暴風に舞う血桜
「うぅぅ~ん……むぅぅ~ん……」
「牛のモノマネかい?」
先程からハカセが訝しげな顔をしながら、店の中を行ったり来たりしているので、適当にからかってみた。
すると、即座に苛ついた口調で言葉が返ってくる。
「あのねぇ、余計な茶々を入れるんじゃネェヨ」
「そんなに悩むのならば、一旦腰を押し付けたら如何かな?君の持ってきた紅茶もあることだしさ?」
脇に置かれた紅茶のカップを手にして、ハカセへと向けながら笑っておく。
しかし、彼女は何やら気が気でない様子で、再び頭を抱えながらこんなことを呟き始めた。
「違うんだヨ、悩んでいるからじゃないんダヨ……むしろここに来てから……“冴え渡ってきている”から怖いんダヨ……」
さて、彼女は一体何を言っているのだろうか。
良心を持つ人ならば、今の彼女に対してこんな発言を返すだろう。
何を自惚れているんだ、と。
自身に出来る精一杯の皮肉を込めながら、細目で彼女を睨む。
「あのさ……私が言うのも何だけど……頭、大丈夫かい?」
「うるっさいナァ!だから余計な茶々を入れるなって言ったロ!?」
流石に集中している時に皮肉を言えば、普段は温厚な雰囲気のハカセでも声を荒げるらしい。
だが、今は彼女が何故そんな結論に至ったのか……それが妙に気に掛かる。
「……冴え渡ってきているって、どういうことだい?」
「……分からない。ただ、イノヴェミックについて考えれば考えるほど、無性に過去の自分に問い詰めたくなるんダ……『何故こんな簡単なことに気付かなかった?』『今まで何を見てきたんだ?』と、ネ」
彼女がどれだけ思い詰めているか。
それは彼女の暗い口調と、歪んだ顔を見ればよく分かる。
ただ、彼女が何を言っているのかだけが……本当によく分からない。
「例えば?」
「聞かない方が良いと思うヨ?絶対に────後悔すると思うからネ」
「ならば聞かせてもらう、さっさと話しな?」
「……じゃあ、一つだけ……疑問を持たず、初心に返って、冷静になって聞きなヨ?例えば────」
彼女は口にした。
彼女自身が考え付いた疑問の正体を。
そいつを耳にした時、改めて感じ取ったことが一つある。
確かに……聞くべきではなかった、と。
「………………はぁ!?」
その驚愕に満ちた声は、店内に大きく響き渡った。
そして。
また再び足を踏み入れていくのだ────イノヴェミックが生み出す謎の渦の中へと。
「ライム!ユリちゃんを連れて離れて!」
即座に戦意損失していたライムとユリに向かって、戦線離脱するように指示を飛ばす。
すると、ライムの方が我に返ったように駆け出すと、床に座り込んでいるユリを抱き上げ、こんな言葉を残して後ろに下がった。
「むぐぐ、命令されるのは癪ですが……あぁもう!ご主人様に何かあったらあなたから殺しますからねッ!!」
「分かってる!」
続けて、血槍を後ろに引くと、真っ直ぐに暴風を起こしている偉吹へ狙いを定めた。
そして躊躇いも無く、血槍を投擲。
「行っけぇッ!」
暴風に逆らって直進する血槍。
しかし、それはただの槍ではない。
自分の血液、言うなれば潜在物質で構成された、特殊な槍だ。
「……!」
血槍は宙で大きく震えると、爆散。
無数の小型の血槍となって、一気に偉吹へと飛来した。
「質量が元の血槍と同等?つまり、大きさだけが変化した代物か。確かに、小さければ小さいだけ暴風の影響は受け辛い上、直撃すればかなりの損害が生じるだろう……だが、そもそもが足りん」
偉吹は、暴風の中を高速で突き進んでいく血槍を前に、慌てる様子すら見せない。
緩やかに、払い落とすように、手を左から右へと動かす。
すると、一層強い暴風が吹き荒れ、全ての血槍が床に叩き落とされた。
「く……っ!」
「手は悪くないが、残念だったな。次はこちらからお返しを送ろう。そら……受け取れッ!」
偉吹が床から前へ、抉るように腕を振るった。
