疑惑の果てに
イムニティの選別を阻止した後のこと。
武蔵栄志とユスラは、ユリとライム、外で悠長に本を読んでいたクロクを連れ、複雑な心境のまま、RISに戻ってきた。
「おっ、英雄のお帰りのようだね」
「英雄?」
店内に入った同時に、相変わらずの定位置に腰掛けるレジダプアが嬉しそうに言う。
「その酷い有様を見れば、相当の激闘があったこと位容易に分かることさ。どうだい?進展はあったかい?」
「…………ッ」
ユスラが肩を震わせて視線を落とす。
彼女の言い分は嬉しいが、当事者からすれば正直笑い話で済むものではなかった。
それ程に、レティーシャから引き出した、イムニティに関する情報は衝撃的なものだったのだから。
「あぁ、進展はあったよ……ただ、期待していたものじゃなかった……」
「……へぇ?」
こちらの返答に、レジダプアはそんな軽い反応を返すだけだった。
明らかに暗い雰囲気を漂わせる一同の前に、その一端を担うことになった人物が、何事かを呟きながら姿を現す。
「発生直後?発生直前から?認識度の違いは全世界から見れば多大な差はある筈。待てヨ?それ以前に一番最初に人が変化を認識したのはいつだ?感染体が人を浸食して発症するまでに時間が必要だとしたら、幾分かの潜伏期間があったことになって、感染体は既に世界に蔓延した?空気感染?食物感染?感染のルートは……いや、だとしたら真っ先に動く筈の国際機関は何故……?」
「ハカセ」
「ん?あ、あぁ、お前達カ。悪いけれど、お前達に構っている暇はないんダ。今、試行錯誤中で……」
彼女は、思ったよりも辛辣に反応した。
予測はしていたが、ここまで来たら流石に思わざるを得ない。
そんなことを言っている場合ではない、と。
「一体、どういうつもりだ?」
「…………ハ?」
「レティーシャは言っていたよ。イノヴェミックを引き起こした人物は────イムニティに居ないって」
レティーシャは、疑うならば自分達を拷問して聞き出したりしても構わない、と言い切っていた。
その瞳に嘘は感じられず、ユスラと共に議論を重ねた後、彼女に更に強く問い詰めてみたが……結局、新たな真実が浮かび上がることはなかった。
そこまで説明すると、ハカセは呆れたように顔を歪める。
「……オイオイ、どんな風に丸め込まれたのかは知らないが、そんなことを言われて、お前達はノコノコと帰って来たって言うのカヨ?」
「実際、イムニティの連中は殆どが汚染者に変貌していた。イムニティ内部に裏切り者が居るならば、仲間を汚染者にさせる意味はないんじゃないのか?いや、そもそもあいつらは汚染者の兆しはあった。それを留めていたのは……あんたなんだってな、ハカセ?」
「……!」
イムニティに居た使用者達の容体は、既に汚染者に変貌を遂げる寸前にまで迫っていた。
身体を疑似昏睡状態にさせることで、辛うじて意識を保っていたらしい。しかし、その役を担っていたハカセが脱退してしまったことで、今まで押し留めていた汚染者が、一斉に溢れ出てしまったとのことだ。
「世界が革新されるまで、残り三日。こんな残り少ない期間で、君は組織を裏切ってここに来た……それは、何か意味がある行動だったの?」
一体あと何度、誰かにこんな疑いの目を向けなければならないのだろうか。
言葉を重ねる度に重苦しくなっていく空気。
後ろに立つユリ達も、どうすれば良いのか分からない、という様子で立ち尽くしていると……ハカセが吐き捨てるように言った。
「……あいつラ……残してきた鎮静剤を使っていなかったのカ……」
「は?」
「何でもない。だが、改めて言っておくゾ?アタシは確かにイムニティを裏切った。だが、アタシ自身、イノヴェミックを起こした覚えはナイッ!」
彼女の主張は、あくまでも変わる様子はなさそうだ。
その発言には、流石のユスラも頭を抱えて、念を押すように確認した。
「……まだ、イムニティの中にイノヴェミックを起こした奴がいるって疑っているってこと……?」
「正確には、イノヴェミックに関して何かを知っていると思われる怪しい人物、ダ」
「そんなことを言ったら、怪しい人物なんて沢山いるよ。君も自分自身が疑われているってことを理解して……」
その時だった。
誰かが何かをした訳でもなく、何か特殊能力を使った訳でもない状態で……あのハカセが、大きく顔を歪めたのだ。
「────アタシだって犠牲者なんだヨ……ッ!」
彼女の冷徹なイメージを打ち壊す、強烈な一撃だった。
それを目撃してしまっては……もう、頭に浮かんだイメージを拭い去れない。
彼女も本当は……抱えている感情があるのではないか、と。
「……何だって……?」
改めて問い詰めようとした。
しかし、それよりも前に、ハカセの顔が見る見るうちに真っ青になり、一歩、一歩と下がっていく。
「……いや、確かに、アタシ自身、少し立ち振る舞いに冷たいところが、あったかも、しれナイ……だから……」
「……ふふ」
それは、レジダプアの笑い声だった。
場に合わない楽観的な声が響いた同時に、ハカセの顔が一気に真っ赤になり……。
「……ッ!」
店の奥へと走り去ってしまった。
「ハカセ!ちょっと待ってく……」
「ムサシ君、今日はここまでだ。大丈夫、明日になったら彼女も覚悟を決めるさ。あれは言うなれば、末期のツンデレ属性って奴だよ」
「末期って……」
疑念、焦燥、対立。
それらが一気に吹き飛んでいった様な気分だ。
何が何だか分からないが……どうやら、何も心配することはないらしい。
「それより、今日は疲れただろう?考えるのは明日にして、取り敢えず今日は休んだらどうだい?例え目の前に最後が迫っていたとしても、気持ちが空回りしたら一巻の終わりだからね」
「……だけど、このままじゃ……」
実際、ハカセのことも、イムニティのことも、イノヴェミックのことも……何一つ解決しないまま、時間だけが迫りつつある。
こんな状況にも関わらず、レジダプアはただ優しげに笑うだけだった。
「大丈夫さ、事態は良い方向へ傾いている。きっと解決するよ。君や、ユスラ君、それにハカセが本当の意味で手を取り合えば、ね?」
レジダプアが何を察しているのかは分からない。だが、疲れていることは事実だった為、彼女の厚意に甘えて休むことにした。
レティーシャが話した、世界革新完了予測期間まで……残り三日。
その間に何としてでも、イノヴェミックの謎を解かなくては────この世界に未来は無い。