潜入作戦
翌日。
武蔵栄志は、新実ユスラと共に建物の陰に隠れ、イムニティ本部の様子を窺っていた。
二日前のフェイズ2の襲撃と、昨日の『抗体』への敵対宣言が大きく響いたのか、入り口付近に二人の見張り番らしき人物達を立たせている。
あれでは、何も対策無しで前に出たら最後、問答無用で拘束に動き出してしまいそうだ。
「……というより、こうなること位はある程度予測が付くよなぁ。それなのにわざわざ敵地に乗り込もうなんて……今更だけど、危ない橋を渡るにしても程がある気がする……」
思わず、溜め息が漏れ出る。
すると隣に立つユスラが、腕を組みながら思い出すように言った。
「だけど、ハカセの言っていたことが事実なら、一考の余地はあると思うよ。下手したら、これでイノヴェミックの正体に一気に近付くかもしれないんだから」
「……まぁ、あの人の言っていることが本当に事実なら、だけど……」
──────────
イノヴェミック発生から現在まで、一年が経った。
従来の感染体とは、人々の体内に微生物等の病原体が寄生、増殖し、あらゆる病状を発生させるもの。それらとは大きく異なり、人々の身体を浸食し、超能力を発現もしくは体内構造を変化させて怪物を生み出す……それが、イノヴェミック発生から蔓延した、感染体の新しい特徴だ。
「……どう思うカナ?」
「突然の講座からどう思うって、何が?」
これは、昨日の会話だ。
ハカセが自らの目的を口にした後、翌日に栄志とユスラがイムニティに潜入する理由に繋がった……彼女が独自に見出した推測である。
「従来の医療や科学では、解明も、説明すら出来なかった未知なる物質。そいつの対策法をいち早く嗅ぎ付け、次々と現れる異変を臨機応変に対処し続けた……それがイムニティが、『免疫』と称された所以でもある。うん、素晴らしい功績ダヨ、賞賛を浴びるのも頷けるものだヨネ」
「いや、俺達は医者じゃないし。イノヴェミックや感染体がどんなモノか、考察するなんて出来るわけないだろ?」
次に、ハカセが発した言葉は、今までのどんな言葉よりも……力んでいた。
まるで、確信を得ていないように。
まるで、その先に踏み出すことを躊躇っているように。
それでも、彼女は言う。
それこそが先に進むべき唯一の道だと、疑っていなかったからだろう。
「────早過ぎる、とは思わなかったカ?」
「…………え?」
「それまで誰も知らず予測すらしていなかった未知なる物質の正体を掴み、感染体の及ぼす影響に対処法を見出し、汚染者の出現に対して使用者の編隊を組んで対応……それがイノヴェミック発生から一年……いや、大半はイムニティが人々の間に浸透していく期間だから……正確には、四カ月ダゾ?」
「よ、四カ月……!?そんな短い期間で、イムニティは今の現状を作り出したってこと!?」
「…………っ」
きっと、その先は元イムニティのハカセででも未知の領域だったのだろう。
いつもの余裕な笑みなど見る影もなく、常に思考に思考を重ねているような強張った表情になっていた。
当然、最初から押し黙って聞いていたユスラも、頭を押さえて、今にも倒れそうになりそうになってフラついている。
「ネ?だから疑わざるを得なくなるんダヨ。イムニティは、イノヴェミックや感染体のことについて、何かを知っている……いや、下手したら、その内部に潜んでいるのかもしれないんダ……」
「潜んでいるって……まさか……」
「そう────“感染体をこの地に蔓延させてイノヴェミックを起こした黒幕”が、ネ?」
「……ッ!?」
元から怪しい人物が、勝手に口にし始めた哀れもないただの戯れ言だ、と切り捨てるのは簡単だった。
こんな自然的に発生したとしか思えない超常現象が……人為的に引き起こされたモノだなんて、信じられる訳がない。
しかし、もし万が一……真実だとしたら?
