枯れない花びら
時の経過と共に豊かな生活を送る人間達の世界に、全てを覆す異常現象が発生した。
『イノヴェミック』。
別名、革新的爆発感染。いわゆる、感染症の大流行現象だ。
今から一年前に発生したその現象は、ただ人間の身体に悪影響を及ぼすだけの従来の病原類とは大きく異なる。人間や動物等の身体の作りを根本から変えてしまう、未知の物質だったのである。
これに汚染された者は、全身が真っ黒に染まった化け物へと変貌し、自我を失って人間襲いかかるようになった。
そんな化け物となった者達を保護し、人々の暮らしと平和を守ることを信条とする、組織が結成された。
それが、『対異能民間組織』だ。
イノヴェミックの影響で異能に覚醒した者達で構成され、異能による怪物達の制圧を行う、世界の新たな希望の星々である。
「現時点で確認されている反応は……二つ」
手にしたタブレット端末を見ながら、街道を歩く一人の少女が呟いた。
肩辺りまで伸びる黒茶色の髪が揺れ、瞳がミントグリーンという不思議な色をしているが、右眼は包帯で塞がれている。一般男子よりも小柄だが、スラッと伸びた脚や指先、比較的豊かな胸の膨らみ、更には幼さの残る童顔が、可愛らしさを際立たせていた。ジーンズとシャツ姿の上に、膝辺りまであるグレーの外套を羽織っており、風が吹く度に小さく揺れている。
少女の後ろには、まるで付き従う形で歩く六人の男女がおり、物々しい雰囲気を漂わせていた。
「ユスラ、反応はこの辺りか?」
「計測器が示す通りなら、ね。作った人のことを疑う訳じゃないけど、こういうデジタル風な機器はあまり好きになれないなぁ。何というか……ハイテク過ぎて酔いそう。ていうか、現に酔ってるし、吐きそう……機械って本当気持ち悪い」
新実ユスラ(にいのみ ゆすら)は、ウンザリした顔で頭を押さえて言った。
こういった機械はボタン一つを押せば、多重な命令式が作動し、瞬時に反応を示すようにプログラミングされている……らしい。つまり、一見簡単そうに見えるものでも、膨大な量の情報の処理が行われているのだ。
それが自分の頭では理解し難いので、何となく、好んで使いたいものではなかった。
しかし今更な話だが、率先してこのタブレット端末を手にしてしまった自分が一番分からない。
「ん?あ、あれ?片方の反応が消えちゃったけど……お、おかしいなぁ。私、別にどこも触ってないよ?」
画面上の光る点が忽然と消えてしまった。
もしや、変な操作をしてしまったのか、と慌ててタブレット端末を左右に傾け始める。
だが、どんなに端末を動かしたところで意味はないと気付く筈もなく、本格的に焦り出したところで……。
「キャアァァァァッ!!」
「────ッ!こっち!」
悲鳴だ。
反射的に端末を後ろの男に放り投げ、声のした方向へと走り始めた。
大急ぎで駆ける方向の先で、飛び交う悲鳴、逃げまとう人々と、もう一つ……。
「コォォォォォ……ッ!」
化け物が、そこにいた。
黒く変色し、大きく肥大化した身体。不気味に光る赤く血走った眼。鰐のように裂けた大口と鋭利な牙。
『汚染者』。
《感染体》と呼ばれる物質に汚染された人間の、成れの果てだ。
「あれは……よし、まだフェイズ1だ。ちょっと、ちょっとごめんなさい!みんな!作戦はいつも通りによろしく!」
逃げまとう人々の間をかき分けながら進み、後ろの仲間達へと指示を飛ばす。
群衆の波を抜けて汚染者と化した人物の前に立ち塞がると、それは頭を抱えて左右に振りながら、枯れた声を発していた。
「コォォォォァァ……ッ!ヒ、ト……ユリ、ジャ、ナイ……ダレ……アァ、ァァァァァッ!!」
その人は、苦しんでいる。
しかし、そこに自我は存在しない。
このままでは、人間を喰らい、建物を破壊し尽くす、ただの危険な化け物だ。
だから、全力で止める。
今や抱くはずもないであろう、その人の苦しみに満ちた心境を勝手に思い描く。そして、顔を強張らせながらも、再び仲間達へと声を張り上げた。
「あとちょっとだけ待ってて……みんな、行くよッ!!」
すると、六人の内三人が前に進み出て横一列に並ぶ。
彼らは各々で片手、もしくは両手を汚染者に向かって突き出した。
「「リリース・トゥ────イグニッション!」」
統制、洗練された詠唱が響き渡ると、彼らの手中から火球が発生。
三人の炎が合わさると、一つの巨大な炎と化して、ポルターの前に立ち塞がった。
「コルゥゥォォッ!?」
人間達が感染体に翻弄される一方、それの影響で芽生えた《潜在物質》と呼ばれる力を駆使し、魔法のような超能力を発揮することが出来る者達が現れた。
彼らは自らを、『使用者』と名乗り、イムニティの一員として汚染者の鎮圧に努めている。
「「リリース・トゥ────ブリーズ」」
後ろに残された三人が並ぶと、同じように詠唱を口にする。
直後、彼らを中心に渦巻く風が発生すると、大きな突風となり、巨大な炎を巻き上げた。
