呼び覚ます決意
「ふぅ、さてと……やることは今のところ、うん、全部終わっちゃったかな?また指示を仰いでこないと」
新実ユスラの仕事は、言うなれば持ち手だ。
研究員の必要な備品を調達したり、配膳を配ったり等々、雑用係を無難にこなしていた。
実際、自分は研究作業に加われる程に頭は良くない上に技術もない為、本格的にハカセや研究者達の手伝いは出来ない。
だが、誰かの手伝いや面倒位は見れる。
例えば……。
「きゃはは!おねーちゃーん!みてみてー!おもしろーい!」
「……ヒヒヒッ」
あそこで戯れている、ユリとフェイズ2とか。
フェイズ2の視線に合わせて、ユリは一人でに宙を漂い、楽しそうに笑いながらこちらへ向かって手を振っている。
これは、まるで……フィクション映画でよく見かける霊体の動き、そのもののようだ。
「もしかして、霊体を操ることが出来る力……?母親を喰らったことで潜在物質が結合したから……少し、残酷だけれど……コラー!あまり危ないことしちゃ駄目だよ?」
こちらの声に反応したフェイズ2が小さく頷くと、ユリはゆっくりと床に降りた。
しかし、相当楽しかったのか、フェイズ2に寄り添って、再度お遊戯のお誘いを口にする。
「ねーねー!もういっかいやってー!」
「オ母サン、楽シソウダネ……ヒヒッ」
この二人は言ってしまえば、化け物だ。
ほんの一日前までは、拘束、後に処置をしなければ、満足に接することも難しかった子達である。
しかし、こうして誰かの輪の中に迎えられ、無邪気に遊んでいる姿を見ると……安心感と共に罪悪感までもが浮かび上がってくる。
自分達が願ってきた平和。
自分達が見てきた幸せ。
もしかしたら、知らず知らずの内に、型に嵌まって考えすぎていたのかもしれない……そう、感じてしまうからだ。
「……幸せの形、か……」
「ユスラ」
声を掛けられて振り返る。
そこには、少し暗い顔をしたレティーシャが立っていた。
「レティ、どうしたの?」
「ちょっと、御免なさい」
「……!」
彼女はいきなり近付いてきて、柔らかい手つきで眼に巻かれた包帯をめくり、その下にある花を見る。
すると、やっぱり、と言わんばかりに顔を歪め、今にも泣き出しそうな口調で、こう続けた。
「……昨日のアレを見て思ったけれど……やっぱり、花の枯れ具合が酷くなっている……」
「誰にも言わないでよ?」
昨日の一件以来、何だか身体が重い上に、四肢の感覚が心なしか薄くなっている気がしていた。
だから、不思議と驚くことはなかった。
むしろ納得してしまったくらいだ。
恐らく、瞳から突出した花びらは、桃色から茶色に変わりかけているのだろう。
このまま花びらが枯れてしまったら最後……恐らく、自分の命も……。
「だけどユスラ、このままだと、あなたは……」
「────私の罪はそれより重い」
それだけだった。
枯れかけている?
それが死に直結している?