その正体を掴むことが出来れば、一気にイノヴェミックの解決に辿り着くことも、夢ではないのかもしれない。
「少し、聞きたいんだけどさ……そいつを見抜くことも、あんたの目的に組み込まれているのか?」
「まぁネ。ただ、あくまで机上の理論だったし、確かめる術もなかったンダ。だけど、もしこれが真実だとしたら……これ以上有益な情報はないダロ?」
彼女でも、自身を謙遜するような言葉を吐けることに驚いたが、確かに超が付く程の有益な情報だ。
だが、それで彼女に対する疑惑が晴れる訳ではない。
むしろ、必然的にこんな考えが出てきてしまうのだ……自らの嘘を他者になすり付けようとしているのではないか、と。
「そうか。なら、もう一つ……あんたがその黒幕とやらではない、って根拠は?イムニティのような中途半端な救い方とは違って、あんたは“イノヴェミックの謎を解き明かす為ならば他人がどうなろうが構わない”って、自分で公言しただろ?この場合、明らかに人類に敵対している奴が、一番怪しいと思うけど……違う?」
そう、ハカセが自らの目的を話した後、続けてそんなことを口走っていたのだ。
彼女の目的は人類を救うことではない。人類の生存を脅かす謎の感染体の正体、あくまでもそれだけだ。
救いたいという正義の心もなく、どうしようもないという諦めの態度もなく、ただの純粋無垢な好奇心だけで動いている。
「それに加えて、こうも言ったダロ?信じてくれなくて構わない。協力関係なんて、そもそも結んでいない。互いを気遣う必要も、互いを助ける必要もないが……情報だけは一つに集め、それを好きに使う権利だけは了承すること、とネ」
だからこそだ。
皮肉にも、ハカセの立ち位置は誰よりも分かり易かった。
彼女の後を付いていけば、イノヴェミックの謎というおこぼれを拾える可能性が高い上、彼女自身もそれを了承している。隠し事が限りなく多いと判明したイムニティに付くよりも、遥かに、安全に、確実に、真実に近付くことが出来るのだ。
「無責任極まりないし、信用性もない気がするけど……」
「アタシはイムニティに関して有力的な情報を流したヨ。それをどうするかは、皆の自由サ。ただ、その先で得た情報はこの場で再び共有する……今どき、ネットワークで得た情報を何に使おうが、当事者達には知ったことではない。安いモノダロウ?」
信じた訳ではない。
ただ、使える物として、ここまで信頼性の高い物は他に存在しない。ならば、とことん有効活用させて貰おうではないか。
こうして栄志達はハカセの加えて、独自のネットワークの結成を締結したのである。
──────────
「行く前に、少しだけ良いかな?」
「ん?」
隣に立つユスラがわざわざこちらに向き直ると、胸に手を当てて深呼吸してから、こう切り出した。
「私、一昨日のこと……何も言っていなかったから。改めて、言わせて貰いたかったんだ。始めはただの他人だったのに、君は私のことを二回も救ってくれたよね」
「そりゃ……目の前で死にかけ、襲われかけ、って来られたら、助けられる自信はなくても、嫌でも身体が動いちゃうだろ」
前半はある意味加害者であり、後半に至っては完全な偶然なのだが……彼女も気にしていないのならば、それで良しとしよう。
「それも引っくるめて思うんだ。イムニティの真実を知れたのも、感染体の正体の片鱗を掴めたのも、君と出会ったことから始まった。だから、君と出会えて、本当に良かったって……」
「……」
何故、こんなことを改まるのか。
何故、そんな偶然をまるで自分のお蔭みたいに言ってくれるのか。
イマイチ実感が湧かないままだ。
だが、ユスラの朱色に染まった頬や、小刻みに震える身体を見ていると、気恥ずかしさと共に何も言えなくなってしまう。
きっと、彼女は、これまでかつてない程に、精一杯の勇気を振り絞っている……そう、感じたから。