彼の足元のタイルが大きく抉れ、床を吹き飛ばしながら、何かが飛んでくる。
「ユスラさん!横へ跳べ!」
「……!」
栄志の声が響く。
弾かれるように左へと飛び跳ねると、その前に彼が立ち塞がり、目の前のタイルへ自身の金槌を叩き付けた。
タイルの床に大きく亀裂が入ると、そこへ手を突っ込み……。
「来るんじゃねぇッ!!」
「うわぉ!?」
少し、驚いた。
タイルの床が剥がれ上がり、巨大な壁となって立ち塞がったのだ。
彼の、何物にも触れられず影響を受けない特性は、どうやら重量にも関係はないらしい。どれだけそれが重くても、彼の手で触れられる物ならば、軽々と持ち上がるのだろう。
床を抉って進む何かは、タイルの壁に衝突し停止……したように見えたが、終わらなかった。
「栄志君!突き抜けてくるよ!」
「は……おわぁ!?」
次の瞬間。
壁が粉砕し、透明な球体らしきモノが姿を現した。
それは栄志をすり抜け、真っ直ぐにこちらへと向かってくる。
周囲に風を感じるということは、偉吹が生成した風の弾だ。恐らく、内部で凄まじい速度で鎌鼬が飛び交い、ミキサーのようになっているのだろう。床を抉るこの威力を見る限り、呑み込まれてしまえば一瞬でミンチにされてしまいそうだ。
「止めるのも一苦労……だねッ!」
即座に血槍を生成。
それを目の前にまで迫る風弾へ投擲。
風弾内部に侵入した血槍は、爆散と共に、鎌鼬のようなものに続々と切断されて、血をぶちまけていく。
血液は風弾に纏わり付き、気付けば風弾は真っ赤に染まっていたが、それを避けることは出来ず……。
「ユスラさん!?」
「……ッ!」
呑み込まれる。
鎌鼬と血液が渦巻く風弾の内部。
息苦しい上、襲い掛かる鎌鼬が身体を傷付けていき、そこから更に血が噴出し始めた。
「ぐ……ッ!あ、ぁ……ッ!」
だが。
同時に、鎌鼬の勢いが弱まりつつあるのが、肌で感じられた。
恐らく、大量の血液が風弾に詰まっていったことで、鎌鼬の進行速度を遅らせているのだろう。
全身の激痛を堪えながら、再び手中に血槍を生成すると、その場で腰を捻り、大きく振り回す。
「お、あぁぁァァァァァァッ!!」
風弾は真っ二つに切断、そして破裂。
溜まった血液が辺り一面に滝のようにぶちまけられ、その中心地に自分の身体も強く叩きつけられた。
「がッ!う、あ、ぁ……ッ」
「ユスラさん!すまない大丈夫か!?」
床に転がり悶えていると、栄志が慌てて駆け寄ってきて抱き起こしてくれた。
自分よりも大きい手。
人の温かさを感じられる体温。
少しだけ怖かったが、彼の顔を見た瞬間に安心感が沸き上がってくる。
あぁ、良かった……生きている、と。
「はぁ、はぁ……ケホッ!うん、大丈夫、だよ……っ」
「大丈夫って……それにしては酷い有様になっているぞ……?」
「本当に、大丈夫だから……“本番はここから”、だからね……」
「本番……?」
彼のガスマスクを着けた顔が、横に傾げられる。
それはそうだろう。
彼等から見れば、今の自分は全身血だらけで意気消沈した足手纏いにしか映らない筈だからだ。
そんな自分を嘲うかのように、偉吹の声が響いてくる。
「なんだ、まだ残っていたか。今のでミンチになったかと思ったが……お前相手では、そう簡単にはいかないらしいな?」
そう、“この瞬間を待っていた”。
今の彼は、自らの強大な力に慢心している。
確かに無策で挑んでは、即座に木っ端微塵にされてしまうのがオチだろう。
しかし、こちらが万策尽きたと考えている今ならば……。
「栄志君、聞いて……」
栄志の肩を掴み、極力偉吹が悟られないように声を掛ける。
すると彼は、驚きつつも、あからさまに動揺した口振りでこう返してきた。
「お、おい、あんまり喋らない方が……!」
「いいから聞いて……!支部長の暴風は、簡単な突撃力じゃ破ることは出来ない。私の槍も相当の貫通力はあるけれど、それでも足りない」
「足りないんじゃ……どうする?」