その内の真ん中に立つ女が、舞う様に滑らかな動きで両手を上へ、下へ動かすと、炎を帯びた風が竜巻となりポルターを呑み込んだ。
「コルルァァァァァッ!!」
炎渦の中で、汚染者は腕をやたらめったらに振り回して悶え始める。
汚染者の動きが鈍くなってきたところで、前に並んだ男が、突き出した手を流すように下に降ろした。
すると、炎が瞬時に消滅。
無防備となった汚染者の懐に、ユスラが出現する。
「ナイスプレー!」
彼らが炎渦で動きを止めつつ、自分を隠してくれていたのだ。
即座にその図太い腕を抱えるように掴み取り、身軽な動作で身体を上に跳ね上げると、首元へ飛び付いてから、その耳元で囁いた。
「ごめんなさい。苦しいのは少しの間だけだよ。次に目を覚ました時……きっとまたいつもの日常に戻っているから」
外套の内部に取り付けられたポケットから注射器を取り出し、その太首に突き立てる。
「コ、ルォ……ォ、ォ……ッ」
汚染者は一瞬だけ大きく身体を震わせてから硬直。
そしてそのまま、苦しそうな声を漏らしながら、前のめりに地面へと倒れていった。
これで大丈夫、と溜め息混じりに頷いてその人から離れると、仲間達と目を合わせて互いに頷き合う。
「ふぅ、みんなお疲れ様!この調子で、もう一つの方も迅速に対処しよう。まずは消えた反応を追わないと……」
そこまで言った、その瞬間。
こちらの健闘を見守っていた群衆が、一斉に湧き上がった。
「イムニティの人達だ!」
「良かった!助かったぞ!」
「ありがとう!君達は俺達の英雄だ!」
腕を振り上げ、歓喜の声を挙げる人々。
感謝されるのは悪い気はしないが、ここまで大騒ぎされては逆に素直に喜ぶことは出来なかった。何故なら、所詮自分達のやっていることは、化け物に変貌した『人間』の拘束だ。
だから、特別に褒められることでも何でもない。
少なくとも、自分はそう思っていた。
「うわ、マッズイ……あまり大事にしたくないのにな……と、とにかく、分担して汚染者を本部へ!残りは引き続き捜索を!私も後から続くから!」
困惑を浮かべながら、仲間達へと指示を出す。
半数は巨体のポルターを風の力で持ち上げ、そのまま宙を飛んで退散。もう半数は端末を確認しながら、早足で群衆の中へと消えていった。
「私も急がないと……っとと!?」
その後に続いてこの場から去ろうとすると、突然後ろから弱々しい力で腕の裾を掴まれる。
驚いて振り返ると、そこには今にも泣きそうな顔を浮かべる、一人の女の子が立っていた。
「あ、あの、あれは私の友達なの……あの子は、あの子は……どうなるの?ちゃんと……元に戻る?」
「お友達……?」
「さっきまでは本当に元気だったの……!それなのに、いきなり変な風になっちゃって……私、どうすればいいのか、分からなくて……」
そう、汚染者は化け物ではなく……たった一人の人間なのだ。
帰りを望む人が、愛する人が、当然のようにいる。
それを、自分達は化け物同然の扱いで、拘束し、連行しているのだ。この子のような近しい存在からすれば、気が気でないのは当然のことだろう。
「……」
自身の行動に後ろめたさを感じつつも、行動を起こした責任と覚悟を背負った上で、女の子の肩に手を置いてから、こう答えた。
「心配しないで?あの子は私達が絶対に治すから。だから、君はあの子の帰るべき場所として待っていてあげて?きっと、あの子も君と一緒に居たいって……そう思っている筈だから」
それが……イムニティの使命だ。
イノヴェミックで革変された世界で巻き起こる異変に対処し、悩む人々を救う為に活動する慈善団体。
それこそが誇り。
新実ユスラの行動倫理なのだから。
「……うん!私、待ってる!待ってるから……だから、お姉さん……お願いします……!」
礼儀正しい、良い子だ。
彼女はグッと涙を堪えた様子で小さく頭下げると、こちらを何度も振り返りながら、走り去っていった。
少女の心からの願いを聞き受け、彼女の去る後ろ姿を見つめながら強く頷く。
そして、小さくも、自分に言い聞かせるように、その言葉を口にした。
「────枯れない、私が咲き誇るまでは。友達は……大切な人は……失っちゃ駄目なんだから……っよし、もう一人の方も絶対に助けないと!次の場所は…………あ」
そこで、重大なミスを起こしていたことに気付いた。
汚染者は、生物だ。
つまり、絶えず移動を繰り返している。衛星にでもならない限り、彼らの位置を感覚で特定することは出来ない。
つまり、もう一人がいる場所へ行くには、彼らの居場所を探知するタブレット端末が必要不可欠なのだが……。
「……端末、預けたままだったような……」
一つのことに集中すると、もう一つが完全に疎かになる。
自分の悪い癖だ。
周りを見渡しても、最早彼らの姿はない。
今この瞬間、大変な状況なのに、広い町の中に一人取り残された迷子の気持ちを、痛いほどに味わっていたのだった。