彼女は言う。
真正面に向かい合ったまま、曇りもない穏やかな笑みを浮かべながら。
「栄志君、私と出会ってくれて、私のことを救ってくれて……本当にありがとう」
「……!」
感謝の言葉なんて、いつぶりだろうか。
この久しく忘れていたような、胸が熱くなる感覚。同時に視界の中で、彼女の姿がいつもよりも鮮明に映って見えるようになっていた。
前から気に掛けることもあったものだから、そんな感情が更に増してきたというか……。
何故かは分からない。
だが、何だか、とても恥ずかしい。
頭を搔きながら、動揺を隠すように思わず彼女から目を離した。
「え、えっと……そこまで面と向かって言われると、流石に照れるっていうか……」
「イチャイチャしているところに横やりを入れて申し訳ありませんが、そろそろ作戦を始めませんか?延滞料金を請求しますよ?」
そう言いながら、離れたところから歩いてきたのは、ここでも相変わらず兎耳メイド服を身に纏った星霜クロクだ。
彼女が現れたと同時に、ユスラが飛び跳ねるようにして大慌てで後ろに下がった。
「はぐぁ!?い、イチャイチャだなんて!な、何を言って……!?」
「言っておくけれど、延滞料金も無しの方向で頼むぞ、マジで」
ユスラの反応は、何となく傷付くが……それよりも先に、一応クロクの理不尽請求に終止符を打っておく。
彼女の場合、本気と冗談が半々で混じり合っている為、反応が薄かったらヤーさん並みな恐喝と押し掛けで返金を求めてくるのだ。夜中になっても自宅に押し掛けて来た時は、本気で夜逃げを考えたくらいである。
「では、早速作戦開始と参りましょう。予め言っておきますが、私の出来ることは『時を止める』ことだけ。それ以外のことは出来ない上、これは汚染者に対しての効能は薄いです。万が一汚染者が現れた際は、そちらで対処して下さい。宜しいですね?」
汚染者よりも明確な意志を保ち、使用者よりも格段に優れた能力を有する能力者。
『適合者』。
それがハカセが言う、星霜クロクのもう一つの名称だ。
信じられない話だが、彼女の正体は────レジダプアが所持していた懐中時計が擬人化したもの、らしい。
イノヴェミック以前からレジダプアが重宝し、現在まで大切に扱っていた懐中時計が、突然人の姿と化し、星霜クロクになったとのことだ。ちなみに、星霜クロクというのは、レジダプアが付けた名前だと言っていた。何故、クロクがレジダプアを主人と慕い、様々な要求に淡々と応えるのか……その謎が解き明かされた訳だが、まさか、所有者だったからなんて想像だにしていなかった訳である。
つまり、現在は人の姿をしているが、イノヴェミック以前は人ですら無かった存在。それらを、一概に適合者と呼んでいるらしい。
適合者達は、元々の姿が有していた役割を具現化させる力がある。クロクの場合は、元懐中時計に因み、任意の時空を操作することが可能なんだとか……。
「『時を止める』……適合者……元は人ならず者……」
「ユスラさん?」
「あ、えっと、その……う、うぅん!何でも無いよ!」
こちらの呼び掛けに慌てて反応したユスラ。
すると、クロクがエプロンのポケットの中から懐中時計を取り出し、いつぞやの不思議な文言を唱え始めた。
「では、始めます────【永遠と時を告げる軌跡の礎。衝動に駆られし御心をその身に宿せ】────《万年を刻む時人の衝迫》」
直後。
異様な寒気が背中から前へと吹き抜けた。
すると、本部の入り口付近に立っていた構成員が欠伸をしながら、停止。
相変わらず信じがたい現象だが、どうやら、本当に時間の流れが止まったらしい。
「時間を止めたのは内部の人間だけで、建物自体に影響はありません。もぬけの殻同然です。でも、あまり時間を掛からないことを約束して下さい。私の力にも限界はありますからね、途中で時間が動き出しても責任は取りませんよ、ピョーンピョン」
