一つの道へ
いつもよりも遅い目覚めだ。
もう少しで昼時になる時間帯に、表が妙に賑やかということに気付き、相変わらずのガスマスクを装着したまま、重たい身体を起こした。
「ふぁぁ……何だ、騒がしいな……?」
奥から店頭へと顔を出す。
だがそこで、誰がこんな事態を予測出来ようか。
真っ先に飛び込んできた呼び声と、目の前に広がる光景を目にして……気を失いかけた。
「おっ!栄志!一日ぶり!」
それは、辻隆の声。
そしてテーブルの上に資料を広げて、忙しく議論を繰り返す者達は……イムニティの面々だ。
「え……え、は、はぁぁぁぁぁぁッ!?な、何!?これ、何事だ!?」
思わず大声を出してしまった。
すると、その声に気付いた一人の人物が、相変わらずの丁重な態度で近寄ってくる。
「栄志様、お邪魔しております。昨日は本当にご迷惑をお掛け致しました。どうぞ、これつまらないモノですが」
レティーシャだ。
彼女はご丁寧に小さな巾着に包まれたお菓子を手渡すと、少し気まずそうながらも、優しげな笑みを浮かべてきた。
「あ、どもっす……じゃなくてッ!!何でイムニティの連中がここにいるわけ!?」
「こんなこと、今更何の言い訳にもなりませんが……正直、支部長のやり方は行き過ぎたところがあると……私達は常々思っていたのです。ですから皆さんの提案で、せめてこれまでのお詫びとして……いえ、この世界を救う為に、栄志様、ユスラの手助けをしたいと……!」
つまり、協力しにきた、ということだ。
決して相容れることがなかった者達が、本当の意味で、こちらと手を取り合う為に、こうしてこの場所へと赴いてくれたのである。
「それで、こんなに……?」
「イムニティに残っていた構成員は、研究員含めて全員連れて来た!三人よれば文殊の知恵、ってな!それに、元々『免疫』と『薬』ってのは、互いに作用することで、より強力な免疫力になるもんなんだぜ?だからここから先は大船に乗ったつもりで俺達に頼れよ!」
「…………」
言葉が出なかった。
今までは人の事なんて興味すら示さなかったからか……人と人の結束というモノは、ここまで頼もしく映るモノなのか。
終焉は目の前に迫っているのに、これならば不思議と何とかなるのでないか、と思わせてくれる。
「えっと……それより、私達よりももっと凄いことになっているお人が……」
「もっと凄い……?」
レティーシャが今も動揺した様子で、苦笑いを浮かべている。
その視線が示しているのは、どうやら店の入り口方向のようだ。
「はい、外なんですけれど……最初に見たときは心臓が止まるかと思いました」
一体、どれだけショッキングな光景を見たのだろうか。
少しの恐怖心を抱きながら、彼女の言う外へと向かう。入り口の扉を開け放ち、外へと身を乗り出すと……そこには、奴らが居た。
「…………んんッ!?」
「やぁ、お早う栄志クン。案外遅起きなんだネ」
ハカセ……と、その前に列を作って並んでいる……『汚染者達』である。
「キィルルルルゥゥゥゥ……ッ」
「ヒヒヒッ、オ母サン……オ母サン……」
「グルルルル……ッ」
まさに、世紀末としか言いようがない光景だ。
流石に、フェイズ1は居ないようだが、フェイズ2は何やら大人しくハカセや研究者の指示に従っていた。
まさか……まさかと思うが……彼らも、イノヴェミックの謎を解くために、力を貸してくれようとしているのだろうか。
「こ、言葉にならないんですけど……一体、なにが起きているんだ、これ……?」
レティーシャの言う通り、少々心臓に悪い光景だ。
痺れたように立ち尽くしていると、ハカセが近くに寄ってきて、こんなことを話し始めた。
「アタシは元々汚染者でネ。その影響からか、フェイズ2相手ならば軽く意思を疎通させることが出来ル。私がそうってことは、ユリも同等だと思うヨ」
「え?」
いきなり、衝撃的なカミングアウトだった。
