。
医療班には感謝すべきだろう。
これで、昨日のあの女の子と交わした約束をしっかりと果たすことが出来る。
イムニティとして、これほど嬉しいことはない。
「そっか……治ったんだ……良かった……!」
「わぷっ!おねーちゃん?びっくりしたの……」
目尻が熱くなり、思わずユリを強く抱き締める。
彼女は驚いた声を挙げるものの、抵抗することもなく、素直に胸の中に顔を埋めていた。
「ごめんね……でも、良かった……大変だったよね……もう大丈夫だから……本当に、よく頑張ったね……」
「……エヘヘ、おねーちゃん。あったかくて、あまーいかおりがするのー……」
ユリは楽しそうに笑いながら、胸の中で身体をよじる。
少しくすぐったいが、胸の奥で湧き上がる歓喜に比べればどうということはない。
「んっ……あはは、ユリちゃんもとっても暖かいよ……ふふっ」
イノヴェミックに翻弄される人々を守るというのは、生半可な覚悟で出来ることではない。
辛いことだってある。
悲しいことだってある。
だけど、それらを乗り越えて誰かを救えた時、こう感じることが出来るのだ。
イムニティとして活動していて本当に良かった、と……。