「制限時間は?」
「面倒くさいので十分……もとい出血大サービスで三十分までです。それ以上は頑張りません」
壁に背中を預けると、懐中時計を凝視しながらそんな警告を口にした。
いくら適合者と言えども、魔法のように、力の源に限界はあるらしい。
だが、嫌々ながらもこうして引き受けてくれたのだ。その尽力を無駄にする訳にはいかない。
「よし、行こう」
「やっぱり……いや、それどころじゃない……枯れちゃ駄目だ、私が咲き誇るまでは……!」
先陣を切って駆け出すと、ユスラがそんなことを呟きながら後を付いてきた。
一気に本部に近づき、停止状態にある男の脇を通り抜けて、自動扉の入り口に立つ。
「さて、研究データみたいなものが残っていればいいけれどね。重点的に見るべきなのは、地下の収容所と、研究階、支部長の執務室……それから、汚染者の人達が暴走しないことを祈るだけ、かな」
自動扉が左右に開く。
外とは違って生暖かい風が吹き抜け、一瞬の緊張感を引き締めてから、内部へと足を踏み入れた。
「流石に侵入に支障が出る程の邪魔は入らないだろ。居たとしても、フェイズ1が数人……その位なら何とか、対処……でき……る……」
「栄志君?どうし………………え?」
二人揃って、硬直。
その視界の先に立ち塞がっていたのは─────“フェイズ2達”だ。
一体やニ体どころではない。
十を越える汚染者達が、まるで待ち構えていたかのように、そこに群れを成していたのである。
しかも、それだけではなかった。
奴らのほぼ全員が、その身に白衣や外套を纏っている。それが何を意味するか……そう、奴らは、イムニティが汚染者に変貌した姿なのだと、容易に想像することが出来た。
奴らの視線を受けて全身に寒気が走り、ユスラと共にゆっくりと後ろに下がっていく。
しかし。
「これは、今すぐに逃げた方が……」
「あ、あれ?栄志、君……自動扉が開かないよ……?」
「嘘だろ……」
瞬く間に、退路が断たれた。
クロクが、人は止められるが建物自体に影響はない、と言った矢先にこれである。
彼女の仕業か、もしくは目の前のフェイズ2の仕業か……そんなことを考えている間に、フェイズ2達が、ジリジリと迫ってきていた。
獣のような唸り声。
強く床を踏み締める音。
そして、時折漏れ出る笑い声。
奴らの狙いは確実にこちらへと向けられ、今にも飛び掛からんと身構えている。
こちらの攻略法を得た使用者相手でもかなり苦戦したのだ。それを軽々と上回るという、あの数のフェイズ2が一斉に襲い掛かってきたら……確実に瞬殺される。
「マズいな……あれ、多分イムニティの連中だろ?アイツらが相手だと、どうしようもないぞ……」
「でも、おかしいよ!今まで、使用者達が汚染者化したことはなかった!それなのに、何でこんな一斉に!?」
そう、問題はそこだ。
今までは汚染者になっていたのは、一般市民だけだった。
その為、いつの間にか、使用者は感染体に対する耐性がある、なんていう先入観が生まれてしまっていたのである。
しかし、現実に彼らは汚染者に変わり果てている。
どうしてこんな事態に陥ってしまったのか……なににせよ、イムニティ唯一の出入り口が封じられてしまった今、出来ることは……一つしかない。
「とにかくこのままじゃヤバイ!逃げるぞ!」
「わ、分かった!」
ユスラと共に本部の中へと駆け出す。
すると、まるで獲物を狙う獣の如く、弾かれるようにその後を追い掛けていったのだった。
一気に静まり返ったホール。
出入り口付近に置かれた観葉植物の後ろから、二つの影が姿を現す。
「────おいかけなきゃ、ね?」
「────わふぅ」
その者達は脇目も振らずに走り出す。
地獄絵図に化したイムニティ本部で、文字通り命を懸けた鬼ごっこが幕を挙げたのだった。