翻弄される者達
「何で君は、そんなに甘いんだい?」
白い格好に身を包んだ白い少女、レジダプアはおもむろに尋ねてきた。
だが、その質問の意図は読めない。
誰が?
誰に対して甘いって?
質問が理解不明である以上、ハカセはこう返すしかなかった。
「ノーコメント。そんな言葉でアタシの心中を探ろうだなんて、百年早いヨ」
「甘いことは否定しないのかい?」
「ノーコメントと言ったダロ?」
そう口にしながら、イムニティで回収しておいた、黒刀をガスバーナーで炙る。
話によれば、こいつは汚染者の外皮を固結させたことにより作られた代物らしいが……何故か、どうやって作られたのかは知らされていなかった。
“研究チームのリーダーであった自分”に対しても、だ。
「ならここから先は私の独り言だから。気にせず作業を続けて良いよ」
「好きにすれバ?」
火では……熱量や形状の変化は、期待できなさそうだ。
そもそも、汚染者の外皮は、その一振りでコンクリートを砕く程の強度を秘めている。贅沢を言えば、プレス機で押し潰したり、ダイヤモンド等の最高硬度を誇る鉱石とぶつかり合わせてみたいが……そんな余裕は今の自分にはない。
だが、果たして本当に、それだけの硬度があれば、この刀は折れるのだろうか。
「研究環境、経済力を言えば、どうやらイムニティは最適な研究所だったらしい。だけど思想の違いから協力関係を破棄し、不自由な環境に身を投じ、ましてや自身にとって利益になるかも分からない者達とネットワーク、もとい遠回しに手を取り合うことを選んだ」
────こいつ。
「……妙に軽いよナ、これ……まるで中は空洞っぽいケド……うん、うん、どうやら密度は水と同等だネ」
刀身を叩いてみるも、返ってくる音質は鈍いモノだけだ。
刀身が振動している様子もないし、かといって相変わらず形状の変化は見受けられない。
それならば、鉄の塊を振り回す重みを感じられなければおかしいが、まるで発泡スチロールを持っている感覚だ。
しかも、切れ味も折り紙つきである。
先程、偶々外に置いてあった石材を斬ってみたのだが、これが斬れる斬れる。包丁で豆腐を切っているようだった。
「何故か?それは少女の中に捨てられない想いがあったからさ。誰かを救う為?自分の為?それとも世界の為?冗談ではない────“それだけで終わってたまるか”、とね」
────馬鹿な。
「……ッ……さて、これが破格の硬度と切れ味を秘めているのならば……うん、明らかに矛盾しているナ。こんな物質────人為的に作れる訳がナイ」
液体にしても、固形物にしても、そこから別の物質を生み出すには必ず『過程』が存在する。
水から水素と酸素を生み出すには、水を『加熱』させることが。
鉄から刀を作るには、『鍛冶作業』等々を進めることが。
だが、こいつは火で炙っても、打撃を加えても、何をしても一切変化しない物質だ。それを刀の形に変え、かつ鋭い刃に磨き上げるだなんて……断言しよう、出来る訳がない。
「ならば何故そんな想いを抱くようになったのか……それは簡単だ。少女の過去に、少女を決定付ける出来事があったからさ。それこそが……」
「────黙レッ!!」
制御が、出来なかった。
気づけば、身体が凄まじい拒否反応を示す。
そして。
ガスバーナーを蹴っ飛ばし、刀をレジダプアに突き付けると、怒りで満ち溢れた顔を真っ直ぐに彼女へと向けていた。
しかし、レジダプアは揺らぎもせず、呑気に紅茶を口にしながらこう返す。
「……独り言って念押しした筈だけれどね?」
「ハァ、ハァ……そんな想いは、とうの昔に捨てたンダ……!いや、それより……何故、そんなことを知っているんだヨ……誰にも言ったことはない筈なのに……お前、一体何者ダ……!?」
こんな感情を剥き出しにした姿、絶対に他人には見せられない。
だが、何故だろうか。
レジダプアに対してだけは、そんな気持ちも愚問であるような気持ちになってしまうのは。
「私が何者かは……それは規律違反さ。だけど、一つだけ。神に属する力とは……先見の瞳なんてものは……持つものじゃない。人生がつまらなくなるからね」
「……なにを、言ってイル……?」
今までのお気楽な人柄からは、考えられない位の、重くて、暗い口調だ。
それに、その口から出てくる言葉も、とても同じ領域に立つ人間とは思えない位に、断定し切っており、分かりきっている。
一体今の彼女は、何を感じ、何を思い描き、何を見ているのだろうか。
「心配はいらない。私はこの物語からすればただの部外者さ。この瞳でも見えない、一人の少年とこの世界の行く先を楽しく見物する者……それだけだよ。ところで、さっきから気になっていたんだけれど……君、ユリちゃんをどっかで見かけたかい?」