最初と同じ一撃では、また同等に叩き落とされて終わりだ。
だから。
あれよりも、もっと強固で、もっと鋭利で、もっと強大な、最強の血槍を生成する必要があるのだ。
その手段は既に……目の前にある。
「私の全身全霊の一撃を放つ。そうすれば、幾ら天災と呼ばれる彼ででも、流石にひとたまりもない筈……!」
「こんな状態で全身全霊だなんて……簡単に認められるわけがないだろ……!」
栄志の気遣いは、正直嬉しい。
だが、今だけは甘えてはならない。
彼の肩を掴む手に力を込めると、鋭い視線を彼へと向けた。
「今だからこそ、だよ……そして、その突破口は────君が開くんだ」
「……!」
話は理解した。
彼女が何をしようとしているのかも、自分がやるべきことも。
だが、それは作戦にしては少々強引なモノだった。成功率はユスラや偉吹、もしくは自分の行動で大きく左右されてしまうだろう。
成功すれば、恐らく勝てる。
失敗すれば、即座に木っ端微塵にされる。
引き受けるべきか、断るべきか……最大の分岐点だ。
これにより、ここから先の命運が大きく変わっていくのだろう。
「巻き込んでしまって、本当にゴメン、栄志君……でもイムニティを止められるのは、今を除いて他にはないんだ……ッ!」
彼女のすがるような顔は、真っ直ぐにこちらを見ていた。
自分の為ではなく、誰かの為に命を懸けられる人が願う未来。
その強く、温かいに意志こそ……誰もが願う世界があるのならば……やることはすでに決まっている筈だ。
「……巻き込まれているつもりはない。俺は自分の意志でここに来たんだ……だから、絶対に……死ぬなよ……?」
「君こそ、私より先に死んだら許さないから……」
それだけ言葉を交わすと、ユスラをその場に立たせて、偉吹へと向き直る。
そして。
「……ッ!」
一気に駆け出した。
自分のやるべきことは一つ。
全速力で、生きて、あいつの元へと辿り着くことだ。
「ん?玉砕覚悟で突っ込んできたか?だが、忘れていないか?我々は既に、お前に影響を与える術を手に入れていることを」
偉吹が動く。
両手を前に突き出すと、辺りに吹き荒れていた暴風が進路を変えた。
鎌鼬の混じった暴風は床を裂きながら、一気に自分の身体を巻き込んでいく。
「ぐっ!?」
身体が裂ける。
顔が、腕が、身体が、脚が、次々と傷付けられていく。
これはマズイ……とても立っていられない状態だ。黙っていたら本当に木っ端微塵にされてしまう。
だが。
それでもユスラは、最後まで身体を張ったのだ。
ならば、自分も身体を張って立ち向かう。その為に、ここへやって来たのだから。
「負けっ……る、かぁぁぁぁッ!!」
「粉々になることがお望みか……ならば、お望み通りに……」
その時だった。
背後の方で、彼女の声が不気味に響いた。
「【華麗に咲き誇り刹那に散る血花よ……」
「……!これは……!」
同じだ。
星霜クロクが唱えていた、特殊詠唱と同等の雰囲気を漂わせる文言。
そして、それに続くのは……適合者の特殊能力だ。
「……我が血に酔い狂い見聞者を幻想へ誘え】」
その文言に呼応するように、変化が起こる。
床や壁にこべりつき、ユスラがぶちまけた、全ての血が……流れるようにユスラの元へと集まっていく。
「血……汚染者達の血が……まさか……そういうことか……!?」
そう、これこそが、新実ユスラが言う全身全霊の一撃。
この場で犠牲となった者達の血。
そして、自身が命懸けで流した血。
その全ての血を利用した、最大級の一撃ならば────天災に勝てる。
「支部長……君が流させた血が、無念にも散っていった者達の血が、君へと牙を剥くだろう……さぁ、この世の命ある者達よ!今こそ血の意志と共に咲き誇れ────《淡儚へ散り去る紅血桜》ッ!!」
最後の血槍。
全ての血を練りこんだ巨大な血槍が、ユスラの手中に現れた。
そいつを、大きく振りかぶり────投擲。
「マズイな……クソッ!」
宙で、巨大血槍が爆散。