いや、それより、汚染者と意思疎通が出来る、ということは……彼らをこの場に集めたのも、彼女の尽力なのだろうか。こんなに大多数の汚染者を説得して、協力を促すだなんて……簡単に出来ることではない筈なのに。
「イノヴェミックが発生したとほぼ同時期だったヨ。生物学を専攻していた大学生だったんだけれどネ……仲間達も同じ様に汚染者化して、互いに互いを傷付け合って……何とかしければと認識した時には、もう皆死んでいタ……この白衣に隠した髪と頭の包帯は、その時の名残サ」
「……!昨日言っていた、自分も犠牲者だっていうのは、そういうことだったのか……?」
ハカセは遠い目を落とし、小さく息を吐いた。
「全員、救いたかっタ……喧嘩することも、笑い合うこともあった、大切な仲間だったカラ……だけど、結局何も出来ず、挫折しタ……これは、人間の手には負えない、異常な物体だと思い知らされたからネ……でも、そんな時に、ユスラと君のことを知ったンダ」
「ユスラさんと……俺?」
ハカセを見ると、彼女はあくまでもこちらに振り向きもせずに、思い出すように続けた。
「ユスラのあの健気に世界の平和を願う姿に、いつかの自分と照らし合わせていたのかもしれナイ……そして、そんな彼女が想いを寄せ、それに懸命に応えようとする君の姿は……不思議と、ネ……アタシの心を癒してくれたんダヨ。だから……」
「だァァァァァァァァッ!!」
「ムグゥ!?」
迅速な捕縛術だ。
何処からか忽然と現れたユスラが、ハカセの背後に回り込むと、羽交い締めにしてから両手でその口を塞ぐ。
それから荒い息を吐き、震えながらこちらを見ると、今にも泣き出しそうな真っ赤な顔で、こう尋ねてきた。
「はぁ、はぁ……え、栄志君……今の、まさかと思うけれど……聞いていない、よね?」
「…………」
まぁ、それは無理がある。
しっかり聞いてしまった。
だが、そう答えるのも何だかむず痒く感じて、頬を掻きながら彼女から目を逸らしてしまう。
だって……ユスラが想いを寄せる、ってことは、その、彼女は少なくとも、自分のことを見てくれている訳で……。
すると、ユスラはその場で頭を抱えて悶え始めた。
「うわぁぁぁぁぁぁッ!!既に手遅れだよぉぉぉぉぉぉッ!!」
「プハァ!あれ?なんだヨ、お前達。まだそういう話をしていなかったのカ?」
その発言はユスラの更なる怒りを買ったようだ。
涙の浮かんだ顔で、真っ直ぐにハカセを睨み始めた。
「……一生恨んでやるぅ……ッ」
「い、いや、ユスラさん、ここは落ち着いて、なっ?」
「うぐぐぐ……うぅぅぅぅ……っ」
慌ててユスラを宥めるものの、彼女の顔は真っ赤に染まったままだ。
その顔を見ていると、こちらまで恥ずかしくなってくる。
これは……一体、どんな顔をすれば良いのだろうか。
「お前達は、いつまでもそのままで居てくれヨ?そうすれば、アタシは例え死んでしまったとしても、胸を張って死んで逝けル」
「……!」
縁起でも無い、とは言えなかった。
終焉が迫り、いつ正気を失うか分からない状況で、ハカセは自分なりに決意を固めて行動したのだ。
それを、今更批判することも、弾劾することも出来ない。
「さぁ、研究の再開ダ。時間は残り少なイ。お前達もやれることは手伝えヨ?」
「ハカセ!」
思わず、叫んでいた。
するとハカセはその場で立ち止まり、肩越しにこちらを見てくる。
「ア?」
「……ありがとう。それと、今まで……色々と、すまなかった……」
色々な感情が入り混じり合い、上手い言葉は出て来なかった。
だが、それでもハカセは、未熟な教え子を相手にするように、小さく笑うと、また直ぐに歩き始めた。
「……!フッ、それは全部が終わってから言う台詞ダロ?」
そうだ。
まだ、終わっていない。
終わりを迎える為の、最後の手段が一つに集結しただけだ。
それを解決に導く為には……自分も出来ることをしなければならないだろう。
「二人揃ってこその形、カ……こんな世界を照らすかの如く輝く二人組は……一体、何が巡り合わせたのかネェ?」