そんなこと、“自分の罪に比べたら些細な物”なのだから。
「……え?」
「それをひた隠してきたことも、恐くて目を逸らしてきたことも、いつかは断罪されることだって、思っていた……もしかしたら、今日が絶好の機会かもしれないから……」
そう、やるべきことをやらなくてはならない。
今日、この日は、神様がくれた最後のチャンス……自分自身が本当の意味で現実と戦う、最後の機会なのだ。
こちらの意図を読み取れていない様子のレティーシャだったが、それを振り払うように顔を左右に振ると、手を掴んでこう言ってきた。
「……何が何だか分からないけれど……だったら、その前に私の話も、聞いてくれないかしら?」
「話?」
決意した。
自分も、協力できることは協力しよう。
そう考えた末、遂にハカセへと自分のDNA情報を提供することを決めた。
「ホイ、採取完了。お疲れサン、栄志クン」
「……これで、本当に何か分かるのか?多分、無駄だと思うけれど……」
何より驚いたのは、血液採取が出来たことだろう。
どうやら、イムニティが自分と接触出来るようになった理由は────『武蔵栄志を認識すること』。それだけだったらしい。
そこに武蔵栄志が居る。だから我々は問題なく武蔵栄志に触ることが出来る。そうやって、頭の中で常に認識していることで、武蔵栄志という存在に接触出来るようになったとのことだ。
実際、現代の人間の、他人に対する認識度は限り薄いと言える。特に、自身に関わりがない人物に関しては、記憶するどころか、認識することすら難しいとされている。例えば、町中で誰かとすれ違ったとしよう。一秒後、その人は擦れ違った人物の人相を思い出せるのだろうか……いや、出来る訳がない。
瞬間記憶力とかの特殊能力でもあれば問題はないだろうが、常人が他人のことを記憶するには、常にその人のことを意識する必要があるのだ。
何というか……呆気がない解決方法な気がして、どこか釈然としない気分である。
「以前のイムニティなら、ネ。独断と偏見で見たお前の素性は、ただの抗体にしか見えなかった筈サ。だけど、今は違ウ。誰もが、何物にも縛られず、客観的な視点で、物事を判断することが出来るダロウ」
注射器から血液のサンプルを取り出したハカセは、それを振りながら、ニヤリと笑った。
「……じゃ、後は任せた」
「はいヨ。何か分かったら、真っ先に知らせるからネ」
そう言ってハカセに後を託した後は、フェイズ2やイムニティが入り混じり合った店内へ入っていく。
その最中、視界の端で紅茶を嗜むレジダプアの姿が目に入った。
彼女はこちらの視線に気付くと、気さくに声を掛けてくる。
「やぁ、ムサシ君。血液採取お疲れさま~」
「レジダプア?あんた、今までずっとそんな端っこに座っていたのか?」
「まぁね。個人的には知る人ぞ知る老舗の店……的な感じが好きだったんだけど、一気に賑やかになっちゃって。はぁ~あ、全く迷惑だよなぁ~」
全然迷惑そうじゃない。
むしろ、この状況を大いに楽しんでいる様子だ。
「なぁ、今まであまり聞かないようにしてきたけれど……あんた、一体何者なんだ?」
突発的な質問だっただろうか。
思い返してみれば、彼女のことは出会った時から何も知らなかった。
これを機に、その謎を解き明かしたいと思ったが……彼女は予想通りの答えを返す。
「おっと、それは規律違反だからノーコメント。昨日もハカセには言ったけれど、私は基本君達とは関係がない存在さ。つーか、君はお店の店員と客の関係しか持たない相手に、そんな無粋なことを聞くのかい?」
「……怪しさが増した……」
やはり、気になる。
ジト目でレジダプアを睨むと、彼女は何かを思い出すようにこう答えた。
「ただ、一つだけ。確かに物語は終わりまであと一歩のところだよ。だけれど、ね?物語ってのは────終わるまで何が起こるか分からないもんさ」
「……はぁ?それ、どういう意味だよ?」
何もかも見透かしたような口調で繰り出された、更に謎が深まる有り難迷惑な言葉。
彼女の真意を問いただそうと口を開いた。
その時だ。
「栄志君、今時間良いかな?」
ユスラが声を掛けてきた。