先程とは比べ物にならない程の、数と大きさの血槍が、一斉に暴風へと降り注いだ。
そして。
その内の最も巨大で、鋭利で、輝きを発する血槍が、偉吹の眼前で阻まれる。
「貫けェェェェェェェェェェェェェェェェッ!!」
血槍と暴風。
二つの力が拮抗し、力を拡散させ、施設内のタイルがあちらこちらへ吹き飛んでいる。
台風の目ともなっている中心点で、偉吹は、逃げようともせずに、血槍に立ち向かっていた。
「クソが……負けてたまるか……ッ!オレ達は、この世界を救わなくてはならないんだ……それなのに、こんな連中に……阻まれるなんぞ……あってはならんのだッ!!」
「────なら何度でも阻んでやる」
それこそ、最大最後のチャンスだった。
雨のように降り注いだ血槍に当たらない身体を利用し、攻撃の合間、偉吹の意識の外を走り抜けて、ようやくここに辿り着いた。
奴の懐に飛び込み、その腹に拳を叩き込む。
「ぐぉっ!?こ、抗体ィィ……ッ!」
「お前達が道を間違える限り、俺達は何度でも立ち塞がる。そして、その度に同じ事を口にする────お前のやり方は間違っている、ってな」
「……間違い、か……くそ……っ」
最後に。
偉吹は何かを悟ったような顔をしてから……血槍は彼の上に落ちた。
「はぁ、はぁ……」
ふと、自身の身体を見渡してみるが……酷い有様だ。暴風に巻き込まれて、全身が傷だらけである。
しかし、目の前に転がる偉吹の有様は、最早言葉にならない。
両腕が肩から妙な方向へねじ曲がっており、右眼が潰されて血が次々と溢れ出ている。それでも何故か、彼の顔はあくまでも冷静そうな雰囲気を醸し出していた。
「偉吹……」
「……!」
今まで後ろの方で大人しく立ち尽くしていたレティーシャが、偉吹の傍で屈み、彼へと声を掛ける。
「レティーシャ……オレ達は……」
「えぇ、どうやら……負けたようです。奇跡の少年と、正義の少女の手によって。これが、きっとこの世界が選んだ運命、なのでしょう」
「そう、か……ならば……あとは、任せる、ぞ……」
それだけ言うと、偉吹はゆっくりと目を閉じる。
緩やかに呼吸をしているのを見る限り、死んだわけではなさそうだ。
偉吹が気を失ったのを見届けたレティーシャは、小さく溜め息を吐いて立ち上がると、真っ直ぐにこちらを見てきた。
「あんたも、やるつもりか?」
「いいえ。おめでとうございます、栄志様、ユスラ……あなた方の勝利です。私達イムニティは今回の件からは全面的に手を引くとしましょう」
何だか、呆気ない気もなくはないが……。
これで、全世界の選別が行われる事態は回避出来た、と言えるだろう。
レティーシャの言葉が終わると、ユスラが腕を押さえながら駆け寄ってきた。
「……レティ、本当に……?」
「ですが、革新が進行していることもまた事実。それを相手に、あなた方がどんな決断を下すのか……ゆっくりと見守っているとしましょう」
そう言いながら、レティーシャは偉吹に肩を貸して立ち上がると、自分達に背を向ける。
「それでは……よい余生を」
このまま、彼女達を見逃すのは簡単だし、そもそも追撃する理由すらない。
だけど。
せめて『真実』だけは聞き出さなくてはならないだろう。自分達は、その為にイムニティに襲撃を仕掛けたのだから。
「待ってくれ、レティーシャ」
「……何か?」
「もう隠し立てをする必要もない筈だ。だから、教えてくれ。このイムニティには、本当に……イノヴェミックを起こした犯人が居るのか?」
ようやく、ここまで辿り着いた。
自分達は真実の世界へ足を踏み入れたのだ。
後は……彼女の口から、真実を知るのみである。
レティーシャはこちらを見向きもせずに佇み、少し視線を上げながら、こう語り始めた。
「確かに、隠し立てをする必要は、ありませんね……良いでしょう。私の知り得ている事実をお教え致します。ここ、イムニティの組織内に、イノヴェミックを起こした黒幕は────」