一通目
大学生活で手に入れたのは資格であった。人というものは時間が余ると充実感を求めるようだ。ソースは俺。あまりにも実りのない大学生活を過ごす中で目標を失い堕落に陥る前に、とりあえずは就活に使えそうな資格でもと思い立ったことから始まった。現代は試験問題の予測や過去の傾向を簡単に、無料動画サイトやネットで知れる時代であり、ボロアパートの一室が個別塾に早変わりとなる。
近場に資格学校があれば授業料を払い講座に参加するが、ここの学生街の光景は居酒屋や定食屋、地元密着型のスーパー、八百屋などがで埋め尽くされている古き良き商店街。巨大建造物が建つ余裕などない。資格勉強に目覚めたのは入学から半年、入学後目標を失い大学生活に慣れはじめ、初めての前期試験を終えて夏休みに入ったばかりである。当初は慣れない勉強、知らない知識を叩き込むだけで頭が重くなったが、逆にその重みが最大の収穫であった。そうした疲労感によって、自分は頭がよくなっているという達成感を手軽に持てることは充足感を生む。将来のことを考えないまま大衆に流されるがごとく受ける講義とは異なり、自分自身が成長しているという感覚に浸れる。
有り余る時間を効率的に使い時間を節約することにどんな意味が有るのだろうか。考え付かないほどに俺は資格に飢えていた。結果、長時間勉強を続け次の日の朝、記憶が整理されすっきりしている快感が止められずに深夜まで起きていることが多い。
そうしてただひたすらに資格を取っていった結果、実家に帰省した際「そんなに資格を持って意味が有るのか」とまっとうな意見をぶつけられた。暮らしのセキュリティ検定試験、定年力検定・・etc、確かに必要性が感じられない。それ以来は、俺の中で資格というものに対する熱は冷めていった。理屈ではないと割り切って己の道を進む者こそ、秀才に達するのかもしれない。俺にはその才がないらしい。
鏡の前には、口角が少し下がり目の死んでいる辛気臭い顔が通り過ぎる。爆発したように跳ねている寝癖からはぐうたら加減を感じさせる。先日剃った髭もうっすらと生えてきている。なぜ髭はこんなに早く生えそろうのか、実に疑問である。
仕方なく櫛で髪を整え食材を買いに行くべく靴を履く。玄関を出ると男の部屋に似つかわしくないかわいらしいポストが目に入る。しばらく見つめた後鍵をかけ商店街へ向かう。
季節は八月。湿ったアスファルトの匂い、入道雲を見つつ蝉時雨にうたれる。風流だな。
年初めはバイトと試験勉強で乗り切った。二年目の前期講義始まり桜の季節、何か出会いの一つや二つと期待しながら、すでに二回目の夏、金なし彼女なし青春なし。趣味であった資格からも手を引き、今となっては人の悩みえを勝手に知ることである。