何とも絶好なタイミングだが、レジダプアは微笑みながら、追い払うように、さっさと行けと手でジェスチャーしている。
「私のことはお構いなく。後は仲良し二人組でゆっくり話してくると良いさ」
「オイ」
言いたいことは沢山あるが、それは後でも言えることだ。
まずはユスラの話を聞くべきだろう。
そう割り切ってから、ユスラの後を追って店の入り口から外へと出ていくのだった。
「どうやら、動き始めたようだね────ラストエピソードの時が」
ユスラと共にやって来たのは、裏路地の中にある小さな広場だ。
日の光が遮断された裏路地でも、この広場だけは一筋の光が差し込んでいる。まるで、天からの柱が降りているかのように。
その中心点でユスラは立ち止まり、こちらに向き直った。
「どうしたんだ、ユスラさん?」
「……卑怯者だよね、私」
「は?」
ユスラの顔は、沈んでいた。
追い返されても、怪我をしても、死にかけても、味方と戦うことになっても、最後まで前を向いていた彼女なのに……今だけは、酷く思い詰めているような顔をしていた。
「嫌われるのが嫌で、現実から必死に目を逸らして、いざ現実に立ち返ってみたら……また、私は後悔してる」
まるで、一人言を喋っているようだ。
何かを後悔しているように、勝手に話を進める彼女の意志が……全く掴めなかった。
それも含めて、今の彼女はいつもの彼女らしくない。
「あの、話が見えないんですけども……?」
そう尋ねたところ。
ようやくユスラは顔を挙げ、こう言い放った。
「もしかしたら、知らないままなら、そのままで良かったのかもしれない。だけど、話すべきだと思うから、私は私を信じて、君に打ち解ける。今のままでは、どれだけ対策を投じた所で────世界の革新は避けられない」
「な……ッ!?な、なんで、そんなことを言い切れるんだよ……!?」
それは、全てを裏切る言葉だった。
今回の一件で一致団結し、共に戦うことを誓った者達への、最大最悪の裏切り行為だった。
全ての第一人者として戦い続けていた彼女から出た言葉だとは、到底思えず、声を荒げてしまう。
しかし。
真の衝撃は。
次に彼女が放った一言だった。
「答えは簡単────君が居るから、だよ」
時間が、止まる。
クロクや他の適合者の仕業ではなく。
脳細胞が、思考回路が、心臓が、本当の意味で止まったのだ。
そこから辛うじて蘇生された後。
武蔵栄志は、何とか繋ぎ止めた喉を懸命に開き、こう絶句した。
「……………………は?」
「……オイオイ、嘘ダロ……?」
「ハカセ、これって、まさか……そういう、ことですか……?」
店内の奥で検査データを広げながら、ハカセと研究者達は、一斉に顔を歪めていた。
なるほど、推測は正しかった。
こんなデータ、イムニティだけで処理したら、偏見的な感情論だけで大変なことになるだろう。イムニティに反感し、一歩下がった目線で見て、初めてデータの重要性と確実性が認識できる……極めて危険な結論だ。
だから。
半ば反射的に、ハカセは声を荒げていた。
「箝口令ダッ!!このことは誰にも言うナ!?誰にも、例え口が裂けても、例え心臓が止まっても……絶対に口にするんじゃナイッ!!」
「は、はいッ!」
研究者達も雰囲気を察したのか、潔くハカセの指示に肩をすくめる。
だが、箝口令を敷くだけでは意味はない。
それ以上に重要なことが、今の自分達には欠けている。
「オイッ!!あいつはどこダ!?まだ店内にいるダロウ!?」
「そ、それが、先程外へ……」
「一人でカ!?いや、誰とダッ!?」
「え、っと……“ユスラと”、です……!」
機を見計らっていた?
ずっと待っていた……いや、待たざるを得なかった?
世界の終焉が迫っている中、焦りばかりが募っていく。
どちらにせよ、疑いようのないのは、ただ一つだけだ。
「今すぐに探し出セッ!!迅速に見つけだして、誰かに補足される前に捕まえロッ!!あいつを────武蔵栄志をッ!!」
動き出した。
終焉を迎えるしかなくなった世界で、ずっと身を潜めていた思惑が、遂に姿を現した。
ここから先は間違いは一切許されない。
全員が断崖絶壁に追い込まれた状況で、最後の蹴落とし合いが幕を開ける。