10 手を伸ばした先
そろそろ佳境です。
私ことリセ・リアルデ、竜の国の女官となってから、すでに片手の指ではたりない年月が過ぎました。
四捨五入して計算すれば三十路です。ああ、おそろしや。
…と、どうでもいい愚痴はここまでにして。
ハシュルスルビスクルス様ですが、最近ますます強くたくましくなっておられます。
精神面でもぐっと大人らしくなられたようで、はためからも思慮深さを感じさせる落ちつきをえられました。
この分ですと、成人なさるまでそう時間はかからないでしょう。
そうなると、必然的に私の役目もおわります。
つまり、晴れて人界にもどれるのです。
当初、九年前後の長丁場を覚悟していた女官の仕事ですが、想定よりも短い期間でおえることになりそうです。
家族や友人に会える日が着実に近づいてきていることをとてもうれしく感じる反面、もうハシュルスルビスクルス様や竜の国の方々とお会いできなくなるのだと思うとちょっぴりさびしいです。
われながら、何とも複雑な心境です。
――でも、私はやっぱりかえりたいです。いかず後家はいやですから!
そう意志をかため、さびしいという思いにむりやりフタをして、せめて人界にもどる日を指折りかぞえてこころまちにしようと自分に言い聞かせていたある日のことでした。
「風がきもちいいですね、ハシュ様」
「ギャウ!」
現在、私とハシュルスルビスクルス様は、そよそよとあたたかな風がふく、とある丘のうえのはらっぱにとなり合って座り、ぜいたくにも城下の風景を一望しています。
完全おしのびのピクニックということで、侍従である有翼の御仁もおられません。
本当にふたりきりという状態です。
「さきほど背にのせていただいたときは、あんまりはやく飛ばれるものですから、あやうく落ちてしまうかもしれないと思いましたよ」
笑いながら言うと、ハシュルスルビスクルス様は「そんなこと絶対にないよ!」と主張するように、じゃっかん不満そうに緑の眼をすがめて頸をよこにふられました。
もちろん、本当にハシュルスルビスクルス様の飛行を危険だと感じたわけではありません。
ほんの冗談にきまっています。
「――」
おだやかな沈黙が流れ、私はしばし膝をかかえて無言で街をみおろしていました。
――どれくらいの時間が経ったころでしょうか。
金の尻尾がほおに触れ、おもむろによこを見ると、とても真剣な眼をしたハシュルスルビスクルス様と視線がぶつかりました。
りりしい顔つきで、何かキラキラしたものを口にくわえておられます。
「ギュ」
頸を伸ばし、つき出されたのは、みごとな金色にかがやく一枚のウロコでした。
ひょっとして、これはハシュルスルビスクルス様のウロコなのでは…?
一体どうやってはがしたのでしょうか。
痛くはなかったのでしょうか。
いや、その前に、なぜウロコ。
「…私に、くださるのですか?」
「ギャウ」
こくんとうなずき、こちらをまっすぐに見つめるハシュルスルビスクルス様は、どことなく緊張なさっておられるごようすです。眼、何だかウルウルしてませんか?
…そうだ、ひょっとしたら、これはお別れまえの「さようなら」のおくりものなのではないでしょうか。
私の女官としてのつとめは、ハシュルスルビスクルス様がぶじ成人なさるまでのあいだという約束でした。
ということは、ハシュルスルビスクルス様もきっとわかれのときが近づいてきていることを理解して、こうしてウロコをさし出してくださったのでは…。
ああ、不覚にも鼻のおくがツーンとしてきました。
涙腺が崩壊寸前ですッ!
「――ありがとうございます、ハシュ様」
なみだを隠そうとうつむきながら手を伸ばし、そっと受けとると、ハシュルスルビスクルス様は本当にうれしそうに何度も尻尾を地面に打ちつけ、興奮したように咆哮をあげ、りっぱな後肢のつめでしきりに地をかいておられました。
ひー、地震なみの大震動です!
…それにしても、餞別を受けとったくらいで、どうしてこんなによろこんでおられるのでしょうか?
この国にきてずいぶん経ちますが、竜の生態はいまだによくわかりません。