「エ?いや、見ていな……エ?」
その時だった。
手元の刀が、崩れ落ちた。
まるで水を掛けられた泥のように、溶けるようにして、床に落ちたのである。
「ちょっとちょっと、床を汚さないでよね。掃除するのが大変なんだからさ、主にクロクが」
クロクが可哀想である。
レジダプアの下らない戯言は置いておいて。
その場で屈んで、床に落ちた黒い何かを指先ですくい上げる。
蜂蜜のようにドロッとしていた手触りは、まるで何者かの体液のようだが、臭いは無臭だ。しばらくそれを指先で擦っていると、蒸発したように、跡も色も残さず消え去ってしまった。
「今、何が起きたンダ?刀身を弄って……それから、そうだ、何かを……“抜いた”?何を……これは、何ダ?」
黒い液状の何かの中心にあった、小さい球体。
見たことも聞いたこともない現象に、二人の意識は釘付けになり……ユリが居ない、という認識が次第に薄れていったのだった。
「だぁから!ユスラさんとはぐれちゃったんだって!執務室の方は俺が行くから、あんたはユスラさんを探して匿っていてくれって言ってんの!」
汚染者フェイズ2に追われ続けて、かれこれ十分は経っただろうか。
その間に一瞬だけ目を離したらユスラの姿が消えており、いつの間にかはぐれていたという事実に気付いた。
慌てて彼女を探している最中に、ほんの数分前に外から戻ってきたという、辻隆と遭遇したのである。
「い、いや、でもあんた、イムニティからすればお尋ね者だろ?それなのに、何でウチの親分を助けようとする訳?」
「じゃあ俺の代わりにあの化け物を引き寄せて、清閑寺を助けてやれるのか?」
「おぅ!それはムリ!」
「潔いようで何よりだ!だったらどこかで逃げているユスラを探して、安全な場所に隠れていてくれ!構成員のあんたなら、お安い御用だろ!」
話によれば、汚染者にならずにすんだ構成員達は何故か停止しており、清閑寺偉吹は未だに上の執務室に閉じ籠もったままらしい。
こんな事態だ。
先程からフェイズ2は停止した構成員達を襲ってはいないが、やはり清閑寺のことは気になるのだろう。
「それはそうだが……そもそもユスラに助けなんて要らないと思うんだがな……?」
「何、言ってんだ?確かに、多少は汚染者を相手に出来るかもしれないけど、あいつは犬に噛まれただけで瀕死に陥る貧弱体質だろ?」
ユスラの貧弱体質のことは、イムニティである辻隆ならば知っている筈だ。
しかし、彼は驚いた顔でこちらを見ると、こんなことを口走った。
「え?お前、もしかして、ユスラのこと何も知らない……?」
「は?」
「いや、知らないなら良いんだ。分かった、ユスラのことは任せろ!抗体とイムニティのいざこざは……一旦は休戦だ!」
何が何やら訳が分からないが、一応承諾はして貰えたらしい。
「お、おう、頼む!」
一先ず、頭の中の疑問を振り払い、了承の意志を確認し合うと、再び走り出す。
すると、背後から辻隆が、思い出したように声を張り上げた。
「上に行くならそこの非常階段から登ってくれ!こんな非常事態にエレベーターを使うとか、気が狂ったようなことはするんじゃないぞ!?」
「幼稚園児でも分かるような忠告をどうもありがとうございます!」
実は、火事、地震の時にエレベーターに乗ると、停電を起こすシステムになっているらしい。
だが、今回の場合、相手は上階から地下へ、地下から上階へ跳ね上がる跳躍力を秘めている。
ある意味では、災害よりもたちが悪い。
奴らの目の前でエレベーターに逃げ込んでしまったらどうなるか……考えるまでもないだろう。
「ハァ、ハァ……危、なかったぁ……栄志君は、大丈夫かな……?」
間一髪だった。
あと一歩、エレベーターに乗り込むのが遅かったら、腕を掴まれてリンチに遭っていたかもしれない。
それにしても、エレベーターの扉が思ったよりも硬いことに驚きだ。
あのフェイズ2の拳をものの見事に防いでくれたのだから。
「勝手に地下に降りちゃっているけど……まぁ、今はさっさと情報を得るのが先決だよね……」
現在、新実ユスラは地下へと降りているエレベーターに乗り込み、荒い息を吐きながら座り込んでいた。
本当なら一階で栄志を探すのが安全面では正解なんだろうが、恐らく彼ならば一人でも問題はない筈だ。
今は一秒でも早く、イノヴェミックの謎を解く為に動くべきだろう。
その為に、自分はこんな泥棒紛いなことをしているのだから。
「私も、自分に出来ることをやらなく……ひゃわぁ!?」
轟音、同時に震動。
エレベーター自体が落下するのではないか、と錯覚してしまう程の激しい揺れが襲い掛かってきた。
次の瞬間。
「まさか、跳び乗ってきて……ひゃわわわわぁぁッ!?」
エレベーターの天井を突き破り、黒い腕が突出してきた。
間違いない。
あのフェイズ2達がエレベーターの跳び乗り、とことんまで自分を追い掛けてきているのだ。
腕一本でエレベーターの壁を突き破る豪腕を前に、最早為す術は無いに等しい。
「……ッ!?に、逃げられな……!」
絶望。
恐怖。
まさか、身内の挙行に怯える日が来るだなんて思いもしなかった。
あんな怪物に追われた状況で、エレベーターに逃げ込んだのは、完全に間違っていた。
小刻みに震えながら硬直していると……穴が開いた天井から、フェイズ2の顔が覗かれ、そして……。
「あぁくっそ!予想はしていたけど、ここまでしつこいとはなぁ!?」
決死の思いで、蛍光灯一つが照らす薄暗い非常階段を駆け登るのは、武蔵栄志。
下の方からは激しい足音と、不気味な咆哮が絶えず響き続けていた。
立ち止まって迎撃するのも一つの手だが、桁違いな戦力差の前では、歯向かう意志すらも億劫になってくる。
だが、今のところは何とか逃げられている様子だ。このまま行けば上手く撒くことも可能かもしれない……そんな考えは、即座に打ち壊された。
「おわっ!?」
目の前に現れた。
衣類を身に着けていない汚染者、フェイズ1が。
この場で汚染者として立ち塞がる可能性があるのは、恐らく一つしかない。
「イムニティに運び込まれた一般市民の方も出てきやがったのか!?」
思わず足を止めると、背後からフェイズ2の大群が姿を現す。
前後で退路が絶たれた。
こうなっては、最早逃亡の選択肢は存在しない。
出来るのは────迎撃のみだ。
「ルゥゥオォォォォォッ!!」
「キィルルルルルルッ!!」
両者が前後から、一斉に襲い掛かる。
それだけでも恐怖で気絶してしまいそうだが、何故か不思議と心は落ち着いていた。
「落ち着け、落ち着け……1の方は当たらないんだ……気を付けるのは、2の方だけだ……」
幸いにも、1と2の区別は外見で一目瞭然だ。
1の方は一般人である為、そもそもどれだけ攻撃しようと思っても自分には当たらない。
ならば、最初の一歩は……。
「後ろ……!」
敢えて、最大限の注意を払いながら、2の方へと飛ぶ。
距離で言えば1の方が近い為、自身が後ろに下がれば全力で追い掛けてきてくれる筈だ。これにより1と自分、2の距離が一気に狭まり、危険度が急上昇するだろう。
だが、計算通り。
耐えて。
耐えて。
耐えて。
2との距離感が一気に狭まり、1が拳を突き出した瞬間を狙い……。
「……ここッ!」
前へ飛ぶ。
自身の身体は1の拳と身体をすり抜け、奴が突き出した巨大な拳は、いきなり現れた2へ直撃。
そして、ドミノ倒しのように、背後から続くフェイズ2達を巻き込んで階段から落下した。
「おっし!」
上手くいった。
だが。
そう、慢心したのがいけなかった。
「キィルルルルゥッ!!」
視界の中に、フェイズ2がいきなり姿を現した。
恐らく、上階に居た構成員が降りてきたのだろう。奴は既に拳を振りかぶって、こちらへ狙いを定めている。
つまり……避けられない。
「ヤバ……ッ!」
ふと、走馬灯のように感じた。
一体、自分は何をしているだろうか。
正義感に突き動かされた?
イムニティに復讐したかった?
いや、違う。
このままでは何も納得出来ないという、個人的な我が儘に突き動かされ、こんなところまで来てしまった。
やはり、自分には似合わないことなんて……するべきではなかったのだろうか。
「────オニーチャン、ミーッケタ」
「は?」
突然、目と鼻の先に居たフェイズ2が床に沈む。
いや、何かに押し潰されて床に落ちたのだ。
続けて、フェイズ2を踏み付けながら視界に現れたのは……フェイズ2と遜色ない外見をした、何者か。
だが、その口調は聞き覚えがある。
声こそ酷く枯れているように聞こえるが、まず自分のことを、おにーちゃん、などと呼ぶ人物は、一人しかいない。
「まさか……ユリ、なのか……!?」
ユリと思われるフェイズ2は首を傾げると、スキップ混じりの動きでこちらの脇を通り抜ける。
そして、次々と立ち上がるフェイズ2達を見下ろしながら、首を傾けて関節を鳴らすと、深く、深く、這うような体勢になり……こう言い放った。
「ダイジョーブナノ……ゼンブ、ブットバシチャウカラ、ネ~?」
予想を遥かに上回る、いや本来ならば有り得ない助っ人だ。
まだ幼児とは言え、フェイズ2となった者が、こうして人間を守る為に立ち塞がってくれるだなんて……。
そんなことを考えている内に────ユリとフェイズ2達の、常軌を逸した戦いが始まった。